【メディアの報道内容が世間を騒がせたり落ち着かせたりする】
2020年4月8日、安倍内閣総理が“緊急事態宣言”を発令しました。
自粛期間は、1ヶ月間。
指定する地域は、東京都、千葉県、神奈川県、埼玉県、大阪府、兵庫県、福岡県。
遅い!
遅すぎる!!
アチキは小池都知事などの都道府県知事を含めて政治家(政府など)の動きは緊急を要する事態に対して遅きに失していると思っているでありんす!
世間の人と話をすると、一様にみな“遅い”と言っています。
あげくの果てに安倍総理がやっと緊急事態宣言を出したことに海外から「いまごろやっと出したのか?」みたいな批判を浴びました。
海外の指導者や民衆からすればあり得ないことだと思ったのでしょう。
なぜでしょうか?
緊急事態宣言というものは、元来は戦争と密接に関係しています。
(戦争だけではありませんが)
世界中を見渡してみれば、戦争と70年も無縁な国は日本くらいでしょう。
アチキはなにも戦争を勧めているのではありません。
敵国との戦争、内戦、民族紛争、体制への反乱などが日常的に起こっている国では、こうした不測自体への備えや心構えが伏流水のように国民の中に染み込んでいるのです。
ですから、いざ「緊急事態宣言だ」「外出したら逮捕だ」と言われても免疫があるのです。
また、ヨーロッパなどはペスト(黒死病)という恐ろしい伝染病の経験があります。
日本は過去大掛かりな伝染病の歴史もなく、数十年の間戦争とも無縁な国家であったのです。
そうした事情が今回の新型コロナウイルス対策に影響を及ぼしていることは間違いありません。
ですが、アチキが言いたいことは別にあります。
それはマスコミ(メディア)の影響力です。
〈メディアによる世間への影響〉
テレビなどのマスメディアは世間の人々の心理に大きな影響力を持っています。
当のメディア側の人たちは、そのことをもしかしたら深く自覚していないのかもしれません。
新型コロナウイルスの被害者は毎日必ずニュースになっています。
そうした毎日のニュースで被害者数などの情報以外で新型コロナウイルス情報の中心となったのが「経済被害」です。
仕事がなくなった人、客がこなくて困っているお店、潰れそうなお店などを多く取材し報道していました。
また、通常であれば人混みで賑わう場所に出て、いかに人がいなくなったのかということを報道していました。
メディア側は「自粛」を伝えたかったのでしょう。
新型コロナウイルスの被害の悲惨さを報道したかったのでしょう。
ですが、メディアが「何を伝えるか」「何を伝えないか」は大衆心理に大きな影響を与えることは間違いないのです。
経済的危機の情報を多く発信するということは、大衆の「経済的不安」を煽ることに繋がっていくのです。
経済的危機の現状を伝えること自体は決して間違っていません。
ですが、メディアは新型コロナウイルスに関するすべての情報、ありとあらゆる情報をリアルタイムに大衆に伝えているでしょうか?
それは無理があるし、出来ていないということが現状です。
そうなるとメディア側は情報を絞って報道するようになります。
つまり、情報の中からある特定の情報に焦点を当てて報道(伝える)することで大衆心理を操作(影響を与える)することができる存在がメディアなのです。
それがメディア(マスコミ)と大衆(国民)の関係であるのです。
具体的に言うと、経済的危機のニュースばかり流すことで、大衆(国民)は経済に対する不安感が余計に強くなります。
メディアが言わなくても危機的状況にある人は実感をもって困窮しています。
それに輪をかけ経済的危機ばかり報道すると、経済的危機に遭遇していない人たちまで「不安感」が増していきます。
だから、買い占めをする人が出てくるのです。
要するに、メディアがどんな情報をどう伝えるか、ということによって大衆(国民)は不安になったり安心したりするものなのです。
それはほとんど無意識に。

さあ、話は元に戻ります。
安倍総理が海外から指摘されたように緊急事態宣言を出すことが遅くなった理由の最大の要因はなんでしょうか?
(要因には安倍総理個人と日本人の民族的性質なども影響している)
それはメディアが経済的危機情報ばかりを報道したため、大衆(国民)の間に経済的不安感が余計に強まったからです。
日本人の国民性は「空気を読む」「空気で動く」です。
安倍総理などの政治家は世間、大衆の空気を読んで動いているのです。
だから、緊急事態宣言をだすことをためらう気持ちがでてしまったのです。
(もしかしたら本人も深く自覚していないかもしれませんが)
経済的危機を打開するため、国民を安心させるためにはどうしたらいいのか?
ということを模索していたのです。
つまり、新型コロナウイルスの経済的危機をメディアが多く流すことで大衆心理に経済に対する不安感が広まってしまったので、政治家はそれを感じて、決断することに躊躇する心理が働いた。
万全な経済対策を見つけてから緊急事態宣言をしようと考えた。
のではないか、とアチキは思っています。
【マスコミが伝えていない2つの情報】
経済的危機の情報はずっと取材・報道していますが、ある2つの重要な情報はほとんど取材・放送していないことに気がつきませんか?
その二つの重要な情報とは?
〈新型コロナウイルスと戦う医療現場の状況〉
マスコミがほぼ取材も報道もしていない重要な情報の一つが、新型コロナウイルスに感染した患者と戦う医療現場です。
そんな危険なところに行けるか!
行かせられるか!
そのとおりです!
行政からの規制命令も出ているでしょう。
病院にマスコミが行っても必死に患者の治療に当たっている医師や看護師からすれば邪魔でしょう。
マスコミの仕事をしている人たちも感染してはいけません。
ですが、マスコミの使命が大衆(国民)が知りたいことを知らせること、だとすれば、大衆(国民)がいま一番知りたいのは新型コロナウイルスに感染した人の状況であり、その医療現場ではないでしょうか?
(いずれ再現ドラマやドキュメンタリーとして多くの番組が放送されるでしょう)
これはとても難しい話題なのです。
アチキが言いたいことは、本当にマスコミが自分たちの使命と世間に対する影響力を自覚するならば、一番知らせなければならない情報を知らせていない、ということです。
もちろん医療の邪魔をしてはいけないし、マスコミの人たちが新型コロナウイルスに感染してはいけません。
ですが、なんらかの手段で、間接的であっても、新型コロナウイルスに感染した患者を治療する医療現場がいったいどんな状況なのかを大衆(国民)に知らせる必要があるのではないか?
ということです。
芸能人の不倫現場を徹夜で張り込んで取材したり、保釈して出てくる芸能人を数時間も待ち続けることはするのに、新型コロナウイルスの治療現場に関する情報を取材または報道しないのはなぜでしょうか?
もし、そうした切迫した現場を報道していれば、もっと早くから大衆(国民)は自主的に自粛に応じていたでしょう。
進んで自粛をしていたでしょう。
もっと自粛の状況は進んでいたでしょう。
〈新型コロナウイルスの被害にあった人の情報〉
新型コロナウイルス被害者に関するマスコミの情報は、ほとんど公的機関からの情報です。
新型コロナウイルスに感染して死亡した人の様子は、一切報道されていません。
例外は志村けんさんなどの芸能人です。
これらの情報を取材・放送するにはとても危険が伴います。
ですから、マスコミは報道できない、ということが実情であることは間違いないでしょう。
ですが、こんな時でも従軍記者のように防護服を着こんで、医療現場に乗り込む記者やリポーターが出てこないことが寂しいと感じます。
記者魂を発揮する記者やメディアがあってもいいのではないかと思います。
新型コロナウイルスで死亡した人の状況を大衆(国民)に伝えることを早い時期にしていたら、大衆(国民)は新型コロナウイルスの恐ろしさを深く自覚し、安倍総理が緊急事態宣言をしなくても進んで自粛していたでしょう。
(もちろん個人情報は伏せなければなりません)
悲惨な交通事故で大切な家族を失った人の悲しみを取材することをするのに、新型コロナウイルスの被害で苦しんだ患者(死亡を含む)を取材して報道しないのはなぜですか?
この点をマスコミ各社に問いたい!
マスコミの人たちも新型コロナウイルスから身を守らなければなりませんが、マスメディアという職業に携わる人たちの使命(仕事)としては、不十分なのではないか?
ということを言いたいのです。
自宅勤務のできない会社員は、感染するかもしれないリスクと恐怖感を抱えながら電車通勤をしている人が大勢います。
マスクをしながら人にあって仕事をしている人もいるのです。
なのに、マスコミの人たちは、安全なところにいて自分たちの一番やらねばならない仕事を放置したままでいいのか?
アチキには大いに疑問でありんす。
(簡単な話ではないことは承知で話しています)
評論家もコメンテーターも、誰もこの点を指摘しないので、アチキが指摘しておきます。
【二つの力で緊急事態を乗り切る】
アチキが提案したいのは二つの力を使って、この緊急事態、非常事態を乗り切ることです。
国や公共機関ばかりに頼るだけではいけません。
個人が個人で出来ることをやらねばなりません。
思想の違い、地域の違い、年齢や立場の違いを超えて日本人が一致団結してこの危機を乗り切らねばなりません。
《知恵の力》
ただ客がこないと嘆いているだけではいけません。
政府の援助をただ待っているだけではいけません。
危機のときに知恵を絞って少しでも現状を打開することが大切です。
こんなときには“知恵の力”を発揮することが大切です。
知恵=アイディアです。
アチキが言うまでもなく世間はすでに動いています。
知恵を出して頑張っている事例。
〔高級料理店のデリバリー〕
また、普段は人気で予約が取れない高級料理店(レストラン)では、デリバリー専用のメニューを開発することで売り上げをカバーする動きに出ました。
このレストランは高級店なのでデリバリーは普段やっていません。
ですが、客が来なくなったことでただ待っているだけでは埒が明かないと判断し、新しいメニューを作って、普段なら値段が高くて食べたくても遠慮していた人を顧客として新たに呼び込むことに成功しました。
それぞれが、出来ることを探す、いままでの常識ややり方に縛られず、新しいアイディアを出すことも必要なのです。
《義理と人情の力》
もう一つは、「義理と人情の力」です。
いまは非常事態です。
通常の社会生活が送れる状況ではありません。
ですから、単純に規約、約款に従っていては経済的危機により命の危険にあう人が出てしまいます。
「家賃が払えない」「税金が払えない」などの危機的状況を、人情で「お金が出来てからでいいよ」と待ってあげるなどの人情的行為があってもいいのではないかと思います。
それに対して猶予をもらった側は、その人情に対して、絶対に裏切らないで支払える状況になったら必ず約束を守るという「義理」を通さねばなりません。
これは当然人情をかけるほうに余裕がある場合の手段です。
お間違いなく!
こうしたことも世の中にあっていいのではないかと思います。
要するに助けられる人が人情で助け、助けられた人はその義理を果たす。
現代社会においてもこうした美談がどこかにあって欲しいと思うのでありんす。
【ご意見番が日本中で頑張る人たちにエールを送る!】
「新型コロナウイルスで感染した人とその家族、感染被害を食い止めようと頑張る政府機関及び公務員たち、経済的苦境に苦しむ人たちと企業、自粛により被害を受けた人すべてにエールを送ります!」

「いまこそ日本人の底力を発揮して、日本人が一つとなり、世界中で苦しむ人たちのことを思いながら戦い抜き、乗り越えていきましょう!」
お読みいただき、うれしうござんす!