『スペイン風邪が教える人類への教訓 ~新型コロナウイルスは人類への警告か?~』

【世界的パンデミック(スペイン風邪)とは?】

1918年世界的パンデミック発生!

それはスペイン風邪(インフルエンザ)

スペイン風邪とは、1918年(大正7年)~1920年(大正9年)に世界各国で極めて多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミックのこと。
(スペイン風邪とは俗称です。スペインインフルエンザ(H1N1)と呼ぶほうが正しい)

最初にウイルス感染が確認されたのはアメリカ合衆国であったが、当時、第一次世界大戦中であったため、各国は情報統制を布いていた。
しかし、中立国のスペインが情報統制していなかったことが影響して、スペインでの流行が大きく報じられたことで“スペイン”の名がついた。
スペインが発生源(発症地)ということではない。
また、“1918年パンデミック”とも呼ばれる。

近年の研究により、スペイン風邪はH1N1亜型インフルエンザウイルスによるものと判明した。
H1N1によるパンデミックは、スペイン風邪と2009年の新型インフルエンザの2回がある。

ほとんどのインフルエンザの流行では、死亡者の多くが乳幼児と高齢者に偏っているが、その中間層の生存率は高くなっている。
だが、スペイン風邪は若年成人の死亡率が他のインフルエンザと比較すると高かった。

感染被害は、1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染した。
これは当時の世界人口の1/3に相当する。
その中には太平洋の孤島北極圏の人々も含まれた。
死者数は、4000万人以上と推定されている。
(戦時中のため正確な死者数を発表していないと思われる)
だが、1億人に達した可能性があると指摘もある。
日本でも45万人(推定)が死亡したとみられている。
日本のスペイン風邪収束には2年の期間を要した。
新型コロナウイルス感染症を除けば、人類史上最悪の感染症である。

【アメリカを襲ったウイルス感染症】

1918年3月、アメリカ合衆国の中西部の軍地基地で発熱や頭痛を訴える兵士が大量に発生します。
これがスペイン風邪の最初の記録となります。

ウイルスはなぜ世界中に広がったのか?
それは当時世界大戦中だったため、兵士たちが移動することで、およそ4ヶ月で世界中に感染が広がってしまったのです。
第一次世界大戦に参加した国は、ウイルス感染の被害情報を隠蔽します。
ですが、中立国だったスペインでは情報統制していなかったため感染被害情報が発信されたのです。

第1波の感染被害では、数日で回復する軽症者も多く、8月にはいったん流行は収まります。
しかし、1918年8月、第2波が襲いかかります。
再びアメリカのボストンの基地で何千人もの兵士たちが罹患します。
1日あたり100人単位で次々と死者がでます。
ウイルスの毒性が強まったと考えられています。

戦地ではイギリス・フランス・ドイツなどの軍隊でも感染が拡大します。
戦死者よりも、感染による死亡者のほうが上回ります。

当時のアメリカ軍の死亡者数は、
戦死者   =   50,280人
スペイン風邪の死者=57,460人

こうした多くの被害をだしたことにより(スペイン風邪が流行したため)、第一次世界大戦の終結を早めた、とも言われています。

アメリカの研究で、セントルイスフィラデルフィアでの比較資料が残っています。
スペイン風邪のとき一早く学校、大型販売店、劇場、教会などの施設を閉鎖して、葬儀や結婚式なども禁止したセントルイスと、セントルイスのような行動制限(初期対応)が遅れたフィラデルフィアとでは死亡率に大きな差が起きたとの調査結果が出ています。
実は、初期対応の上手くいったセントルイスでしたが、その後、制限を解除した後に死亡者が増える事態が起こってしまいます。
これは封じ込めたと思っても、行動制限の早すぎる解除は感染被害が再燃することになるということです。

【史上最悪のパンデミック】

スペイン風邪は兵士たちから市民へとうつり感染が爆発していきました。
スペイン風邪で亡くなった著名人では、画家のエゴン・シーレ社会学者のマックス・ウェーバーなどがいます。
また、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトイギリス首相ロイド・ジョージも罹患します。

最終的に世界人口の1/3にあたる5億人が感染したと言われています。
死者は4000万~1億人と見られています。

死者数の数字が未確定で推定の域をでないのは当時の世界情勢に原因があります。
アフリカなどの未開の地(当時)では、なにが起きているのかという情報をつかむことができなかったのです。
つまり、記録が残っていないので、全世界でのスペイン風邪による正確な被害数が算出されないということです。

【日本におけるスペイン風邪の状況】

日本においては1918年6月、スペインでの奇病発生が対岸の火事のように他人事として新聞報道されています。
しかし、実はその前から日本人のなかで同じような熱病にかかった人たちがいたのです。
当時の新聞では「不思議な熱病現る」と報じられています。

それは日本統治下の台湾を巡業中の力士たちが帰国後にスペイン風邪と思われる症状が現れます。
それは相撲取りの間で発生したため、「力士病」と呼ばれます。
同じころ横須賀の軍隊の中でも集団感染が発生します。
こちらは「軍隊病」と呼ばれます。

このときの流行は散発的で軽症者も多く、人々はそれほど危険な病気とは思われていなかったのです。
これは新型コロナウイルスにおける1月ごろ(感染症発生時)の日本における認識と同じではないでしょうか?

しかし、1918年の秋、第2波が日本を襲います。
秋になると各地の学校で感染が爆発的に広がり、休校が相次ぎます。
さらに工場や炭鉱にも感染が蔓延します。
ウイルスは、船が発着する港や当時発達してきた鉄道などによる人の移動によって感染が全国に拡大していきました。

密集した集団の中でのクラスター感染は、現代の新型コロナウイルス感染症とよく似ています。

「入院は皆お断り」
「救急搬送拒否相次ぐ」

こんな新聞記事が当時掲載されるほど当時の医療現場はひっ迫していました。

「全村惨死。残る者はただ6人」
「働き盛りが死ぬ」

などという新聞記事もありました。

特に20代や30代の若い人に犠牲者が多く棺桶不足に陥ります。
1918年春先の第1波での流行は、死者数も少なく記録も残っていません。
ですが、秋からの第2波では1カ月に死者が13万人を記録し、合計で26万人もの死者を出しました。

さらに翌年(1919年)の第3波では、死者数は18万人(合計)と減少しましたが、致死率は5.3%と第2波の1.2%を上回ります。
最終的な日本におけるスペイン風邪の感染者は2000万人、死者数は45万人(推計)と言われています。(死者数に関しては25万人くらいという説もある)
これは関東大震災の死者数である10万5000人の4倍以上の犠牲者を出しています。

日本におけるスペイン風邪の被害推移は、1波よりも第2波の方が感染被害、特に死者数が多くなり、さらに第3波では死亡率が高まっているのです。
これを分析すると、第2波の感染爆発は、医療崩壊を起こしていることが要因と見られるが、第3波では、スペイン風邪の“怖さ”は十分に感じ取っていて、“感染防止策“も取られたはずなのに、死亡率(致死率)が高まっているのだ。
これはウイルスが強毒化していることが考えられる。

スペイン風邪が流行していたときに啓蒙のために作成されたポスターが現代に残っています。
そこにはこう書かれています。

「手放しにセキをされてはたまらない」
「汽車電車人の中ではマスクせよ」
「外出の後はうがい忘れるな」
「マスクとうがい」

《100年前のスペイン風邪で分かっていたこと》

100年前のスペイン風邪のときにすでに、飛沫が飛ぶことによってウイルスがうつるということは分かっていたのです。(飛沫感染)
それと電車、映画館などの密集空間でウイルス感染しやすいこと。
患者の看病をすることで感染する。
こうしたことがすでに分かっていたのです。

ただひとつだけかけていたのは「手洗い」に関することです。
これは現代のような水道網が発達していなかったためと思われます。
今のように簡単に水道の蛇口をひねり石鹸を使って手洗いができる環境になかったということでしょう。

消毒の大切さを感じさせる逸話に宮沢賢治が妹を看病したときの話があります。
インフルエンザで入院した妹(トシ)に付き添い看病をいていた宮沢賢治の記録には、「よく消毒した」と残されています。
ですから、100年前のスペイン風邪のときも手洗い、消毒の衛生対処が行き届いていれば、被害は少なく抑えられた可能性があります。

いま私たちが新型コロナウイルス感染症対策としてやっていることと同じなのです。
つまり、100年前のスペイン風邪の対策からなんの進歩もしていないのです。
それほど私たちは未知のウイルスに対して無力なのです。

《与謝野晶子の警告》

スペイン風邪が流行した当時の日本は、第一次世界大戦の軍需景気に沸いていました。
そんな日本に対して警告を発したのが歌人の与謝野晶子でした。

当時彼女には子どもが10人もいました。
そのうちの1人が学校でスペイン風邪に感染してしまいます。
すると、たちまち家族全員にうつったと新聞に寄稿しました。
その文章にはこう書かれていました。

「政府はなぜ逸(いち)早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展示会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、成るべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子供達に注意しているのです。社会的施設に統一と徹底との欠けている為に、国民はどんなに多くの避けらるべき、禍を避けずにいるか知れません。」

1918年11月10日、横浜貿易新報掲載『感冒の床から』

《当時の政府の甘々すぎる認識》

この時代には、ウイルス感染に対する認識で密集、密閉が感染被害を拡大するという認識が弱かったのです。
密集することが感染するらしいということは分かっていたのですが、それに対する対処が曖昧だったのです。
ここが現代と違うところです。

ですから、100年前のスペイン風邪のときは、興行ものに休業要請がでることはありませんでした。
この当時の認識を示すことがあります。

第3波が過ぎてから内務省は「流行病と決定」していたのです。
(当時の首相は原敬)
遅すぎるし、第3波が来てからそんなことを言っても意味がないとなります。

ですが、100年前のときはそうした認識しか持てなかったのです。
当時、日本における感染症における知識を持っていた研究所の式典に出席した原敬首相は自身もインフルエンザ感染してしまいます。
つまり、感染症を研究していた総本山の研究所がパーティーを開いていたほど、3密の危険性の認識が甘かったのです。

日本においても著名人がなくなっています。
劇作家の島村抱月が1918年11月5日にスペイン風邪により亡くなりました。
これによって新聞は一切に事態を重く見る風潮が出始めます。
これは新型コロナウイルスで3月に亡くなった志村けんさんのケースとよく似た状況です。

【スペイン風邪から学ぶ教訓】

パンデミックは1度で終らない。

つまり、感染被害は繰り返し起こる、ということです。
スペイン風邪のときは、第3波まできました。
これはワクチンと治療薬の開発次第といえるでしょう。

第1波よりも第2波、第3波と致死率が上がっていく。

第1波よりも第2波の方が感染被害、特に死者数が多くなる。
さらに第3波では死亡率が高まる。
ウイルスの変異による毒性の強毒化や人類側の油断などがあれば第1波よりも第2波、第3波のほうで被害が大きくなることがあります。

ウイルスはパンデミックを繰り返すことで変異し、強毒化する可能性がある。

インフルエンザウイルスは、変異しやすいウイルスという特徴を持っている。
新型コロナウイルスは、いまだ解明できていないが、変異していくとスペイン風邪のように強毒化する可能性もある。

世界的パンデミックを収束させるには、情報開示と共有が必要。

100年前のスペイン風邪のときは戦時中という状況だったため、自国の被害状況を他国に即時情報公開することがありませんでした。
また、このような世界的な感染症に対する認識も不足していたと思われます。

特に重要なことが、感染症発生時の初期情報です。
これがウイルス解明の鍵となり、対策と防止につながります。
今回の新型コロナウイルス感染症では、中国政府は初め「人から人への感染はない」と1月上旬の時点で発表しています。
しかし、すでに12月末、李文亮医師が新型コロナウイルス感染症に関する警告を発しています。

中国には初期対応の責任があります

中国政府が、李文亮医師の警告を真剣に受け止めて、その時点で感染防止策をしていたら、これほど世界中で感染被害を出さなくてもすんだかもしれませんし、そうでなくても世界に対して報告する義務はあります。
(国際法に照らして)

ですから、今回の新型コロナウイルスに関して一番重要なことは、中国の情報開示だったのです。
中国政府は真実を世界中に公開していないと思われます。
治療や検査をしないで死亡した場合、統計の数字に反映させないとか、すでに統計(調査)を取ることを止めているという情報さえあります。
感染発生地である中国が、アメリカ合衆国よりも被害が少ないということは、スペイン風邪の教訓から考えると、“ありえないこと”です。
スペイン風邪のときは、発症地であるアメリカは甚大な被害を出しています。

国家法の上に共産党が君臨し、国家法をもコントロールする国家の出す情報には信用性がありません。
中国は、真実を世界中に知らせる責任があります。

ただ、ある医師によると中国の新型コロナウイルスに関する情報開示において、遺伝子配列の分析などのウイルスに関する情報提供は早かった、と評価する方もいます。
それはなぜでしょうか?
「未知のウイルス」と呼ばれ、いまだに解明されていない謎のウイルスの遺伝子配列などの情報を早期に提供できたのは、初めから中国がその情報を持っていたからではないでしょうか?

日本以外の世界中の国々のほとんどが、新型コロナウイルスが「人工的なウイルス」であり、発生源である中国に責任があると追求しています。
遺伝子配列などの情報提供は早かったのに、臨床情報が遅かったのはなぜでしょうか?

日本においては1月中旬の時点でまだ新型コロナウイルスをそれほど脅威と感じてはいませんでした。
(国内では人から人へ感染するかしないか、という議論をしていた状況)
ですが、中国においては1月中旬には「人から人へ感染する」と、本当はつかんでいました。
そうした臨床情報を世界へ向けて警告しなかったのはなぜでしょうか?

中国には責任があります。
中国は、世界中を感染症を拡大させ、死者を出し、世界的な経済危機を引き起こした責任を逃れることはできません。

世界的パンデミックを収束させるためには、全世界が協力し合う必要がある。

自国だけ感染被害を抑えても、他国で感染被害が収束しなければ、再びウイルスは入りこみ、また感染被害をだしていきます。
ですから、情報開示とともに世界中が協力しあう意識が必要です。
そのためには、民族、国家という枠組みを超えて、同じ惑星に住む地球人という意識を持つことが必要です。
肌の色の違い、主義主張の違いを乗り越えて、ウイルス撃退という目的のために助け合うことが重要となります。

【新型コロナウイルス感染症の現時点での反省点は?】

スペイン風邪は有史以来、人類が経験した史上最悪の世界的流行(パンデミック)です。
つまり、1年で人間が死んだ数で、これに匹敵する悲劇はないということです。

メディアにも専門家にも責任はある

歴史家の磯田道史氏は、「メディアも専門家も責任があると後世の歴史家は書く」と述べています。
なぜかというと、当初は国内のテレビも新聞も「人から人への感染」が推測できるにも関わらず「なさそうです」と流したり、「インフルエンザと変りません」とまで言った専門家もいたからです。(発生直後の頃に)

要するに、メディアの流す情報や専門家の意見で「たいしたことはない」という情報が流れたことで、民衆は安心(油断)してしまったのです。
それはSARSやMARSの被害が日本でほとんど起きていなかったことも影響しています。
この二つの感染症の経験が無かったために、新型コロナウイルス感染症の怖さをメディアと専門家も甘く見てしまったのです。

磯田氏は歴史家の観点からこう述べています。
「歴史の教訓を見ると、前例の状況に縛られてしまう」と述べています。
つまり、人間は前回経験した感染症のときと同じように受け止めてしまうということです。
前回の経験の時と同じだろう、と思ってしまう思考が働く、ということです。

防衛医科大学教授の川名明彦氏も専門家としての反省点はあると述べています。
1月下旬の時点で中国の武漢で1万人の感染者、300人の死亡者が出ていました。
その時点で中国を除く世界では、150人くらいの感染者が出ていましたが、死亡者は0だったのです。
その理由を「中国が医療崩壊したことが原因で死亡者がでたことが理由であり、先進国ではこれほどの致死率にはならないだろう」と考えていたそうです。
川名明彦氏自身が新型コロナウイルスを当初、過小評価していたと正直に述べています。
いわゆる認識が甘かったのです。

専門家がこの認識ですから、メディアもそれに従います。
また、メディアが独自で中国の真実の情報を得ることもありませんでした。
(出来ないといったほうが正確かもしれません)

歴史学者の磯田氏はウイルス感染症と歴史の影響をこう述べています。
「感染症の流行は歴史のかく乱要因となり、社会変動が起こりやすくなる」

(参考情報:NHK『ウイルスVS人類3~スペイン風邪100年前の教訓~』他)

【再び起こった世界的パンデミックは何を意味しているのか?】

歴史から学ぶためには近視眼的なものの見方だけでは重要な教訓は見えてきません。
俯瞰的(ふかんてき)なものの見方が必要です。

第一次世界大戦は、1914年~1918年
スペイン風邪のパンデミックは、1918年~1919年
関東大震災発生は、1923年

第一次世界大戦の戦死者は、1000万人
スペイン風邪の死者は、4000万人以上
関東大震災(日本)の死者数である10万5000人

「第一次世界大戦」「スペイン風邪」「関東大震災」は時期的に重なり合っているまたは近い時期に起きています
つまり、

人類を混乱と破滅へ導く悲劇は連鎖する

というのが歴史的に見る教訓ではないでしょうか。

ここが恐ろしいところです。
歴史を見ると疫病が流行るときは戦争の時期でもあり、飢饉と重なっていたり、大地震などの天変地異がそれらの悲劇と連鎖するように起こっています。
第一次世界大戦が始まった後に、スペイン風邪というウイルス感染症が世界を混乱と恐怖に落とし込み、その後に大地震(日本)が起きているのです。

地球上には、テレビやラジオが出す電波があり、携帯電話から発信される通話やメールなどの通信電波が飛び交っています。
まだ現代文明において証明された科学ではありませんが、人間には想念という電波のようなものを持ち、常に発信しているということが言われています。
地球が生き物だとして、人間が発する想念がマイナスのもの、怒り、妬み、恐怖、恨み、嫉妬、憎悪などのマイナス想念を発していたら、それは地球から見れば排除すべき存在となるのではないか、ということです。
もし、そうだとうすると未知のウイルス感染症や天変地異などは、人類への警告と捉えることができるでしょう。

《警告はいつの時代も存在する》

警告はいつの時代でも存在しています。
それはもしかしたら世間の人の思いもよらない存在からの警告かもしれません。
また、社会の片隅から発せられるものかもしれません。
主流のメディアや組織ではない存在から発せられるかもしれません。

人類の歴史を覗いてみれば、疫病(感染症など)、天変地異(大地震、津波など)、戦争などの人類の危機のときに、かならずそうした事態を警告する存在がいました。
いつの時代でも警鐘を鳴らす人はいたのです。
その警告を無視するか、警告に従うかは、人類の試しと言っていいでしょう。

いまが人類の分岐点であるように思えます。
まるでパンドラの箱が開かれたように、今後さまざまな悲劇的出来事が起こるような気がしてなりません。
世界的なパンデミックだけで収まらずに、戦争、天変地異などが連続して起こるなら、人類は何かに目覚めねばならないと思うのです。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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