【日本国憲法日本製編(鈴木安蔵・憲法研究会の章)⑥】~憲法研究会草案(要綱)を考察する~
これまでの記事
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)①】~鈴木義男という人物について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)②】~鈴木義男の新憲法制定への関与について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)③】~憲法改正における鈴木義男の功績について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)④】~日本国憲法“日本製”論を否定する~
【日本国憲法日本製編(鈴木安蔵・憲法研究会の章)⑤】~鈴木安蔵と新憲法制定~
憲法研究会草案(要綱)を考察する
《憲法研究会草案(一部)》
ここで憲法研究会草案(憲法草案要綱)の中から私が注目するいくつかの条文を紹介する。
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より抜粋引用
根本原理
一、日本国の統治権は日本国民より発す
一、天皇は国民の委任により専を国家的儀礼を司る
国民権利義務
一、国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基づく一切の差別は之を廃止す
一、国民の言論学術芸術宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布するを得す
一、国民は国民請願国民発案及び国民表決の権利を有す
一、国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
一、国民は民主主義並び平和思想に基づく人格完成社会道徳確立諸民族との共同に努むるの義務を有す
議会
一、議会は二院制より成る
一、第一院は全国区の大選挙区制により満二十歳以上の男女平等直接秘密選挙によりて満二十歳以上の男女より公選せられたる議員を以て組織されその権限は第二院に優先す
一、議会は憲法違反その他重大なる過失の簾により大臣並び官吏に対する公訴を提起するを得之が審理のために国事裁判所を設く
一、国民投票により議会の決議を無効ならしむるには有権者の過半数か投票に参加せる場合なるを要する
内閣
一、国民投票によりて不信任を決議されたるときは内閣はその職をさるべし
会計及び財政
一、租税の賦課は公正なるべし荀も消費税を偏重して国民に過重の負担を負わしむるを禁ズ
補足
一、憲法は立法により改正す但し議員の三分の二以上の出席及び出席議員の半数以上の同意あるを要す
注:条文は文語体で書かれているが、読みやすいように口語体に変換した。
《憲法研究会草案に対する私見》
「日本国の統治権は日本国民より発す」と国民主権を明記し、さらに国民と天皇の関係において「天皇は国民の委任により専を国家的儀礼を司る」というのだから、その関係性は「国民が上位」となっている。
この国民主権及び民主主義制度はGHQの占領政策の柱であり、ポツダム宣言より発せられる占領を終了するための条件である。
〈「請願」「発案」「表決」〉
おもしろいのは、国民の権利義務の章にある「国民は国民請願国民発案及び国民表決の権利を有す」という条文。
国民は、「請願」及び「発案」及び「表決」する権利を有するという条文。
まず「請願」について、これは現日本国憲法において16条として明文化された。
日本国憲法第16条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない
注目すべきは、「公務員の罷免」、「法律、命令、規則の規定及び廃止、改正」に対して平穏に請願する権利を有するという部分。
これは当然ながら国民主権から導かれるものであり、国民と国会議員を含む公務員との関係性を示している。つまり、国民が主(あるじ)であり国会議員等の公務員は国民の奉仕者であるということ。だから「公務員の罷免」「法律、命令、規則の規定及び廃止、改正」に対して“請願する権利”を持っているとなる。
ただし、暴力等を以て行うのではなく、あくまでも「平穏に」行うという条件が付いている。
この「請願権」は基本的人権のひとつ。
「発案(権)」とは、「案を出すこと」だが、それは国民からの政治的要求とも言える。国民が望む法律の制定案を示したり、国民側から政策案を提示する権利があるということ。
「表決(権)」とは、国民が国会議員等の行う政策、予算作成等について賛成または反対の意思表示をする権利のこと。
「請願権」「発案(権)」「表決(権)」の3つはいずれも国民主権による民主主義制度の具体的あらわれである。
これを現代の政治問題に当てはめると、特定の国会議員や首相などに対して「議員辞職」を求める請願(求める)を行うことが国民の権利として存在しているということ。
日本国憲法第15条にはこうある。
第15条:公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
第二項では、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明記されているので、政治家が自分たちを支援する支持母体、支持勢力のみを益する政策をすることが憲法違反であると言うことができる。
具体的に言うならば、自民党が統一教会及び日本会議(いずれも自民党を支援する団体)の政策を優先的に実行することは、日本国憲法第15条に反することとなる。
なぜならば、国会議員や官僚とは「国民全体の奉仕者であって、特定の者(一部の)奉仕者ではない」と条文にて明記されているからに他ならない。
〈議会構成と選挙区について〉
憲法研究会が考えた議会構成は「二院制」。
GHQ草案では「一院制」となっていた。それを日本政府側が修正して現在の二院制となった。基本的に明治憲法下でも二院制を取っており、日本側は一院制をまったく考えていなかった。ただ、GHQは“あえて”「一院制」を示し、これを日本側が修正することを見越して交渉の手段として一院制にしたふしがある。
憲法研究会が考える第一院の選挙区とは「大選挙区」、つまり全国が対象となる選挙区。
(第一院とは現在の衆議院に該当する)
2026年現在の衆議院の選挙区は小選挙区であり、あわせて比例代表制を加えている。
実は、この選挙区を小選挙区とするか、中選挙区とするか、憲法研究会が言うところの大選挙区とするかで、国会を構成する政治家の勢力図が変わると考えられる。
選挙区が小さくなればなるほど、該当の選挙区から当選する人数が減っていく。この選挙制の違いが何を生み出すのかと言えば、明らかに既存政党もしくは支持勢力に岩盤層を持つ大きな政党に有利となる。その一方で新規勢力や小さい規模の既存政党にとっては不利となる。
これは別な見方をすると、大選挙区から中選挙区、中選挙区から小選挙区と選挙区を小さくすればするほど、少数の投票が無駄になるということ。
つまり、少数が支持した立候補者が切り捨てられて、少数派が政治の舞台から消えていくこととなる。
もうお分かりですか。
なぜ選挙区を中選挙区から小選挙区に変えたのかということを。
これは私の個人的見解だが、国会議員を選出する選挙区は最低でも中選挙区にする必要があり、正しく民主主義制度が機能するためには憲法研究会が提案している大選挙区にすることが望ましい。
おそらくこうした選挙における政治構成の法則を憲法研究会のメンバーが見抜いていたと思われる。
〈議会は憲法違反を公訴できる〉
現代の日本社会の政治状況において見逃せない条文が、「議会は憲法違反その他重大なる過失の簾により大臣並び官吏に対する公訴を提起するを得之が審理のために国事裁判所を設く」というもの。
「議会」は“憲法違反”をしている大臣及び官吏(官僚)の「重大なる過失」に対して公訴することができるということ。
この条文にはいくつかの意味がある。
政治の中心は行政機関である内閣ではなく、「議会(国会)」であること、並びに憲法違反を許さない立憲主義の精神があらわれていることが見て取れる。要するに、議会が事実上憲法違反を判断できることを意味する。これは議会が政治の中心とする理念から導き出されるものであり、なぜ議会が政治の中心にあるかと言えば民主主義制度によって国民から選出された議員が立法に関する権限を持っているのが議会(国会)だからに他らない。
現代の日本人は大手メディアの影響により、政治の中心が内閣および与党が行う政策と勘違いさせられている。だが、正しい民主主義制度から導き出される政治の中心は「国会(議会)」である。
日本国憲法の規定では、憲法違反を審議する権限を持つのは最高裁となっている。
★補足説明:「公訴」とは、通常検察官が刑事事件について被疑者を裁判にかける行為(提訴)のことであり、裁判所に対して犯罪事実を審理・処罰するよう求める手続きのこと。
〈国民投票〉
国民投票により議会の決議を無効ならしむるには有権者の過半数か投票に参加せる場合なるを要する
国民投票によりて不信任を決議されたるときは内閣はその職をさるべし
憲法研究会草案では、国民投票は、「議会の決議を無効する」ことと「不信任決議(内閣に対して)」を規定している。
現日本国憲法では、国民投票は「憲法改正」の事案のみとなっている。
※憲法改正のための国民投票に関する手続きを定める「日本国憲法の改正手続きに関する法律(憲法改正国民投票法)」は、2007年5月14日に成立、18日公布、2010年5月18日施行(同法の一部改正が2014年6月20日公布・施行)。
私は特に憲法研究会に肩入れも何もないが、「議会の決議を無効する」、「不信任決議(内閣に対して)」が可能となる草案条文は高く評価する。
有り体に言えば、「これぞ、民主主義」「ザ・国民主権」ということが出来る。
この草案条文があれば、国民が単に政府(内閣)の行う政治や議会での立法に対して主権者としての政治活動が行えることになる。つまり、本当の意味での主権者としての権力を握ることが可能となる。
「議会の決議を無効する」とは、国民にとって不利益となる悪法をひっくり返せることであり、「不信任決議(内閣に対して)」ができるということは、国民が内閣をご破算にし、首相や大臣の首を斬れる伝家の宝刀を国民が持つこととなる。
ただし、国民投票の種類(事案)が増えるということは、選挙が増えるということを意味し、そのための予算と有権者の投票行為が増えることとなる。
ですが、あえて言えばこれでこそ「ザ・民主主義」と言える。
こうした条文が日本国憲法に明記されなかったことは残念でならない。
もし、この条文が現憲法にあれば、高市早苗氏(与党)の暴走は国民によって止めることができたはず。
〈消費税の編重〉
租税の賦課は公正なるべし荀も消費税を偏重して国民に過重の負担を負わしむるを禁ズ
ここで言う「消費税」が現代の消費税と同じかどうか判断できないが、現代の消費税であると仮定して考えると、国民に対して重い税率、過重の税負担を禁止する条文となるので、国民にとって幸いなる憲法条文となる。
この草案条文も、実現していたならば、国民の生活は豊かになったことだろうと思える。
この草案条文は、経済的な意味での主権者としての権利を保障するものであり、権力側の圧政(増税、過重の税負担など)から国民の生活を守ることができる憲法秩序となったことだろう。
〈憲法改正〉
憲法は立法により改正す但し議員の三分の二以上の出席及び出席議員の半数以上の同意あるを要す
現日本国憲法では憲法改正の条文は96条となる。
第96条
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
二項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する
となっている。
簡単に言うと、憲法改正の流れ(手続きの流れ)は、憲法改正案を衆議院と参議院にて審議し、各議員の三分の二以上の賛成を得ることで、国会より発議され、国民投票によって最終決定される。その際の国民投票では、“投票数”の過半数の賛成で可決される。
間違っていけないのは、有権者数の過半数ではなく、投票した有効数の過半数で可決されるということ。
この国民投票で重要なことが、憲法改正案の内容を有権者(国民)がしっかりと理解している、つまり周知されていること。憲法改正案を知らずしては改憲に賛成か反対か判断できない状態となり、通常選挙のように投票行動を取らない有権者(国民)が出る可能性が高い。
では憲法研究会の草案条文では憲法改正手続きがどうなっているのかと言えば、「議員の三分の二以上の出席及び出席議員の半数以上の同意」ということなので、現憲法よりもハードルが低くなっている。
「三分の二以上の賛成」と「三分の二以上の出席」では大きな違いがある。また出席議員の半数以上の同意(賛成)で可決されるならば、過半数を取っている与党であれば憲法改正が容易に可能となる。
私は憲法改正の条文の改正を求めたい。
衆参両議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票による“有権者数”の三分の二以上の賛成を以て憲法改正を可決する条文への改正を求める。
もし、投票された票の総数が、有権者の三分の二以上でなければ、国民投票のやり直し又は憲法改正手続きを無効とする条文への改正を求める。
(私の憲法改正案は、最終編である【最終結論編】にて語る予定とする)
天皇制の問題
《「天皇制」の問題》
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
「憲法草案要綱」の内容にかかわって、「天皇制」の問題については、天皇を廃止することは現時点では無理であるというのが会員の多数意見であった。
〈安蔵の反省〉
「天皇制」に対する見解こそ憲法研究会の特徴がある。
鈴木安蔵は「憲法研究会の草案(要綱)」のような内容が憲法となり、十年の時間経過すれば、国民は成長して「共和国」を要求するであろうと考えたという。
しかし、十年どころか戦後80年たった現在でもそうした気配はない。
後に安蔵は「甘かった」「妥協した」と反省したそうだが、ここにマルクス主義者の思考を見るのは私だけではないだろう。
現代人は、安蔵が言った「甘かった」「妥協した」という言葉の意味を正しく認識するべきだろう。要は、「共和国(制憲法)とするべきだった」ということだと推察できる。
日本国の歴史、文化風習、民族的気質等を鑑みれば、天皇の存在を国民が否定するということは生半可なことで起こらないだろう。
鈴木安蔵は日本人でありながら、マルクス主義者らしくどこか日本人ではない性質を持っていたと見える。
伝統的な意味での「愛国者」ではないということだ。
天皇制あるいは天皇の存在を否定するということは、決して日本文化からは生まれてこない。別の思想から生まれてくるものであり、それが意味することとは「革命」に他ならない。
つまり、日本の国体および文化を変革させる出来事であるということだ。保守的な意識が強い日本人からは生まれてこないものだ。
憲法研究会の草案(要綱)が日本国憲法の基礎(土台)となったと主張する人は、憲法研究会の草案(要綱)を起草した中心的人物である鈴木安蔵がマルクス主義者であり、天皇制を廃止しようと考えていたことに対する意見を出すべきだろう。
《戦争放棄の問題》
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
「戦争放棄」の問題については、平和の確立なくしては人権保障も民主主義の発展も不可能であることは会員からも力説されたが、戦争放棄自体については、何の主張も出なかった。「アジア・太平洋戦争」の惨禍と全軍隊の武装解除と国民全般の当時の心情から、軍に関する規定を置くことは、鈴木先生も、考えになかった。憲法学的には、憲法に書かれていなければ、国家は、軍隊を持つことも、軍隊を運用することも出来ないから、書かないことも「戦争放棄」の形態であると言うことができます。
〈人権と自由の制限は戦争準備にほかならない。〉
「戦争」の問題に関しては、「平和の状態」なくして人権及び自由、そして民主主義も保障されえないことは間違いない。戦時というものは、国家権力に権力が集中しなおかつ拡大強大となり、その反面国民の権限や権利が限りなく縮小する事態となってしまうもの。
ですから、ここに戦争に突入する兆しを見つけることが出来る。
つまり、国民に保障している自由、人権、民主主義などが縮小または奪われることが起きるまたは起きそうな政治状況とは「戦争準備」に他ならない。
現在の日本政治が同じ状況であることに国民は気づくべきだろう。
上記の文の後半に当たる部分は鈴木安蔵の考えを忖度した著者(金子勝氏)の見解であると予想されるが、ここに一種の詭弁がある。
憲法研究会の草案(要綱)では、「軍隊の規定を置かなかった」ことが戦争放棄の形態であるという主張は論理の飛躍がある。憲法に軍隊の規定がないので軍隊を持つことが出来ないという憲法となることは、確かにそうだが、それが即「戦争放棄」ではない。
「戦争放棄」とは“積極的作用”によって戦争をしないという誓いと規定によってはじめて出現する法秩序であり、軍隊を規定しないことは単なる消極的作用でしかない。
そもそも国家には自然権としての「自衛権」がある。だから憲法に軍隊が明記されていないからそれが戦争放棄と同じだということは飛躍した論理でしかない。本来あるべき国家の自衛のための軍隊を否定するならば、積極的作用、つまり憲法に明記することで「平和国家」とすることが正しい「戦争放棄」となる。
要するに「戦争放棄」の規定がある場合、軍隊を持つ、戦争をするという憲法改正に対する“明確な盾(法秩序)”となるが、単に軍隊を持つ規定がないという憲法は国際情勢等の変化が起きた場合、自衛のために軍隊を持つべき、自衛戦争の準備をするべきという憲法改正に対する“理論の盾(法秩序)”がないこととなる。これをもって戦争放棄と同じだとは言わない。
前者は明確な憲法規定があるため、戦争及び軍備を持つことの憲法改正への障害となり得るが、後者は戦争及び軍備を持つことの憲法改正への障害となり得ない。
この違いは大きいものであり、似て非なるものである。
これは鈴木安蔵という人物への信仰に似た心情による過剰な評価であると指摘しておく。
《憲法研究会の草案(要綱)は鈴木安蔵の独創ではない》
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
鈴木先生が憲法草案の起草に当たって特に参考にされたのは、「抵抗権」を定めているフランスの「人および市民の諸権利の宣言」(1789年8月26日規定)、フランスの「1793年6月24日憲法律ならびに人および市民の諸権利の宣言」(「ジャコバン党〔山嶽党」憲法〕)、日本の植木枝盛の「東洋大日本国憲案」(1881年8月起草)、そして「社会権」を定めているドイツの「1919年8月11日のドイツ国憲法」(ヴァイマール憲法)であった。
〈憲法起草に当たっては必ず参考となる憲法等がある〉
当時、日本国内では政府だけではなく、各政党、憲法学者、民間の組織、民間人などがこぞって憲法草案を起草している。そのなかですでに世の中に存在する憲法を一つも参考にしなかった草案は皆無だろう。
当然、憲法研究会が草案を起草するにあたっても上記の憲法等を参考にしたとしてもそれは憲法起草作業において当たり前のことである。
だが、「日本国憲法の基礎は憲法研究会である」「日本国憲法は日本人がつくった」という主張をしている人たちの論理は、物事を限定し、なおかつ“切り取りの言論”でしかない。
もし仮に、GHQ草案の基礎が彼らの言う通り、憲法研究会の草案(要綱)であった場合、憲法研究会の草案(要綱)の基礎はフランスおよびドイツの憲法を基礎(参考)にしているから「日本国憲法はドイツとフランス人の憲法である」という論理が成立してしまう。
これを認めるのか?
彼らの言論は極めて限定した目線から発する切り取りの詐術的論理でしかない。
では質問する。
GHQが草案作成にあたって参考にした憲法等を上げてくれ。
と言われたならば、答えられるのか?
「憲法研究会の草案(要綱)」の一つだけ答えるでしょうが、「草案の基礎になったこと」と「草案作成の参考になったこと」は意味が違う。
日本国憲法は手続き上、明治憲法からの改正となっていて、憲法の構成は明治憲法を踏襲している。
現実的なことを指摘すれば、「日本国憲法の原液」と呼ばれもものが存在し、さらには各委員会(GHQ民生局の憲法草案作成の各委員会)で世界中の憲法を参考にして起草されている。
確かに憲法研究会の草案(要綱)がGHQに評価され、影響を与えたということは認めるが、それは日本国憲法の土台または基礎となったという意味ではない。
そこに捻じ曲げた論理がある。
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
「憲法草案要綱」は、「ポツダム宣言」の趣旨に合致する憲法草案を作成する意思も能力も持たなかった天皇の日本国政府とその「憲法問題調査委員会」に業を煮やしたGHQが起草し、日本国憲法の基礎となった「日本国憲法草案」-GHQの最高司令官のマッカーサーの指示によって起草されたところから名付けられた『マッカーサー憲法草案』(1946年2月12日確定)に最も大きな影響を与えた。GHQ側は「憲法草案要綱」を英訳し、それをつぶさに検討して、参考にした。
大日本帝国における改憲の動向に気を配っていたGHQは、憲法研究会から「憲法草案要綱」が届けられると、コートニー・ホイットニー統治局局長が、マイロ・E・ラウエル統治局法規課長に、「憲法草案要綱」の分析を命じました。
初めに指摘する。
「最も大きな影響を与えた」という部分が間違っている。それはそう思い込みたいという願望の現われでしかない。マッカーサー憲法(GHQ民生局草案)に最も大きな影響を与えたのは憲法研究会草案ではなく「日本国憲法の原液」である。マッカーサー憲法はその「原液」から逃れることの出来ない宿命を持っていた。占領下における新憲法制定(マッカーサー憲法の起草)とは単純な憲法改正ではなく、占領政策の一部なのだ。
つまり、GHQによる占領政策の理解無くしては正しく日本国憲法の成り立ちを理解できないのだ。
もし、日本国憲法制定過程における動きに関して、上記の文だけを読んだ(知った)だけであると、大きな勘違いをしてしまう。
上記の主張は結局、「GHQは憲法草案要綱を英訳し、それをつぶさに検討して、参考にした草案である」と言っているのだ。
「参考」にすることと「基礎」となることは意味が違う。
重複するが大切なことなので、もう一度指摘する。
上記の文だけしか知らないと、日本国憲法制定に影響を与えた(基礎となるまたは参考となるまたは指針となる)草案または既存の憲法は、「憲法研究会の草案のみ」と聞こえてしまう(信じてしまう)。
GHQが日本国内で起こっていた各憲法草案に注目していたことは確かだが、特別に憲法研究会草案だけに注目したわけではない。正式な憲法改正ルートである政府側の起草も英訳し分析している。
詳しくは別の編で語る予定だが、GHQ民生局の委員会メンバーが絶対的に無視できない「日本国憲法の原液」が存在している。これを無視しては日本国憲法の真の起草者は見えてこない。
「日本国憲法の基礎は憲法研究会である」「日本国憲法は日本人がつくった」という主張をしている人たちはGHQ民生局が参考にした参考情報や指針、既存の憲法等について「憲法研究会の草案」のみを語り、その他の存在をまったく語っていない。その存在がなかったごとく扱っている。ここに欠落した思考がある。
GHQ側が憲法研究会草案を評価した理由は、「ポツダム宣言」に合致する「国民主権」「民主主義」「人権保障」が規定されていたからであり、それはまさしくGHQ側の意向と合致していたからに他ならず、それ以上でもそれ以下でもない。
重要なことは、占領下にある日本において、憲法改正手続きは間接統治である日本政府によってなされなければならず、民間人の作成した草案は正式あるいは公式な憲法草案とはならないという点だ。
しかし著書『日本国憲法と鈴木安蔵』では以下のように語っている。
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
ラウエル氏は、私的グループによる憲法改正の提案――「憲法草案要綱」について、「この憲法草案中に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである。しかし、若干の不可欠の規定が入っていない。いかなる憲法も、承認を受けるには、以下に示す原理をおりこんでいなければならないと考える」と判定しました。
「憲法素案要綱」とGHQの起草した「日本国憲法草案」を対比すれば、「憲法草案要綱」が「日本国憲法草案」の“手本”となったということが出来ます。
かくして、鈴木先生は、日本国憲法の間接的起草者ということが出来ます。
こうした主張は、徹底的に他の要素を排除している点に最大の特徴があり、これは真実の一部分だけを切り取り、それのみが真実だとする詭弁術にほかならない。
鈴木義男についてもそうだったが、なぜか護憲派の人たちは憲法改正反対を叫ぶために「日本国憲法を作ったのは日本人だ」と思い込み信じ込んでいるだけではなく、それを護憲(改正反対)の根拠としている。
だが、憲法改正問題(改憲か護憲かの論争)と、憲法制定過程の真実とは別の問題であり、日本人が作った憲法だから改憲に反対とするならば、永遠に憲法改正は出来ないということになる。
こうした法秩序は地上に存在しない。
つまり、「日本国憲法は日本人が作った憲法だから改憲してはいけない(護憲するべき)」という主張自体が、地上世界のどこにも存在しない法秩序だということ。
《「憲法草案要綱」と「GHQ草案」を比較する》
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』には、憲法研究会の「憲法草案要綱」とGHQによる「日本国憲法草案(マッカーサー草案)」を上下にわけて記載してあるため、両草案を比較することができる。
両草案を比較すると、ラウエル陸軍中佐が指摘するように憲法草案としては「不可欠の規定」が入っていない。憲法として承認を受けるには、必要不可欠の原理が不足している。
GHQによる「日本国憲法草案」は91条あるが、憲法研究会の草案要綱はその約半分の58条しかない。つまり、GHQ草案にあって憲法研究会草案にはない条文が数多くあるということ。
では「日本国憲法は憲法研究会が基礎または土台となった憲法」という主張をしている方々に質問するが、GHQ草案にあって憲法研究会草案にはない条文はどこから出てきたのか? 答えられるか?
おそらく回答できないだろう。
なにより重要な論点を指摘する。
日本国憲法の三つの柱(3原則)とは、「国民主権(民主主義)」「基本的人権の尊重(保障)」「平和主義」だと言われているが、憲法研究会草案には「平和主義」=「戦争放棄」の条文が欠けている。
日本国憲法の最大の特徴こそが「戦争放棄」にあることは国民の多くが知るところである。
最大の特徴である「戦争放棄」の条文がないにも関わらず、「日本国憲法は日本人(憲法研究会)」が作った憲法だから憲法を護れ」という理屈は通らないだろう。重要な原理が入っていてこそ、新憲法の土台または基礎と初めて言えるのだ。
確かに憲法研究会草案は「国民主権」を謳い、国民の「基本的人権」を規定している。
だが、「戦争放棄」の条文がないのはなぜか?
おそらく護憲派の根拠は「戦争放棄」の理念(条文)にあると思われるが、このことをどう捉えているのか、答えてもらいたい。
ちなみにGHQ民生局の委員会メンバーで憲法の専門家は一人もいない。ただし弁護士経験者は数多くいるが、それはあくまでも法律家レベルであって憲法学者はいなかった。
そんな民生局の委員会メンバーがどうやって「戦争放棄」の条規を考え出したのか? 憲法研究会草案に無かったにもかかわらず。
「日本国憲法は憲法研究会が基礎または土台となった憲法」という主張をしている人たちのほとんどが答えられないのではないか?(知っている人も中にはいるかもしれないが)
この機会に知って欲しい。
答えは、GHQ草案には「原液」と呼ばれるものが存在し、それを根源にして世界各国の憲法、国連憲章、国際法等を参考にして理想的な憲法を起草したということが真相である。
そのなかに参考とされた草案として憲法研究会草案があったということ。決して憲法研究会草案がGHQ草案の土台または基礎だったということではない。GHQ草案の土台(基本原理)は他にある。
この機会に言っておく。
「日本国憲法は日本製」と主張する人たちは、あまりにも語らないことが多すぎる。日本国憲法制定過程におけるほんの一部分だけを取り出して真実としている。そうした論法を「切り取りの詐術」という。一部に真実が含まれていたとしても全体を通してみれば真相とは呼べないということだ。
《鈴木安蔵の戦争観》
鈴木安蔵を論じるに決して見逃せない論点がある。
書籍『日本国憲法と鈴木安蔵』より引用
第三に、鈴木先生は、「大東亜共栄圏」に傾斜され、侵略戦争である「アジア・太平洋戦争」を肯定されたことを反省されて、第二次世界大戦後、すべての戦争を否定した日本国憲法の普及・擁護・発展に、お亡くなりになるまで尽力された。
第四に、鈴木先生は、天皇制国家権力による自己の思想弾圧の経験から基本的人権及び国民主権とそれに基づく民主主義の大切さを力説され、お亡くなりになるまで、基本的人権及び国民主権とそれに基づく民主主義の普及・擁護・発展のために尽力された。
〈侵略戦争論は間違い!〉
鈴木安蔵氏が「大東亜共栄圏に傾斜され、侵略戦争であるアジア・太平洋戦争を肯定していた」ということを理解するべきだろう。
ここで「侵略戦争」という言葉が出てくるが、これは著者の金子氏の言葉であろう。
護憲派の人たちは、ほぼ同じように「先の大戦は侵略戦争だ」と口をそろえて言う。
だが、それは歴史的事実を深掘りしていない者の戯言(たわごと)であり、真実を探し出せば、決して「侵略戦争」という言葉は浮かんでこない。
日本人は、先の大戦を「大東亜戦争」と呼んでいた。それが戦後になって「太平洋戦争」と言うようになった。護憲派の人たちはその理由を理解しているのか?
「大東亜戦争」と「太平洋戦争」という呼び方の違いは埋められない大きな溝が存在している。まったく(戦争の)意味が違ってくる。
GHQによる占領政策とは、一言で言えば「白人国家に立てついた日本人を二度と歯向かわないようにする作戦」でもあった。
「大東亜戦争」を「太平洋戦争」という呼び方に変えることはWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の始まりだったのだ。
つまり、GHQは、日本人に罪悪思想を埋め込み、精神性を弱体化させ、二度と白人国家に立ち向ってこられないように贖罪意識を植えつけたのだ。それが東京裁判史観と呼ばれる「自虐史観=贖罪意識」だった。
このことを理解せずに、「戦争放棄」の条文の意味は正しく理解することは不可能なのだ。
日本人の多くに埋め込まれた毒水こそが「日本人はアジアにおいて侵略戦争をしてアジアの人たちを苦しめた悪い国(悪い民族)」という罪悪思想に他ならない。
私のこのシリーズ記事は、単に保守の憲法論を論じるだけではなく、GHQによる毒水への解毒作用をもたらすものでもある。解毒なくして真実を見つけることも出来なければ、愛国心も抱くこともできないだろう。
左翼の人たちが流す「日本民族悪人説」「日本国犯罪国家」という毒水を垂れ流していることは、決して平和主義でもなければ、日本国及び日本人を守ることにもならないと言っておく。
《重要論点》
以上論じてきたが、「日本国憲法は憲法研究会が基礎または土台となった憲法」という主張は、切り取りの詐術であり、論理の飛躍または捻じ曲げでしかない。
鈴木安蔵について現代の日本国民が理解するべきは、彼がマルクス主義者であったこと。
マルクス主義=共産主義とは、秘密結社から流れ出た思想であり、カール・マルクス自身がフリーメーソンリーの第32位のメンバーであることを理解するべきだ。
マッカーサー草案(GHQ草案)を生み出したものは「日本国憲法の原液」と呼ばれるものであり、決して憲法研究会草案だけを参考にして起草されたものではなく、世界中の憲法等を参考にして起草されたものである。
日本国憲法制定(明治憲法改正)と占領政策とは切っても切れない関係があるということ。
【国憲法日本製編(鈴木安蔵・憲法研究会の章)⑦】につづく
参考書籍
書籍名:『日本国憲法と鈴木安蔵』
著者名:金子勝
出版社:八朔社
書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店
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