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『「旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録」から見えてくるものとは?【宗教問題編②】~諸悪の根源は旧統一教会の思想(価値観)にある~』

【宗教問題編②】~諸悪の根源は旧統一教会の思想(価値観)にある~

これまでの記事

【宗教問題編①】~正しい宗教とカルト宗教の見分け方とは?~

諸悪の根源は旧統一教会の思想(価値観)にある

《文鮮明がすべての人類の原罪を背負う??》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

文先生が『すべての人類の原罪を背負う』と言って。三日三晩、泣き続けるのに立ち会いました。その姿を目の当たりにして、本当に再臨のメシヤだと信じたのです。韓国は神の国、日本は、その韓国を植民地として支配したサタンの国。だから日本は、それを贖罪し、神の国を支える『エバの国』にならなければならない。

〈教祖文鮮明について〉

大江氏は、上記の文鮮明氏の言葉を信じたという。
では、文鮮明という人物はどんな経歴の持ち主なのかと言えば、1943年に早稲田高等工学校を卒業。日本留学中の抗日活動によって京畿道警察部に逮捕された経歴を持つ人物。
つまり、文鮮明という人間は「反日」なのです。

さらに気になる経歴が、1948年2月に「社会秩序紊乱罪(社会秩序や社会風紀を乱して罪)」で逮捕され、興南強制労働収容所で5年間の労働を言い渡されている。
文鮮明の著書『原理原本』にはある疑惑が浮かんでいる。
その疑惑とは金百文の著作『基督教根本原理』の執筆中に文鮮明が盗作したという疑惑(証言)がある。
また、文鮮明の説く教えはキリスト教の主流には受け入れられることなく、逆に迫害されている。

特定の国家、国民を敵視(悪い国、悪い国の国民)する人間がはたして本当に「メシア」と言えるのか?
特定の国家に肩入れし、特定の国家を敵とする存在が全世界の救世主であるはずがない。
もし神格があるとしても、それは民族神のレベルでしかない。
こうした宗教的真理を理解するべきである。

そもそも『すべての人類の原罪を背負う』という考えに間違いがある。
「原罪論」は、イエス・キリストの教えではない。後世の弟子たちが救世主であるはずのイエス・キリストが磔の刑となったことを正当化するために作り出した弟子の論に過ぎない。
「すべての人類に原罪がある」ならば、地上に生まれた文鮮明にも原罪があり、韓国人にも原罪があることになる。
そもそも人類に原罪がある、という思想自体が大きな矛盾を抱えている。
『すべての人類の原罪を背負う』ならば、日本の罪も背負わねば救世主とは言えまい。
結局、文鮮明の思想の根底には「反日思想」があり、その反日思想から「韓国は神の国、日本はサタンの国」という発想が出ていることは明白である。

旧統一教会が本当に「万教帰一」ならば、因果の理法を理解できるはず。
因果の理法とは、ものごとは原因から発生し、縁という状況が影響し、その果実として結果が出る。すべてはつながっているという思想。
韓国が植民地になったとしたならば、その原因を解き明かすことこそ救世主の知恵というもの。しかし、文鮮明は歴史の真実を説かずに、反日思想で善と悪を規定している。
どうして救世主などと言えるだろうか。
ただし、それを信じるのは自由だというならば、勝手にすればいいと言っておく。

《イエス・キリストを呼び捨てにする?》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用
懺悔その3より引用

「マルクス主義というのも、マルクスを信じるか信じないかの世界ですから、その意味では、宗教と言っていいと思います。私は今も、マルクスの書いたことは正しかったと思っています。しかし、統一教会の勝共理論の講師は、マルクスのことをボロクソにこき下ろすわけです。私は当時、信条的に耐えられませんでした。キリスト教から統一教会に入った人は、修練会で講師が『イエスが』と呼び捨てにするたびに、『ぐさっとくる』と言っていました。
それと同じです。しかし、マルクスへの信頼を、組織の中では口にできなかった。これは、大したことではないなんて、言ってはいけないことです。統一教会は自らキリスト教の一派であると名乗っているわけですから、修練会の講師もせめて『イエス様』と呼んでほしかった。統一教会を、もっと外部に開かれた宗教にしていかなければならなかった。その意味で懴悔したいと思います」

〈真のキリスト教徒に必須のものとは?〉

大江氏は、若い時に共産主義に傾倒していた左翼活動家であった。
しかし、統一教会は共産主義を敵視している。
これがとある国政政党の党首が「統一教会の思想は保守です」という理由の一つであると推察できる。
だが、共産主義への敵視=必ずしも(真の)保守ではないことを理解するべきです。
なぜならば、どんな保守かという中身が重要だからです。保守と名乗る人たちには、本物の保守と偽物の保守がいるのです。

修練会で講師が『イエスが』と呼び捨てにする。
これが、統一教会がキリスト教ではない(一派という意味を含む)証明なのです。

一派といっても、キリスト教を名乗るならば、重要な点がある。
その重要な点が欠けてしまえば、宗派の違いから逸脱する。
それが何かといえば、「イエス・キリスト」への信仰心なのです。
たとえ宗派(一派)であったとしても、キリスト教の中に納まる宗教であるというならば、絶対条件がある。それが「本尊(信仰の対象)=イエス・キリスト」なのです。
ただし、イエス・キリストは「天なる父」への信仰を求めていたので、本来は「天なる父への信仰が最上」であるはずですが、キリスト教はそこがほぼ欠けている。
これは教祖として地上で教えを説いた存在がイエス・キリストなので、仕方がないと言えば仕方がないことでもある。

だが、キリスト教の一派を名乗りながら、イエス・キリストを呼び捨てにするということは、断じてキリストへの信仰がないことを証明することでしかない
名を呼び捨てにするか敬称をつけるかという違いは、その人の心の現れなのです。
信仰の対象で聖なる存在と思っているならば、呼び捨てになどしない。
この点を見るだけでも、統一教会がキリスト教の一派ではないことは明白である。
イエス・キリストを呼び捨てにするキリスト教徒などいるはずがないのです。
呼び捨てにするということは、信仰の対象としてみていないということにとどまらず、敬意さえも払っていないということです。
では、なぜ「キリスト教の一派」と名乗るのかと言えば、私見ですが、キリスト教徒を流入させるためです。キリストを信じる者を文鮮明教徒にするための「誘い水」としているのです。これは「目的のためには手段を選ばない」という手法をみごとに使ったものです。
文鮮明教祖の信徒をつくるという目的のため(増やす目的のため)に、キリスト教の一派という仮面(騙し)を被る手段を使っているということです。
目的が正しければ手段を選ばないということがいかに間違いであり、危険な思想であるかがわかると思います。

これとよく似たあり方(姿)を持っているのがフリーメーソンリーであることは、単なる偶然でしょうか?

《霊感商法》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用
懺悔その6より引用

「霊感商法こそ、統一教会の進むべき道を誤らせた諸悪の根源だったと私は思います。若き文先生の号令のもと、日本の教団が組織をあげて経済活動に走った。そして、韓国の教団本部へ巨額の送金を続けた。最初は高麗人参の粉末、次に濃縮エキスの販売に取り組みました。壺、多宝塔、印鑑などの販売が始まると、それらに霊力があることにして、法外な値段で売る。いわゆる霊感商法が考案されました。霊能者の役、その介添え役を信者が演じ、お年寄りや弱い者を騙す。『壺を買わないと先祖が救われない』と恐怖心を煽り、販売するわけです。世間の批判で霊感商法をやめた後も、『献金しなければ先祖が救われない』と脅すようにして金を集める手法に受け継がれました。人々を幸せにするはずの宗教が、人々を不幸にしてしまった。これはもう、やりすぎであり、懴悔せざるを得ません」

〈不安を煽り、嘘をついて騙し、脅す=悪〉

「霊感商法」、これは宗教団体がやることではなく、単なる「詐欺(犯罪)」であることを旧統一教会信者たちは認識するべきなのです。
大江氏によれば、教団は先祖の祟りなどの「因縁トーク」で不安を煽る霊感商法を組織的に展開したと語っている。肝心なポイントは、信者が個人で勝手にそうした詐欺行為をしたのではなく、「組織的に行った」点にあります(大江氏発言)。
(詳しく知りたい方は、大江氏の著書をお読みください)

また大江氏は以下のようにも言っています。

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

人を騙して諭す商法だったということです。客観的に見れば、”騙す“という要素も含まれていたと思います。」

「霊能者の役、介添え役を信者が演じ」と大江氏が告白しているように“騙し”でしかなく、騙して金品を受け取れば詐欺行為なのです。
こうした詐欺行為をする宗教団体を世間が許すわけがないのです。
またこうも語っています。

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

霊能者役をしたのは、霊能者のふりをしただけで、霊力のある人間ではなかった。マニュアルに沿って相手を精神的に追い詰め、騙しただけです。目的のためには手段を選ばない。それが大問題でした。

懴悔その6で注目すべきは、大江氏の以下の発言です。
「霊感商法こそ、統一教会の進むべき道を誤らせた諸悪の根源だった」
私から言わせてもらえば、この認識こそ大江氏の過ちの根源なのです。
これは結局、「目的のためには手段を選ばない」という手法とそれを生み出す思想(教え)の問題につきあたるのです。

「霊感商法」が旧統一教会を誤らせた諸悪の根源ではなく、旧統一教会の思想(思考)である「目的のためには手段を選ばない」という考えが「霊感商法」を生んだ原因なのです。

ですから、原因と結果が逆なのです。
なぜそうなるのかと言えば、「霊感商法」は詐欺行為であり間違ったことであると大江氏は認識しているが、旧統一教会の思想自体は間違っていないと考えているからです。
真の懴悔をするならば、旧統一教会の思想自体の過ちを認めて懴悔するべきなのです。
諸悪の根源は旧統一教会の思想(価値観)にあるのです。

騙す、脅す、これらは本来宗教とは無縁のものです。
ですから、“騙す”、“脅す”などを行う宗教とは正しい宗教ではなく、「カルト」と呼ぶべき存在なのです。

《真実に反したコメントを出し続けた広報部長の苦悩》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用
懺悔その10より引用

「私の広報部長時代の7年間は、一言でいえば、悲惨な日々でした。霊感商法について、『経済活動は、宗教団体とは無関係』という“広報部長のコメント”を出し続けていました。経済活動を主導した株式会社ハッピーワールドの実態は信者組織そのものだったので、事実に反するコメントでした。被害弁連が起こした民事裁判で、経済活動と宗教活動が一体化している実態が認定されると、もう否定することができなくなり、信者からの献金という形に変えての“経済活動”となりました。その献金のために困窮する家族が続出しました。広報部長として、こうした実態を看過できず、『生活基盤を脅かす高額の献金を受け取ることは自粛が必要』などと訴える論文を書いて組織上層部に訴えましたが、無視されました。もっと徹底的に闘うべきでした。懴悔しなければなりません」

〈全国各地で霊感商法裁判が起きている〉

この懴悔には大江氏の苦しい胸の内が明かされています。
大江氏は広報部長という立場上、「霊感商法について、“経済活動は宗教団体とは無関係”」というコメントを出し続けてしまった。
注目すべきは「出し続けた」という点です。
霊感商法の実態は、「経済活動を主導した株式会社ハッピーワールドの実態は信者組織そのもの」なので、霊感商法=組織的活動であり、それが意味することは「旧統一教会に責任あり」ということになります。
「事実に反するコメント」とは、つまり「嘘」ということです。
教団を守るため(目的)なら、嘘をついてでも誤魔化す(手段を選ばない)という旧統一教会の姿がここにあります。

霊感商法が旧統一教会の組織的活動であるとバレて社会的に糾弾されると、今度は信者からの「献金」を強化するようになる。
この場合の献金とは、宗教性のない「布施の精神に基づかない」ものです。
それによって、「困窮する家族が続出した」。
この事態に大江氏は、「生活基盤を脅かす高額の献金を受け取ることは自粛が必要」と訴えて組織上層部に抗議するが、教団は大江氏の訴えを“無視”した。
「もっと徹底的に闘うべきでした。懴悔しなければなりません」と大江氏は語っていますが、大江氏がどれだけ訴えても、戦っても教団は変わらなかったでしょう。
なぜならば、そうしたことが旧統一教会の本性であり、文鮮明氏から流れ出た体質だからです。

【霊感商法裁判についての事実】

全国霊感商法対策弁護士連絡会による各地での霊感商法による被害を訴える損害賠償請求訴訟裁判が続出した。
当初、教団側は、信者組織と経済活動を行うグループは別々であり、信者組織は経済活動に関与していないので、霊感商法については「知らない」と主張していた。
だが、裁判所側が「信者組織と経済活動は一体のもの」と認定する判決が続いた
高額の献金返還請求についても、裁判所は、「先祖の祟りを鎮めるために必要だとして献金を求める行為は公序良俗に反する」と判断し、教団側に返還を命じる判決が相次いだ

このように、旧統一教会の「霊感商法」は組織ぐるみであり、「先祖の祟りを鎮めるための献金(高額)」は公序良俗(社会的に許されないこと)に反するということが“社会の判断”として出されている。

旧統一教会とは悪事やスキャンダルをもみ消す集団であることを示す大江氏の語りがある。
それは、大江氏が広報部長をしていた時期に、スポーツ新聞が一面で文鮮明氏のいわゆる「血わけ」問題を報じたことがあった。
報じられた内容は、韓国で教団が設立されたころ、文鮮明氏が信者と性的なスキャンダルを起こしていたという記事だった。
大江氏は、日本ではスポーツ新聞は信用がないから放っておくべきだと主張すると、教団本部から「その新聞社に“どんな方法を使ってもいい”から記事を抑えろ」と言われて困り果てたことがあったと回想している。
「どんな方法を使ってもいい」、まさに「目的のためには手段を選ばない」という身勝手な手法。どんな方法を使ってもいいならば、脅し、暴力、嘘がまかり通ってしまうではないか?
はたしてこれが人間の精神を向上させ、社会に公序良俗を生み出す使命を持つ宗教と言えようか?

なぜ、信者たちは壺や印鑑、多宝塔を高額で、しかも騙して売りつけることに疑問を抱かなかったのか。大江氏は、「信者は正しいと信じていました」と言った後にこう続ける、「いや、信じさせられていました」と。
善と悪が見抜けない信者も信者だが、教団が信者を「信じ込ませていること」は教団元幹部の大江氏の告白で明らかとなっている(すでに多くの人たちが調べているし、知られている)。

《コンプライアンス宣言は守られていない》

現在の旧統一教会が風前の灯であることは変わりないが、それでも大江氏は教団の危機を救いたいと考えているようだ。

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

これがとても重要なんですが、教団は徹底したコンプライアンス宣言、つまり法令遵守宣言を出すべきだと思います。
~中略~
コンプライアンス宣言は、信者たちが有罪となった霊感商法事件を機に2009年に一度出されていますが、その後の経緯をみれば、守られていないのは明らかです。

〈旧統一教会が宗教法人として解散を免れる方法とは?〉

自民党政府は裁判所に宗教法人法に基づく解散命令申請を提出した。
これは宗教法人としての解散を求めるもの。
宗教法人法違反によって解散命令が出されると、違法行為を繰り返す宗教法人に対して、免税特権を剥奪することができる。
組織が残ったとしてもそれは単なる任意団体という位置付けとなる。

大江氏は、旧統一教会が宗教法人として解散を免れる方法として、コンプライアンス宣言を出した上で、法令遵守方針の徹底、過去の違反行為について謝罪する、被害者への補償がすんでいることを説明する、と語っています。
私から言わせれば、「目的のためには手段を選ばない」という思想を持つ教団が上記の内容を本当の意味で受け入れることは無理だと考えています。
そもそも旧統一教会とは、そういう宗教(?)なのです。
大江氏は、旧統一教会信者たちが事件を起こしたりした背景には教団のコンプライアンス違反があると指摘しているが、そうではない。
宗教としての教えや指針、理念自体から発しているものであり、その根源は文鮮明氏という教祖なのです。
組織の色を決めるのは組織のトップであり、宗教で言えば教祖なのです。
大江氏はこうした考えに至っていない点を懴悔するべきなのです。
正しい判断は、宗教法人を解散し、任意団体としても組織形勢をせずに「完全なる解散をする」でしょう。

《教団の行く末を思う大江氏の心境とは?》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用
懴悔その13より引用

「教団の行く末を思う、私の独白です。それを、どう受け止められようとも構いません。先日、イスラームを信仰する友人に会った際、『今度、懺悔録を世に出すんです』と伝えますと、この友人は『その本が出たら、大江さんは殺されますよ。とても心配です』というんです。私は、『その覚悟はできております』と答えておきました。自分が信じた宗教を批判的に論じることは、それほど危険なことであるということを私は自覚しています。自覚した上で、今後の教団のあり方について語ろうと思います」

〈自分が信じた宗教を批判することは危険なこと?〉

イスラームを信仰する友人から『懺悔録を世に出と大江さんは殺されますよ』と言われる。
これが起きるのはイスラム教とカルト宗教です。
(イスラム教はカルトではない)

自分が信じた宗教を批判的に論じることは、それほど危険なことである

なぜでしょうか?
信仰した宗教団体に間違いがあり、それを批判することで危険な目に合うという事態こそが“カルトの証明”です。
通常の宗教ではあり得ません。
議論や注意、最悪は追放で終る話です。

大江氏は、身の上に危険が生じるかもしれないということを承知の上で、それでも教団の行く末を思い「懺悔録」を、覚悟をもって出した。
その覚悟は、本書を読んだ私も感じました。
だからこそ、「懺悔録」に関して記事にしようと思ったのです。

大江氏によれば、教祖の文鮮明氏が晩年、「もう宗教の看板を下ろす」と言っていたという。
名称変更は文鮮明氏の死後3年経った時点で「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に変更された。

大江氏は旧統一教会のあり方をこう言っている。
現在も信者である方は胸に刻んで欲しい。

「信者を脅すのではなく、神を信じることによる喜びを与える。奪うのではなく、与える」

信者の思考の自由、行動の自由、自己決定権を奪う行為は宗教のあるべき姿ではありません。

大江氏が暴露していることで、教会長に大天使ミカエルが降りてきて、「献金しないと地獄に堕ちる、先祖が地獄から抜け出せない」と語るという。
大天使ミカエルと同通するにはそれだけの「悟り」が必要です。
執着がなく、心が精妙でなければ天使と同通することはありません。
上記のような言葉は、宗教的真理からみれば、「悪魔の台詞」なのです。
天使は、“脅し”を使いません
“脅し”を使うのは悪魔なのです。

《大江氏の旧統一教会への信仰について》

大江氏は、旧統一教会という自分が長年信仰してきた教団を批判した(懴悔録を出した)責任を取って、脱会している。
だが、果たして大江氏の心境はいかに。

著者である樋田氏は、長年旧統一教会を取材してきた人物。
その取材の中で旧統一教会への信仰心を確かめる方法を元信者から聞いたという。

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

「統一を完全に抜けたかどうかを見分けるには、その人が文鮮明教祖のことをどう呼んでいるかでわかります。私は文鮮明と呼び捨てにし、人々をかどわかすペテン師だと言い切っています。抜けていない人には、そんな呼び方はできません」
その判断基準に立てば、文教祖のことを「文先生」と呼ぶ大江さんは、少なくとも心情的には信者をやめていない。大江さんは信者の側に立って、旧統一教会の数々の過ちを指摘し、過ちに自身も関わってきたことを認め、懴悔した。

〈大江氏の目覚めについて〉

私が樋田氏の著書である『大江氏による懴悔録』を読んだ限りの印象は、大江氏は教団の活動やあり方を批判し、過ちだと認め、懴悔している。
だが、大江氏の批判は教団の活動やり方に向いているが、教祖と旧統一教会の教え、つまり宗教としての存在を批判していない、と私は受け取った。
大江氏の批判は、とても常識的で良識ある判断をしていると思う。
だが、大江氏自身が広報部長などの幹部職を務め、懴悔に値する悪行に加担する側にいたことは紛れもない事実である。
それでも大江氏は脱退する前から、教団を批判していた。
その点は世間も認めるであろう。
問題は、大江氏の“目覚め”の問題に尽きる。
“目覚め”とは、大江氏が旧統一教会という宗教自体の間違いに気づき、宗教として(信仰集団として)カルト的な教団であることを“認めて”反省(懴悔)するかどうかである。

《フランスの反セクト法成立の陰に旧統一教会あり》

旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録より引用

フランスにカルト規制の法律がある(フランス語では「反セクト法」という)。旧統一教会がフランスで布教し、社会問題となったことも、この法律ができるきっかけの一つになったとされている。

〈カルト宗教とは?〉

フランスで「カルト宗教」を規制する法律の制定に、旧統一教会がフランスで布教し、社会問題となったことがきっかけの一つとなった?

反セクト法の正式名称は、「人権及び基本的自由の侵害をもたらすセクト(カルト)的運動の防止及び取り締まり強化するための法律」。

法律の名称に示されているように、カルト宗教とは、「人権の侵害」と「(基本的)自由の侵害」をもたらすものです。
旧統一教会の布教のやり方には“騙し”があります。
街頭などで「自己啓発センター」「文化サークル」などと嘘をついて誘い込み、いかにも聖書の学習のように見せかけて、「原理講論(学習ビデオ)」を見せられる。
宗教に嫌悪感がある人には、「これは宗教ではない。ただのサークル活動だ」などと嘘をつく。
洗脳が完了するまでは、主宰している組織が旧統一教会であることと明かされることはほぼ無い。
旧統一教会のやり方は、信者であることを決して明かさず、悩みごとを抱えている人や宗教知識のない人をターゲットにして、嘘をついて誘い込む。
つまり、その布教活動のはじめに「騙し」があるということ。
「正体を隠して学生等を勧誘する旧統一教会のダミーサークル」として社会問題となったのは「原理研究会(CARP)」。
1960年代頃から学生を勧誘し、家出させて集団生活をさせていたのが原理研究会で「親泣かせの原理運動」と呼ばれた。
旧統一教会は「家庭の絆」を大切にするとしているはずなのに、なぜか旧統一教会信者となると、その家庭は破壊される。こんな矛盾があろうか?
入会後、教団に疑問を持つと、「そんなことを言うなんてあなたはサタンです」と罵られる。
こうした姿はまさにマインドコントロールを駆使する“カルト”と言えよう。

フランスの「反セクト法」におけるカルト現象と識別する基準は以下の通り。

①個人の精神の不安定化
②法外な金銭の要求
③元の生活からの引き離し
④身体への加害
⑤児童の強制加入
⑥なんらかの反社会的言質
⑦公序への侵害
⑧多大な司法的闘争
⑨通常の流通経路からの逸脱
⑩公権力への浸透の企て

旧統一教会は数多く裁判を起こされているが、「青春を返せ訴訟」と呼ばれる裁判がある。
旧統一教会の元信者が起こした訴訟で、教団の勧誘方法は日本国憲法で保障された「信教の自由」を侵害する違法なものであるとして損害賠償請求をした訴訟で、違法伝道訴訟とも言う。
旧統一教会の違法行為(騙しによる勧誘)によって入会させられ、教団の布教活動をすることが「救い」となると信じて行っていた自分の行為が、結果的には人々を騙していたことを悔いたことが訴訟の動機となっている。

【青春を返せ訴訟】

1999年、岡山地裁では「原告への勧誘は社会的相当性を逸脱したとまではいえない」として元信者側が敗訴。
2000年、広島高裁(岡山支部)での控訴審では一審を破棄し、旧統一教会の伝道の違法性を認定する判決がでる。
2001年、最高裁にて旧統一教会の敗訴が確定する。

『【宗教的真理編】』につづく

参考書籍(引用元)

書籍名:『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』
著者:樋田毅
出版社:光文社
発刊は、2024年8月末

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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