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『ネットの誹謗中傷に匹敵するネットの大問題とは? ~SNSなどでの「死にたい」発言はSOS信号~』

ネット上での誹謗中傷が世間では注目されていますが、それに劣らない大きな問題があります。
それは、「自殺のつぶやき」です。

若者を中心にSNSで「死にたい」「一緒に死のう」という投稿が増えている

現実世界は、生きづらい。

それに加えて新型コロナウイルスによる感染の危険と社会環境の大きな変化が起きている。

イジメ、パワハラ、失業、差別、先の見えない生活・・・。

だが、そうした現実世界の苦しみを一時的でも解放してくれる場所がある。
それが「ネット空間」(ゲームなどの仮想空間を含む)
ネット空間=匿名の空間、でもあるのです。

悩みを抱えた人、経済的苦境に陥った人、どうしようもない失望感で生きる力を失った人、イジメやパワハラを受けて精神的に挫けてしまった人、そうした人たちがネットに「負の書き込み」をする。

ひと昔前は、自殺系掲示板や匿名掲示板が主流でしたが、現在はTwitterがそうした発言の主流となっています。

警視庁によると、2018年の1年間でSNSを使って事件に巻き込まれた18歳未満のこどもは1811人。
そのうち最も多い手段がTwitterで、全体の約4割を占めています。

「死にたい人 募集します」

こうした投稿は「病みアカ」と呼ばれる通常使用するアカウントとは別のアカウントを使用することが多いです。
(「病みアカ」とは、不平不満、愚痴、恨みや憎しみなどのネガティブな感情を吐き出す(つぶやく)ためだけの専用アカウント)

ネットの誹謗中傷と自殺願望の投稿は表裏の関係

実は、ネットで何の関係もない他人を誹謗中傷する人と、SNS上に「死にたい」と書き込む人は「表裏の関係」にあります。
地球上に見せている月の表面が「ネット上の誹謗中傷問題」で、地球上に見せない月の裏側が「自殺の書き込み問題」なのです。

ストレス、怒り、不平不満、不平等感など「負の感情」を抱えた人の中で、性格的に強い人、つまり、自分に起きたことを他人のせいにして他人を責める傾向が強い人たちがネット上で誹謗中傷するのです。
一方、ネット上で「死にたい」「一緒に死のう」と書き込む人たちは、「自分を責める傾向」もっというと「自虐的傾向」の性格が強い人たちです。
どちらも心の中に負の感情を抱えているのは同じですが、その吐き出し方が逆なのです。

一番深刻でやっかいなのが、ネットでの誹謗中傷と自殺願望の発信が結びついているケースです。
具体的な事例で言うと、「テラスハウス」に出演したことで誹謗中傷にあったことで自殺してしまった木村花さんのケースです。

ここに大きな社会問題があります。
それは、ネット上での誹謗中傷は社会問題として大きく取り上げられて注目されているのに、ネット上で「死にたい」などと発言したり、自殺しようとしている人たちが社会からほぼ無視されていることです。

それはなぜでしょうか?

SNS上での「死にたい」を無視する理由は?

そもそも「自殺等に関わりたくない」というのが一番多い理由でありんしょう。

さらに、「死にたい」なんて投稿をする人に対する「軽蔑」「嫌悪」の感情を向ける人が多くいます。
そうした人たちの感情は?

「そんな簡単に死にたいなんて言うな」
「誰だって死にたいと思うことはある。だけどそれをSNSに載せるなんて非常識だ」
「勝手に死ねばいい」
「ウザい」
「関わらないようにする」
「見なかったことにする」

など。

「人の死」ということは人生の一大事ですから、家族でも友人でも知り合いでもない人たちの「自殺」に首を突っ込まないようにする、ということは人間心理としては自然なことのように思えます。
ある意味では自己防衛とも言えます。

また、自殺願望のある人のSNS上の投稿を興味本位で“もて遊ぶ”極悪人もいます。
さらに、自殺願望のある人の弱っている心境を利用して、売春、恐喝などの犯罪行為に及ぶ極悪人もいます。
そうした事件に巻き込まれないように警戒する心理も働きます。

そして一番難しいのは「死にたい」と投稿した人がどれだけ“本気”なのかが、投稿だけでは完全に判断できない、ということが大きな要因です。

そうしたことが要因となって、多くの人たちはSNS上で「死にたい」という投稿を見つけても無視しています。

最悪の人間関係とSOSの赤信号とは?

《最悪の人間関係とは?》

他人の死に関わることはとても“重い”ことです。
ですが、それを見て見ぬふりをすることは、ネット上で他人が誹謗中傷されていることを黙って見ているよりも、イジメを受けている人を援けずに知らんぷりするよりも、もっと“冷たい”ことであると思うのです。

あなたはイジメで最悪なことは何だと思いますか?

人によっても感じ方が違うと思いますが、一番残酷なイジメは「無視」です。

それは子供たちの社会である学校でも、大人たちの職場でも同じではないでしょうか。

つまり、最悪の人間関係とは「無視」なのです。
「無視」は人間関係の断絶(絶縁)を意味しているからです

「愛」とは結び付け合う力といわれていますから、「無視」とは愛の感情とは真逆の感情ということになります。

要するに、「無視」とは、人間関係のコールド(凍結)なのです。

《SNSでの「死にたい」はSOS信号》

人は人生の途中で苦難困難に負けそうになって「死にたくなる」ときがあります。
でも、その「死にたい」にも段階があります。
レベルと言った方がいいでしょうか。

「死にたい」の本気度「死にたい」の深刻度に違いがあります。
SNS上で「死にたい」とつぶやく人の心境は「助けを求めている段階」です。
SOSの黄色信号です。

家族や学校、友人知人に助けを求められなくて、見ず知らずの人たちに助けを求めているのです。
この段階では、まだ救出が可能です。
まだ、本人に生きる意志がわずかに残っているからです。

《SOSの赤信号とは?》

ですが、SOSの黄色信号が赤信号に変ると救出は困難になります。
SOSの赤信号とは大きく言うと2つあります。

一つは、「沈黙」です。

この状況では「死にたい」と口にすることも、悩みごとを吐露することもありません。
もはやすでに死を覚悟しています。
こうした状況では、身近な家族でも気づくことが困難です。
つまり、見えない赤信号なのです。
ですが、目の表情やわずかなしぐさから危険な状態であることは感じ取れます。

二つ目は、「感謝とお別れの言葉」を残したときです。

人は「死の決意」を固めたときは、家族や友人などへメッセージを残します

通常これを「遺書」と呼びます。
つまり、「遺書」などのメッセージを発信または残したときは、すでに死を強く決意している状況ということです。

一つ目の状況と違うのは“気がつくことがある”ということです。
メッセージは発信されていますから。

ただ、このメッセージが第三者に向けて発信されることがあります。
「いままでありがとう」という感謝の言葉を残す。
「さようなら」という別れの言葉を発する。
これがSOSされる最後のチャンスなのです。

「死にたい」というメッセージに応える温かい社会の実現へ!

《「死にたい」メッセージに「温かい言葉」を!》

結局、なにが言いたいのかといえば、「死にたい」とメッセージを発信している人を見つけたら、援けてあげて欲しいということです。

援けるとは、「励ましの言葉をかけてあげる」「悩みを聞いてあげる」、場合によっては行政や警察に連絡することです。

自殺の統計には嘘があります。
新型コロナウイルス発生前でも毎年2万人もの人が自殺しています。
ワクチン接種がイギリスで始まりましたが、自国でワクチン開発をしていない日本においてワクチン接種が広く普及するのはまだ時間がかかります。
新型コロナウイルス感染症が沈静化しても、経済がガタガタになって大恐慌が起こる可能性があります。
失業等によって自殺者が増える可能性が高いのです。

SNS上で「死にたい」と発信している人はSOSを発している人です。
無視せずに「温かい言葉」をかけてあげて欲しいのです。
「死にたい」という投稿を見て見ぬふりをして無視する社会は冷たい社会です。
言葉一つで救われる命があるはずです。

愛とは「結びつける力」であり、「理解」であり、「関心」であると言われています。
ネット上でのSOSを無視する社会は「愛のない冷たい社会」です。
アチキは、愛のある社会の実現を願っています。

《家族を見捨てる者は人間に非ず!》

最後に、付け加えておきます。
もし、あなたの家族(または友人)が「死にたい」と口にしたらどうしますか?
もし、あなたの家族(または友人)が「死にいく状況」にあることを知ったらどうしますか?

もし、それを聞いていて、知っていて「無視」をするなら、それは“殺人と同じ”だとアチキは思います。
冷酷過ぎる行為だと言っておきます。
人間として最低の行為だと言っておきます。
(木村花さん、竹内結子さんのケースではありません)

たとえ、家族関係にトラブルがあったとしても「死にゆく家族」を無視するならば、人として終わっていると言っておきます。
その罪はこの世では問われませんが、あの世で必ず裁かれます。

家族ならば、どんな馬鹿な人間でも、どんな愚かな人間でも、無視してはいけません。

ご意見番は、「愛ある温かい社会」の実現を目指して発言を続けます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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