はじめに
今回も「パチンコご意見番」の山下氏の著書からの学びをお届けします。
(パチンコご意見番とは、アチキが勝手に言っているだけです。あしからず)
パチンコを打つ一番大きな動機は「勝って儲ける」ことでしょう。
しかも、単にお金を儲けるだけではなく、賭博としての快感が味わえる(勝った場合)。
効果音、派手な装飾、当たりが来るかと思うドキドキ感が味わえる。
警察等はパチンコを「娯楽」と言いますが、パチンコ店内で「笑い」や「喜び」が満ちていますか?
実際は、「負けを取り返すぞ」「今日こそは当たってくれ」と悲壮な気持ちで打っている人が多いはずです。
イライラしている、店内での口論、店員への怒号、台を叩く、悲壮な顔をして打っている、そうした光景が日常茶飯事ではありませんか?
すべてはパチンコへの「甘い期待」から始まります。
「パチンコへの甘い期待」を捨てること、それが脱パチンコへのスタート点です。
「パチンコへの甘い期待」を捨てるためにはパチンコがいかに“不条理”なものなのかという知識を持つことです。
パチンコの不条理を知ることで「甘い期待」を破壊することです!
ということで今回も参考書籍は山下實氏の『脱パチンコ』(第2章)です。
パチンコのことを知りたいと考えている人にとって“必読の書”であると思われます。
ご興味がある方は、ぜひ購入してお読みください。
パチンコで儲けるは「幻想」、なぜならパチンコとは不条理なものだから!
《パチンコは必ず店が儲かる商売》
山下實氏著『脱パチンコ』から引用
パチンコは「勝てるもの」だと思っていませんか?
中~長期では、勝ち続けることはできません。
パチンコは必ず店が儲かる商売になっているからです。
パチンコは、必ず胴元が儲けるギャンブルです。
「ギャンブルで生計をたてていこう」なんて話も聞きますが、現実逃避以外の何ものでもありません。
〈パチンコで勝てるという幻想とパチンコで生計を立てるという幻想〉
「パチンコは、必ず店が儲かる商売になっている」
「パチンコは、必ず胴元が儲けるギャンブル」
パチンコにハマる理由として「パチンコに期待」している、という点が必ずあります。
「儲かる」「勝てる」という2つの期待です。
でも、それは「甘い期待」であり、現実は必ずパチンコ店側が儲かるように仕組まれているのです。
考えてみてください、客の大勢が勝って儲けたらどうなるか?
当然の帰結として、パチンコ店は潰れます。
パチンコ営業はボランティア活動ではありません。
パチンコ店は「必ず儲ける(店側が)」という意志において営業しているのです。
パチンコ店は「儲かる仕組み」を作り上げて商売しているのです。
それが意味することは「客が損をする」ということです。
客が損をすることによって、パチンコ店は繁盛(繁栄)するのです。
だからパチンコに関するマイナス情報を隠蔽し、パチンコは「楽しい」「儲かる」という幻想を抱かせるように仕組んでいるのです。
こんな不条理がありますか?
世の中には「パチプロ」と名乗る人がいます。
そうした人たちは、「ギャンブルで生計をたてていこう」と考えているはずです。
山下氏は、それは「現実逃避以外の何ものでもありません」と言い切っています。
そもそもパチンコは客が負けるように仕組まれているものであり、どんなに経験と知識があっても、その上手(うわて)をパチンコ店がいくようになっているのです。
だから、最終的にパチンコで生計を立てるということは幻想なのです。
(昔はあったかもしれませんが、いまは無理です)
要するに、パチプロとは「幻想を抱いている人」ということです。
それが良いことなのか悪い事なのかを見分ける判断として「それが世の中に広まったときに社会がどうなるか?」、あるいは「そうした人が増えると世の中がどうなるのか?」という観点があります。
パチンコで生計を立てるパチプロが増えれば増えるほど、就業人口は減り、税金は減り、パチンコで生計を立てる人をうらやましく思った人の勤労意欲が減退します。
パチプロとは、「社会に何一つ還元しない人」です。
どんな職業であろうとも職業というものは第三者に利益や便益などを提供する社会的行為です。
しかし、パチプロにはそうした国民の義務を果たしていません。
憲法には「勤労の義務」が規定されています。
パチプロで生計を立てるとは憲法違反でもあるのです。
パチプロが増えれば増えるほど社会は衰退していくということは明白です。
増えれば増えるほど社会は衰退していくならば、それは肯定されるべきものではないということです。
(ただし、そう簡単にパチプロには成れず、また成ろうともしないでしょう)
では、「私だけ」であればいいのか?
と考える人もいるでしょう。
それがどれだけ身勝手で自己中心的な発想なのかを知るべきです。
つまり、「パチンコで生計を立てる」ということは稀に存在したとしても、「人の道を踏み外している」ことに間違いないのです。
働くことは疲労、ストレス、嫌な思いなどをしなければなりません。
しかし、その仕事(職業)がなければ、誰かが困るのです。
だから様々な職業があるのです。
それぞれが個別の職業につくことで支え合っているというのが人間の社会なのです。
パチプロは社会人としての義務を放棄した存在という点において、肯定するべき人のあり方ではないのです。
《交換率という不条理》
山下實氏著『脱パチンコ』から引用
パチンコは、「初めから不利な条件で勝負させられている」
それは交換率という不条理です。
パチンコは貸し玉料金と、買い取り金額とで、単価を変えることができるのです。
儲けを先に引いて営業しているのです。
パチンコは、店側にとって都合の良い条件を客に押し付けている商売だということに気がついてください。
パチンコ店は「交換率」という、必ず利益をあげるための仕組みを使って「商売」をしている。
◆『交換率』とは、店がお客に貸し出す玉の金額と、店側がお客から買い取る金額との差額(比率)のこと。
〈交換率というトリック〉
今回の記事の核が「交換率という不条理」です。
パチンコがなぜ不条理なのか?
それはパチンコが「初めから不利な条件で勝負させられている」からです。
パチンコ店は「儲けを先に引いて営業している」からです。
そのカラクリが「交換率という不条理」なのです。
客が逆立ちしてもどうにもならない「交換率」という、必ず利益をあげるための仕組みを使って「商売」しているのです。
つまり、多少客が儲けても店側はほぼ損をしないのです。
大勝されてもその客がまた来店してくれれば、そこでお金を落してくれますので、店側としては「少しの勝ち」「たまに勝つ」ことは初めから顧客獲得のための戦略として肯定されていることです。
しかし、「最終的には勝たせない」「大勢の客には儲けさせない」という執念と仕組みを用意しているのです。
具体的に見ていきましょう。
4円パチンコ(4パチ)なら1玉4円と貸出単価が法令で決まっています。
しかし、買い取る価格は貸出単価を“下回る”のです。
25玉交換なら1玉4円で等価。
28玉交換なら1玉3.57円の買い取り=11.2割で等価。
30玉交換なら1玉3.33円の買い取り=12割で等価。
40玉交換なら1玉2.5円の買い取り=16割で等価。
このように換金率が低くなるほど買い取る金額は減っていくのです。
例えば、等価で10万円出しても、換金すると6万2500円となってしまうのです。
この仕組みで言えば、パチンコで20万円使った場合、7万5000円が玉を借りた時点ですでに失われている(奪われている)のです。
では、パチンコで元を取るためにはどれくらいの玉数が必要なのか?
元を取るためには「投資玉数の1.6倍の出玉が必要」になるのです。
つまり、1.6倍も勝たないと(出さないと)元が取れないのです。
パチンコをやった人なら1.6倍勝つことがいかに難しいのか理解できるでしょう。
例え1.6倍勝ったとしても(出したとしても)、元を取っただけです。
元手を上回る儲けを出すには少なくとも2倍以上の出玉を出すことが必要です。
こうしたことを知らずにパチンコにハマっている人が多いと聞きます。
また、これを知って「パチンコをやりたい」「パチンコで儲ける」と考えるならば、まさしくそれは「幻想」だとしか言えません。
出玉をタバコやおもちゃ、ブランド品などの景品と交換する場合、パチンコ店は“等価”で物品を提供しなければなりません。
つまり、店側とすれば物品交換されると“交換率トリック”のうまみが使えないのです。
そこで店側はどうするか?
「魅力的な景品を置かない」「タバコは〇箱まで(制限する)」という姑息な手段を用意しているのです。
もうお分かりですね?
どう転んでも客が損するように仕組まれているのです!
これを不条理と呼ばずして何と言いますか?
《過度なギャンブルは精神の歪みを引き起こす》
山下實氏著『脱パチンコ』から引用
ギャンブルを過度に続けていると、精神の崩壊や歪みをひきおこすことは明らかです。
それがギャンブル依存などの病気に密接につながり、挙句の果てには自殺や犯罪などの悲劇を巻き起こすのです。
パチンコにのめり込んで負けた客は幼児化し、規範、道徳心のかけらもないわがままな子供のような行動をとります。
パチンコが人間性の成長を止め、幼児に退行させてしまうのです。
〈パチンコにハマると幼児化する+精神の歪みを引き起こす〉
パチンコにドハマりしてしまった人の行動特性には「幼児化」が見られるといわれています。
幼児化とは、受動的な立場に立って、自分の現実的な努力とは無関係に当たりの快楽を得ようとすることです。
つまり、周りの環境が一方的に自分に仕え、自分では何一つ努力することなく快楽を獲得する、といった行動を取るようになるのです。
これにはアチキも思い当たることがあります。
もう1年も前になりますが、知り合いに「パチプロ」がいました。
その人が誹謗中傷(個人情報を晒されたり悪口を言われたりしたこと)されたときに、アチキはその人の名誉を守るために相手と戦いました。
しかし、その人はまるで母親の影に隠れる子供のように、自分で抗議する、反論する、といったことは何一つせず、アチキが一人で戦っていることをただただ見ているだけでした。
(直接対決しなかったという意味)
これには別の要素(傲慢)も加わりますが、明らかに「幼児化」です。
自分の問題を他人に任せきりとなり、自分はその人の庇護のもとで安楽を味わう。
しかも、それが当然であるかの如く振る舞い、感謝の言葉も言わない(それを求めているのではありません)。
まさに、幼児化!
パチンコ依存症の行動特性としては「現実逃避する」ことが知られています。
「嘘」というのは「現実逃避の手段」でしかないのです。
根底にあるのは「現実逃避」です。
ですから、勝っているときは機嫌よくニコニコしているのに、負けが込むと性格が変わったかのように怒りだし、挙句の果てに「店が遠隔操作している」「台が悪い」と他人や環境のせいにします。
「現実逃避(責任転嫁)」、これも幼児化であり、精神の歪みです。
自分が悪い事をしてもそれを認めない。
他人を傷つけても謝罪しない。
常識ある家庭なら、子どもは親から「悪い事をしたら反省しなさい(謝りなさい)」と教えられます。
しかし、パチンコによって幼児化した人は、責任転嫁し、嘘をついて現実から逃避(誤魔化す)します。
何度も言いますが、「パチンコには善も悪もない」なんていう主張は明らかに間違いなのです。
そうした思考こそ「現実逃避」なのです。
パチンコ依存症になると、精神に歪みが生じ、最悪の場合「崩壊」してしまうのです。
そうしたことをもたらすパチンコは「悪」なのです!
別の意味での現実逃避とは、「自分の本来の姿はこんなはずではない」と思い込むことです。
それがパチンコに現れると「負けている現実」を受け入れられなくて、「次は勝てる」「今日は運がなかっただけ」「いつか大当たりがくる」と客観的な判断ではなく妄想を抱いてしまうのです。
「妄想」、これも「現実逃避」なのです。
依存症が重症となると、自分で自分の症状(状態)が識別できなくなります。
自分が妄想を抱いているのか、現実を直視しているのか、判断できなくなるのです。
ギャンブルを過度に続けていると、精神の歪みを引き起こすので、パチンコは止めるべきなのです。
《パチンコは勝っても負けても人生ボロボロ》
山下實氏著『脱パチンコ』から引用
勝っても負けても人生ボロボロ、それがパチンコ
パチンコではたとえ勝っていても、お金が減るという、摩訶不思議なことが起こります。
その理由は、お金の価値観が壊され、生活水準の低下を招くからです。
〈パチンコは金銭感覚を崩壊させる〉
◆金銭感覚(お金の価値観)が崩壊する、その1
・負ける宿命を負っているパチンコに大金をつぎ込む。
よほど収入に余裕のある人でなければ、食費、電気代などを節約し、無駄遣いしないように心がけるでしょう。
しかし、パチンコにハマった人は一度の勝負に平気で数万円もつぎ込むのです。
それは「勝ち」を狙ってですが、現実は「負ける」のです。
「勝てる」こともたまにはありますが、毎回勝つことは不可能に近いのです。
「勝てる」という思い込みは、パチンコについての知識不足と妄想ゆえです。
だから、パチンコについての正しい知識を持つことが依存症から脱出するために必要なのです。
◆金銭感覚(お金の価値観)が崩壊する、その2
・お金を稼ぐことの正しい意味が分からなくなる。
お金は降って湧いてくるわけではありません。
なのに、自分の小遣いの範囲を超え、収入の範囲を超えてパチンコにお金をつぎ込みます。
それでもパチンコがやりたくて家族などから嘘をついて借ります。
それがだめなら消費者金融から借金します。
金銭感覚が崩壊しているからそうなるのです。
お金を得るという“重み”が分からなくなるからそうなるのです。
幼児は労働せずに大人から金銭を与えられます。
しかし、大人ならば汗水たらして働き収入を得ます。
何のために収入を得ているのかというと最低限のこととして「生きていくため(生活するため)」です。
なのに、生活費に手を出し、貯蓄を切り崩し、挙句の果てに借金をしてしまう。
パチンコは、のめり込んだ人の金銭感覚を狂わせるのです。
だから、パチンコは止めるべきなのです。
◆金銭感覚(お金の価値観)が崩壊する、その3
・お金欲しさに犯罪に走る。
パチンコ関係の犯罪は多岐にわたりますが、パチンコをするために盗みなどの犯罪に走ってしまう人がいます。
社会人(大人)としての道徳心や倫理はどこかにいってしまいます。
他人のお金を奪うということの意味がどこかに吹っ飛んでしまっています。
パチンコを打つ金を得るという独りよがりな欲求が膨らみ、人としての倫理や道徳心がどこかへいってしまうのです。
だから、パチンコは止めるべきなのです。
◆金銭感覚(お金の価値観)が崩壊する、その4
・使うお金は万単位。
パチンコにのめり込んだ人は節約が出来なくなります。
正確に言うと、パチンコ代を作るための節約はしますが、それ以外の節約ができなくなります。
しかし、常識ある社会人ならば、それを節約とは言わず“浪費”というのです。
基本的に通常の感覚でいうところの節約がなぜできなくなるのかというと、多くの場合、「節約しなくてもパチンコで稼げる(=妄想)」と思っているからです。
この状態は、お金に対する根本的な価値観が狂ってしまっているのです。
パチンコの魔性に惑わされてしまった人は、勝つときも万単位、負けるときも万単位、つまり使うお金は万単位となってしまうのです。
パチンコ依存症になると、金銭感覚が崩れてしまうので、節約よりも消費を繰り返すようになります。
なぜか?
「自分はパチンコで大金を掴むことができる(予定)」と思うからです。
また、なかには「自分はパチンコで大金を掴んできた(錯覚)」という経験を持っている人もいるでしょう。
しかし、勝ったときだけ記憶するのではなく、負けた金額がどれだけなのかを勘定したほうが良いでしょう。
結局、パチンコは「勝っても負けても金銭感覚が崩れる」のです。
だから、パチンコは止めるべきなのです。
パチンコとは不条理なもの!
パチンコとは、儲けようとしているのに損してしまうものです。
パチンコとは、金銭感覚を崩して人生を破滅に向かわせる恐ろしい力のある魔物です。
パチンコとは、勝っても負けても人間性が歪み、崩壊してしまうものです。
パチンコとは、勝ちたくても勝てない実に不条理なものなのです。
パチンコ依存症であることを自覚し、脱パチ(禁パチ)に舵を切った人は人としての道に舞い戻った人なのです。
しかし、パチンコに依存するだけに留まらず、パチプロや攻略法販売などに走った人(“元”は除く)は、もはやパチンコの闇から抜け出すことは至難の業でしょう。
そこまでいくとパチンコの闇に同化したことであり、後戻りすることは不可能に近いでしょう。
そうした人はあの世で「パチンコ人生の不条理」をじっくりと味わうことになるでしょう。
参考書籍
著者:山下實(やましたみのる)
書籍名:『脱パチンコ』
出版社:自由国民社
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!