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『恋愛リアリティー番組を制作するフジテレビの責任を問う! ~BPOによる審査を求める~』

『あいのり』出演者の証言

恋愛リアリティー番組とは、本当にリアルなものなのか?
まず同じフジテレビで製作された『あいのり』の元出演者の証言をもとに考えて見たい。
(証言が真実であることを前提にした記事となります)

元出演者(女性)の証言
以下引用

「いわゆる台本はありませんでしたが、スタッフからの指示、エキストラの起用、出演者の意に沿わないキャラ作りや番組の都合を優先した嘘の告白などが大半をしめていました」

重要な証言は、

「私たちは出演にあたり、署名した同意書を提出させられたのです」

その書面には、

《本番組の内容及び本番組への参加で経験したことの一切について、新聞、雑誌(いわゆる「写真週刊誌」を含みますがこれに限りません。)、ウェブサイト、ブログ、SNSなど、一切の媒体で公表しません。取材にも一切応じません。但し、株式会社フジテレビジョン若しくは株式会社共同テレビジョンがわたくしに依頼し、又はわたくしに許可した場合を除きます》

アチキは心配になりました。
この情報を公表した元出演者が、この文面に反しているからです。
大丈夫ですか?

続けます。
この女性によると、

「つい最近も、この文面が制作会社から送られてきました。これまでも定期的に届いていたのですが、そのたび、違反するとペナルティーがあるので同意書の内容を守るよう念押しされました」

この女性は、木村花さんの件でこう憤っているという。

「あるメディアが今回、こうした他言無用を明記した契約書がテラハにもあったと報じ、局側に尋ねたのですが、フジはそういう文はないと否定していました。同じ局の恋愛リアリティーで取り決めの内容に差異があるのは不自然です。真実を隠しているように見え、木村さんもまた、こうした“口封じ”によって本当のことを話せない葛藤に苦しんでいたのだと思います」

記者がこの件をフジテレビジョンに問い合わせると、

「両番組とも、撮影した内容が放送や配信の前に公表されないよう、出演者の皆さまにご協力いただいております」

と回答があったという。
(参考情報は「デイリー新潮」)

《『あいのり』出演者の証言を検証する》

〈やらせ制作?〉

台本はないが、スタッフからの指示はある。
これは香港映画と同じ制作スタイルですね。
香港映画は良い企画だとすぐに真似をされて本家より先に制作し公開されてしまうため、脚本を作成しないのです。(作品を盗まれないため)
だから、映画のシナリオはすべて監督の頭のなかにあります。
撮影直前になって台詞が伝えられて、撮影します。
(もしかしたら現在は違うかもしれません。ただ以前はこのとおりでした)

要するに、台本なんか無くても映画がつくれるのだから、「やらせ番組」だってなんだって本当は制作できるのです。

また、台本を作らないということには2つの意味があると思われます。
一つはやらせであった場合、“証拠”を残さないためです。
もう一つは台本を作って台本通りに番組を作ると「恋愛リアリティー」がリアルでなくなり、面白みのない作品となることです。

つまり、台本に沿って完全に演技するのは素人では無理なので、それによって観ていてつまらないものとなるということです。
また、本来リアリティー番組としての臨場感、突発性、予想を裏切る展開、素人ならではの行動が見られなくなることで、リアリティー番組とは言えなくなるからです。
それはただの恋愛ドラマとなってしまうからです。
だから、大まかな製作者の意図や指示はあるが、きちんとした筋書きは無い、ということです。
結局、これが意味するのは「リアリティー番組」ではないということです。

また、「嘘の告白」があったとすると、番組を楽しみにしている視聴者に対する裏切り行為です。
視聴者は、自分たちと同じ一般人が旅をする中で恋愛していく恋模様を見たいと思っているのです。
それが「嘘」であるということは、詐欺行為と呼ぶことができます。

しかも、証言では「嘘の告白などが大半をしめていた」と伝えています。
これが本当であれば許されざることです。
(真実であれば)

〈同意書は言論統制でしかない〉

本当に素人が旅でリアルな恋をする「リアリティー番組」なのであれば、放送前に出来事が世間に知られてしまうことは番組制作側としては避けなければなりません。
当然、視聴率が落ちるからです。
これは何もテレビ番組ではなくても、企業活動において当然のことなので、「同意書」があること自体は間違いではありません

ですが、ですが、です!

「同意書」の内容が真実であれば、これは問題です!

なにが問題なのか?

《本番組の内容及び本番組への参加で経験したことの一切について、新聞、雑誌(いわゆる「写真週刊誌」を含みますがこれに限りません。)、ウェブサイト、ブログ、SNSなど、一切の媒体で公表しません。取材にも一切応じません》

という部分です。

もし、これが文書の一部を削除したり、言葉を言い替えていない本当の文面だとすると大問題です
詳しく言うと「本番組の内容」について誰かに公表してしまうことは番組の放送前に情報が流れてしまうことなので、制作権(著作権)の侵害にあたります。
ですが、次の「本番組への参加で経験したことの一切について」という文面が本当であれば、これは言論統制です。
憲法で保障されている言論の自由に反します。

フジテレビはいったい何の権利があってラブワゴンで旅した経験のすべてを公表することを規制するのでしょうか?
『あいのり』が本当にリアリティー番組なのであれば、それは個人の感想であり、個人の思い出であり、個人の意見であり、個人の恋愛のはずです。
その個人の恋愛する姿をフジテレビは取らせてもらっている立場なのではないですか?
その認識が逆になっているのです。
つまり、“番組にださせてやっているんだ”という認識です。
これは非常に傲慢な思考です。
これは言論の自由を奪う行為であり、言論を統制する独裁主義です。

これが本当であれば、“やらせ”を自ら証明しているようなものです。
“やらせ”だから、「本番組への参加で経験したことの一切について話してはならない」ということでしょう。

正しい同意書は、

《本番組の内容に関しては、本番組への参加で経験した出来事を番組放送前に、新聞、雑誌(いわゆる「写真週刊誌」を含みますがこれに限りません。)、ウェブサイト、ブログ、SNSなど、一切の媒体で公表しません。取材にも一切応じません。なおこの内容は、放送後の言動まで規制するものではありません。》

とするべきです。
この違い分かりますか?

ポイントは、公表してはいけないことは「番組内容に関してのみ」ということ。
そしてより重要なことは「番組放送前に公表してはいけない」という部分です。

つまり、ラブワゴンで旅をする間に起こったエピソード(出来事)や誰が誰に好意を持ったとか、カップルになったとか、告白を失敗したなどの出来事自体を番組放送前に世間に知らせるということは番組の価値をいちじるしく低下させることに繋がるからです。

ただ、恋愛リアリティー番組が本当にリアルなものであるのならば、番組放送後に自分が経験したこと、感じたこと、思い出などを話すことを規制することはできません。
なんの権利があって番組放送後にも話していけないのか、フジテレビは答えてください。
何度も言いますが、それは言論統制であり、個人の人権侵害にあたります。

この文面を素直に読む限り、番組内容をいつまでたっても話してはいけない、という理解しかできません。
番組放送後まで個人の発言を規制する法的根拠または倫理をフジテレビは示してください。

実に巧妙に作成された文面ですが、実は巧妙だからこそ、逆に悪事を証明することにもなっているのです。

要するに「番組放送前」という表記がないということが大問題なのです。

たったそれだけのことですが、これが非常に重要な点となり、大きな違いを生んでいるのです。

規制出来るのは番組放送前に限ります。
番組放送後まで規制することは言論統制であり、言論の自由を奪う行為でしかありません。
(もちろん製作者サイドへの誹謗中傷は放送前でも放送後でもいけないことです)

では、なぜ番組放送後まで規制するのか?

それは“なんらかのやらせ”があるからでしょう。
“本当にリアルな出来事ではない”からでしょう。

だから、番組放送後までの出演者の口を塞がなくてはならないのです。
フジテレビは自ら墓穴を掘っているのです。

〈執拗に同意書への尊守を求めることは?〉

なぜ何度も定期的に(執拗に)、同意書の内容を守るように伝えてくるのでしょうか?
「違反するとペナルティーがある」と繰り返す行為は恐喝とも取ることができます
そんなに番組内容を話してはいけない理由はなんでしょうか?
番組が放送された後に自分の経験や感想を発言することはその人の自由です。

きっとフジテレビはこう答えるでしょう。
「まだ放送を観ていない人もいるから」
それは理由にはなりません。
一度放送してしまえば、その番組自体の新鮮さはすでに失われています。
すべての国民が視聴した後でなければ、自分の体験や感想を他人に話すことができないのならば、それは墓場まで持っていけ、ということを意味します。
墓場まで持っていかなければならないことは悪いことです。

定期的に口封じをするということが本当であれば、“なんらかのやらせがあった”または“視聴者が期待していたリアリティー番組ではなかった”という事をフジテレビは自ら証明したことになります。

〈テラハにはなぜ契約書(同意書)がないのか?〉

「あるメディアが今回、こうした他言無用を明記した契約書がテラハにもあったと報じ、局側に尋ねたのですが、フジはそういう文はないと否定していました。同じ局の恋愛リアリティーで取り決めの内容に差異があるのは不自然です」

同じテレビ局、同じ恋愛リアリティー番組。
なのに、片方は同意書または契約書があって、もう片方には同意書(契約書)がない
こんなことがありますか?

もし、一万歩譲って本当にテラスハウスには契約書(同意書)が存在しないとしたら、フジテレビのやっている仕事は実にいい加減で無責任ということになります。
また、出演者に対する差別です。(あいのりとテラスハウスの)

これはテラスハウスに同意書(契約書)があるのに嘘をついて「ない」と言っていても、本当に同意書(契約書)がなくても、どちらにしてもフジテレビには落ち度があります
制作者としての責任が発生します。

『あいのり』には同意書があって『テラスハウス』には同意書(契約書)がない?
あり得ません!
これは隠蔽です。

フジテレビはきちんと会見を開いて自らの潔白を証明するべきです。
それができない、それをしないということは“やましいことがある”と思われてもしかたがありません。
テレビ局の責任を果たしなさい!

恋愛リアリティー番組『テラスハウス』は本当にリアルなのか?

『あいのり』と同じ恋愛リアリティー番組である『テラスハウス』の問題は?

番組関係者の証言を見ていきましょう。

「花さんは真面目で、プロレスでも与えられたヒール役を一生懸命こなしていた。そのリング上での激しいキャラクターのイメージを踏襲して、番組でも木村さんが感情的になるシーンを選んで使っているように感じました」
(番組関係者)

実際の撮影現場に立ち会った芸能プロ関係者が語るには、

「スタッフによる過剰演出を目撃した」

「撮り直しが日常茶飯事だった」
「番組内で他の共演者と口論になったときに、自分が相手に悪口を言っているところだけが使われていて、一方的に罵倒している感じに編集されていた」
(出演者)

SNSで誹謗中傷されたことを制作者に話すと、

「自分たちでなんとかしてください」
「収録中に起きた事故などは番組は責任を負わない」

(情報源は「文春オンライン」)

テラスハウスに関しては、木村花さんの自殺に直接関係している番組ということで、多くの告白、暴露がされている。
さまざまな情報が報道されている。
もしかしたら、誤報もあるかもしれないが、世間に出てきた情報がもし真実であれば、大問題である。

これらの情報が正しいのであれば、『テラスハウス』は“やらせ番組”です。
“やらせ番組”によって木村花さんが自殺してしまったとなれば、フジテレビには重大な責任が発生したことになります。
番組放送中止ですむ問題ではありません。

フジテレビは自らの潔白を証明するべきです。
できないのですか?

恋愛リアリティー番組制作サイドのテレビ局に責任はないのか?

22歳の若さで自ら命を断った木村花さん。
その原因は、恋愛リアリティー番組『テラスハウス』に出演していた花さんの言動に対して視聴者が浴びせた誹謗中傷にあることは明らかだ。

だが、すでに世間で騒がれているが、原因はそれだけなのか?
当然制作者サイドの責任が問われるのではないか?

そもそもテレビ番組に『リアリティー』がありうるのか?
ということが論点の一番肝心なところだ。
何が『リアル』で何が『リアルでない(フィクション)』のか?

ご意見番は思う。
恐らく完全なる線引きは難しいだろう。

『完全なるリアリティー』は、制作者の番組目的から外れてしまうことや面白くない番組(視聴率が取れない)となる可能性があるからだ。
逆に『完全に台本通りのやらせ演出のリアリティー番組』は、これまたつまらないものとなる。
視聴者がやらせに気がついてしまうからだ。

『事実は小説より奇なり』という言葉があるように、小説や作り物にはない現実世界の他人による恋愛劇は人間が持つ興味関心を惹きつけてやまない。
するとどうなる?

完全なる台本はない。
だが、ある程度の方向性や面白おかしくするための演出、または要求はする。
それによって視聴率を取る。
完全なやらせをしてしまうと、バレたときに社会から責任追及されてしまうからだ。
また、なによりも怖いのが、視聴者離れが起きてしまうことだろう。
だから、明確な線引きをしないが、大枠では番組制作サイドの意向は働く
それはすでにキャスト選びから始まっている。
キャストを選ぶときに番組制作者の思惑が一切入りこまないなどありえない。
(それが良いか悪いかは別として)

番組を制作するということは、そこに「どんな番組にしたいか」「誰に視聴してもらいたいか(ターゲットの選別)」「番組の目指すべき方向は」など必ずなんらかの意図が発生する。

番組制作側の意図が完全に入りこまない番組作りなどありえないのだ。

それは“人為的に作られている作品”だからだ。
その人為的に制作される意図が明確にでるのが“編集”である。
どんなシーンを流すか。
誰の行動を放送するか。
逆に放送しないシーン、出演者の行動はどれか。
こうした編集に意図が発生しないはずがありません。

編集こそ番組制作の意図の本流です

リアルな作品として認められる作品とリアルな作品を装った嘘が混じっている番組は違います。
本当に、台本も演出もストーリーもまったくないのであれば、それは『リアリティー』番組ではなく『ドキュメンタリー』なのである。

ある意味でテレビ局は視聴者を騙しているのである。
騙しているというのは、錯覚させているのである。
法に違反していないし、社会的責任を問われない範囲において、視聴率を上げる目的のために“やらせ”が行われている、ということだ。
(ただ、言論統制は憲法違反である)

だから、『リアリティー』をうたうことで視聴者の興味を引きつけ、甘い蜜を吸いにきたら、過激な演出やさまざまなトラブルで視聴者を釘付けにする。
それが『リアリティー番組の正体』である。

面白いといえば、面白いだろう。
事実、ご意見番も『あいのり』のファンだからだ。

《あいのりに違和感》

アチキは『あいのり』を観ていて違和感を覚えたことがある。
それは前回シリーズの『アジアンジャーニー』でのことだ。

“でっぱりん”というニックネームの女性が一度番組を離脱したのに、なんと“でっぱりん”は再度ラブワゴンに舞い戻ってきたからだ。
番組を観ていた人なら分かるだろうが、でっぱりんは女性ながら気が強くトラブルメーカー。各地でトラブルを引き起こす。

あいのりのルールは、告白したら成功しても失敗しても、そこで旅は終了となるルール。
そして新たなメンバーが入ってくる。
なのに、一度離脱したでっぱりんが再登場したことにアチキは違和感を覚えた。

これはあくまでも憶測だが、番組としてはトラブルメーカーのでっぱりんが欲しかったのだと思う。
本来あってはならない離脱者の再登場を行ったフジテレビの意図は明らかではないだろうか?
トラブルメーカーを求める、それが番組制作者の意図ではないのか?

【フジテレビが恐れていることは?】

フジテレビが今一番恐れていることがあるとするならば、それはBPO(放送倫理機構)による審査であろう。

アチキは言う。
もし、この記事をBPOの人、または関係者が読んでいたら伝えたい。

『テラスハウス』に出演したことによって木村花さんが誹謗中傷され自殺された事実を重く受け止め、フジテレビに対して適切な番組制作が行われていたのか審査するべきである。

もし、フジテレビなどの制作サイドの審査をBPOがしないならば、世間の声を無視し、被害者の死を冒瀆することになる。

フジテレビが制作する恋愛リアリティー番組に同意書(契約書)があるのかどうか?
あるとしたら、その内容が不適切かどうか?
また、木村花さんの死に対して製作者サイドの落ち度はなにか?
すべて明らかにするべきである。

《フジテレビに贈る言葉》

フジテレビにこの諺を贈る。

『隠すより現る(あらわる)』

意味は、秘密を隠そうとすればするほど、様子が不自然になったりしてあやしまれ、かえって人に知れわたってしまうということ。

【リアリティー番組を制作しているフジテレビにもの申す】

なぜ『あいのり』には同意書(契約書)があるのに『テラスハウス』には無いのか?
なぜ『あいのり』には同意書で放送後まで個人の発言を規制するのか?
フジテレビは視聴者に答える義務があります。

人一人の命が失われているのですよ!

あなた方テレビ局は、芸能人が薬物使用して逮捕されると一斉に報道する。また、釈放されると待ち構えて撮影し、根掘り葉掘り報道するではないですか。
芸能人が不倫をすると、根掘り葉掘りあら探しをして、繰り返し放送するではないですか。
なのに、番組制作者として責任がないとでも思っているのですか?

たとえ一万歩譲って同意書や契約書が存在していなかったとしても、やらせがなかったとしても、それでも、番組に出演中の人が、番組に出演したことが原因で誹謗中傷されて自殺したことの責任は免れない。
絶対に!

それを責任がないと、もし主張するのなら、アチキは言っておく。
ならば、今後フジテレビは、政治家に対して一切の批判的ニュースを流すな。
芸能人のプライバシーである不倫などを報道するな。
芸能人が薬物使用したとしても釈明会見を求めるな。
芸能人の不祥事に対して謝罪などのコメントを求めるな。

木村花さんの死に対して真摯に、正直に、誠実に情報を公開し、責任を取らないのならば、あなたたちにそうした資格は無い、といっておく。

あんたはなんの権限でものを言っているんだ、というなら、よく聞きなさい。
アチキはフジテレビのファンなのだ。
『あいのり』もずっと観ている。
民放ではフジテレビに対して好意的に思ってきた。
だから、一視聴者として裏切られた気持ちになったのだ。

あなたがたは自分たちがマスコミという権力を持つ者であることを深く自覚して、世間に責任をとりなさい。

アチキは、フジテレビに同意書(契約書)の完全公開を求める!

そしてBPOの審査を求める!

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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