【日本国憲法日本製編】のはじめに
【本論】の第一弾として『日本国憲法日本製編』というタイトルをつけましたが、「日本国憲法は日本人が作った」という主張をしている人たちは、「それみたことか!」と悦に入っているかもしれませんが、それは“ぬか喜び”だと言っておきます。
【序編】で示した「日本国憲法は日本人が作った」という主張のもとになっている人物を二名取り上げます。社会党の鈴木義男と共産党の鈴木安蔵(やすぞう)の二人です。
どちらかといえば鈴木安蔵のほうが有名であり、民間の憲法改憲組織である「憲法研究会」に属していたことでより注目すべき人物と言えるでしょう(鈴木義男も憲法研究会に後から参加しているが中心的存在ではない)。
私が心掛けていることは何事も「是々非々で判断する」ことです。私の性格は「白黒はっきりつける性格」であり、善いものは善い、悪いものは悪いと物事をはっきりさせることを好む傾向を持っています。
だから矮小化、切り取り思考、狭小化した思考を退け、部分は部分として判断し、その上で各部分を統合した全体像の結論を出すことを心掛ける。偏見や思い込みにとらわれず、公平であることと真実に忠実にあることを心掛ける。こうしたことを信条としている。
【本論】冒頭の【日本国憲法日本製編】において早くも「日本国憲法は日本人(憲法研究会)が作った」という主張を論破することになることをはじめに伝える。
しかし、頑固一徹な「思い込み」をしている人は、この指摘さえもはね付ける可能性がある。
ご安心くだされ。
【本論】は全部で9編あり(該当するのは実質的に【大東亜戦争の歴史的背景編】と【自民党憲法改正案編】以外の7編)、各編にて【序編】で示した両名の間違いを指摘する内容となっている。
いいかげんに「嘘レベルの言論」を世間に撒き散らすのは止めてもらいたい。
幕は上がった、私の主張(見解)を虚心坦懐に受け止めるべきでしょう。
なお、【日本国憲法日本製編】は、「鈴木義男の章」と「鈴木安蔵・憲法研究会の章」の2つに分けて記事をアップします。
★参考書籍は、『平和憲法をつくった男 鈴木義男』、『日本国憲法と鈴木安蔵』、『日本国憲法の誕生』です。
書籍『平和憲法をつくった男 鈴木義男』について
《書籍『平和憲法をつくった男 鈴木義男』について》
2023年「平和憲法をつくった男 鈴木義男」というタイトルの書籍が出版されました。わりと最近出版された書籍なので、「隠されていた日本国憲法誕生の秘密が暴かれた!」と思った方もいるのかもしれませんが、読んでみれば鈴木義男という人物の功績を忠実に記した書物であることは事実ですが、決して“平和憲法(日本国憲法)を作った人物”が鈴木義男だということは証明されていません。しかし鈴木義男という人物が日本国憲法制定に関与したことは間違いない事実です。
ですが重要な論点は、「起草者(草案提出者)」または「制定者(制定に関する主導者)」が“誰なのか”ということです。ここで言うところの「草案提出者」とは、日本国憲法を生み出した“実質的な草案(土台となった草案)”という意味であり、それは影響を与えた程度のものではありません。
憲法問題を考える上でここを見落としたり、捻じ曲げたりすれば正しく日本国憲法制定の真実を掴むことも、改憲護憲の判断もつきません。
「日本国憲法は日本人が作った」と主張している人たちは、この「起草者(草案提出者)」または「制定者(制定に関する主導者)」が“誰なのか”という部分を間違えているのです。あるいは、この重要な部分をスルーして語っていないのです。
その思考はカルト的思考に非常に近いものだと言っておきます。なぜならば、自分たちが見たいものだけを見て、見たくないものを見ていないからであり、自分たちが思い込んだ価値観だけが正しく、自分たちが思い込んだ価値観以外を拒絶する思考をしているからです。
物事を白紙の目で見ることが出来なければ、真実にはたどり着かないのです。
まず初めに指摘しておきたいことは書籍『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という“タイトルは”明らかに「プロパガンダ」です。真実をディフォルメしたものであり、事実を拡大解釈したものでしかありません。
SNSでこの書籍を「日本国憲法が日本人の手によって作られた」と主張するための根拠にしている方がいましたが、いったいどこを読んでそのような価値判断をしたのか理解に苦しみます。『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という書籍は学術的に重要な書籍でありますが、決して「鈴木義男という人物が日本国憲法を制定した人物(平和憲法をつくった男)」ということを証明するものではありません。
この書籍を根拠にして「日本国憲法=日本人制定者(日本人がつくった)」と主張するならば、こう言いましょう。
「あなたはどこに目をつけているのですか?」と。
鈴木義男という人物について
《知られざる人物、鈴木義男》
鈴木義男という人物について、世間ではあまり知られていないようです。事実、日本国憲法制定の過程に関する書籍や占領政策に関する書籍等には鈴木義男という名前はあまり出てきません。そう意味では、『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という書籍は貴重な情報源と言えるでしょう。
鈴木義男を理解する上で決して見逃せないこととは何か?(ご意見番独自見解)
・彼の父親がキリスト教の伝道師(白河メソジスト教会)であり、鈴木義男自身もキリスト教的人道主義に基づく思想と価値観を身につけていること。(義男自身が洗礼を受けたという記録は不明とされている)
・治安維持法違反事件等での弁護活動。
・片山内閣で司法大臣、芦田均内閣で法務総裁(現在の法務大臣)などを務めた政治家としての経験。
鈴木義男という人物を理解する上で、私が非常に重要だと思うことが、鈴木義男という人間が、キリスト教的人道主義の立場から社会主義思想を持っていること。
特に弁護士時代は、社会的に弱い立場にある人々に進んで手を差し伸べる活動をしている。
鈴木義男という人間はこの姿勢を終生貫き、憲法制定に関わる際にも、この精神を武器として戦っている。
政治家に限らないが、その人間の価値を形作るのは「精神」による。鈴木義男の精神とは、博愛主義であり、社会的に弱い立場の人々に自ら手を差し伸べようとする隣人愛の精神である。つまり、鈴木義男の精神とは、キリストの精神だということ。
これを私は高く評価する。
鈴木義男が東北学院を卒業するにあたって『東北文学』に寄稿した「我校の使命」という文に彼の精神を見ることが出来る。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
キリスト教に基づく教育や行事を行う東北学院の使命は「健全なる人物を帝国に供給して、一大空所を補わんとする」ことにあるとしつつ、この種の人物を養成するに当たって最も必要なるものは宗教なり、更に宗教の中にて最も適切なるものは基督教なり」。
と語っている。
現代の日本社会には無神論がはびこり、「宗教」と聞くと「カルト」を連想する人々が非常に多いが、本来人類にとって宗教とはかけがえのないものであり、倫理や道徳心の根源であった。
ただ、どの宗教が良いのかという優越論は人によって違いがあり、簡単には答えの出ないものであることは間違いないだろう。
だが、政治の腐敗の最大の原因が「倫理観の欠如」「道徳心の欠如」「隣人愛の欠如」であることは論を待たない。その結果、国民を顧みることなく、自らの立場と所属する政党と支援する集団等のための政治を行うことになる。ここに立憲主義も国民主権もありはしない。
口ではうまいことを言い、きれいごとで並べ立てるが、その裏側では差別主義、独裁主義、権力志向で固まっていく。こうして権力は固定化、増大化していくことになり、逆に国民の権利と幸福は縮小していくことになる。
すべては「倫理」や「道徳」、「隣人愛(政治の場合、国民への愛)」が欠落しているためであり、その根源にあるのは唯物論的価値観なのです。これを一言で言うと「宗教心の欠如」となる。
私は個人的には、現代に鈴木義男という人物が生きていいて政治の世界にいたならばと虚しい願いを抱いている。
一言付け加えると、統一教会とは偽キリスト教であり、その真の姿は宗教を隠れ蓑とした政治革命集団であると指摘しておく。同時に日本を属国支配するためのアメリカ合衆国が仕組んだ属国統治の道具でもある。
鈴木義男という人物の功績を考えると、一番際立っているのが「人格的生存権を新憲法に加えた男」という代名詞だろうと考えられる。
《鈴木義男を世に知らしめたきっかけとは?》
おそらく鈴木義男という人物を世に知らしめたのは、NHKが2017年に放送したNHKスペシャル『憲法70年“平和国家”はこうして生まれた』であろうと思われる。そのなかで憲法9条1項の平和条項挿入への鈴木義男の関与を取り上げている。また、2020年にはETV特集『義男(ギダン)さんと憲法誕生』が放送されている。
鈴木義男が日本国憲法制定(実際は修正)に深く関与したと言われているのは、9条1項の平和条項の“挿入”、生存権に関する25条1項の“新設”、17条と40条(国家賠償請求権と刑事補償請求権)の別規定化、6条2項の“修正”(最高裁判所長官の任命を天皇とすることで司法権の独立を明確にした)ことなどがあげられる。
ただし、25条に生存権規定を“挿入”することは鈴木義男個人によるものではなく、社会党の修正案である。
主に鈴木義男が憲法改正に関与する(社会党草案は除く)のは、GHQ民生局による「GHQ草案(マッカーサー草案)」が政府の手に渡ったあと「政府案」となり、日本政府側による「政府案」を検討するための「帝国憲法改正委員会小委員会」での関りによる。
この小委員会に同じ社会党の森戸辰男もいた。今回は参考書籍の関係で鈴木義男にスポットライトを当てたが、森戸辰男も新憲法制定過程において影響を与えたことは間違いない。
書籍『平和憲法をつくった男 鈴木義男』では、日本国憲法制定過程における重要条文の「生みの親」として鈴木義男を評価するものとなっている。
この「重要条文の生みの親」という言葉こそが、鈴木義男を評価する正しい表現である。
重要な点は、鈴木義男が日本国憲法の“どの条文に関わったのか”であり、それが意味すること自体が鈴木義男という個人が日本国憲法の草案作成者ではないこと、及び指導的立場ではないことを逆に証明していることとなることだ。
要するに、鈴木義男の日本国憲法制定過程におけるかかわりを見ていくと、「政府案」に対して、“挿入” “新設” “修正”をしたことにつきる。だからといって重要でないとは言わないが、それは日本国憲法の草案(土台)を生み出したのではなく、新憲法制定(手続き上は明治憲法からの改正)の主導権を握っていたわけでもない。
これを音楽に例えると、作詞、作曲という曲の創造にはかかわっていないが、編曲(アレンジ)に関わっていたということ。当然ならがプロヂューサーでもない。
この実態をもって「鈴木義男という人物が平和憲法(日本国憲法)をつくった男」と評価することは、あまりにも誇張し過ぎであり、もはや虚偽(フェイク)というレベルと言える。
なお、『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という意味は、日本国憲法自体を作ったという意味ではなく、「政府案」を「平和」という理念に基づく憲法に“変えた”という意味だと主張しても、それは通らない。その証明はこのシリーズ記事を読めばいたるところで立証される。
《鈴木義男の経歴》
〈学者としての鈴木義男〉
鈴木義男は、1894年(明治27年)1月17日、福島県西白河郡白河町で生まれた。
白河小学校卒業後、宮城県仙台市にあるミッション・スクールである東北学院普通科(中等部)に入学。卒業後は仙台にある第二高等学校に入学。
『福島県史』には、「河村洋次郎牧師から受洗し、後にメソジスト教会に転会した」と記されているが、『平和憲法をつくった男鈴木義男』の著者によれば、彼の洗礼の記録は不確定とされている。だが、一般的には彼をクリスチャンと言っていいのではないかと考えられる。
1915年7月に二高を卒業し、同年9月に東京帝国大学法科大学法律学科に入学する。
大学生だった頃の鈴木義男は「学者になること」が念願であった。
大学在学中、政治史講座を担当していた吉野作造と再会。吉野作造は鈴木義男にとっては二高の先輩であり、同じクリスチャンでもあり、大きな影響を与えた人物。
鈴木義男に大きな影響を与えた人物である吉野作造の思想をみてみよう。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
民本主義が「一般民衆の利益、幸福、並びに其の意向に重きを置くという政権運用上の方針」と定義され、「政治の目的」が一般大衆の利益・幸福に置かれること、「政策の決定」が一般民衆の意向によって行われることが三大綱領とされている。そして、それを実現するための措置として、普通選挙による政党政治の確立、言論の自由の保障などが必要であるとしている。
(『吉野作造選集2 デモクラシーと政治改革』より)
★補足説明:『民本主義』とは、大正時代に政治学者吉野作造が提唱したデモクラシーの理論。天皇主権の明治憲法下において、主権は天皇とするが、政治を行う目的は国民の利益にあり政治の運用は民意に従うべきであるとする理論、大正デモクラシーや普通選挙運動の理論的支柱となった。
また吉野作造はこうも言っている。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
「言論の自由と国家の干渉」という論文を執筆し、国家は言論や学問の自由・独立に干渉してはならないと主張している。
(『吉野作造選集3 大戦から戦後への国内政治』より)
吉野作造に関して、ディープステート研究者である私からすると非常に気になることがある。それは吉野作造がヴェルサイユ条約の意義やその締結に主導的役割を果たしたウィルソン大統領の手腕を高く評価していること。
この一連の動きは闇の世界権力の仕組んだことであることは、ディープステート研究では知れ渡っていることであり、ウィルソン大統領自身が秘密結社の人間であることは知る人ぞ知る事実である。
ただし、ネットもない時代の当時としてはそうした「秘密中の秘密」を知ることは至難の業だったことは間違いない。問題は、吉野作造が単純にウィルソン大統領の手腕を評価しているだけなのか、吉野作造自身も秘密結社のメンバーなのかということ。この記事では論じない。
上記の内容(民本主義)は、現代の日本人が読めば「当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、日本が敗戦するまでは天皇に主権があり、国家の統治は天皇を中心に動いていたので、当時の日本の状況としては革新的な主張(内容)である。こうしたことは現代の価値観から判断すべきではなく、その当時の社会状況から判断すべきなのだ。
1919年7月、東京帝国大学法学部の助手採用試験に合格。同年9月法学部の助手として勤務する。公法研究室に所属し、美濃部達吉の門下生となり「行政法の研究に従事」することになる。
助手2年目の1921年、東北帝国大学法文学部の教授に内定。
助手の任期終了間際に、文部省在外研究員として欧米留学(約2年8ケ月)する。
この留学において特筆すべきは、第一次世界大戦最大の激戦地といわれたヴェルダンを訪れたこと。戦争の悲惨さを目の当たりにしたことは鈴木義男の人生観に大きすぎる影響を与えたと思われる。鈴木は、ヨーロッパ各国(各地)を視察することで第一次世界大戦という世界を巻き込んだ世界戦争による破壊が計り知れないことに痛感し、この戦争を人類の一大愚挙と評している。
★補足説明:「ヴェルダン」とは、フランス共和国内のヴェルダンであり、その地を舞台として繰り広げられた「ヴェルダンの戦い」で70万人もの負傷者を出したとされる。
帰国後、東北帝国大学教授職に就任。
留学において、鈴木の学問・研究に最も影響を与えたのはドイツでの学びや経験であった。
留学の成果としては、「人格的生存権」の考えを習得したことがあげられる。
人格的生存権とは何か?
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
人の生存はその人格と分離して考うべからず。人は単にその動物的生存を完うするを以ては人としての生存を逐ぐるものと云うことを得ず。従て生存権を認証する社会に於いては人の生理的生命の保障を出発点とすれども社会文化の進展に応じてその社会、その時代に許されたる最小限度の「人らしい生存」を保障するものならざるべからず。
~中略~
飢ゆるものの食を求むるの権利はその一部のみ。人格の保障は他の重要部分なり。
ここに人間は、単に動物のように生きるために必要な最低限の生活(食など)をすればいいのではなく、「人として」「人格を持った存在として」の生存を保障する法が必要であるとする法理論があらわれている。
東北帝国大学教授をしていたころ、陸軍省・文部省の共同で打ち出された「軍事教育案」を鈴木義男は批判している。
★補足説明:「軍事教育案」とは、現役将校を公立・私立を問わず中等学校以上の各学校に配属し、学校教育の一環として軍事教練を行わせようとするもの。
鈴木義男の考えは、学問の自由を堅持するものであり、学問と軍事の分離にあり、普通教育の場に軍事教育を持ち込ませることの弊害として学問・思想・言論の自由が脅かされることを憂いた。
キリストの精神を持っていた鈴木義男にしてみれば、「敵をも愛せよ」という教えと、「敵を倒す術」を教える軍事教育が同一教場において教えられることが大きな矛盾として映ったと言える。
鈴木義男の思想は、学問・思想・言論の自由は政治的・軍事的圧力によって抑制されるものではないというもの。これらの自由は何者かによって弾圧されるものではなく、むしろ保障されるべきものであるとしている。民本主義国家において、思想・言論・表現・出版・結社・学問・報道などの自由は政治的・軍事的圧力によって抑制してはいけないものなのです。
この頃の日本では「赤狩り」が起き始めていた。これによって鈴木義男は文部省作成の「左傾教授」リストに掲載された。つまり「鈴木義男はマルキスト」というレッテルが貼られ、「不本意な出版事件」を契機に東北帝国大学評議会で辞職決議がなされ、学問の世界から身を引くことになる。
〈弁護士時代の鈴木義男〉
学問の世界から身を引いた鈴木義男は、弁護士に転身する。弁護士としての鈴木義男は、弱い立場に立たされた人々の弁護を引き受け、やがて人権弁護士としての名声を不動のものにする。この弁護士時代に「治安維持法違反」の弁護をした経験や社会的姿勢が後の日本国憲法制定時に発揮されることとなる。
鈴木義男のもとには多くの治安維持法違反の嫌疑をかけられた人物たちの依頼が舞い込むことになるが、そのなかに後半で語ることになる鈴木安蔵(やすぞう)もいた。
他にも「京大事件」「帝人事件」などの弁護を引き受けている。
おそらくこうした「赤狩り」を通して鈴木義男が強く感じたこととは、刑事被告人に対する人権蹂躙であろうことは容易にわかる。当時の警察は、「殴る蹴る、指の間に鉛筆を挟んで置いて固く握るとか、鞭で叩くとか、変なつるし方をする」といった物理的拷問、「偽装温情」「詐言」などの心理的拷問が横行し、社会問題となっていた。
戦後の民本主義国家としての日本と戦前の天皇制国家の違いは数多くあるが、この「拷問」という点は特に国民にとっては知って欲しいことであり、こうした物理的拷問・心理的拷問が横行した背景を理解するべきである。
こうしたことに対する鈴木義男の主張は以下の通り。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
刑事被告人と雖もその人格は尊重されなければならず、その自由は不必要に妄りに侵犯されるべき筈はないのである。
現代社会では当たり前のことだが、当時の日本社会では現代社会とは違った価値基準で動いていたということ。
これは、戦前戦中までは、国家権力が人々を抑え込む強大な力を持っていたことであり、その先兵として警察権力があったということである。
この戦前と戦後の違いを知ることなくして改憲護憲論争は不毛であると言っておく。実はこの話は改憲護憲論争に関係あるのです。
当時は、現代で言うところの「国民の人権」は非常に薄い(軽い)ものであったのだ。
弁護士時代の鈴木義男の特徴として、「いかなる思想も法律で裁くことはできない」という主張(法理論)がある。戦前戦中は「左翼」は監視および処罰の対象であり、「共産主義(マルクス主義)」は許されない事だった。
現代人は、“現代社会の視点”から日本国憲法制定に関することを読み解こうとするが、それはナンセンスというもの。当時の社会規範、社会風潮、法律等を照らし合わさなければ憲法改正の動きを正しく読み解くことはできない。
重要なことを指摘する。
それは近代刑法理論の大原則だ。
「法律が裁くことができるのは行為であり、行為として実行されていない思想はいかなるものであっても裁けない(思想そのものは之を処罰しない。又処罰するに適しない)」
というもの。
これは日本国憲法にあるところの「内心の自由」のことである。なぜ言論の自由が大切なのかと言えば、それは言論の自由が内心の自由の発露であるからに他ならない。
戦前戦中の日本では、行為として実行されていない思想、つまり「内心の自由」が守られていなかったということ。
鈴木義男の思想は、「内心の自由」にとどまらず、内心の自由によって発揮される「言論の自由」と内心の自由を充足させる「学問の自由」という“個人の自由”を保障するべきという法理論を持っている。
なお、治安維持法違反では「マルクス主義者」だけではなく、キリスト教徒にまで及んでいる(キリスト教牧師の安倍豊造などがいる)。
これがどういう意味かと言えば、神道(天皇)中心主義と違うまたは反するまたは脅かす思想等への排除に他ならない。実際に、明治維新後神道以外の仏教、キリスト教などが弾圧を受けている。これは天皇中心主義を守ろうとする動きに他ならないが、これこそが戦前戦中の日本の大きな特徴であり、なおかつ最大の欠点でもあった。
つまり、戦前の天皇制国家とは宗教に対して不寛容であったということ。宗教に対して不寛容ということは人々の「内心の自由」が保障されていなかったということ。なぜならば「内心の自由」の究極こそが「信仰」だから。
このことは、マッカーサー(GHQ)草案作成において大きく影響することになる。
また、弁護士時代の鈴木義男から見てとれることは、「裁判は政治ではない」という政治と裁判の分離の考えがある。しかし現実には弁護士の力だけでは国家権力に対抗するに如何ともしがたいことを感じたことは間違いないだろう。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
戦争の激化に伴い、治安維持法違反で不当に逮捕・検挙される者が後を絶たず、そのたびに鈴木は法律の限界に直面していた。つまり、法律のみで政治を抑制することはできず、人権侵害を止めることはもはや困難であるという現実と向き合っていたのである。
こうした経験を経て、鈴木義男は終戦を機に政治家に転身する。
〈政治家時代の鈴木義男〉
鈴木義男と日本国憲法制定に関して決して見逃せないのが、高野岩三郎を会長とする「憲法研究会」に参加したことであることは間違いない。
憲法研究会という民間組織は、「憲法は改正しなければならないと提唱し、草案を作成した」人たちの集まりである。
憲法研究会の母体は、日本文化人連盟創立準備の会(1945年11月5日設立)。
鈴木義男は、常任理事に就任していた。
1946年4月10日、戦後初の衆議院選挙(投票日)が行われ、福島全権区で日本社会党(社会党)から立候補し、初当選する。
1947年片山内閣にて司法大臣に就任。つづく芦田内閣にて法務総裁(国務大臣)を務めた。なお、法相は当初別の人物の予定だったが、GHQ民生局が鈴木義男を「公平かつ誠実な人物」として強く推したことで選ばれた。
こうして政治家としての道を歩み出した鈴木義男は、「国民に公約した政策はどしどし実行に移して戦後国民の安定を図ること」、「わが党の案と、現内閣の案のよいところを取って立派な憲法を作る」と抱負を述べている。
つまり、初当選してすぐに鈴木義男は、新憲法制定に関わることとなったということ。
鈴木義男は、その頃、社会党の司法調査部長に加えて「憲法主査委員」にも任命されていて、事実上、社会党の憲法改正案審議に際しての最高責任者となっていた。
帝国憲法(明治憲法)の改正案は1946年2月から3月にかけてGHQ草案を“手直し”するかたちで幣原内閣によって作成された。いわゆる「政府案」である。こうして以後GHQ草案(マッカーサー草案)は「政府案」と呼ばれることになる。
その後、天皇の最高諮問機関である枢密院による11回の審議を経て、6月25日に衆議院本会議に上程(じょうてい)された。
翌日の6月26日の本会議にて鈴木義男は総括質問を行っている。そのなかで以下のような発言をしている。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
戦争の放棄は国際法上に認められて居ます所の、自衛権の存在までも抹殺するものでないことは勿論であります。併し軍備なくして自衛権の行使は問題となる余地はないのでありますから、
日本国憲法は日本人が作った、憲法研究会が作ったと主張している方々は、この鈴木義男の発言を深く胸に刻むべきでしょう。
平和の理念を憲法に刻むこと(平和国家実現するための条項を憲法に入れること)は、自主独立の国家としての自衛の権利を奪うものではないのです。
本来国家としての自衛権はあるべきだが、“軍備を持たないことによって”現実論として自衛ができない状況であるということ。
〈戦争と平和について〉
だが、私は思う。
国家の使命、役割とは領土、領海、領空そして国民の生命と財産を守ること。そのために国家機能を維持することにある(自民党の改憲案、国会機能維持条項=緊急事態条項のことではありません)。この国家に課せられた使命というべきものを果たすためには当然国家の自衛権(自国を自衛する自由)がなくてはならないのです。自衛権を認めるならば自衛軍を持つしかないのです。しかし日本国憲法は「戦争の放棄」と「軍備を否定」しているにもかかわらず「自衛隊」というどこからどうみても軍隊組織が存在しているという憲法とは矛盾した現実が横たわっているのです。
はっきりと言います。
自衛隊はどこからどうみても軍隊です。
ただ呼び方を「じえいたい」と呼び、9条によって戦争ができない状況にあるということだけであり、これは誤魔化し以外のなにものでもないのです。
つまり、9条の規定と現実が一致していない状況であるということであり、それが意味することとは憲法秩序(憲法の規定)がすでに“破られている”ということです。これが現実です。
破られているが、誤魔化している、という状況だということ。
ただ、重要なことは、日本国民のほとんどが「戦争をしたくない」と思っていることです。
日本が民主主義国家であると言うならば、その「民意」を受け止めて政治を行わなければなりませんが、高市早苗氏率いる自民党は逆行する政策をとろうとしているのです。
国家論から言えば、自衛権を持たない国家とは「独立した主権国家とは呼べない」ということです。それは属国であり、植民地なのです。
軍隊があることが「即戦争」ではないのです。その思考は戦後GHQによる洗脳によって出来上がった価値観なのです。
読者にお聞きする。
世界中の国家で軍隊を持っていない独立国家が存在すると思いますか?
地球上に存在する国家(日本以外)が侵略や戦争を仕掛けてこない平和国家だと思いますか?
軍隊があれば即戦争になると思いますか?
軍隊があることは即侵略行為に結びつきますか?
この部分が、戦後の占領政策であるWGIPによって洗脳された結果として、日本国民の思考が歪んでしまった点であることを指摘しておく。
ここに現代の日本国民にまでつづく「GHQの毒水」があるのです。これは日本人に対する「洗脳」であり、日本人は洗脳されたことに気づかず、というよりも自ら洗脳の海に浸っているというのが、現代の日本国民の多くに見られる現象なのです。
ここに横たわっているのは間違いなくGHQによる占領作戦であり、その最大のものがWGIPなのです。WGIPに関しては次編で扱います。
この部分も改憲護憲論争に絡んでいるのです。
重要なことなので繰り返します。
独立したる主権国家が、軍隊を持つ=自衛権を持つ、ということは世界常識であり、国家としての使命を果たすための必須条件なのです。
ただし、「軍隊がある=侵略が可能」ではなく平和を望む国民の声が政治に反映される民本主義(民主主義)および文民によるシビリアンコントロールによって軍事を独走させない政治体制、社会構造が必要なのです。この場合の文民とは反日であってはならないことは明白です。ですから帰化人が国会議員に“原則”なってはいけないのです。この政治システムが正しく機能するためには純粋な日本人(帰化人ではない人)が政治を行い、おなかつ反日ではないことが必要なのです。
それに加えてシビリアンコントロールの頂点である内閣総理大臣が戦争肯定思想を持っていないこと、国民の声や意見を軽視する又は無視することがないこと、他の国家の言い成りになって日本国を戦争に巻き込まないことが最大の問題なのです。この部分も議論されないこと自体が大問題なのです。
戦争を止める最大の効果であり、最大の課題とされることは、「兵器を持つこと=軍隊がある」ことではなく、“平和を望む国民の声に時の権力者が答えるか否か”ということこそが根本の問題なのです。“平和を望む国民の声に時の権力者が答えるか否か”ということは“政治権力が国民の自由と人権を踏みにじって独裁権力を持たない”ということであり、最高法規の日本国憲法をもとにして立憲主義を守るということなのです。ですから国民が平和を望むならば、“最高法規である日本国憲法を武器として政治権力の暴走を止める”しかないのです。憲法の大原則とは、国家権力から国民の自由、人権を守るために政治権力に“足かせ(拘束力)”をするものなのです。国家権力の暴走、濫用を止める力こそが憲法なのです。ですからこの帰結として、国民の自由、人権を奪う(削減、縮小)方向で憲法改正をしようとする政治勢力とは独裁に走り出した政治勢力だということなのです。
日本人が考え直さねばならないこととは、「軍隊が存在する=侵略戦争が起きるまたは侵略ではなくても戦争が起きるという思考」でしょう。
戦争はするべきではなく、侵略など白人国家が数百年行ってきたことであり、国際連盟において「人種差別撤廃条項を制定」しようとした日本人が好むものでもないのです。
平和条項があるのはいいが、それが国家の自衛権まで否定するということが意味することは、独立国家ではない、主権を持っていない、ということなのです。主権を持っていない国家の運命とは属国の運命であり、主(あるじ)の国の言い成りとなる国家となる。これがいまの日本の現状です。
これは戦争を肯定しているのではなく、あくまで国家のあるべき姿としての自衛権を肯定しているのです。
ですが、戦争反対と単純に叫ぶ人たちは「自衛権」さえも否定するのです。
個人に自由や人権があるように、国家にも「国家を守る自由(人権と同じ意味を持つ国家権)」があるのです。自衛権を認めるならば軍隊を持つ必要があるということになるのです。
戦争反対を叫ぶのはいいでしょう。ですがそれが行き過ぎた主張である「自衛権の否定」は国家の否定であり、自らが自らを否定していることに他なりません。
問題は、自衛権(軍隊)があるかどうか、自衛権を憲法に明記するかしないか、ではなく「国家権力者が“誰”なのか」、「国家権力者の思想や理念、信仰や信条がどのようなものなのか」、「国家運営の政権がどのような政策を持っているのか」、「国家権力者の政策が実現するとどのような社会に変貌するのか」ということなのです。
つまり、国民の生命財産を守ることを最優先する政治家がシビリアンコントロールによって国家運営をするのか、それとも好戦的な政治家が権力の座につくのか、ということが問題なのです。
政治家が国家権力を濫用し、暴走し、自ら法秩序(憲法含む)に反し、国民の生活を蔑ろにし、主権者である国民の言論(声)を無視または弾圧し、無益な戦争に国民を駆り立てない制度が存在しなおかつ正しく機能しているのか、民主主義のシステムが正しく機能しているのか、ということなのです。
正しく民主主義の機能が働き、政治家が真に国民のことを最優先に考えるならば、そう簡単に戦争(特に侵略戦争)など起きません。それでも起きる戦争とは、国民の命(食糧、エネルギーなど)を守るための自衛戦でしかないのです。
それでも戦争は悲惨なものであり、起こすべきではなく、そのために外交というものがあるのです。
戦争とはクラウゼヴィッツが言うように「政治の延長線上にあるもの」だからです。
だからこそ、外交において反日思想を持つ政治家の存在を許してはいけないのです。
反日思想を持ってはいけなのは、外交部門だけではなく、政治家そのものになってはいけないと言えます。より正確に言うとするならば、反日思想を持つ者を政治家に“させてはいけない”のです。ここに民主主義の特徴であり欠点があるのです。
民主主義とは結局、「多数をとったものが舵取りをする」なのです。
残念ながら、民主主義制度は最高の政治システムではないのです。
民主主義は、主にメディア等によって世論を操作され、あるいは洗脳され、国民が衆愚化され、世論を誘導する者たちによって間違った方向に連れて行かれやすいシステムでもあるのです。
この民主主義の欠点を利用しているのがディープステートと呼ばれる者たちであるのです。
〈政治家時代の鈴木義男、つづき〉
話しを戻すと、「平和憲法をつくった男」と称される鈴木義男は、「国家の自衛権を肯定している」ということです。
これは正しく法の原理、政治哲学を学べば必ずそうなるのです。
ただし、上記の発言のすぐ後に、以下のように主張している。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
併し軍備なくして自衛権の行使は問題となる余地はないのでありますから…。
~中略~
今日は世界各国団結の力に依って安全保障の途を得る以外ないことは世界の常識であります。加盟国は軍事基地提供の義務があります代りに、一たび不当に其の安全が脅かされます場合は、他の70数箇国の全部の加盟国が一致して之を防ぐ義務があるのである、換言すれば、其の安全を保障せよと求むる権利があるのでありますから、我々は、消極的孤立、中立政策を考うるべきではなくして、あくまでも積極的平和機構への参加政策を執るべきであると信ずるのであります。
「平和主義」の鈴木義男のもう一面がここにある。
戦後の世界情勢を鑑みれば、「世界各国団結の力に依って安全保障の途を得る以外ないことは世界の常識」と言っているのだから、鈴木義男が「国連中心主義」あるいは「国際組織中心主義」であることは間違いない。これは「国際協調主義」でもあり、国際社会が手を携えて平和を構築することによって、日本が軍事力(軍隊)を持たなくても平和を実現できるとする考えに他ならない。
つまり、鈴木義男は、本来は国家には自衛権はあるべきと認めつつも、GHQ草案によって「戦争放棄」の原則が入れられたので、“別の方法によって平和を実現する”と言っているのだ。
しかし、2026年の現代人から見ればこれがいかに滑稽であるかがわかる。ウクライナ戦争で国連が戦争を終わらせる何らかの役割を担ったのか? イスラエルとパレスチナの紛争に置いて、国連が平和の橋となり得たのか? 答えはどちらも「NO!」だ。
国際連合という組織は、世界平和など実現できていないし、本音ではする気もないということ。なぜかと言えば、国際連合とはディープステート(闇の世界権力)の組織だから。
ここで「日本国憲法は日本人が作った」、だから平和を守ることが大切なんだという主張をしている人に聞きたい。軍隊を持たず、自衛権まで否定したならば、日本国はいかにして国民の生命と財産、生活を守るのか? と。その政治理論を提示してほしい。
こうした方々の中には、ただただ「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は平和憲法だから改憲してはいけない」と叫ぶが、ではどうやって国防を考えているのかを示さない。
国防とは、あなたの命、あなたの大切な家族を守ることである。
ただし、国防に関して最も重要なことは、自前の軍隊を持つかどうかの議論ではなく、“誰が”国家権力を握るのか、ということに尽きる(誰がという意味にはどの政治勢力がという意味が含まれる)。要するに“誰が権力者となるか”という問題こそ、軍隊があるかどうかより上位に位置する最重要論点であり、平和国家を維持するか戦争に突入するのかの鍵を握っているということ。
戦争をするか、平和を維持するか、という最重要であり、最上位に位置する論点とは、「誰が国家権力を持つのか」ということに尽きる。
例えで言えば、鈴木義男のような人物が軍隊を持つ国家の元首となっても、おそらく戦争を起こさない、または戦争を回避する政治を行うと思われる。
鈴木義男は、「加盟国が一致して之を防ぐ義務がある」と主張しているが、国連加盟国が一致団結して戦争、紛争、経済的危機、人種問題等の解決をしたことなどない。
鈴木義男という人間は「理想主義」が強すぎると言っておく。
理想を描くことは人類が持つ特権であるが、現実を直視しない、または本質を見抜けない理想(論)は不毛なだけだ。
ただし、国際連合発生当時では、国連の正体を見抜けなくても仕方がないと言える。
戦後間もなくの当時であれば、戦争への嫌悪、否定に染まっていても仕方がないと言える。
さらには「あくまでも積極的平和機構への参加政策を執るべき」と言っていることが、私には虚しく聞こえる。なぜならば、敗戦によって日本がGHQからなされた占領政策をまったく理解していないからだ。
これは立場の違いも関係している。当時は天皇中心主義だったので社会主義、共産主義は異端的な扱いを受けていた。それがGHQによる占領革命によって今でいうところのリベラル派が息を吹き返した。
だから、当時の保守層と鈴木義男などの社会主義者、共産主義者たちはGHQの占領政策に対する考えが真逆に近いほどの位置付けとなっていた。
著者の仁昌寺正一氏も、「鈴木は、『戦争の放棄』は自衛権までも放棄するものではないとしつつ、国際連合という『積極的平和機構』への参加によってこそ、日本の安全を確保しうると主張している」と語っている。
1949年には、日本社会党の中央執行委員を辞任する。原因は、同年1月に行われた戦後三回目の衆議院選挙で社会党が大敗したこと。
1954年頃になると、社会党は左右分裂を起こす。左派が民主社会主義連盟をつくる。右派に属する鈴木義男は右派社会党の中央執行委員に就任する。
〈鈴木義男の法律哲学とは?〉
鈴木義男の法律哲学は「新カント派」の立場であり、経済的には「搾取なき社会」の立場であり、身分的には「差別的身分の世襲なき社会」の立場であり、国際社会の考えにおいては「合理的国際組織の力」による国際秩序維持の立場を取っている。
こうした立場を理解しないと、鈴木義男の日本国憲法制定の過程の言動が理解できない。
鈴木義男が理想としていたことは「デモクラシーと国際友愛」であると言える。
鈴木義男という人物は、学者(大学教授)、弁護士を経て政治家となった人物であり、日本社会党で6期、民主社会党で1期ほど衆議院議員を務めた人物。
ですから鈴木義男という人物について語るならば、「学者(教育者)としての功績」、「弁護士手の功績」、そして「政治家としての功績」の3つの視点で見る必要がある。
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)②】につづく
参考書籍
書籍名:『平和憲法をつくった男』
著者名:仁昌寺正一
出版社:筑摩書房
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

