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『ゲームという仮想世界の闇』

【ゲームという仮想世界の光と闇】

進化するゲームの世界やネットの世界には、光と闇がありんす。
光の部分に関しては、こちらの記事をご覧ください。
『ゲームという仮想世界の引力』

このブログでは、『闇』の部分に焦点を当ててみたいと思うでありんす!
やくたいもなかったら、ごめんなんし!
(「やくたいもない」は、役に立たないの意)

【ゲームに依存する青年の日常】

ある20代の青年の例です。
勤めていた会社の上司が厳しい人で、失敗すると怒られたり殴られたりしました。
そうした日常に青年は「現実は嫌だ!」と思ってしまいます。
青年は会社を辞め自宅に引き籠ります。
2年間まったく部屋から出ない。
1日20時間ゲームをやり続ける。
2~3日、寝ず食わずでゲームに没頭する。
仕事はない。
家族とも口をきかない。
友だちもいない。(ゲームの仲間を除く)
やがて青年は現実の世界とのつながりを捨て、ゲームの世界に居場所を求めていくようになってしまいました。

やがてこう思うようになります。
「家族はゲームの中にいるから現実の家族はいらない」
「ゲームを止めてしまったら自分の価値がなくなるのではないか」
「このままでは、生きていけないのではないか」

現実からの逃避と突き放す人もいるでしょう。
確かにその通りかもしれません。
ただ、そうなったのにはそうなる事情がある場合があることと、時代の環境(ゲーム環境)という影響があることは否定できません。

現実生活を上手く生きられなくて、仮想世界に自分の居場所を求める。
思春期にはよくあることかもしれません。
しかし、20代になり30歳を過ぎてと年齢があがってきたときに、そのままでいいのかということは避けられない現実としてあるのです。

例で示した青年の場合は、インターネットに繋がらない環境に置かれると「手の震え」や「破壊衝動」があらわれたのです。
無意識に物を壊したり、殴ったりしてしまいます。
さらに悪夢を見て、「自分が殺される夢」や「人を殺す夢」を見たりするようになります。

その後、青年はゲーム依存症と診断されました。
青年はネット依存専門の外来で治療することになったのです。
ネット依存で外来に来る患者の9割がゲーム依存症だといいます。
しかも、そのほとんどが未成年者なのです。

青年は通院しながら治療を行い、就労施設に通って社会復帰を目指すことになりました。
この青年は昼夜逆転の生活を改めて、自分がやりたいことを見つけて、仲がいい知り合いや友人を増やし、就職していこうと考えを変えて、新しい人生を歩み始めました。

【ゲーム依存という闇】

ゲームの世界にのめり込むと昼夜逆転の生活になってしまうことがあります。
一日中ゲームをし続け、学校や仕事に行くことが出来なくなります。
現実の人間関係を捨て、仮想世界で人とのつながりを持とうとします。
家族とさえまともに関係を保てなくなります。

仮想世界にのめり込む人には共通する傾向があります。
それは「現実世界で辛いことに耐えることに弱い」という点です。
何か人間関係でトラブルや嫌なことがあると、それを解決したり努力して克服しようとするのではなく、その現実から逃げてしまうことです。
悪いのは自分ではなく相手の方だと決めつけてしまいます。
そして、辛い現実から逃げる逃避先として、ゲームなどの仮想世界に夢中になってしまうのです。

なぜこうなるのか?
それは、ゲームなどの仮想世界では「みんな僕のことを分かってくれる、聞いてくれる、話してくれる」と思えるからです。
つまり、仮想世界の人間関係では否定されたり、怒られたり、イジメられたりしないからです。
だからこそ、自分は受け入れられた、自分の居場所を見つけた、と思うのです。
でも、それは同じ境遇や似たような価値観を持つ人たちが集まっているので、当然の結果といえばその通りなのです。
それは実生活を共にしていないからこそ可能な人間関係なのです。

でも、人間は人間の中でしか生きていけません
「人」という文字が表しているように、人と人はお互いに支え合って初めて生きていける存在なのです。
ですから、自分の存在が現実に世界の中で誰かの役に立つことがあってこそ生きていると感じられるのです。
生身の体を持った人生を生きている以上、どんなに辛くても現実世界と離れては生きていけないのです。

ゲームなどの仮想世界にのめり込むと「ゲーム依存症」「ネット依存症」になってしまいます。
こうなると社会生活は出来なくなります。
いくら仮想世界が居心地良くても、ゲームが楽しくても、現実に人間が生きていくためにはお金が必要です。
人間は一人では生きていけない、というのが真実です。
生きるには食事をします。
コンビニで買ってきた弁当だって、それを作っている人、運ぶ人、販売するお店の人などが働いているから弁当を食することが出来るのです。
ゲームに必要な環境だってすべて誰かの仕事で作られた世界なのです。
なのに、毎日部屋に引きこもってゲームだけやって生きていていいのでしょうか?
という問いかけが普通に日常生活をしている人たちの意見なのです。

【ゲーム依存に危機感を持ち始めた世界事情】

ゲーム依存は日本だけの問題ではありません。

《WHOの驚きの発表》

WHOでは昨年の5月にゲーム障害を新たな病気と認定しました

〈ゲーム障害〉

これらの状態が1年以上継続する場合は治療が必要な精神疾患だと定めたのです

《ネット先進国韓国の規制》

約9年前、韓国では国がオンラインゲームに規制をかけました。
オンラインゲーム・シャットダウン制 2011年施行)
これは深夜0時~朝6時の時間帯に16歳未満のネットゲーム接続を制限、またはゲーム提供を中断するという法律です。

《日本で初めての調査》

ゲームと生活習慣に関する初の全国規模での調査が昨年行われました。
それによると、10歳~29歳の3人に1人が平日に2時間以上ゲームをしていると回答。
なかには6時間以上と答えた人もいました。

ゲームを行う時間が長くなればなるほど、仕事や学業に影響が出ることはすでに社会調査によって明らかになっています。
しかも、ゲームをプレイする時間が長い人ほど、仕事や学業に影響が出てもプレイを続けていることが分ったのです。

ゲームにはまっている人たちの多くが、実は「自分はゲームする時間を管理し、自分をコントロールできている」と思っているのです。
ですが、客観的に見ている人からすれば「全然できていない」と思えるのです。

ゲーム依存になる人には共通することがあります。
それは「現実世界の対人関係が上手くいっていない」
「現実社会での達成感もうまくできていない」
「現実社会の中でゲーム以外に生き甲斐があまりない」
あるいは「現実世界の中でゲームほど熱中するものがない」
ということです。

ゲームの世界では、やればやるほど強くなっていきますから、現実では得られなかった達成感を簡単に得ることが出来て、それが引力となりゲームという仮想世界にどっぷりとはまってしまい抜け出せなくなるのです。

【ゲーム依存の悪い影響】

ゲームに依存する傾向が進行していくと脳内の血流が下がっていき、前頭前野の機能が下がっていくのです。

前頭前野は人間の理性を司る器官と言われています。
つまり、衝動を抑えたり、感情をコントロールしている前頭前野の機能が低下することで欲求を抑えられなくなり、ますますゲームに依存してしまうのです。

前頭前野は年齢と共に発達していくので、たとえば小学生がゲームに依存すると自分の衝動をコントロールする力よりもゲームの衝撃のほうが強いため、ゲーム依存から抜け出すことが困難となります。

ゲームという仮想世界に依存してしまうと、ゲームという仮想世界だけに生き甲斐を求め、「現実世界はいらない」と思うようにまでなってしまいます。
そうした生き方は人間としての真の喜びを得られない生き方であると思えます。

【ゲーム依存から抜け出す】

《宗教的観点からゲーム依存を見る》

ゲーム依存症になっている人を宗教知識から読み解くとどうなるか?
それは極度の憑依現象になっていると思われます。
憑依現象とは、地獄霊や不成仏霊(天国へ還れない霊)などがその人にとりついている状態のことです。
地獄霊や不成仏霊にとりつかれると生活が乱れ、仕事や学業などに対する意欲が薄れ、何らかの理想や夢に向けて努力するといった意識がなくなり、ただ楽なことを求め、自分を甘やかす方向で生きていくことを選択する生き方となってしまいます。
現実世界の人間関係も上手くいかず、理性や倫理からはみ出した価値観に染まってしまい、自己中心的な人生を送るようになります。

簡単に言うと宗教的な価値観からすれば、ゲーム依存症は天国的な生き方ではない、ということです。
逆に言えば、地獄的な生き方ということです。
(依存症などのやり過ぎた状態の場合です)

《スポーツとゲームの違いとは》

Eスポーツなどのゲームは現実の肉体を使うスポーツと同じようで違う部分があります。
それはラグビー、サッカー、野球、フギュアスケート、武道などのスポーツは自分の肉体を酷使することです。
肉体を鍛えることは苦痛ですが、肉体を鍛えることで、実は精神を鍛えているのです。
スポーツや武道の本質は精神(心)を高めるために肉体を鍛え上げている、辛い練習を行っているのです。
ですが、ゲームは指と頭は使うかもしれませんが、そもそもスポーツのようにその競技の技を一から習得するものではありません。
ゲームは誰でも簡単にプレイできるようにプログラムされているのです。
その土台が始めにあって、そこから上手くなる強くなるという世界が展開するのがゲームの世界なのです。
その範囲はプログラムした存在の手の中にあるといっていいでしょう。

つまり、ゲーム開発者の想定の範囲内しか向上も喜びもないということです。
それはまるでお釈迦様の手の中から出られなかった孫悟空のようなものなのです。
そこに一抹の寂しさがあるのです。

《ゲームに依存してしまう危険性》

ゲームに依存している人は、ずっとやっていても飽きません。
これは明らかに中毒症状と言えます。
例えは悪いですが、煙草や麻薬と同じようにゲームには中毒を起こさせる力が働いているのです。
煙草は体に良くないと思っているがやめられない。
麻薬は止めたくても禁断症状が出てきてどうしてもやめられない。
ゲームにも禁断症状と中毒性があるのです。

ゲームに関して言うとするならば、今のところ法律と世の中の認識が時代の流れに追いついていないということです。

WHOがゲーム依存を精神疾患と定めたことの意義は大きいと思います。
今後は増々拡大を続けるゲーム業界およびゲーマーとそれを規制しようとする力の対立が表面化するでしょう。
はっきり言えば、国家単位、地球単位で規制をかけることが真剣に考えられてくるでしょう。

お酒も、煙草も適度であれば良いストレス発散となります。
生き抜きとなります。
ゲームも同じです。
仕事や勉学の合間の息抜きとすれば問題はありません。
ですが、ゲームは簡単に喜びを得ることが出来るものなので、どうしても中毒になってしまいがちです。
理性よりも欲求を優先させるようになってしまいます。
辛い練習や勉強よりもゲームに心がひかれてしまいます。
心のバランスを失ってしまいます。
心の欲求を我慢できなくなってしまいます。
心をコントロールすることが出来なくなってしまうのです。

「ゲームがやりたくてやりたくてしょうがない」
と思うようであれば、すでにゲーム依存です。

ゲームに心を支配されてはいけません
人生のなかで真に喜びをもたらすことは、人と人との中にあり、生き甲斐や夢の中にあるのです。
辛いことを乗り越えてこそ、本当の喜びは得られるのです。
ゲームにのめり込み過ぎず、現実世界の中で生き甲斐を見つけて人生を送って欲しいと思うでありんす。

【ご意見番からのメッセージ!】

「ゲームは中毒性がある。ゲーム依存は病気!」

「ゲームよりも大事な生き甲斐を見つけることが人生では大切!」

お読みいただき、ありがとうござんした!

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