『働かないニートにもの申す! ~働くことの意味を考える~』

今回は世間で「ニート」と呼ばれている人と、ニートしている子を持つ親御さんに向けた記事でありんす。

【ニートとは?】

ニートとは、「Not in Education,Employment or Training,NEET」という英語の略称で、就学・就労していない、または職業訓練も受けていないことを意味します。

日本では、15~34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指していて、「若年無業者」と呼ばれています。

なんだか、差別用語みたいで、この時点でニートの人からクレームが来そうな感じでありんす。

でも、世間では、ニートしている子を持つ親御さんたちが心を痛めているようです。

新型コロナウイルス発生以前の大学生の就職率は98%でした。
つまり、働こうと思えばいくらでも就職先があったにも関わらず、定職に就かない人たちが一部いる、ということでしょう。

ですが、新型コロナウイルスによって、経済活動はガタガタとなり、内定を取り消す企業、雇用を控える企業が増え、いまや就活には難しい時代となってしまいました。
また、今後は大企業であっても倒産する可能性が高いので、いままでの価値観ではやっていけない時代となりました。
将来を考える若者も我が子の未来を応援する親御さんにとっても辛い時代となりました。
時代はコロナ不況下でのサバイバルとなってしまったのです。
ただでさえ就活が難しくなった面があるのに、働かないで家に引き籠ったり、好きなことだけして過ごすニートは社会問題のひとつでありんしょう。
ニートしてる若者たちは、そう思っていないでしょうけど。

ということで、今回は若者ニートの言い分を聞きながら(ニートについて全部を語ることはできませんから)、ニートということについて考えていきたいと思うでありんす。

【ニートが世間からどう見られているのか?】

世間では「働かない若者」を十把ひとからげに「ニート」と呼んでいるようです。
けんど、病気やケガなどのなんらかの理由で働きたくても働けない人はニートとは呼ばないでしょう。
呼んではいけないでありんしょう。

心身ともに健康でありながら、学問をしているわけでもなく、家事手伝いをしているわけでもない人をニートと呼ぶべきでありんす。
就職先を探しているが、なかなか就職できない人はニートではなく「失業者」です。
そうでなく自らの意思で「働かないことを選択している人」をニートと呼ぶべきでありんす。

《世間のニートに対する見方は?》

「その気になれば、いくらでも仕事はあるはずなのに働こうとしない」

「ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のこと」

「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ」

「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね。私にいわせりゃ穀つぶしだ」

《2種類のニート》

『好きでニートになったわけじゃないニート』

ニートといっても、事情は人それぞれです。
ですからあまり大雑把に考えるのもよくないと思う。
それはニートをしているが、好きでニートになったわけじゃない人がたくさんいるからです。

就活したが、書類選考が通らない、面接しても通らない。
やりたいことが分からない。働かなければいけないのは分かっているけど社会に出る気力がでない。
つまり、なんらかの障害があって、それを乗り越えられなくてニートになってしまったということ。
ただし、それでもニートであることに変わらない。

問題は、継続して就活や社会復帰をしているかどうか、という点だ。
それらの努力をしているのならニートではなく、リハビリ中の失業者、就活中の失業者となるからだ。
なんらかの障害などが原因で働くことを諦めた人はニートと呼ぶべきである。

『好きでニートしている本格派ニート』

ニートを語る上で一番の核心部分がこの「好きでニートしている人たち」だろう。
狭義的にはこの人たちこそニートの本丸だ。
ニートの中のニートと呼ぶべき人たちは、いったい何を考えているのだろうか?

【ニートの言い分とご意見番の考え】

《ケース1》

『親は子どもを勝手に産んでおいて、20歳になって世話が面倒くさくなったらからもう面倒をみる義務がないと追い出す。俺らはペットか? 産んだのだから一生面倒見るべきだ』(20代男性)

〈ご意見番の意見〉

「勝手に産んでおいて・・・」とありますが、子どもが生まれてくるときの親の気持ちをこの人は知っているのでしょうか?
それは何ものも代えがたい喜びなのです。
そう、親にとって喜びという幸福感をもたらしてくれるのが子どもの誕生なのです。
ですから、勝手に産んだのではなく、喜びをもたらし、親から愛を受けてこの世に誕生したのです。

この人は人間と動物の違いについて考えたことがないのでしょうか?
動物の世界では、一人で(一匹?)生活できるようになれば親は世話をしません。
親の役目とは、子どもが独りで生きていけるように育てることだからです。
なぜなら、順当にいけば親のほうが先に死ぬからです。
百歩譲って親がずっと子どもの面倒をみたとしても、先に死んでしまったら親は子どもの面倒を最後までみることができません。
だからこそ、親である自分がいなくても生きていけるように育てるのです。

それが「親の愛」なのです。

この方は親の愛というものをひとつも理解していないようです。
親は子どもの奴隷ではありません。
動物だって、大人になれば自分で狩りをしたり、食料を探して生きていきます。
ならば、大人になっても親に育ててください、面倒をみてください、というのは親を奴隷か使用人としか見ていない傲慢な考えです。

《ケース2》

『理想は週2日勤務。週5日も働きたくない。働きたい人だけ働けばいい』(20代女性)

〈ご意見番の意見〉

将来はきっと週休3日の時代がやってくるかもしれません。
ですが、大企業でも休みは週2日。
職種によっては週に1日しか休みがない人たちもいます。

それが現状(事実)だ。

なのに、「私は週に2日しか働きたくない」とは・・・。
その発想は「地球は私のために回っている」という天動説です。
自己中心的な発想です。
事実は、地球が回っている地動説です。

大事なことは、世の中はあなた一人のために動いているのではない、という事実です。
いくら「週2日しか働きたくない」と主張してみても、そうした社会とはなっていないのが現実なのです。
物事や世界を自分中心で見ていては本当の世界は見えてきません。
「世界はあなたを中心に動いていない」というのが現実なのです。

《ケース3》

『就職したけど、向いてないと思って辞めた。やりたくない仕事をやりたくない』(20代男性)

〈ご意見番の意見〉

そもそも仕事論を言えば、「やりたい仕事だけする人」なんていないというのが人間社会の現実である。
好きなことを職業にしている人は多い。
野球が好きだからプロ野球選手となって活躍する。
将棋の才能があって好きだから、プロの棋士になった。
料理をすることが好きだから料理人になった。
貿易がやりたくて商社に入った。
絵を描くことが好きだから漫画家になった。
人を笑わせることが好きだからお笑い芸人になった。

はたしてニートの人たちは、こうした人たちの実際の生の声を聴いたことがあるのだろうか?

自分がやりたくて選択した職業に就いたとしても、なにからなにまで完全に好きなことだけやっている人など絶対にいない。

それが現実だ。

好きなことを職業としても、必ず依頼や客の要望に応えるために意に沿わないことをする。
そこに仕事の本質がある。

仕事とは「他人を喜ばせるもの」「他を楽にすること」「他者に奉仕すること」「客の幸福を創造すること」なのだ。

つまり、仕事とは自分の幸福を最優先するのではなく、他者の幸福をつくり出し、他者になんらかのサービスを提供することで、その見返りとしてお金を得、やりがいや喜びを感じるものなのだ。
自分のしたこと(仕事)が誰かのために役立ったことで、幸福感を味わうものなのだ。

ニートの発想は、逆である。
なにからなにまで自己中心的な発想に終始している。
自己中心的な発想で社会を見れば、「やりたくないことをするくらいなら働きたくない」となる。
また、やりたくないことに耐えて、辛いことを乗り越えて仕事をする大きな理由の一つに、「大切な家族を守るため」というものがある。

つまり、自分が生きていくためよりも愛する家族の生活を守るために嫌なことまでして働いているのだ。
これも家族という「自分以外の存在のため」なのだ。
それが人間というものだ。

「やりたくない仕事をやりたくない」という論理がまかり通るなら、とっくの昔に人間世界は崩壊し、人類は絶滅している。
人類が絶滅せずに、社会があるということは、「やりたくない仕事をやっている人」が世の中に溢れているからだ。

それが事実だ。

《ケース4》

『僕はニートだけど、誰にも迷惑をかけていない。別に犯罪をしているわけじゃないのに、周りから悪者みたいに言われる。働くことがそんなに偉いのですか?』(24歳男性)

〈ご意見番の意見〉

「働いていないけど、誰にも迷惑はかけていない」、なるほど、“迷惑”はかけていないのかもしれませんね。
ですが、アチキはこう言う考えの人に言いたい。

あなたが毎日ご飯を食べ、布団(ベッド?)で寝ることができ、病気になれば治療をしてもらえ、好きな場所へ移動でき、スマホやPCを使用したりできるのはなぜですか?

それは簡単なことです。
“誰かが働いてくれているから”です。

つまり、あなた以外の多くの人たちが汗水たらしてストレスと闘いながら、人間関係に苦しみながら働いているからこそ、あなたは趣味を楽しむことが出来るし、飢え死にすることもないのです。
そう、あなた一人が生きていくために多くの仕事をしている人たちが存在しているのです。
あなたは多くの人たちの世話になっているのです。

それは事実です。

世話という語彙が気に入らないのなら、多くの仕事をする人たちの“おかげで”生きていくことができているということです。

「働くことがそんなに偉いんですか?」
偉いですよ!
それがなにか?

だって、働いている人がいるから、買い物ができ、移動することができ、治療を受けられ、趣味を楽しめるのですから。
立派に他人の生活を支えているじゃないですか!
それを偉いと呼ばずしてなにを言う?

嫌なことでも耐えて、汗水たらして必死に働くこと、ダサいですか?
逆です。
嫌なことを我慢してでも愛する家族を守り、自分のやりたいことをする時間を削り汗水たらして働くことで誰かの役に立つこと、立派じゃないですか! カッコいいじゃないですか! 偉いじゃないですか!

逆にアチキがニートの人に質問します。
「ニートってそんなに偉いんですか?」
「ニートのどこが偉いんですか?」
「ニートやっていて、自慢できますか?」
「ニートしていて得られる喜びはなんですか?」

ニートの人たちは仕事終わりに飲むビールのおいしさ、クタクタになって働いた後の休日の解放感と満足感、そうした体験をしたことがないのでしょう。
(ちなみにアチキは酒が飲めません)

真の幸福とは“苦労の先”にあるものです。
長く続く喜びとは“努力の向こう”にあるものです。

それがニートの人には分からないのでしょう。

【ニート生活は本当に幸福なのか?】

ニート経験者が語っています。

「暇な時間を自分の好きなことだけしている生活って、最初は楽しいんだよね。でも、大きな贅沢ができるわけでもないので、単調な毎日は必ず飽きるんだよね」と。

ニート生活とは、自分のやりたいことだけしている消費オンリーの生活です。
なんら生産性のない生活です。

世の中には「代償の法則」というものが働いています。

何かを得るためには何かを失う。
何かを失っても別の何かを得る。

というものです。

自分の好きなことをしないで、辛い仕事をすることで家族を養える、趣味に掛けるお金がつくれる。
だけど、好きなことだけしている人は、いやな仕事をしないですみますが、その代わりお金を得ることができないので活動の範囲(やれること)が狭まる。
また、達成感や充実感を得ることはできない。

ニートの人は「好きなことをやっている」その裏で、実は「失っているものがたくさんある」という現実を直視したほうがよろしいでしょう。

ニート生活は、人間関係をも破壊します。
なぜなら同級生などの働いている友人たちと会話がかみ合わなくなるからです。
価値観がずれます。
さらに、収入のないニートと働いて収入がある人の日常ではさまざまな行動に違いがでます。
「飲みに行こうか?」と誘われても、「旅行に行かないか?」と誘われても、「お金がないから・・・」と断ることに。
そうしたことが数回続けば、誘われなくなり、友人関係も冷えていきます。
働いていないニートはそのことをひけ目に感じて、接触をさけ、ますます自宅に引き籠ります。
こうしてニートの悪循環に陥ります。

「嫌なことをして働いている奴はバカだ」と見下していたはずが、気が付くと、働いて収入を得て、休日を楽しみ、趣味にお金をかけ、異性とデートを楽しむ友人の姿を眩しく思えてしまうのです。
友人を見下していたはずが、うらやましく見えてしまうのです。

はたしてニートは何を得たのでしょうか?

【ニートを待ち受ける未来とは】

ニート生活を長く続けていれば、「社会復帰なんて無理」という気持ちになってしまいます。
そしてズルズルと時間だけが過ぎていきます。

ニートの定義で34歳までとありますが、実際は中高年のニートも存在します。
ニートの人たちが直視しない問題に日本社会の就職、転職の年齢があります。
転職や就職に関して見えない壁のようなものが日本社会には存在します。
はっきり言えば、35歳という壁です。
35歳を過ぎて、ニートしかしていなかった人たちは就職することが至難の業となります。
社会が受け入れようとしないからです。
これは日本社会の悪いところでありますが、現実でもあります。

だから、30歳を過ぎてニートをしていると、あるとき「よし、働こう!」と思っても、働けなくなる。もしくは働ける仕事や会社がすごく限られたものとなってしまうのが現実です。
それを望むのでしょうか?

現実として知ってもらいたいことがあります。
現実の日本社会は、未経験の30代を雇うのであれば、若い新卒を採用します。
多くの会社が求めているのは、経験豊富な即戦力になりうる能力を備えた中堅社員です。
20代をニート生活に費やして、30代になって働こうとしても、いままでニートをしてきた代償を払うことになるのです。

現実として、30代以降のニートが就職できる会社(仕事)は、人気のない仕事に限られてきます。

辛い仕事、キツイ仕事、危険な仕事の3Kです。
また、収入の高い職種にもつけません。
そうなると就職しても生活するのが精一杯で、趣味に掛けるお金を生み出せなくなります。
つまり、自分の好きなことが限定されてしまうのです。

昔話ではありませんが、嫌なことをした人は好きなことが出来るようになり、好きなことばかりしてきたニートは好きなことが出来なくなる、ということなのです。
好きなことがしたくてニートをしていたはずなのに、おかしいですね!

収入が安定しなければ結婚もできません。
「金の切れ目が縁の切れ目」という諺があるように、好きな人ができて、ずっと一緒にいたいと思って結婚を考えても、ニートをしていたら無理です。
ニートから抜け出したとしても、ニートをしていた期間とニートをやめたときの年齢がその後の人生に大きく影響します。
そもそも社会的な繋がりが希薄なニートには、異性との出会いが少ないものです。
現代は、マッチングアプリという便利な手段がありますが、そのほとんどで女性は男性の収入を考慮します。
はっきり言えば、高収入の男性をゲットしようとする女性、またはそうしたことを目的としたマッチングアプリの方が多いのが現状です。
(そうでないアプリも女性もいる)

ニートにとって最大の協力者であり、最後の砦がでしょう。
「産んだのだから最後まで面倒を見ろ」
などとのたまうニートもいるくらいです。

ですが、親は通常であれば子供より先にあの世へ行きます。
つまり、面倒を見たくても最後まで面倒を見ることなど到底無理なのです。
それが親には痛いほど分かっているから、独立して人生を生きていけるように「働きなさい」と説教するのです。

その“痛さ”は「愛」なのです。

「働け、働けと、ずいぶん俺の親は嫌なことばかり言うな~」と思うかもしれませんが、それは愛ゆえなのです。
「親の心、子知らず」とはこのことです。
親が面倒をみてくれるから嫌な仕事なんかしなくても生活が出来ると考えているのなら、それは“破滅への道でしかない”、ということを知るべきでしょう。

【ニートする若者へのメッセージ】

「ニートとは、大人になることを拒絶した精神的幼子です」

「ニートとは、自己中心的で怠け者です」

「ニートとは、自己弁護ばかりして逆に自己を破滅へと追い込んでいる愚か者です」

「ニートの人は、誰かが仕事をしているおかげで生きているという事実(現実)を直視するべきです」

「禍福は糾える縄の如し」
という諺があるように、努力と幸福は裏表です。
ひとつのコインなのです。

辛い仕事は解放感と充実感を与えてくれます
逆に、自己の利益ばかり追い求めたものは、結局なにも得ることができないのです。
“得た”、と思った喜びや楽しみはあぶくのようにすぐに消えてしまう儚いものに過ぎません。

未来に目を向けてください。
いまあなたが食事をし、ゲームを楽しめるのは、誰かが働いているからです。
もし、ニートの考えが正しかったとして、ニートする人が増え続けたとしたら、どんな社会になるか想像してください。
電力会社の人たちが「こんな仕事やってられない」と思ってニートになったら、テレビを見ることもゲームをすることもできなくなります。
あなたが楽しんでいるゲームも過酷な業務をこなしてゲームソフトを制作している人が働いたからあるのです。
もし、ゲーム制作をする人たちが「仕事なんかやってられない」と言ってニートになったら、あなたは新しいゲームソフトを手に入れることはできないのです。

誰かが汗水たらして野菜を作らなければ、牛や豚を飼育する人がいなければ、食糧品を運ぶ人がいなければ、スーパーなどで働く人がいなければ、レストランなどの食事を提供する仕事をする人たちがいなければ、ニートの人は腹を満たすことが出来ないのです。
日本中が総ニートになったら、原始生活となってしまいます。

確かに日本社会には、さまざまな問題点があります。
人に優しい社会とはいえません。
若者が将来に希望を持てる社会とは呼べないこともその通りでしょう。

「一時の楽」を選択することで「取り戻せない苦難」をしょい込み、みずからの人生を破滅させてしまうのです。
この世は不浄の世界であり、苦労、困難から逃げ出すことができない世界です。
ですが、苦労の中で蓮の花を咲かせることが出来た人には喜びが待っています。
苦労から逃げようとすると、苦労が何倍にもなって襲ってくる。
それが人生です。

苦労することから逃げずに戦った人だけが、「人生に悔いなし」と言えるのです。

苦労が多いこの世の人生で、自らを燃焼させた人だけが「人生に悔いなし」と言えるのです。

ニートの人たちは人生を終えるとき「人生に悔いなし」と言えるのでしょうか?

ご意見番は、ニートの人たちが希望を見つけ、人生を歩み始めることを祈ります。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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