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『安倍晋三元首相のご冥福をお祈りいたします。 ~元首相暗殺は動乱の幕開け!~』

はじめに

7月8日、元総理大臣の安倍晋三氏が演説中に襲撃され命を落されました。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

この件は国内だけではなく、海外にも衝撃を与えたことでしょう。
なぜならば、「暗殺」だからです。

この件で今何かをいうことは不遜に当たるかもしれないし、アチキが語ることではないかもしれません。
しかし、「世直しご意見番」を名乗るからには一言言っておくべきではないか、と思い記事にします。

なお、アチキは警備の専門家ではありません。
ですが、思うことがあるのでここに伝えます。

安倍晋三元首相の暗殺は防ぐことができた!

《前置き》

安倍晋三元首相の襲撃の様子はここで説明するまでもないでしょう。
アチキが今から語る見解はあくまでもマスコミの報道(情報)が正しいならば、という条件がつきます。
こうした件では、後から違う情報、真実などが出てくる場合が多いからです。
その点、ご了承ください。

また、奈良県警の警官とその家族にとっては読むに辛い内容かもしれません。
アチキは特に奈良県警に恨みはございません。
その点、ご理解ください。

《安倍晋三元首相の暗殺は防げた!》

アチキは報道の内容を見て、「この暗殺は防げた」と思いました。
それを素人ながら話します。
最後の項で語りますが、この件は単なる元首相の暗殺というだけに終わらず、国家規模の危機を意味していると思うからです。

アチキが思うに、何段階か防ぐポイントがあったと思われる。
しかし、各ポイントを警備側が不十分な体制だったため、暗殺は成功してしまった、と思っている。

〈警備に不向きの場所〉

演説場所は背後に車が通り、聴衆も留まることが出来る場所。
演説には良いかもしれないが、要人警護には適さない場所だったこと。
別な言い方をすると360度の警戒が必要な場所であること。
まずここが重要です。

この認識から、警備体制は導き出されなければならないからです。
360度警戒しなければならない場所において奈良県警がそれにふさわしい警備体制を取っていたのか?
これがはじめに来る問題点です。

360度とは言っても、警備を考える上で暗殺や襲撃があるならば、敵はどこから責めてくるのかというポイントを見抜いて警備にあたる必要がある。
ただ、やみくもに360度警戒するというのではいくら人数があっても足りないだろう。
それとどんな事件(爆発、銃撃等)がありうるかを想定し尽くしていたのか、ということがポイントとなる。

ここがまず出発点。
アチキにはこの出発点からお粗末と思える。

〈後方を警戒する警備が1人?〉

安倍晋三元首相が応援演説をしている背後が手薄だった。
360度警戒しなければならない場所においては、前方よりも後方をより警戒しなければならない。

なぜなら、前方は本人の目も、警備(SP等)の目もあるからだ。
しかし、後方は隙が生まれる。
だから、安倍晋三元首相と背中合わせになり、後方に目を向ける警備は最低でも前方への警備と同等(同数)の警戒をしなければならない。
報道によれば、後方に目を向けていたのは1人~2人ということだった。
あまりにもお粗末。

暗殺(襲撃)を警備するならば、その目線や思考は暗殺者の目線と思考で想定しなければならない。
集団での襲撃でなければ(単独という意味)、背後を狙う(隙のあるポイント)のが常道である。
よって、あの場所での警備の最重要ポイントはどう考えても「背後」である。
背後の警備をおろそかにしていた、という点で奈良県警及びSPには責任がある。

〈襲撃犯は演説が始まると動き出した?〉

襲撃犯は、安倍晋三元首相が演説を始めると立ち位置を変更(移動)している。
通常、演説が始まって動く人間はいない。
特別な事情が無い限り。
つまり、警備としては、演説が始まって動く人間、挙動不審な人間を‟即マーク”しなければならない。

マークしたら、その人物の一挙手一投足に注意を向けることだ。
安倍晋三元首相の側にいるSPはその人物と要人との間に入り(可能なら)、周辺の警備は、不審な動きをする人物に近づく。
こうした警備体制が甘かった、と言える。

〈1発目の爆発音の後〉

一発目の爆発音(銃声)の後

ここが最重要ポイントです。

安倍晋三元首相の命を守ることができた最後のチャンスがここである。
アチキはここを考えると悔しくてなりません。
なぜなら、「防げたはずだ」と思うからです。
安倍晋三元首相は「命を落さないで済んだはずだ」、と思うからです。

おそらく奈良県警らは、爆発音が「銃撃」であることが衝撃音から即時判断できなかったのだろう。
銃撃なのか、爆弾なのか瞬間的に判断がつかなかったのだろう。
手製の銃であるがゆえに、聞きなれた銃声と違った為であると思われる。
しかしである。

要人警護をしている方々が、大きな爆撃音(銃声や爆弾音)を聞いたときにやらねばならぬことは、「要人を力づくで伏せさせること」である。
要人を地面(下面)に伏せさせ小さくさせたうえで、SP(警備)が幾重にも覆いかぶさることである。
つまり、SP(警備)は要人の「盾となって守る」のである。
これを言うのは酷なのだが、要人警護とはそういう役割なのです。
そういう使命を帯びた仕事なのです。

問題は、1発目が安倍晋三元首相に当たっていたなら、SP(警備)も防ぎようがないが、今回の銃撃は2回銃弾が発射されていること。
ここが命の分岐点であった。
安倍晋三元首相が生き残れたはずの分岐点であった。

なぜ、1発目の衝撃音の後、直ぐに安倍晋三元首相を伏せさせると同時に覆いかぶさらなかったか?
ということです。
この暗殺は防げたはずです。
奈良県警が会見で述べたように、「明らかに警備に落ち度があった」のです。

《暗殺事件が起きたそもそもの問題点》

おそらくアメリカ合衆国のような銃社会ではない日本において「銃による暗殺」など起きるはずがない、または可能性は低い、と考えていた国民が圧倒的多数ではないでしょうか?
それは警備の専門家である警察も同じだったということを証明したのです。

こうした事件を考える上で根本から考えるならば、「日本において銃撃による暗殺事件が起きるかもしれないと本気で思っていたのか」、という根源から考えなければいけません。

人間の行動は「思考」から生まれます。
「認識」していないことは判断できません。
判断を間違えれば過ちにつながるのです。

奈良県警のみならず、警察関係者のすべてに申し上げる。
上記の認識を本気で思っていたのか?
真剣に心の奥底から認識して警備を担当していたのか?
それをご意見番は問う!

Twitterで「#安倍晋三の国葬に反対します」がトレンド入り?

《#安倍晋三の国葬に反対します」というワードがトレンド入り》

7月11日、Twitterのトレンドに「#安倍晋三の国葬に反対します」というワードがトレンド入りしていました。
アチキが確認した時は、3万3千くらいだったものが、みるみるうちに5万を超えていきました。
しかし、翌日見てみると、トレンド入りから外れていました。

ことの発端は岸田総理の発言のようです。
これについてご意見番から一言申し上げることがござりんす。

《国葬とは?》

「国葬」とは?

ウィキペディアから引用

国家に功労のあった人の死に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のこと。
(功労のあった人とは、君主、皇族、王族、政治家、軍人、学者、芸術家、宗教家、環境保護活動家など)

戦後の政治家で過去国葬となった人物は、吉田茂氏しかいません。

《安倍晋三氏の国葬について》

「安倍晋三の国葬に反対します」とツイートしている方々の中心は間違いなく反自民もしくはアンチ安倍でしょう。
逆に「安倍晋三の国葬に賛成します」とツイートしている方は自民支持または安倍晋三氏に対して友好な方々でしょう。

これについて語ると1記事文となってしまうので簡単に要点を語ります。

一番重要なことは、どんな政治家、どんな人間であっても、その人の死にあって喪も明けないうちから悪口や非難をすることは礼儀知らずだと!

アチキは個人的には安倍晋三氏は政治家として功罪両面あると思っています。
ですが、喪中にはたとえ宿敵(天敵)であってもその死を悼むのが礼儀です。
それが人間というものです。
宿敵や嫌いな人間の死を喜ぶのならば、それは獣の心です。

ただ、国葬に反対しますという声をあげた方の気持ちは理解できます。
なぜなら、安倍晋三氏が政治家として立派であったとしても、それが「国葬に値するのか」という問題は国民の問題でもあるからです。
ですから「国葬に関して」は国民が声を寄せることは主権者としての権利であると思われます。
しかし、単なる悪口や人格攻撃、こうした機会を利用しての誹謗中傷はいけません!

《騒動の裏にはスパイあり!》

もうひとつ申し上げることがござりんす。
これはあくまでもご意見番の私的見解であると前置きしますが、こうしたSNS上の騒動の裏にはスパイ(工作員)の存在があることが予想されます。

五毛党などの共産系の工作員が暗躍していると思われます。
その点、関係ないと言われる方はご注意ください。
工作員の思惑に踊らされますから!

元首相暗殺は「動乱の時代」を示唆している!

《動乱の時代の幕開け!》

歴史上、権力者が暗殺されるという事案は「動乱の時代の幕開け」です。

日本人は平和ボケし過ぎです。
平和は平和を唱えていれば実現するものではありません。

ご意見番として今回伝えておきたいことは、安倍晋三氏という個人を国家に置き換え、暗殺者という個人を侵略国家に置き換えてみて欲しい、ということです。

すでに語りましたが、警察全体に平和ボケがあります。
真の意味での警戒心がありません。

これは政治家一個人の問題ではなく、日本という国家の姿を現しているものです。
「警備→国家防衛」と置き換えると、安倍晋三氏が助かった命であったにもかかわらず命を落したように、侵略されなくていい国家(日本)が侵略(攻撃)されてしまうということと同じである、と思えるのです。

日本は中国と北朝鮮の核ミサイルで狙われています。
その上、岸田総理の間違った判断によってロシアを敵としてしまいました。
中国と北朝鮮、そしてロシアの3国から同時攻撃(戦争)を仕掛けられたら、日本は守ることはできません。

アメリカ合衆国が果たしてどれだけ日本のために動きますか?
アメリカ合衆国は中国などと戦争をするとしても戦場が日本となるなら喜んで戦争するでしょう。
日本は日本の為に防衛を考えなければならないのです。
安倍晋三元首相暗殺は動乱の時代の幕開けです。

安倍晋三元首相の暗殺事件は、日本という国家が危機対応のできない国家であることを証明してみせたのです。

スパイ(工作員)が入り込み、核ミサイルで狙われている。
なのに、憲法9条も変えられないならば、日本は侵略され、支配される運命にあると言えます。
安倍晋三元首相の暗殺事件は、日本という国家の危機管理能力の甘さを露呈させたのです。

もう一度言います。
権力者が暗殺されるということは、歴史認識からすると「動乱の時代の幕開け」です!
日本国民はいま、真剣に考える必要があります。
決してDSの意向を受けているメディアに騙されないことです!

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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