事件・事故
『JR東日本宇都宮線の暴行事件における正当防衛を考える! ~JR東日本宇都宮線の男子高校生の勇気ある行動にエールを送る!!~』
極悪人はなぜ極悪なのかといえば、自分が罪を犯してもその罪を認めようとしないからです。 社会から正義が廃れれば廃れるほど、悪は増殖します。 社会に正義が広がれば拡がるほど、悪は衰退します。 見て見ぬフリをせず、周りにいる人が「自分ができること」をする。 被害者を守るために立ち上がって一致団結する。 そうしたことが安心して住める社会、心温まる社会を実現すると信じています。
『こんなにある警察の事件・不祥事!【2021年上半期】 ~堕落する警察官と腐敗する警察組織に国民は怒るべき!(シリーズ3)~』
国民、市民にとってはいざとなった時に、警察に頼るしかなく、頼りにしたい存在である。 なのに、これでは犯罪を取り締まり、国民を悪事から守るどころか、自ら犯罪行為をする。 この現実に国民は怒るべきである。 なぜなら、警察官を雇っているのは国民なのだから。 基本的に彼らの給料は税金なのだから。
『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【後編2】 ~驚きの「少年法改正案(素案)」の提言!~』
未成年だからといって「イジメ抜いて自殺に追い込む」ことは凶悪な犯罪である! 少年による犯罪の抑止を考えるならば、「加害者となった少年が嫌がることをする」というのが戦術的発想です。 それは「成人と同じ処罰」です。 罪と罰は釣り合っていなければいけないのです。
『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【後編1】 ~「少年法」は被害者と遺族の感情を無視する法律!~』
少年法は「はじめから犯罪行為をした少年に有利な法律」なのです。 加害者の少年サイドに立って、犯罪行為を行った少年を救済することを目的とした法律なのです。 別の言い方をすると、「犯罪への断罪」という視点が欠落しているのです。
『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【中編2】 ~無責任で無慈悲な教師たちを糾弾する!~』
未成年だから許されるということは間違いです。 誰も責任を取らないというのは、「被害者無視」「被害者軽視」です。
『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【中編1】 ~無反省の加害少年たちを糾弾する!~』
人間は不完全な生き物である。 だからこそ、「悪を犯した罪」よりも、「悪を犯したにもかかわらず罪を認めない罪」のほうが重い罪なのだ。
『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【前編】 ~旭川の事件は「イジメ」と呼ぶべきではなく、「間接的殺人」と呼ぶべき!~』
すべての人に伝えたいことがある。 爽彩さんという14歳の中学生がなくなったことを他人事とは思わないでください。 あなたが爽彩さんの親だったら。 あなたが爽彩さんの家族だったら。 あなたが爽彩さんの心を通わせた友人だったら。 そう思って考えてください!
『木村花さんを誹謗中傷した男性、出廷せず! ~悪質で卑怯な人間には徹底的な制裁を!~』
「見ず知らずの素性もなにもわからない存在から攻撃される」という恐怖と苦しみである。 「心の価値」を認める社会にならなければ、ネット上の誹謗中傷もなくならないし、そうした事案が裁判で正しく裁かれることはないだろう。 少なくとも“億”の損害賠償が請求できるようでなくては社会から誹謗中傷によって自殺する人を救う力とはならないだろう。
『こんなにある警察の事件・不祥事!(2020年下半期) ~堕落する警察官と腐敗する警察組織に国民は怒るべき!2(提言付き)~』
「ある出来事」や「特定の情報」などを、ずっと継続して見て行くと、なぜか見えてくるものがある。 それは「傾向性」であったり、「特徴」であったりする。 「点」では見えてこないものが「線」そして、「面」となると浮き彫りになるものがある。 今回の『2020年下半期版』に公表されている警察官による事件、不祥事を見ていくとあることに気がつく。 それは・・・?
『東池袋自動車暴走死傷事故の初公判の「嘘」を見破る!【後編】 ~裁判における問題点を追求する!~』
裁判とは「真実を明らかにする場」であることだ。 初公判で「暴走したのは車に何らかの異常が生じたため」と断言できることはあり得ないのです。