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『8月15日は「終戦の日」では、ありません! ~間違った歴史認識を改めること。それが自分の国を愛すること!~』

はじめに

8月15日にTwitterを見ていたら、やたらと、今日は「終戦記念日」、今日は「終戦の日」といった言葉を目にしました。
また現職の議員、政治活動をしている人、言論人までが「終戦記念日」「終戦の日」と言っていることに驚きました。
(なかには知っているがあえて使用している人もいると思います)
これについて、あ~知らないんだな!と、深く感じ取ったのと、それは真の意味での愛国心にはならないと思ったので、今回の記事を書くことにしました。

たしかに知らなくても仕方がないかもしれません。
なぜなら、本当のことを学校でも教えないし、テレビも伝えない。
こう言っているアチキもある程度の年齢までは、同じように8月15日は「終戦記念日」と思っていたからです。

これは「洗脳」なのです。
あるいは「間違った歴史観」なのです。

ラムザイヤー論文によって「従軍慰安婦」が“虚偽”であったことが決定的となりました。
また、「南京大虐殺事件」も“でっち上げ”である証拠が数々示されています。
間違った歴史観は修正されなければなりません。
なぜなら、そこに「愛国心」の問題があるからです。

自分の国を愛せない国民が多くいる国家は衰退し、滅亡に向かうしかないからです。

滅亡には、他国からの侵略(支配)も当然含まれます。
自分の国を愛せない国民は、簡単に外国に自国の領土や資産を敵国に渡してしまいます。

愛国心を保つには、その国の民が正しい歴史認識を持ち、かつ“愛する”ことが必要なのです。

正しい「終戦記念日(終戦の日)」とは?

《「終戦」は、国際法で規定されている》

国際法では、戦争についてさまざまな規定があります。
国際法(戦争状態)には「戦時」と「平和」の区別があります。
また、戦争の終わりについては明確に規定されています。

〈戦争と終わりとは?〉

『戦争の終わり』

停戦=戦闘の終結部分的(一時的)な終結を前提とする。
休戦=戦闘の終結全面的な終結を前提とする。
終戦=戦争(事変等含む)そのものの終結

国際法では、「戦争とは宣戦布告で始まり、講和条約発効で終る」と定められています。

もう一度言います。

戦争の終結は、「講和条約の発効日」なのです。

《正しい「終戦の日」とは?》

では、大東亜戦争(日本における第二次世界大戦)の終戦記念日はいつでしょうか?

日本国の正式見解は、昭和27年(1952年)4月28日です。

これが正しい「終戦の日」または「終戦記念日」です。

1952年4月28日とは、いったいどういう日なのか?
前年の9月8日に首相の吉田茂らがサンフランシスコで調印したサンフランシスコ平和条約を発効する日です。
つまり国際法でいうところの「戦争の終結」です。

《正しい「8月15日」の意味とは?》

ただしい8月15日の呼び方(認識)は、「敗戦記念日」です。
「敗戦記念日」とは、天皇の呼びかけによって日本国民が「敗戦を認識した日」または「敗戦を悟った日」なのです。

平易な表現で言うならば、日本軍の最高司令官である天皇陛下(昭和天皇)が、国民に「これ以上戦うなと呼びかけた日」であり、国民が天皇陛下の「これ以上の戦いは無益であるという呼びかけに従順に従った日」なのです。

天皇陛下(昭和天皇)がお伝えになった「ポツダム宣言の受諾」とは、日本軍が敗北し、日本が降伏することになったということであり、天皇陛下の玉音放送を聞いた国民はそれに従った、ということです。

戦争の定義でいえば、「停戦」=部分的または一時的な終結でしかないのです。

《なぜ天皇陛下は玉音放送で国民に呼びかけたのか?》

詳しく書くと膨大な量になるので、一つだけ書きます。

日本は全国民総動員体制で戦争を行っていました。
女性も子供も竹やりを持って、本土決戦に備えて民間人までが戦う姿勢を見せていました。
日本軍の最高司令官でもある天皇陛下は、国民の血を流すことを望まなかった、これ以上国民を苦しめたくなかった。
日本という国体を考えると、戦争を継続する意思を止める最も効果があるのが「天皇陛下による呼びかけ」だと、昭和天皇は深く理解していたのです。

ですから、首相ではなく天皇陛下自ら国民に呼びかけたのです。
まさに国民を愛し、国家を愛した天皇陛下でした。

《8月15日を「終戦の日」となぜ呼ぶのか?》

多くの人たちが「終戦の日」と呼ぶ8月15日とは、いったいなんでしょうか?

昭和20年(1945年)8月15日というのは、日本が連合軍のポツダム宣言を受諾したことを天皇陛下(昭和天皇)が国民に「玉音放送」でお伝えした日です。
1945年8月15日の時点では、アジア等に散らばった日本軍は完全に戦闘を終了していません
満州、樺太、千島列島ではソ連軍が侵攻し、過酷な戦いを強いられました。
戦闘が終結していないのですから、「終戦」とは呼べないのです。

1945年8月15日という日は、昭和天皇の御聖断をほめたたえるための政治的用語として残すことは道理が通りますが、国際法の規定である「終戦の日」ではありません。
正しくは、連合国にポツダム宣言を受諾することを伝えたのが「停戦の意思表示」。
8月15日は、それを天皇陛下が国民にお伝えになった日にしかすぎません。

ウィキペディアでは、終戦の日を以下のように説明しています。
「終戦の日は、日本における第二次世界大戦の終結(終戦)の日の呼称。日本では一般的に終戦記念日は8月15日と認定されている」

これは間違いです!!

ただし、天皇陛下を愛する国民としては、玉音放送があった8月15日を「終戦の日」と呼びたい、という気持ちは理解できます。
ですが、政治家や政治活動をしている人、政治家予備軍、言論人が8月15日を「終戦の日」と呼んではいけないのです。

《「休戦の日」とは?》

昭和20年(1945年)9月2日、この日が休戦協定(停戦協定)の調印式をミズーリ号で行った日です。
ですから「休戦の日」となります。
「休戦協定」を9月2日に調印しているのですから、それ以前は戦争継続状態となります。
(戦闘行為がなかったとしても)

写真はミズーリ号

ですが、実際は、ソ連が条約違反をし、戦闘をやめていませんでした。

なお、連合国側は9月2日を「終戦記念日」と勝手に決めています。
連合国側の正式見解では、1945年9月2日が「終戦の日」となっています。
現代において、第二次世界大戦で日本の敵国のほとんどが「1945年9月2日終戦史観」を採っています。
ですが、国際法から判断すれば、正しい「終戦の日」とは、1952年4月28日でしかないのです。

《8月15日が「終戦の日」でない理由》

1945年8月15日が「終戦の日」ではない理由は国際法によって明白なのですが、ここで問題となるのは、その後の日本がGHQによる占領行政化にあったということです。
占領行政化にあるということを屈解し、戦争状態では無いとする考えもありますが、正しい見解は「占領行政は戦争行為」であるということです。
つまり、8月15日以降も戦争状態だった、ということです。

実は、日本国憲法制定、東京裁判、公職追放、財閥解体、言論の自由の統制などはすべて戦争行為であり、占領行政化で行われたことです。

1945年8月15日は、「終戦」でもなんでもありません。
では、なぜ8月15日を「終戦の日」と呼ぶのか?

日本は国際法を守る優等生であり、連合国は国際法を破る常習犯!

なぜ8月15日を「終戦の日」と呼ぶのか?
ということを語る前に、どうしても語らねばならないことがあります。

《連合国は国際法を破る常習犯》

東京裁判史観によって、日本という国家はアジア諸国に侵略し、悪いことをしたのだ、という歴史認識がありますが、本当の歴史的事実を知れば知るほど、それが如何に間違っていたのかを思い知らされます。
長くなるので簡単に述べますが、日本という国家は国際法を順守する優等生の国家です。
戦争の開始における宣戦布告、捕虜の扱い、民間人への攻撃はしない、など国際法で定められたことはきちんと守っています。

一方、連合国はそうではありません。
アメリカ軍とソ連軍は、数々の国際法違反をしています。

『アメリカ軍による国際法違反の例』

民間人の殺戮を目的とした原爆投下(しかも種類の違う原爆を2発)。
民間人の住む居住地を狙った焼夷弾による絨毯爆撃。
民間の輸送船を破壊する行為。
事後法で裁く東京裁判。
(先に起きた出来事を後から制定された法律で裁くことは出来ないという法原則を無視した裁判)
「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」のでっち上げ
日本国憲法の押し付け
など。

『ソビエト連邦軍による国際法違反の例』

日ソ不可侵条約を一方的に破って満州に侵攻した。
どさくさに紛れて、北方領土を占領した。
主に満州にいた日本人を強制連行し(60万とも言われている)、強制労働に従事させた。
など。

これらはすべて国際法違反です。

国際法を踏みにじった勝者が国際法を守った敗者を一方的に裁き、国体を破壊したのがGHQによる占領政策なのです。

8月15日を「終戦の日」と呼ぶことは、日本人に敗北感を与える悪意が含まれている!

ここからはご意見番の私的見解であることをお断りしておきます。

《8月15日を「終戦の日」と呼ぶ理由とはなにか?》

もう一度言います、これから語ることはご意見番の私的見解であり、個人の論評です。
8月15日が「終戦記念日」と呼ばれるようになったことには必ず“ある意図”がそこにあると思っています。

〈天皇陛下を現人神からただの人間に貶める〉

8月15日が「終戦記念日」「終戦の日」と呼ばれるようになった“隠れた意図”とは?
それは天照大神の天孫降臨から続く天皇陛下の現人神としての地位、存在を貶める意図がそこにはあるはずです。
なぜなら、現人神であるはずの昭和天皇が敗北宣言をしたからです。
日本の伝統では、戦で勝利した人が神として祀られるという文化があります。
しかし、昭和天皇は大東亜戦争に負けた。
それを印象づけるのがポツダム宣言の受諾を天皇自ら国民に知らせた玉音放送があった8月15日です。

つまり、8月15日とは、「昭和天皇が敗北を認めた日」なのですから、天皇という存在は神でもなく、神としての力もない、ただの人間だ、というメッセージが含まれてしまうのです。
それは表に出ているメッセージではなく、8月15日=終戦の日という裏側に潜むメッセージなのです。

〈日本国民に決定的な敗北感を与える〉

日本人が戦争に負けたことを知る上で最もショックなのが、軍部からの知らせでもなく、新聞のニュースでもなく、首相の知らせでもなく、やはり天皇陛下からの直々の言葉でしょう。
それが最も日本国民が敗北を強く感じるものであると思います。

つまり、自分の命を捧げて戦う武士道精神を持った恐ろしい日本人(特攻)、機関銃に竹やりで闘おうとする勇猛果敢な民族性を持つ日本人に強い敗北感を与えるために天皇陛下から敗北宣言を頂いた日を「終戦の日」としたのです。

〈日本国の国体を破壊する印象操作〉

8月6日広島に原爆投下、9日長崎に原爆投下、そして15日に天皇陛下の玉音放送。
全てつながっているのです。

2つの原爆投下のすぐあとに天皇陛下から敗戦の知らせがだされたことは日本国民にある大きな意識を植え付けました。
それは「戦争は悲惨だ」「戦争は嫌だ」「戦争はダメだ」という国民個人の意識です。
もちろん、それはその通りです。

ですが、戦争とはしたくてする場合と家族や国家を守るためにする場合とがあります。
日本が大東亜戦争(第二次世界大戦)に進んでしまった理由は、自衛のため、そしてアジアにおける白人国家の植民地支配を終わらせる、という2つの意味がありました。
こうした日本国の正当な意識を破壊するために、8月15日を終戦の日とした人間がいると、アチキは思っています。
なぜなら国家としての正式見解でないことは、専門家であれば分るはずだからです。
8月15日を終戦の日と呼ぶように仕掛けたのは、日本における左翼勢力であるとご意見番は予想しています。

8月15日「終戦の日」は、左翼が天皇陛下を貶め、日本人に敗北感を与えるための印象操作であったと思っています。

歴史認識に対してファクトチェックは無能を示す!

最近よく耳にするファクトチェックは、8月15日「終戦記念日」という情報に対して無能を示しています。
国家としての正式見解が1952年4月28日=「終戦記念日」なのに、世間で8月15日に「終戦の日」「終戦記念日」と呼んでも叫んでも、ファクトチェックが働いている様子がいっこうにありません。

ファクトチェックは歴史認識には無能なのです。

そもそも現代にある膨大な情報のすべてをファクトチェックすることなど不可能に近いのです。
ですから、ファクトチェック機能は、世間で注目されている情報などに注目してチェックするしかないのです。
以前の記事でも書きましたがすでに「定説」となっていることに対してファクトチェックは機能しないのです。
ですから、ファクトチェックはある一定の情報に対しては有効ではあっても、決して万能ではないということを知らねばなりません。

日本の政治家及び政治活動をする政治家予備軍にもの申す!

学者でもなく、政治家でもない一般の人であるならば、8月15日を「終戦記念日」と呼んでも仕方がないと思います。
しかし、政治家や言論人、テレビ局などの報道機関はそうはいきません。

現職の政治家は、本当は8月15日が「終戦記念日」ではないことを知っている人もいると思います。しかし、それをきちんと表明できないのは、政治家としての気概がなさ過ぎます。
また、政治家を目指し活動する人、政治家予備軍の人が「終戦の日街宣」などと主張しているのを見ると、アチキは「この人大丈夫かな~?」と思ってしまいます。

政治家を目指す人が正しい歴史認識を持たないならば、どうして国民を導くことができるのでしょうか?
政治家であれば、政治家を目指すのであれば正しい歴史認識を持ってください!!

正しい歴史認識を持つことが愛国心の育成につながる!

《間違った歴史認識は愛国の動機を薄め、自虐史観は愛国心を破壊する》

間違った歴史認識はその国民が自国を愛する気持ちを薄めます。
あるいはそれが逆の意味だったならば、己惚れます。

また、自分の先祖が悪いことをした、自分の国家は犯罪国家だとする自虐史観は、愛国心を破壊します。
自虐史観教育からは決して「自分の国は自分で守ろう」という気持ちは湧いてきません。
それが行きつく先は「アメリカという大国の核の傘の下で守られることを良しとする」「中国が日本の土地を買いあさっても、中国の属国となっても良しとする」という国民性となります。

愛国心とは自国の歴史を正しく知って、その歴史の中に「誇り」を見つけるものであるべきなのです。

歴史認識は間違うことがあり、歴史は時間の中で修正されることがあるということです。

もうすでに歴史修正の時期は到来を告げています。
すでにラムザイヤー論文によって「従軍慰安婦」がでっち上げ(嘘)だったことが決定的となり、「南京大虐殺」もでっち上げであることが証明されています。
この2つが間違いであることを認めるならば、8月15日が「終戦の日」ではないと認めなければなりません!

正しい歴史認識を持つことこそ、愛国心を育てるのです!!

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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