『あなたは「ポツダム宣言」の内容を知っていますか?【後編】~ポツダム宣言に潜む戦後日本を支配する布石とは?~』

まずは『【前編】ポツダム宣言は戦後日本の青写真!をお読みください。

ポツダム宣言に潜む戦後日本を支配する布石とは?

《ポツダム宣言の背景と未来図》

ポツダム宣言が日本国に出された背景は?
当初は、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連の3か国でドイツの都市ポツダムにおいて会談がなされました。
その会談の目的は「日本を降伏させること」です。
会談に参加したのはトルーマン大統領(米)、チャーチル首相(英)、スターリン書記長(ソ連)の3名。

重要な点なので繰り返しますが、日本を降伏させるための条件を話し合っていた3国はアメリカ合衆国、大英帝国、ソ連の3か国です。
ところが実際に「ポツダム宣言」を調印した(名を記した)のは、アメリカ合衆国、大英帝国、そして中華民国なのです。

ここで注意があります。
ポツダム宣言に名を記した「中華民国」とは、現在の「中華人民共和国」ではありません。
このときの中国政府は「蒋介石(国民党)の中国」なのです。
ポツダム宣言受諾後(休戦後)、毛沢東率いる共産党軍と蔣介石率いる国民党軍が戦い、結果は共産党の勝利に終わりました。
蔣介石などの国民党はどこへ行ったのかと言えば、それが「台湾」なのです。
そしてここで重要な歴史的事実は、毛沢東(共産党軍)に武器を提供し支援していたのがアメリカ合衆国だった、ということです。

話しはそれますが、もしアメリカが劣勢であった毛沢東軍(共産党軍)に武器を提供し支援しなければ、現在の習近平政権は存在していなかった、中華人民共和国という共産主義国家は誕生しなかったということです。
これは歴史的に重要な意味あいを持つのです。

共産主義によって成り立つ中華人民共和国が日本の隣国としてなく、いまの台湾のような民主主義の国家として中国が存在していたならば、東アジアにおける秩序は保たれていた、ということです。
結局、共産主義国家による東アジア(特にチベット、ウイグル、モンゴル)における悲惨な状況は起こらなかったと言えるのです。
当然、北朝鮮という共産主義国家も誕生しなかったでしょう。
万が一、誕生したとしてもすぐに潰されたでしょう。

つまり、現在の東アジアの危機(戦争及び領土問題等)の淵源にはアメリカ合衆国の存在があるのです。
もちろん、ここでいうところのアメリカ合衆国とはDSの息がかかったアメリカという意味です。

なお、ポツダム宣言は、連合国から直接送られたのではなく、中立国のスイス・スウェーデンを経由して伝えられました。

《ソ連の裏切りと企み》

では、なぜソ連はポツダム宣言に調印しなかったのか?
加代昌広さんが指摘しているように、当時、日本とソ連は「日ソ中立条約」を結んでいたからです。
「条約」とは、「国際法」なのです。
国際法にはいろいろありますが、「条約」も国際法と呼ばれることを知ってください。
ですから、条約を破るということは「国際法違反」ということなのです。

補足説明:「日ソ中立条約」は、1941年(昭和16年)4月に締結された条約です。
(有効期限は、1946年4月)

条約の内容は、日ソ以外の国家が日ソのどちらかの国に攻撃を加えたとしても、それに加担して攻撃を加えたり味方になったりせず中立を守る、というものです。
つまり、日本はソ連が他国に攻め込まれてもそれにつけこんで攻め込まず、ソ連も日本が他国に攻め込まれてもそれにつけこんで攻め込んでこない、という2国間の約束(条約)です。

そもそも日本に降伏を迫り、日本の戦後処理をどうするのかを話し合っている会談になぜソ連が参加しているのでしょうか?
この段階で裏切り行為です。
ソ連は日本とは戦争をしません(お互いに)という約束(条約)を結んでいるのです、それがあたかも日本といままで戦ってきたかのように振舞っているのはなぜでしょうか?

その大きな要因の一つが「北方の領土」なのです。
密かにアメリカとソ連は北方領土をソ連の領土とするように支援していたのです。
もちろん、歴史的には秘密の作戦としてです。
アメリカはシベリアの基地をソ連に提供し、武器等の提供を行っていたと言われています。

歴史的背景として、ポツダム宣言以前の1945年(昭和20年)2月に行われた「ヤルタ会談」において、アメリカとソ連で「ソ連の対日参戦の密約」が交わされていたのです。
具体的にはドイツ降伏後、90日以内に対日参戦し、南樺太及び千島列島をソ連に引き渡されるという「餌」をソ連に与えて、日本包囲網を密かに築いていたのです。
これは戦争戦略としては完璧です。

日本の目的は東アジアに大東亜共栄圏を作ることです。
西はインドを独立国とし、インドと日本の間に位置するアジアの国家が植民地支配から解放され、独立した政治と経済をおこなうことでアジアにおける秩序を維持しようとするものです。
もちろんその中には資源の無い日本が「石油」を確保して生き延びるという戦略が含まれています。

しかし、東アジアの奥深くまで入り込み、太平洋上では大国アメリカと戦い、それに加えて北方の大国ソ連と立ち向かう国力は日本にありませんでした。
文字通り、四方八方を敵で囲まれた状態ですから、小さな島国が取る戦争戦略ではありません。
逆に言えば、敵国を倒すために四方八方で囲んで壊滅させるというのは兵法なのです。
それが当時の日本人は分かっていたから、北からの脅威を発生させないために「日ソ中立条約」を結んでいたのです。
ついでに言うならば、日本は大国アメリカと戦争をする意志も計画もありませんでした。
(山本五十六などの一部の軍人を除く)
日本は狡猾なアメリカによって泥沼の戦争に引きずり込まれたという一面があります。

結局、歴史的事実として、日本とアメリカでは戦争戦略という点で大人と子ども以上の違いがあり、外交戦略においても比べようもない実力差があったということです。

《もうひとつのポツダム宣言条項》

ポツダム宣言の原案は14項だったことをほとんどの日本人は知らないでしょう。
消えたもうもうひとつのポツダム宣言の項目とは、「天皇の地位を保障する」という項目です。
アメリカは当初、ポツダム宣言に「天皇の地位を保障する=天皇に戦争責任を負わせて命を取らない」という文言を入れたならば、日本が早い時点で降伏に応じると考えていました。
しかし、歴史的事実において「天皇の地位を保障」する文言は含まれませんでした。
なぜでしょうか?

なぜポツダム宣言から「天皇の地位を保障」する文言が削除されたのか?
ここが問題です。
そこにアメリカ(トルーマン大統領)の思惑があるからです。

ポツダム宣言が公表される直前、1945年(昭和20年)7月16日に、核実験が成功したという知らせがドイツのポツダムにいたアメリカ合衆国大統領のトルーマンに届きました(実験の翌日に)。
この歴史的経過は重要です。
ポツダム宣言の原案にあった「天皇の地位を保障する条項」があったなならば、おそらく日本は原爆投下の前に降伏してしまうと判断したのです。
つまり、原案にあった「天皇の地位を保障する条項」を削除した理由は、日本を降伏させるが、その前に「原爆を投下する」ことによって日本人にアメリカとの戦争がいかに悲惨なものだったのかという記憶を埋め込みたかったのです。
しかも、原爆投下の計画は2発で終わりではなかったのです。
降伏しなければ3発目、4発目といくらでも日本の領土に原爆投下する手筈を整えていたのです。
ある方の説では、3発目は「東京」だったと言われています。

要するに、ただでは降伏させないというアメリカの悪意(残虐性)がそこにあったのです。
それは「日本人に対する恐怖」の“裏返し”でしょう。
特攻までして戦う日本人に対する畏怖があったからこそ、原爆投下によって、これでもかと、痛めつけて二度と天下のアメリカ合衆国に逆らうことがないように徹底的に日本に対して「戦争への恐れ」を抱かせたかったのです。
(戦争指導者にあったという意味)
それと黄色人種であるアジア人が白人国家に逆らうことを許さないという人種差別思想が根っこにあります。

要するに、原爆投下前に日本が降伏しないように「天皇の地位を保障する条項」を削除したのです。
姑息の極みでしょう!

《日本政府の対応》

1945年7月26日、米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相、中華民国の蒋介石主席の連名によりポツダム宣言が発表されましたが、当時の日本政府はどんな対応をしたのか?
当時の総理大臣は、鈴木貫太郎(終戦時の総理)。
鈴木貫太郎首相は、7月28日の記者会見でポツダム宣言に対する見解(意見)を以下のように発しています。

「共同声明はカイロ会談の焼き直しと思う。政府としては重大な価値あるものとは認めず『黙殺』し断固戦争完遂に邁進する」(毎日新聞)

もしこのタイミングですんなりポツダム宣言を日本政府が受け入れたならば、「原爆投下は無かった」という論がありますが、それは非現実的な論と言っていいでしょう。
前項で示したように、意図的に「天皇の地位を保障」する文言を削除して日本政府の決断を混乱させているのです。
歴史上の判断(決断)とは、現代の価値基準ではなく、当時の社会情勢、政治体制などのその時代の価値観で見なければなりません。
日本の政府(政治家)、及び軍人たちにとっては、「天皇の処遇について不明」であるということは、即時降伏する条件を満たさない、となって当然です。
それが当時の日本の国是です。

この鈴木貫太郎首相の発言に対し、「保留にする」「議論する時間が欲しい」などと発言するべきだったという意見がありますが、それは日本人(当時の)の気質を理解しない者の見解です。
戦前には、いまだ武士道精神の欠片は残っていたのです。
武士道精神とは忠義を尽くして正義のために命をかける、というものです。
日本人には日本の正義があったのです。
その正義とは、資源がない日本国の国民を守るために「石油」などの資源を確保するという「自衛戦」という意味と「東アジアを植民地から解放する」という意味です。

ただし、こうした当時の日本の正義は、戦後のGHQの占領政策によって真逆の価値観にされてしまいました。
以前の記事で示しましたが、その作戦の中心がWGIPです。

トルーマン大統領個人の意志としては、日本に原爆を投下して二度と白人国家に逆らわないように痛めつけるであることは明らかです。
しかし、その考え自体が人種差別思想からくる傲慢な思考なのです。
それを裏付けるのが、ドイツには原爆投下の計画がなかったことです。
知っての通りドイツ人は白人です。
つまり、白人国家には非人道的な兵器である原子爆弾は使用せず、人種的に劣っている黄色人種にならば使用してもいい、ということです。
もちろん、トルーマン大統領を影で操っていたのはDSです。

《大東亜戦争終結の詔》

ポツダム宣言を突きつけられた日本政府は、混乱に至ります。
1945年8月9日の深夜、昭和天皇ご臨席の下で「御前会議」が開かれ、ポツダム宣言を受諾するかどうかの議論が行われました。
議論は賛否両論(賛否同数)となり結論が出せない状況になっていました。
ここで昭和天皇が「戦争を終結させる」というご聖断をくだされます(8月10日午前2時)。
数時間後に日本政府から連合国側にポツダム宣言を受諾する旨を伝えます。
アメリカ合衆国からの返答は、「連合国軍最高司令官のもとに天皇及び日本政府は置かれるものとする」でした。

このアメリカ合衆国からの返答をよく理解してください。
天皇の部分を除いて表記します。

「連合国軍最高司令官(GHQ)のもとに日本政府は置かれる」

いわゆる占領統治です。
この意味は、軍事占領下に日本が置かれたことであり、日本政府には主権が無いということです。
ですから、占領期間に行われた「日本国憲法公布」は“押し付け”なのです。
勘違いをしている人がいますが、もう一度言いますよ。
「日本政府は連合国軍最高司令官(GHQ)の支配下に入る」
この状態を理解しないと、日本国憲法が押しつけであったのかどうかの議論は成り立ちません。

日本人として決して忘れてはいけないことは、このとき、昭和天皇が自分の命を捨てる覚悟を持って国民と国家を救うことを願ったということです。
岸田総理はじめ現代の政治家たちには、「自分はどうなっても良いから万人の命を救いたい」と覚悟した昭和天皇の爪の垢のひとつでも煎じて飲ませたかったものです。
なお、マッカーサーは昭和天皇に会った際に、天皇の威厳を感じ、畏敬の念を持ったと言われています。

1945年8月15日正午、昭和天皇はラジオで詔勅(天皇の命令)が出されました。
いわゆる「玉音放送」です。
正式には「大東亜戦争終結の詔」です。
ただし、これは日本国民には終戦(敗戦)を強く意識した出来事でしたが、戦争の正式な終了(終戦)ではありません。
けれども、昭和天皇の玉音放送を聞いた国民にしてみれば、「やっと戦争が終わった」という安堵と「戦争に負けた」という敗北感の入り混じった複雑な心境だったでしょう。

《民間地域への非人道的な兵器(原子爆弾)使用は国際法違反》

1945年8月6日午前8時15分、広島にウラン型原子爆弾「リトル・ボーイ(通称)」が投下され、約14万人以上の民間人に死者が出た。
1945年8月9日午前11時2分、長崎にプルトニウム型原子爆弾「ファット・マン(通称)」が投下され、約7万人以上の民間人に死者が出た。
同月9日午前0時、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州と朝鮮に対し攻撃を開始した(前日に宣戦布告した)。

上記の戦争行為は、国際法違反です。
つまり、戦争犯罪だということです。
この場合の国際法違反は2重にあります。
ひとつは「民間地域への攻撃」が国際法違反であること。
ふたつ目が「非人道的な兵器(大量虐殺の兵器)=原子爆弾」の使用がジェノサイド(国際法違反)であるといこと。

日本人はいまだに洗脳されていますが、日本が侵略戦争をし、戦争犯罪(慰安婦、南京大虐殺など)をした悪い民族だと刷り込まれましたが、事実は逆なのです。
つまり、戦争犯罪をして戦争に勝利した連合国が自分たちの都合の良いように歴史を捻じ曲げたのが現在の日本戦争犯罪論(東京裁判史観)なのです。

なぜ、日本を戦争犯罪国家として洗脳したのか? ここが肝心です。
その一つは、ドイツと同盟を結んでいた日本を裁判にかけるためには、「ナチスドイツと同じくらい悪いことをした」ということが必要だったからです。
そのために南京大虐殺、慰安婦問題、などのデマをつくり上げて日本をナチスドイツと同等の悪(ワル)とすること。
もう一つは、アメリカ合衆国などが行った国際法違反を追求されないための洗脳作戦です。
つまり、原爆投下や焼夷弾投下などの国際法違反(人道に対する罪)を追求させないために、日本という国家を侵略国家、戦争犯罪国家と洗脳する必要があったのです。

「歴史は勝者によって書かれる」という歴史的現実を忘れてはいけません。
そして、「間違った歴史観は、後世で修正される」ということも覚えておかなければなりません。

《無条件降伏?》

『無条件降伏』とは?
無条件降伏とは、戦争用語として国家が軍事的抵抗を一切しないで、条件なしに戦闘を停止することを意味します。
ですから無条件降伏とは軍隊に対して発せられるものなのです。

実際、日本軍に対して連合国(軍)が直接武装解除を命じているのではなく、日本政府が日本軍に武装解除(無条件に降伏する命令)を発することになっています。

ポツダム宣言(降伏文書)は、日本と連合国との合意文書です。
ですから、日本と連合国の双方が守るべき義務を負っています。
肝心な点は、軍の無条件降伏と政府への無条件降伏は別である、という点です。
ポツダム宣言の中身を見て見れば連合国側は日本政府に対して、「条件」を出していますので、日本政府が無条件降伏したことではないことが分かります。

条項3では、日本国大本営に対して、その指揮下にある日本軍に無条件降伏を命じるように指示しています。
直接、連合国司令官が日本軍に命令を発しているわけではありません。
また、条項4では、日本政府が官僚や軍に対して、連合国司令官の命令に従うように命令せよと指示し、日本政府に委任して発令させています。

この方法はある意味では、正式な方法でもありますが、この方法を悪用すると「操り人形」が出来上がります。
つまり、本当は影の支配者が裏で操っているのに、表にいる政府が政治を行っているように国民には見える、というあり方です。
これがいまの日本を支配している影の糸であることに気がつくことが、日本国を守ることになるのだと伝えておきます。

最後に

現代までつづく戦後日本の姿は、ポツダム宣言に記された「世界征服を企んだ犯罪国家」という「嘘」を根っこに持つ果実なのです。
アメリカの勝利は国際法違反というルール違反のもとに築かれ、GHQの占領政策は「嘘」に基づいて日本の社会構造を力で捻じ曲げ、なおかつ影の支配力を密かに埋め込んだのです。
ですから、ポツダム宣言に示された日本が「世界征服を企んだ犯罪国家という嘘(間違った歴史観)」を覆すことが現代の日本人の責任であり、未来の子供たちへの贈り物なのです。

もう一つ付け加えます。
「始めに嘘ありき」
「邪魔者は消す」
「誰かに損失を負わせても、利益(巨富)を得る」
「不都合な真実は隠蔽する」
「真実を探るものは追い落とす」
これがポツダム宣言以降の日本にまかり通っていることを現代の日本人は知るべきです。
そのひとつが、コロナワクチン(mRNAワクチン)接種の問題なのです。
そして、この手法はDSの手法であり、欧米諸国が植民地支配をつくり上げた手法でもあるのです。

歴史は勝者によって書かれますが、間違った歴史には必ず反作用が働き、修正されるのです。
勝者によって書かれた「嘘の歴史観」とは、嘘が広まった国家を腐敗させるのです。
腐敗から不死鳥のごとく蘇るには、「真実」を見つけ出し、歴史を修正することです。
そこから真の愛国心が生まれてくるからです。
間違った歴史観は、必然的に亡国の輩を発生させます。
このことは現代の政治、及び日本社会を見れば一目瞭然でしょう!
歴史は「真実」のもとに語り継がれるべきなのです!

リンク先

『日本まほろば社会科研究所(加代昌広)』
『「ポツダム宣言」の全文をわかりやすく解説してみました』

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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