【フリーメーソンリー編④】~極めて邪悪な秘密結社~
これまでの記事
【フリーメーソンリー編①】~フリーメーソンリーの起源と定義~
【フリーメーソンリー編②】~フリーメーソンリーの本音~
【フリーメーソンリー編③】~フリーメーソンリーは革命集団~
極めて邪悪な秘密結社
《信仰を表明しなければ、メーソンにはなれない》
ジョン・コールマン博士が「フリーメーソンリーは宗教ではない」という嘘を論破している。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より引用
イギリスの全支部では、神とその務めに対して身を捧げることが要求される。至上の存在に対する信仰を表明しない限り、誰もメーソンにはなれない。
〈「信心深い全ロンドン市民へ」という警告〉
フリーメーソンリーは17世紀に大流行した。
だが、その反作用は大きかったと言える。
1698年に『信心深い全ロンドン市民へ』というパンフレットが配られた。
この内容は、フリーメーソンリーから市民を守る主旨が込められている。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より引用
彼らの儀式や秘密の誓いがあなた方を捉えてしまわないように気をつけなさい。何者によっても、神を敬う気持ちから逸らされないように注意しなさい。人が秘密裏に集まるこの悪魔的セクトの手にかかって、そのようなことになってはなりません。なぜ、神の御業を行うのに秘密の場所で集会し、秘密のサインを使って人目を避ける必要があるのでしょうか。
フリーメーソンリーには、「グリップ」と呼ばれる特殊な握手の仕方がある。また合言葉もある。「グリップ」は仲間であることを確認するための最古のサインとして存在している。
なぜ、そこまでして秘密を守ろうとするのか?
そこにフリーメーソンリーの本性が隠れていると見るべきだろう。
《極めて邪悪な秘密結社》
メーソンが邪悪なる宗教であることをジョン・コールマン博士が示している。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より引用
現代のメーソンリーはきわめて邪悪な秘密結社であり、メンバーは、命と引き換えに秘密を守るという、身の毛もよだつような誓いを立てているのだ。キリスト教の団体ならば、メンバーに沈黙の掟を強制し、しかもその掟を破ったら殺すなどと脅すようなことは絶対にないだろう。
〈フリーメーソンリーの重要な宗教観〉
フリーメーソンリーの宗教観のなかで重要な点がある。
「偉大なる建築師」という概念を全面的に受け入れることで、あらゆる宗教が包括できると見なしている点である。
ジョン・コールマン博士によると、1816年までに、それまでフリーメーソンリー内に存在していたキリスト教関連のものをすべて排除し、普遍的な神という概念が奨励された。これによってあらゆる宗教を信じる人々がロッジの儀式に参加することができるようになった。
このこと自体が一神教であるキリスト教の教義に反している。
(ただし、私は全世界に存在しているまたは存在した宗教とは、何らかの存在意義があるものだと判断している)
大多数のフリーメーソンたちは、第3位階より上に「昇進」することはない。
つまり、メーソン会員の大半を占めているのが下層3位階のメンバーなのです。
彼らは、「偉大なる建築師」という神の名を自分の中にあるフィルターを通して理解する。
それによって錯覚、誤解が生まれる。
しかし、その錯覚、誤解は意図的になされている。
上位の者たちからすれば、下位のメンバーとは自分たちの闇を隠すための「隠れ蓑」でしかなく、都合よく使い捨てにする存在でしかない。
第3位階を越えて中間地点である第18位階(ペリカンとワシの騎士)に昇進する者はほとんどいない。大部分の者は「脱落」していく。
つまり、上位位階に昇ることは、秘密の共有者として認められた“選ばれし者たち”なのです。
ちなみにジョン・コールマン博士が著書で示した位階の別名をいくつか記す。
(一つの位階で呼び名は複数ある)
第30位階=カドッシュの選ばれた大騎士または黒と白の鷲の騎士
第31位階=大監察審問長官
第32位階=王者の秘密のプリンス
第33位階=最大監察総監
《フリーメーソンリーの邪悪性が暴かれるとき》
たいていの場合、フリーメーソンリーの邪悪性が表にでるのは、元メンバーの告発(暴露)などによってである。
ジョン・コールマン博士が、元フリーメーソンがキリスト教会に送った手紙を紹介しているので引用する。なお、報復を考えてコールマン博士は身元を明かしていない。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より引用
教会宛の手紙より
長年の間、わたしはキリスト教徒として、つねにメーソンリーを擁護してまいりました。道徳と慈悲の教えに基づいているであろうフリーメーソンリーの哲学と教えを、キリスト教の教義と融和させようと思ってのことです。しかし、非常に上位の位階にまで昇進した後、わたしは知ったのです。自分には何も見えていなかったこと、その目くらましの過程で、厳密さと合理性という武器を敵がいかに効果的に使っていたかということを。わたしが邪悪と恐怖というメーソンリーの真の姿を発見したのは、上位位階になってからのことです。神の心がわたしの心の目を開かせ、自分がしていたことを見つめさせてくれたのです。わたしは悪の囚われの身であり、しかもそのことに気づいていなかったのです。
〈フリーメーソンリーの「死のペナルティ」〉
教会へ告発の手紙を出した人は、「みだらな性的イメージ」や「家族や親類を殺し、その血にまみれたいという意識」に苦しんだという。
もともと常軌を逸した性的異常性もなく、分別のある人間だったのに。
彼はカウンセリングを受けた。
すると、性的イメージや血やナイフなどがフリーメーソンリーの「シンボル」や「誓い」と深く結びついていることが分かった。
その後特別な治療を受けて回復した。
明かにフリーメーソンリーには、「死のペナルティ」というものがある。
ただ、それを外部に漏らさないように厳重に秘密にしている。
それでもジョン・コールマン博士などの研究者が調査することで氷山の一角として真実が顔を出す。
ジョン・コールマン博士が偶然知った内容は驚愕に値すると同時にフリーメーソンリーの邪悪さを証明している。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より引用
わたしが従うことを厳かに誓うこれらすべての条項には、いかなる種類の言い逃れ、曖昧なことば、精神的保留はなく、またそのいずれかに違反した場合は、相応の処罰を受けるものである。その処罰とは、わたしの体を二つに切り裂き、はらわたを燃やし尽くして灰にする。その灰は地表全体にばら撒かれ、四つの天の基本風によって吹き飛ばされる。すると、この卑怯な恥知らずの痕跡や思い出は、人々、特に親方メーソンの間には、痕跡も残らない。
仏教の最高刑は、「教団追放」です。
フリーメーソンリーとは、宗教団体ではないと詭弁を吐いているが、そもそも「死のペナルティ」があることが慈善活動団体ではないことを証明している。
また、参入候補者には、「義務には処罰がつきもの」とはっきり警告される。
それが意味することは「首をはねられて命を落す」ことなどの「死のペナルティ」であるが、今日ではそうした直接的な表現は見られずに、シンボルと文字で処罰が説明されている。
これを“騙し”という。
《ジョン・コールマン博士によるフリーメーソンリーの正体に対する解答》
20年以上(著書発刊当時)に渡ってフリーメーソンリーを徹底的に研究してきたジョン・コールマン博士の「フリーメーソンリーとは何か?」という答えを紹介します。
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・2章』より抜粋引用
①非常に閉鎖的な秘密結社であることは明白である。しかも、理由は不明ながら、西洋のキリスト教民主主義のような、自由で開かれた社会で活動することが容認されている。
②邪悪な諸カルト宗教とサタン崇拝に基づく宗教団体であることは間違いない。反キリスト、反キリスト教徒の団体で、長年にわたってキリスト教信仰を撲滅しようと献身してきた。ただし、この目的については会員の大多数、特に下位三位階のメンバーからは、注意深く隠されている。
③本質的に革命団体であり、革命を目的としている。フランス革命においては、少なくともその計画段階を担っていたことは、よく知られている。
④既存の秩序とあらゆる宗教(一つを除く)の打倒を目指している。
⑤国家の法に従う素振りを見せてはいるが、陰では、望ましくないと見なす法を変えようと活動している。
⑥統治されている人々の不利益のために活動する。政府内の政府である。
⑦その慈善的外観はまるで茶番劇で信頼できない。それは単に欺瞞で飾り立てているに過ぎず。メーソンリーの真の目的を覆い隠す仮面である。
(本来は10項目あるので、ここで示した番号と著書の番号は一致していません)
〈宗教者の宿命〉
宗教者は知るべきです。
フリーメーソンリーの目的とは、「あらゆる宗教の打倒」が含まれていることを。
これが意味することは、正しい宗教を守るためには戦う宿命にある、ということです。
フリーメーソンリーに対して沈黙すること、無関心でいることは、敗北を意味する。
正しい宗教とフリーメーソンリーなどのカルト宗教は共存することは不可能なのです。
いずれ必ず決着がつきます。
どちらかが、倒されるしか結末はないのです。
ここに重要なジョン・コールマン博士の指摘がある。
「政府内の政府」
これを世間では、「ディープステート」と呼ぶのです。
だから言っているのです。
ディープステートの正体とは、「秘密結社」であると。
なぜ、既存の秩序とあらゆる宗教(一つを除く)の打倒を目指しているのかと言えば、悪魔崇拝独裁体制によるワン・ワールド政府を樹立するためなのです。
この真実を受け入れますか?
この真実から目を背けますか?
それとも真実を抱いて戦いますか?
《フリーメーソンリーは破壊活動を行う団体》
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・3章』より引用
フリーメーソンリーについて見過ごせないことが一つある。それは、彼らが破壊活動を行う団体だということである。メーソンリーは、多勢の人間にとってそれぞれに意味を持っているが、その歴史を通じて一貫して流れている特徴は、つねに秘密主義だということだ。
~中略~
メーソンリーはイエズス会および黒い貴族と深く結びついている。
〈フリーメーソンリーとは「邪悪な嘘つき」〉
ジョン・コールマン博士は容赦なく語る。
フリーメーソンリーとは、「邪悪な嘘つき」に他ならないと語っている。
邪悪なる者の性質の中には必ず「嘘つき」という特徴がある。
だから嘘つきが世の中にのさばれば、必ず世の中は腐敗していく。
ジョン・コールマン博士の見解で重要な点があります。
「キリスト教は断じて旧約聖書にもとづいているわけではない」
と論じている点です。
イエス・キリストは、ユダヤ教の中から出現していることは事実だが、明らかにユダヤ教の教えから逸脱している。独自の宗教観と教えを持っている。
フリーメーソンリーとの関係でいえば、イエス・キリストはガリラヤ人であり、エルサレム人でもなければ、ダビデの家系でもないことは見落としてはならないことです。
なぜならば、秘密結社の者たちはその血流を守っていて、そこに自分たちが他の人間よりも優れているとする根拠にしているからだ。
ジョン・コールマン博士の一環とした主張は、「フリーメーソンリーはキリスト教に基づいていない」ということに尽きる。
《ハリウッド映画やテレビドラマに隠されたものとは?》
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・3章』より引用
ここで、過去20年あまりのハリウッド映画や三大ネットワークのテレビドラマで、葬式のシーンが氾濫していることに注目してほしい。
~中略~
死を平気で受け入れられるようになると、わたしたちの感性は鈍くなり、大量虐殺に対して通常ならば感じるような恐怖も、最後には無関心に変わっていく。
~中略~
死を平気で受け入れることはキリストの教えに反し、メーソンの教義に従うことである。
〈映画も洗脳装置のひとつ〉
「洗脳」と聞いて何を思い浮かべますか?
ほとんどの方が「カルト宗教」と答えるでしょう。
目覚めている人ならば「マスメディア」と答えるかもしれません。
もっと目覚めている人は、こう言うでしょう。
「3S」と。
3Sとは、SEX、SPORTS、SCREENの頭文字をとったもの。
SCREEN(スクリーン)とは、主に映画を示している。
つまり、映画も洗脳の装置の一つであるということです。
映画またはドラマなどの利点は、人々が「洗脳されていると思わない」ところにあります。
知らず知らずのうちに、無意識にある特定の価値観が頭の中に入り込んでしまうことです。
これは私の個人的な意見ですが、日本においてもある「印象操作による洗脳」がなされていると思われます。
それが何かというと、「裁判」または「訴訟」を扱ったドラマや映画です。
DS率いる勢力は、日本をアメリカのような訴訟国家に仕立て上げようとしています。
詳しくは以前の記事をお読みください。
秘密結社の者たちは、知らず知らずのうちに人々を“洗脳する達人”であることを知るべきなのです。彼らほど洗脳を研究した者はいないでしょう。
象徴的なシーンの中に、彼らのメッセージが込められているのです。
彼らは「象徴」を操る魔術師でもあるのです。
秘密結社の者たちが常に強い関心を持っていることに「(黒)魔術」があるのです。
彼らにしてみれば、印象操作も魔術(初歩的な)の一つでしかないのです。
《カトリック教会はフリーメーソンリーと戦っている》
ジョン・コールマン著『秘密結社全論考㊤・3章』より引用
メーソンリーの創設以来、カトリック教会はメーソンリーを、本質的な悪として糾弾してきた。一方、プロテスタント教会、とりわけ英国国教会は、公にこの結社を擁護するばかりか、メーソンリー内部で高い地位を得ている信徒がかなりいるほどだ。
英国国教会の聖職者が、とりわけきわめて秘密性の高い重要ロッジを動かしている例はたくさんあって・・・。
〈カトリックとプロテスタント〉
ジョン・コールマン博士によれば、フリーメーソンリーはカトリック教会を敵視し、プロテスタントを見下しているという。
プロテスタントとは、カトリックの私生児であり、恐れるに足りず、と見ているという。
これは教皇の存在を彼らは大きな意味があると見ていると考えられる。
なぜ彼らがプロテスタントを見下しているのかと言えば、その大きな理由の一つに、プロテスタントがカトリック教会のような団結力に欠けているからなのです。
カトリックの教皇とは、イエス・キリストの12弟子のひとりであるペテロから始まったものなので、イエス・キリスト直系のキリスト教派と言える。
ただし、私の個人的見解を言わせてもらえば、プロテスタントの出現は必要性があって出現したものであり、プロテスタントの中にもイエス・キリストの精神は流れていると思っている。
要するに、宗教の宿命には、時代の変化の要請と弟子たちの腐敗等が必ずついて回る。
だから宗教は「変革(イノベーション)」が求められる部分が出てくる。
【フリーメーソンリー編⑤】につづく
参考書籍(引用元)
書籍名:『秘密結社全論考㊤』
著者:ジョン・コールマン
監訳者:太田龍
出版社:成甲書房
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!