【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)③】~憲法改正における鈴木義男の功績について~
これまでの記事
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)①】~鈴木義男という人物について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)②】~鈴木義男の新憲法制定への関与について~
民主主義制度の欠点とは?
《憲法違反の法律は無効》
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
今度の憲法の改正に当っては、真に国民に対して権利と自由とを保障することにし、法律をもってしても侵すことは許さない、もしそういう法律を作るならば、その法律が憲法違反であって無効であり、そういうことをした官吏は懲戒その他の罰に処せられるということにしたのである。
〈民主主義制度の欠点とは?〉
実際は、憲法違反の法律は存在しています。なぜでしょうか?
それは権力者たちが自分たちに都合の良いように政治を行うためです。
ですが、そうさせているのは国民の側だという認識に目覚めなくてはならないのです。
なぜならば、日本国憲法というこの国の最高法規では「国民主権」、つまり政治の中心的存在は国民と規定しているからです。鈴木義男が言うように、政治の中心である国民は自分たちが選挙で選んだ政治家たちを監視し、もし憲法違反の法律を制定しようとしているならば、あるいはしたならば、主権者として抗議し、議員の職を奪い、憲法に基づく立憲主義を守らせなくてはならないのです。ですが、この構造をほとんどの人たちが「めんどくさい」「やりたくない」と思うのではないでしょうか。確かに国民は自分たちの生活に追われ、政治へ介入する余裕はあまりないと言えます。それを行うのはそれだけの情熱や強い動機を持った人に限られています。権力者たちはそこを狙っているのです。
民主主義とは国家運営の最高の手法ではありません。民主主義にはいくつかの大きな欠点があります。闇の世界権力にしても日本の政治家たちもその民主主義の欠点を上手く利用しているのです。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
鈴木は、弁護士としてさまざまな事件の弁護を担当する中で、法律が時の政治的勢力に都合のいいように解釈され、思想・言論の自由、学問の自由などが次々と弾圧されていく現実を目の当たりにしていた。
重要なことを指摘すると「愚民化作戦」をとられると、「自分で考えない」「お上まかせ」「自分から情報を取りに行かない(調べない)」ということになり、「判断能力」を失い、その憲法「権力者の言い成りとなり、主権者としての自覚など微塵も感じない心境」となってしまうのです。
それゆえに政治上の重要な情報は「伝えない」「知らせない」「言わない(説明しない)」という手法を使われ、国民は正しく政治を認識するための判断材料がない状態におかれ、ミスリードされていくのです。
ここに民主主義の最大の欠点があるのです。
憲法改正における鈴木義男の功績について
《生存権の規定》
人権の根幹となる生存権規定(第25条)は、鈴木義男もしくは広い意味で言えば社会党の提案によって挿入されたもの。
鈴木義男が描いた生存権とは、「単なる動物的生存ではなく、人間に値する文化的生存」という意味を持つ。しかし、国民に向けた生活保護はどうでしょうか? 車を持っていたら受給できないとか、いくつかの条件が加えられています。役所の考える生活保護費とは、どうやら「生きるため=生存するための最低限度額(死なない程度の最低限度額)」ということに近いことは明らか。また母子家庭への給付等、現代の生活感からみればとても十分ではないと思われる金額しか受け取ることはできない。こうした実態は、生存権規定を加えた社会党及び鈴木義男の考えとはかけ離れていると言える。
鈴木義男の憲法改正についてのかかわりは、この他に「国家賠償請求権」と「刑事補償請求権」がある。国家賠償請求権とは一国民が国家を訴える権利に他ならず、大胆かつ豪胆な発想と言える。しかし、冤罪のために受けた苦痛と恥ずかしめに対して、国家に補償を求める権利があるということは国民主権の観点からすれば当然と言える。こうした条文が持つ意味とは、憲法の細部にまで国民主権を浸透させる意味を持っていること。治安維持法違反や軍機保護法違反などで不当な扱いを受けた人々の中には、その後無罪となった方がいるが、国家機構としては、「無罪となればそれでいいだろう」と思っているふしがあり、そこに権力側の横暴が見て取れる。たとえ最後に無罪とされたとしても犯罪者として扱われた苦痛はそう簡単に忘れられるものでも癒されるものでもなく、その間の時間は二度と戻っては来ない。冤罪(無罪)とは最大の国家犯罪に他ならず、賠償することは権力者側の当然の義務であり、賠償請求することは主権者として当然の権利となる。
しかし、悲しいかな、権力の座についた人間は憲法の規定(理念)ではなく「権力の魔力」に魅入られてしまうことになる。
鈴木義男の憲法改正の功績として、「平和」という人類の理想の文言を憲法に挿入したこと、さまざまな人権擁護の条文も挿入(加えた)ことがあげられる。
ただし、私から言わせてもらえば、こうしたことを過剰に評価することは日本国憲法制定過程における真実を捻じ曲げることになると言っておく。
なぜならば、人権擁護の条文はGHQ内部での草案作成作業においても準備されていたからだ(残念ながら削除されたものが多くある)。
《公職追放令》
1946年1月4日、GHQはポツダム宣言に基づく戦争犯罪人、陸海職業軍人、極端な国家主義者、大政翼賛会をはじめとする政治団体の指導者たちを「公務従事に適せざる者」とする『公職追放令』を通達する。
この調査は鈴木義男にもおよび何度も調査されたが、結局「追放対象外」となる。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
その理由は、「戦前そして戦時中を通じて、教育と法曹界の世界に限定されており、それゆえに公職追放令の条項に該当するような組織や活動には加わっていない」とされていた。
この事実は日本国憲法制定過程に大きな意味を持つ。
もし、鈴木義男が公職追放令に該当していたならば、後の芦田小委員会での「政府案修正」の審議に加わることはできなかった可能性が高く、現在の日本国憲法とは違った形となっていたことが予想される。
付け加えるならば、鈴木義男が公職追放令に該当しなかったのは当然と言えば当然であろう。過去に戦争に協力した事実がないのだから。
実際は、公職追放令に該当したのは当時の保守層、軍国主義者、戦争中の権力者たちだった。
鈴木義男が「公職追放令」をどのように受け止めていたのかを知る手がかりがある。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
鈴木はGHQによる「公職追放令」の意義を高く評価し、それに反発・抵抗する者に対して、ドイツなどと比べれば公職につけないことなど極めて軽い措置であり、「これ偏にマッカーサーの寛容なる占領政策の賜であることを銘記しなければならない」とまで主張している。
つまり、鈴木義男は評判の悪いGHQの占領政策(公職追放令)を支持したということ。
当時において、ここまでGHQの占領政策を高く評価する人は多くなかった。
これに私は大きな違和感と抗議に似た感情が湧きあがってくる。
GHQの占領政策とは、日本国の精神を骨抜きにすることであり、そのために「戦争の放棄(軍備の否定含む)」をGHQ草案の基本原則の一つとした。最終的には米国の「属国」とすることに繋がる政策である。ここに行き過ぎた博愛主義を見ることが出来、戦前の日本を「悪」と見ていた疑いが濃厚となる。たしかに行き過ぎた天皇中心主義による軍部の独走はあったと言えるし、大東亜共栄圏と言いつつも、中国人と朝鮮人の全員が日本国の統治下に置かれることを望んでいたとは言い難い。人権と自由も現代のように保障されたものでもなかった。
要するに、「公職追放令」とは、「支配層の入れ替え」に他ならない。これは革命にも似た力を発揮したことを知るべきだろう。通常こうしたことを内部から行おうとすると流血の事態が必須であり、言論という武器だけでは無理に近い。それが敗戦による占領によって起こったということを見逃してはいけない。
問題は、敗戦によるGHQによる占領政策は「間接統治」を取っていたこと。つまり、直接GHQが手を下すのではなく、日本政府に憲法手続きなどを行わせたことにある。
だから、日本側が断固抵抗するならば、間接統治は上手く機能しなくなる(ただしポツダム宣言を受け入れ、米国の軍事力によって戦意を失っていたことは間違いないだろう)。
だからこそ、GHQ寄りの日本人が存在することは、GHQにしてみれば実にありがたいことなのだ。評価されて当然となる。
《鈴木義男の再軍備批判について》
鈴木義男が9条についていかなる考えを持っていたのかといえば、「9条の精神」を守り、再軍備の動きに反対の立場を貫いている。
鈴木は、『法律時報』の特集「平和条約の問題点」に関して「憲法との関連における問題」というタイトルの論文を寄稿している。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
憲法との関連において、もっとも問題となるのは、草案第六条(a)項の規定である。またこの規定に基づいて、講和条約の調印に引き続いて、直ちに調印が予定されている日米安全保障協定(または条約)である。日本国憲法第二章第九条は、周知のごとく一切の武備を撤廃し、戦争を放棄し、交戦を禁止したのである。自衛権はこれを放棄したものとは認められないけれども、それも武力以外の方法によるものとせられ、武力に訴えることは放棄せられたのである。いわば非戦主義・無抵抗主義の建前である。このことは第九条の規定を平明に読むならば異論のないところである。(中略)憲法が厳として存し、その条項が改正も修正もされていない現状において、自国軍なると外国軍たるとを問わず、紛争解決に武力を想念することは、憲法に対する背信である。
この発言に鈴木義男が9条に挿入した「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」という理念が見て取れる。
鈴木義男の主張は、9条がある限り、日本は軍隊及び武力を持つことはできず、日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留も認められない(反対)としている。
注目すべきは「自衛権はこれを放棄したものとは認められないけれども」としている点。
では自衛する方法とはと言えば、「武力ではなく武力以外の方法によって自衛する(平和を維持する)」と言っているのだ。結局、鈴木義男の思想(憲法に吹き込んだ精神)とは、「非戦主義・無抵抗主義」に他ならない。これはキリスト教の思想的影響を受けていると思える。
私からすれば、あまりにも理想論過ぎ、平和の実現及び自国防衛を国際社会に求める点において無理があり過ぎる。かつ武力による自衛権を手放すということの意味を理解していないと思われる。この感覚は現代人と当時の人間の肌感覚の違いによるものがあるのは当然だが、国家防衛の思想に理想に偏り過ぎている面が鈴木義男には見られる。別な言い方をすれば「性善説」に偏り過ぎている。日本が侵略戦争を起こさなければ、国際社会が救済の手を差し伸べてくれ、それによって自衛できると考えているふしがある。ここに欠落したる政治思想とは「独裁的で身勝手な侵略をする他国家の存在への警戒」に他ならない。これは歴史における真実の追求が不足しているがゆえに起こる思考だと指摘しておく。
鈴木義男は、国際情勢の変化などから「防衛力」が必要となった場合について以下のように語っている。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
日本にたいして、国際共産勢力と雖も、そう軽々に侵略をあえてすることがあろうとは信じないが…。(中略)結果において日本国憲法は、現段階では余りに理想に過ぎたものということになるのであるから、解釈を歪曲するというようなことではなく、堂々と憲法の規定を改正して、現実に妥協する外はないと信じる。
鈴木義男は、日本国憲法が「理想に過ぎたもの」という認識は持っていたということになる。そしてそうした国際情勢の変化が起きた際の対応は、「解釈を歪曲するのではなく、堂々と憲法の規定を改正して、現実に妥協する外はない」と言っている。
これは「改憲」を意味する。武力を持つことによって自衛するという方法を取るしかないと言っているのだ。
私が鈴木義男を分析するに、理想化肌でありながら、柔軟な発想を同時に持っている、戦争を嫌い平和を望みながら、決して国家の自衛権を否定しないという一見すると矛盾に聞こえる事柄を円熟した論理でまとめ上げていると見える。
実は、平和憲法と呼ばれる日本国憲法は、GHQ民生局のニューディーラーたちによって世界中の憲法(日本の民間憲法草案含む)の良いところを集めて作られた草案が土台であり、さらにその土台に日本側が「理想の継ぎ足し(修正)」と「日本化」をしたことで、「理想過ぎる憲法」となった。
〈護憲派は理想論に偏り過ぎている〉
鈴木義男という人物の護憲か改憲かの議論において、護憲派の方々は自分たちの価値観が「あまりにも理想過ぎていないか(現実を軽視している)」ということを考えてみるべきだ。
鈴木義男の考えは、日本が国際社会の一員として「自己防衛力」を含む軍事力を保有するためには、現実に「妥協」し、日本国憲法という「理想」を放棄(改正)するしか方法はないと考えていた。
護憲か改憲かという議論において、鈴木義男という人物が「日本国憲法は理想に過ぎている」から、「(国際情勢の変化が起きた場合)解釈を歪曲するのではなく、堂々と憲法の規定を改正して、現実的な対応をするべき」であると示唆していることを護憲派の方々はしっかりと受け止めるべきだろう。
護憲派のなかには、国際情勢の変化も、自主独立の国家としての姿も、国民の生命と安全を侵略的な国家から防衛するという思想が欠落しているという特徴がある。
「平和の憲法があるから平和を維持できた」という主張をする人が非常に多い。だが、確かにそうした一面はあるが、大局的に見れば、日本国内に米軍基地があるため、他国が攻めてこられないという現実があり、それによって戦争が起こらなかった一面もある。もちろん9条が歯止めになったことも事実である。
日本国憲法制定作業において、「平和」という文言を入れ込んだ人物の(上記の)言葉に耳を傾けて欲しい。
ちなみに、鈴木義男は、日本国の防衛に関しては憲法で軍備の否定、交戦権の否定をしているので、国際協調主義によって平和を維持するという発想をしている。だが、それでも講和条約締結、日米安保条約締結のいずれにも反対し、アメリカといえども日本国憲法がある限り、どのような名目であっても日本国内に駐留することは許されないと強く批判している。
これこそ「理想論」だと思うのは私だけではないだろう。ただしその意味が日本国の独立性というならば肯定する。
敗戦間もない当時であれば、国連の正体も理解できず、戦争に対する忌避感が強くあり、国際協調によって平和を維持する(作り出す)という価値観にすがりたくなってもしかたがないかもしれない。だが、2026年現在の世界情勢からみれば、国連は平和を作り出す組織ではなく、戦争や紛争を解決する力もやる気も無いことは明白であり、国連などの国際組織によって日本が平和を維持できると考えるならば、それはもはや「幻想」あるいは「極度の妄想」というしかない。
重要なことは、現代人が新憲法制定を考える上で「当時の情勢」と「現代の情勢」、「当時の人々の心境」と「現代の人々の心境」の違いをよく理解するべきだということ。敗戦によって命を奪われ、悲惨な経験をした人々がいる中では、「理想」を追い求めても仕方がないといえる。
押し付け憲法論について
《「押し付け憲法論」のはじまり》
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
1952年(昭和27年)4月28日の講和条約の公布・発効とともに施行された公職追放令廃止により、その対象者となった政治家たちから「押し付け憲法」論が主張され、それを根拠として自衛軍創設の必要性が強調されるようになった。
〈「押しつけ憲法論」を初めに言い出した者たちとは?〉
公職追放令廃止によって、息を吹き返した政治家たちとは戦前戦中の保守系の人々であり、当然ながら権力または権威ある立場にいた人々である。
なぜ彼らが「押し付け憲法」と言い出したかは、私にはよくわかる。
彼らは「天皇中心主義者」たちであり、明治憲法を改正したくなかった人たちであり、明治憲法による天皇中心の国家運営に浸ってきた人であり、その社会構造を維持したいと考えていた人たちだからだ。
ここで一つ私の立場を言うとするならば、日本国憲法は確かに「押し付け」であるが、上記の息を吹き返した人たちと私の考えは違っている。これは私の今回のシリーズ記事を読めばそれが理解できるだろう。
重要なことを指摘する。おそらくこうした指摘は誰もしないだろうからだ。
「『押し付け憲法』論が主張され、それを根拠として自衛軍創設の必要性が強調されるようになった」という部分に注目して欲しい。息を吹き返した当時の保守派の人たちの思考回路についてだ。彼らの言い分は口には出さないが「軍事力を持ちたい、持つべきだ」という気持ち(結論)が先にあり、そのために「押し付け」という根拠を利用していること。
私の思考回路は「自主独立の国家の姿」から出発して国家の条件を導くもの。
よって似ているようで真逆な思考法と言える。
公職追放令によって一度は追い落とされた人々とは「強かった日本」が忘れられない人々であり、「軍事力に憧れを抱く人々」でもある。これは日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と三度の戦争に勝利した国民としては当然の感覚とも言える。
つまり、四度目の第二次世界大戦の敗戦を(心の底から)認めたくない人たちであり、あくまでも天皇中心の世に強いあこがれを持つ人たちだということ。
実は、現在の改憲派の人たちは当時の権力者の系譜(子孫や思想的系譜)につながる人たちだということは知っておくべきだろう。
〈芦田修正に関する対立〉
上記の代表格人物として鳩山一郎がいることはよく知られている。鳩山一郎は、公然と日本国憲法の改正と自衛軍創設を行おうとしていた。鳩山とは別の自衛論を展開している人物として清瀬一郎がいる。清瀬は弁護士兼政治家であり、戦時期には大政翼賛会に合流し、1948年の極東国際軍事裁判では東条英機の主任弁護人を務めた人物。
清瀬は、「芦田修正」を根拠として、「憲法を改正せずとも自衛軍は持てる」とする立場にあった。(芦田・清瀬理論)
この「芦田修正」については別の【編】で出てくるのでここでは少しだけ語っておく。
後世の人々にとっては、この「芦田修正」こそが混乱の基であると言える。
「芦田修正」を知らない人に少しだけ語ると以下のような内容(清瀬の主張)である。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
清瀬は「憲法制定の時の衆議院の委員長であった芦田均君は、陸、海、空軍基地の兵力を保持しないことは、国際紛争の為の戦争(多くは侵略戦争)を放棄するということのみに縛ることを明にする為め、特に衆議院委員会に於いて第二項に「前項の目的を達するため」の十二文字を加えたのであると説明しておられる。当時の他の委員より、それはそうではないという異議は出ておらぬ。
つまり、侵略戦争や国際紛争を目的として派兵及び軍備の保持は否定しているが、それ以外の自衛のための軍事力までは否定していないという主張をしている。
戦後から現代においての改憲派の多くは、この芦田修正を一つの根拠としている。
これに対して鈴木義男の見解やいかに。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
「前項の目的を達するため」という字句がよく問題になるが、(中略)それは第一項と第二項とが、これなくしては接続されないから、接続の意味において挿入されたものと理解しているのである。
~中略~
少なくとも私は私なりに解釈して、第一項の規定を宣言しても、宣言のし放しでは駄目だから、第一項の誓を実にするために、第二項を規定するとい意味を明らかにするために、この接続句を入れることが適当であると解して賛したのである。
~中略~
従って当時の意見としては、兵力を全然持たないのであるから、自衛のためにすらも戦闘行為に出ることは予期しなかった事なのである。
つまり、鈴木義男の記憶では「前項の目的を達するため」という字句は「第一項の誓いを達成するため」に挿入した“接続句に過ぎない”というもの。
※注:ここでいう第一項の誓いとは「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」という部分。
要するに、当時芦田小委員会の委員であった鈴木義男の理解では、「自衛のためには軍隊を保持することが可能だ」という解釈が入る余地などなかったということ。
政府案修正作業に参加していた鈴木義男の言葉は決して現代人が軽々しく否定できないだろう。
だが、鈴木と清瀬の見解は真逆である。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
まず清瀬が占領下であったといえ、自衛権は国家に固有の権利(インヘレント・ライト)であり、いかなる国にも認められる権利であるから、それを守るための軍隊も当然のごとく認められるという主張をしているのに対して、鈴木はいかなる国にも自衛権があるのは当然であり、「私の知る限り自衛権もないのだという議論をしたものを余り聞かない。自衛権があるにもかかわらず、兵力をもたないというところに日本国憲法の特異性があるのである」
はっきりと言おう。
この勝負、鈴木義男の勝ちだ。
清瀬の言い分は、軍事力を肯定する大前提に立った上での憲法解釈であり、鈴木義男の言い分は、日本国憲法の正確な理解を前提とする自衛論なのだ。
つまり、日本国憲法とは極めて特異性を持った“他の国家ではあり得ない憲法”であるということ。重要なことは、鈴木義男は「国家の自衛権そのものを否定していない」ことであり、その上で正しい憲法解釈として「自衛権があるにもかかわらず、軍事力をもたないという憲法(条文)となっている」としていることに尽きる。
清瀬は、9条だけを取り上げて自説の論理を組み立てていることに対して鈴木は、「それは浅薄であり、過ちはそこに胚胎する」と批判し、正しい理解は9条と前文を一体的なものとして扱う必要があると主張している。清瀬の思考は局部単体論であり、鈴木の思考は全体統括論である。つまり、清瀬の論理とは、一つの部分だけで判断するものであり全体のつながりや貫いている憲法精神を無視するものであり、鈴木の論理は、部分は全体の一部であり、全体を通して総合的に憲法の条文を解釈するものである。
(通常は、条文単体でも解釈が成り立つが、日本国憲法における「平和主義」及び「戦争放棄」の条文に関しては、局部的に見てはならず、関係する条規と照らし合わせて考えるべき)
「前文」は単独で存在するのではなく、すべての条文に貫くものであると考えるべきであり、それでこそ「前文」としての意味が成り立つ。憲法における「前文」とは憲法の全条文を貫く柱であると考えるべきなのです。
議論としては難解であることは間違いないが、この議論(憲法解釈)を間違えることは国家の方向性をミスリードする可能性があるので、国民にとって極めて重要である。
「清瀬・鈴木論争」は他にもある。
1955年7月の内閣委員会において清瀬が日本国憲法を「マッカーサー憲法」と揶揄したことに対し、鈴木は社会党を代表して「懲罰委員会に付する動議」を提案している。
鈴木は清瀬の発言を「現行憲法蔑視(の感覚が溢れている)」と受け取った。鈴木義男としては、曲がりなりにも自分が憲法制定に関わった者として、日本国憲法を侮辱することは許せなかったのだろう。怒りはほぼ頂点に達し、憲法の尊厳を守るために責任を取って公人としての進退を明らかにするべきだと主張している。こうした思いから「われわれが断固として懲罰に伏すべきことを要求する」とした。
この「懲罰動議」はその後採決が行われたが「否決」された。
これに対する私の見解を述べると、清瀬の主張である「(日本国憲法は)マッカーサー憲法」であるという主張は、“正しい”と理解している。
そもそも日本国憲法の土台となった草案がGHQ民生局による草案であり、その草案の原液には「マッカーサー・メモ(マッカーサー三原則)」なるものが含まれている(実は他にも重要なものがある)。
新憲法制定の発信源がマッカーサーであり、GHQ民生局に草案作成の命令を出したのもマッカーサーであり、議会における修正等にも最終的影響力を持っていたのもマッカーサーであり、もしマッカーサーによって反対されれば、政府案自体が制定されることはなかったとも言える。つまり、占領中の日本において、新憲法制定の主導権(指揮権)を握っていたのはマッカーサーであることは間違いない。
日本国憲法の土台となった草案とは紛れもなくGHQ草案(民生局草案)であり、政府案の約9割がGHQと同じであることを理解すれば、日本国憲法の正体がマッカーサー憲法であることは明白である。
この論争は、先の論争とは逆に、鈴木の負けである。
鈴木は、理想肌であり、自分が制定(政府案修正)に関わったことで、日本国憲法に強い思い入れがあることは間違いなく、日本国憲法の「平和主義」「戦争放棄」に深く共感しているため、日本国憲法へ信仰に似た憧れと理想を抱いていたことは間違いないと思われる。
正直に言うと、この「芦田修正」に関しては隠されて部分があり、明確に答えが出ていないものでもある。ただし、私が知る限り「これが真相に一番近い」と思われるものがあるので別の【編】にて語ろうと思う。
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)④】につづく
参考書籍
書籍名:『平和憲法をつくった男』
著者名:仁昌寺正一
出版社:筑摩書房
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

