【卑怯極まりない警視庁職員によるひき逃げ事件】
《警視庁職員によるひき逃げ事件》
2020年、7月19日未明、ひき逃げ事件が発生。
東京都北区の環状7号線の路上で横たわっていた板橋区の会社員男性(21)を車でひいて死亡させたうえ、現場から逃走した人物は、なんと警視庁職員だった。
五味丈士容疑者(54)は、警視庁で留置所の食事や清掃などを担当していた刑務官と思われる。
いわゆる刑事や警官とは少し違った職員だが、紛れもなく警察組織の人間である。
一般人からみれば警察官と呼ぶ存在である。
その警官の言動には耳を疑うものがあった。
伝えられている事件の様子を見て行こう。
五味容疑者は、19日の未明の午前4時6分頃、環状7号線上で路上に横たわっていた会社員の男性をひいて死亡させた。
五味容疑者は、救護することもなく、その場から逃走した。
これは立派なひき逃げである。
その17分後の午前4時23分に現場から数百メートル離れた場所に車を止めて「道路で人が倒れている。出血がある」と119番通報している。
五味容疑者は、駆けつけた警察官に「仕事がある」と言い残し、現場を離れた。
このとき、男性をひいたことは伝えなかった。
警視庁の警官が、被害者の男性の手や顔にタイヤでひかれた痕があったことから、関係者の一人として五味容疑者に事情を聴いたところ、事件の関与をほのめかしたのだ。
五味容疑者は、取り調べに対して「交通事故を起こしたことは間違いありません。人とは思わなかったので、その場を離れてしまいました」と供述しているという。
なお、五味容疑者からはアルコールは検出されていないが、マイカーでの出勤に必要な上司の許可は取っていなかったという。
【ご意見番による事件の検証&糾弾】
〈糾弾1〉
「人とは思わなかったので、その場を離れてしまいました」
と供述しているが、これは五味容疑者が通報した内容と矛盾する。
五味容疑者は、「道路で人が倒れている。出血がある」と119番通報している。
明らかな矛盾、というか、これは「嘘」をついているのだ。
環状7号線は道幅の広い幹線道路であり見通しもいい。
午前4時ごろの時間帯であれば走行する車も少なく、まして人が道路上にいるとは思わなかったといえばそうだろう。
7月20日の日の出時刻は午前4時40分。
事件のあった19日の日の出もほぼ同じ時刻と思われる。
だとすると、事件のあった午前4時6分頃は、まだ薄暗かったと思われる。
五味容疑者がライトを点灯していたのかは分からないが、普通に考えるならばライトは点灯していなければならない。
事件が起きた状況は、夜明け前の薄暗い早朝で、「まさか道路上に人がいるとは思わなかった」「人がいることに気がつかなかった」といえば、それはそうかもしれない。
要するに、“まさか”ということなのかもしれない。
だが、それは交通事故において許されることにはつながらない。
過失によって交通事故を起こしたならば、加害者には「被害者の救護」と「警察及び救急への通報の義務」がある。
基本的に交通事故を起こしたくて起こす人は皆無である。
だからといって現場から離れることは、二重の罪を犯すことになる。
それは過失ではなく、故意、つまり自らの意思によって罪を犯すことになる。
これが非常に悪いことだ。
人として最低の行為なのだ。
「人とは思わなかったので」と言っているが、では、なんだと思ったのか?
ドライバーとして事故が起きたとするならば、その場で停止して、なにが起きたのか確認することは当然やらなければならないことだ。
それを現場から離れたということは、「逃走」の意識が五味容疑者にあったということだ。
人なのか動物なのか、あるいは障害物だったのか、確かめることはドライバーとしての責務である。
それを警視庁に努める職員がやらないということは、あきれてものが言えない。
五味容疑者はいい逃れをしているようだが、「道路で人が倒れている。出血がある」と119番通報している以上、人をひいた認識はあったということだ。
車で人ひとりの命を奪っておいて自己保身のために「嘘をつく」。
これは悪質である。
被害者の男性の救護責任と真実の通報をせず、被害者の男性の生死を心配することよりも、自分が事故を起こして処罰されることを心配した自己保身最優先のエゴイストである。
自分勝手もいい加減にしなさい!
五味容疑者は、極めて自己中心的な人間だということだ。
要するに「自分のことしか考えていない」のだ。
〈糾弾2〉
「交通事故を起こしたことは間違いありません。人とは思わなかったので、その場を離れてしまいました」
この台詞には五味容疑者の心理が見事に現れている。
その心理とは?
「交通事故を起こしたことは間違いありません」という言葉には、人身事故を起こして言い逃れ出来ないと思った“諦めの気持ち”がある。
だが、「人とは思わなかったので、その場を離れてしまいました」という言葉には、悪質な考えが現れている。
つまり、人身事故だと気がつかなかったと主張することで、罪を軽くしようとする卑怯極まりない考えが露骨に見えている。
事実は消せないが、出来るだけ「嘘」をつき、「言い逃れ」をして、可能な限り罪を軽くしたい、という心理が働いているのだ。
そこには反省の気持ちや罪悪感はない。
あくまでも自己保身の気持ちしかないのだ。
黒を白と言い張れば、白と認識されるという悪質な犯罪者と同じ心理がそこにある。
「許可を取っていないマイカーでの出勤」を隠蔽しようとするのが理由だとするならば、それはあまりにも身勝手で稚拙である。
〈糾弾3〉
五味容疑者は、なぜ現場から数百メートル離れた場所に車を止めたのか?
17分の空白の時間に五味容疑者は、何をしていたのか?
この二つの疑問が出てくる。
問題は、五味容疑者が人をひいたと認識した事故だったのかどうかだ。
〔意見番の推測1〕
人が道路に倒れていることに直前まで気がつかなかった。
気がついたときには間に合わなくてひいてしまった。
逃げようと思ったが、怖くなって数百メートル離れた場所に車を止めた。
警視庁職員という立場があるので、目撃者として通報だけした。
この場合、人身事故の認識をしているということになる。
この状況は、五味容疑者は道路上に横たわる被害者を認識したが事故を防げなかったということだ。
五味容疑者は、一旦逃げたが、車を停車させた場所から歩いて現場に戻り、被害者の状態を確認した。
だから被害者が出血していると通報できた。
「出血がある」と通報できた理由は、五味容疑者が現場に戻り、被害者の状態を確認したこと以外考えられない。
つまり、空白の17分間に事故現場に戻り、被害者の状態を確認していた、ということだ。
〔意見番の推測2〕
ご意見番がさらに想像すると、五味容疑者の語っている「被害者が道路上に横たわっていた」という供述が嘘の可能性さえあると思っている。
つまり、道路を横断しようとしたなどの理由などで道路上に現れた被害者をひいてしまったという可能性もあるのではないか、と思うのだ。
邪推と言えばそれまでだが、五味容疑者のような平気で嘘をつく人物の供述は根底から疑ってかかるほうがいい。
そもそもが「嘘」だった、ということもある。
それは「死人に口なし」をいいことに、自分の罪を少しでも軽くするための「嘘」である。
嘘つきは自分さえよければいいと考える性質を持っている。
嘘をついて自己保身する人間の言葉を簡単に信じてはいけない。
むしろ疑ってかかることが必要だ。
〈糾弾4〉
「仕事がある」と駆けつけた警察官に告げて現場からいなくなった。
このとき、男性を車ではねたことを言わなかった。
17分間の時間的空白、「出血がある」という通報が意味することは、人身事故を起こした認識があるということだ。
しかも、被害者は重症または死亡している可能性を認識している。
なのに、事実を告げずに現場を去った行為は悪質極まりない。
こんな自分勝手、自己中心的発想、自己保身が許されますか?
五味容疑者は、被害者の家族のことなど一切考えなかったのでしょう。
被害者の人生など思い描かなかったのでしょう。
そこにあるのは、ただただ「自己保身」のみ!
〈糾弾5〉
このひき逃げ事件に対して、警視庁は「亡くなられた被害者のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族に深くお詫び申し上げます。捜査を尽くしたうえで厳正に対処をいたします」
とコメントしている。
アチキは、はっきり言う!
警察組織が、身内である警察関係者が事件や不祥事を起こしたときに、「厳正に処罰」したことがあるか?
ほぼないだろう。
以前に「志布志事件」の記事をアチキは書きました。
志布志事件は、まったく事件がないところから、警察が勝手に事件を作り上げて、なんの罪もない人を犯罪者にしたてようとした事件だ。
その事件を作り上げた刑事たちは厳正に処罰されたか?
否、否!
何の罪もない市民を犯罪者に仕立て上げようとした刑事たちの処分は、
志布志警察署署長の黒健治 「本部長注意」
捜査主任・警部の磯部一信 「所属長訓戒」
警部補濱田隆広 「3ヶ月間の減給(1/10)」
である。
あり得ない!
警察組織には「隠蔽体質」と「身内を庇う行動基準」が存在する。
「捜査を尽くしたうえで厳正に対処をいたします」というからには、事件の真実をありのままに世間に公表せよ!
その上で、一般市民でない警察組織の人間として厳正に処罰せよ!
〈事件の謎〉
ここで報道にない疑問が湧く。
どうして会社員の男性は、環状7号線で倒れていたのか? ということだ。
これについては報道では一切ない。
事件の加害者が警視庁職員だとすると、捜査が進んでも事件の真相は世間に知らされることはない可能性が高い。
被害者が泥酔して道路上にいたのか、眠り込んでいたのか、どうして環状7号線上にいたのかが、最大の謎だ。
もし、泥酔していた、眠り込んでいたとすれば、被害者には悪いが、被害者側に落ち度はある。
だが、五味容疑者の矛盾する供述から推測すると、被害者側に落ち度がなかった可能性もあると、アチキは思う。
真実は如何に!
【『YAHOO!JAPANニュース』に寄せられたコメントに驚愕】
実は、今回の記事を書くことにしたのは、このニュースに寄せられたコメントにショックを受けたからです。
警察職員によるひき逃げ事件だけでもの申すことにした(記事を書こうと)のではなく、このニュースに対するコメントが異常だと感じたからです。
(アチキはニュースだけでなく、コメントが寄せられている場合は、コメントも読んでいます。また、ご意見番として自らコメントすることもあります。もし、ニュース報道のコメントで「世直しご意見番より」と書かれていたら、アチキです!)
サットヴァレモンと名乗る人物のコメントには、
(以下引用)
「まさか人じゃないよね?と信じたい気持ちや焦りで正気で居られなくなると思う。そんなに悪質かと言われるとそうでもないように思うけどね。故意に轢いてるわけじゃないし。」(原文のまま)
アチキは、自分の目を疑いました。
そして驚きました。
こんな価値観の人がいるのかと。
正直に言えば、このコメントに対してもの申すことのほうが、今回の記事の目的と言えます。
「そんなに悪質かと言われるとそうでもないように思う」
つまり、「そんなに悪質ではない」ということですね!
確かに人身事故を起こしたこと自体は故意ではないかもしれない。
また人身事故を起こした人は突然のことに焦ってしまい、「平静心」を失うでしょう。
だが、だからといって「逃げる」こと「嘘をつく」ことが許されるわけではない。
事故が故意であるかどうかではなく、事故を起こして「救護」と「加害者としての正直な通報」をしないことが大問題であり、悪質な罪だということがサットヴァレモンと名乗る人物には分からないようだ。
信じられん!
もし、この人物が同じような事故を起こしたならば、今回の五味容疑者と同じような対処(行動や供述)をするのだろう。
もしかすると、五味容疑者のように数百メートル離れた場所に車を停車させて通報することもせずに完全なる逃走をするのではないかと想像さえできてしまう。
サットヴァレモンと名乗る人物には、人としての倫理の欠片もないといっておく。
道交法の知識さえないのではないかと疑う。
こうした間違った価値観を持つ人間が存在することに“怖さ”を覚える!
サットヴァレモンと名乗る人物には、想像力と思いやり、相手の立場に立って考えるということが大きく欠落している。
自分がもし被害者だったらと想像してみなさい。
遺族が味わう大きなショックと深い悲しみと収まりがつかない怒りの感情を思ってみなさい。
あなたのコメントを読む限り、“超自分勝手”なエゴのかたまりの人間としかいいようがない。
サットヴァレモンと名乗る人物に問う!
被害者の男性とその遺族を目の前にして同じ台詞(コメント)が吐けるのか?
答えてみろ!
【嘘は犯罪の始まり】
五味容疑者のひき逃げ事件に関しては、大きく言うと2つの問題がある。
まず、「嘘」をついて罪の追求を逃れようとする卑怯極まりない言動だ。
「嘘は泥棒の始まり」という諺があるように、犯罪者たちは決まって「嘘」をつく。
嘘をつかない犯罪者はいない、と言っていい。
この嘘は、自分の罪を隠し、罪状を軽くしようとすると同時に被害者へ気持ちや立場など一向に顧みないものである。
つまり、自分さえよければそれでいい。
そうした言動が「嘘」となる。
「嘘」をつくことは、刑法では取り締まれない。
だが、モーゼの立法もイエスキリストの教えでも、インドの釈尊も「嘘」は悪と諫めている。
「嘘をつく」ということは、人類普遍の知恵として「悪」と認定されているのだ。
また、五味容疑者の身分が警視庁職員だということは、別な意味で大問題だ。
刑務官(警視庁職員)とはいえ、警察組織に属している公務員であることは間違いない。
社会の秩序を守る警察官(刑務官)が自ら社会秩序を乱すことは重罪である。
警察組織の人間は、一般人以上に社会秩序を守り、世間の手本となるべき存在である。
それが、自己保身のために嘘をつき、救護もせず、取り調べにおいても言い逃れをする。
人間失格とはこのことだ!
警察の人間が嘘をついたり、犯罪や不祥事を隠蔽するのでは、市民はなにを信じていいのか?
誰を頼ればいいのか?
嘘つきには、真の意味で反省や謝罪はできない!
厳罰あるのみ!
次回は今年の上半期に起きた警察による犯罪、不祥事を列挙することにする!
最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。