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『軍事的思考から見る東京五輪の危険性とは? ~「平和幻想」からの脱却!~』

はじめに

東京五輪が開催されることとなりました。
(観客等の制限あり)

はじめに言っておきますが、アチキは東京五輪を応援したいと思っているでござりんす。
アスリートの活躍を観てみたいと思っているでありんす。
(特に、空手、テコンドー)

ですが、この問題(五輪開催)については、この記事を書くまで、さんざん考え悩みに悩みました。
それが、このタイミングで意見を出すことは、恐らく、大いに批判と誤解を招くことになると予想しています。
しかし、本来、国際政治学者等が発言するべきことであるにも関わらず、誰も発言しないことがあるので、“一言”言っておかねばならぬと思い、発言することにしました。

アチキの意見は、決して左翼の主張している「五輪開催反対」と同じではありません。
でも、保守の言論人が主張する「もろ手を挙げて賛成」でもありません。

「誤解なき」とは今回言いません。
誤解、批判、承知の上です。
ですが、こうした意見が出てこないということは、日本は「平和幻想」の中にあると言わざるを得ないのです。

ご意見番の意見(見解)とは?

「軍事的思考」から見る東京五輪開催の危険性とは?

《SARS2が「人工ウイルス」であり、「武漢ウイルス研究所流出説」が証明されつつあること》

日本のメディアでは、意図的に避けられている情報があります。
それはSARS2が「人工ウイルス」であると、世界の多くの国が認識している、ということです。
世界の認識は、SARS2が武漢ウイルス研究所で作られ、武漢ウイルス研究所から漏れたもの、という認識となっています。
直接の証拠はまだ出ていませんが、状況証拠は複数出ているのです。

さらに重要なことは、HIVワクチンを世界で最初に開発したアンガス教授が、「SARS2は人工ウイルスである」と、科学的見解(根拠)を基にして発言していることです。

そもそも、SARS2が自然界から自然発生したものだという科学的根拠は存在していません
SARS2自然発生説は政治的な意図で発信された情報でしかなかったのです。

しかし、SARS2には明らかに人工的に手を加えたときにしか現れない「固有の指紋」が発見されているのです。
HIVワクチンを世界で初めて開発した頭脳を持つ人の科学的根拠のある発言を無視する理由はありません。
それを無視するならば、そこには“何らかの意図”があるのです。

いま、分かっていることを整理すると、
「SARS2が人工ウイルス」であるということは科学的根拠をもって証明されている。
しかし、SARS2が武漢ウイルス研究所から流出したということは現時点では推測の域を出ていない(状況証拠が複数あるだけで、直接的な証拠はいまのところない)」
(武漢ウイルス研究所には、SARS2よりも致死率が高いウイルス(致死率15%)もあるという情報もあります)

だが、この2つの情報は、五輪開催に限らず、世界中の各国にとって決して見逃すことのできないものです。
もし、この2つの情報を見逃すならば、政治判断を間違えてしまうからです。
政治判断を間違えるということは、その国民を間違った方向に導く、または不幸にする、ということを意味するからです。
まず、この2つの情報を五輪開催にあたって前提条件(情報)としなければなりません。

〈ポイント〉

軍事的思考からみるSARS2は「生物兵器」となります。
「人工ウイルス」とは、戦争またはテロのために作られた戦争の道具=「生物兵器」ということです。

《COVID-19にはまだ、触れられていないナゾがある》

SARS2が仮に人工ウイルスであり、武漢ウイルス研究所から流出したとして、それが五輪開催に何の関係があるのか?
と思う方も多いでしょう。
日本においてもワクチン接種が進めば感染も収まってくるはずだ!
(本当にワクチンだけで、感染を止められるでしょうか?)
そもそも五輪を誘致しておいて、いまさら中止なんて言ったら今後、日本は五輪開催を二度と出来なくなる、また、中止したら賠償請求される、と主張する保守派の言論があることは重々承知です。

しかし、いまだに触れられていないCOVID-19(パンデミック)に関する大いなるナゾがあります。

それは、最初にSARS2が流出したことは別として、一旦、SARS2が世界中で広がったときに、アメリカ、イギリス、そしてインドなどで、それまでとは大きく違う感染爆発(感染拡大)が起きたことです。
これはナゾというよりも、「疑惑」と言った方が正確でしょう。
ご意見番は、この疑惑をずっと抱いていました。

なぜ、昨年、アメリカで一気に感染が異常爆発したのでしょうか?
今年のインドでの感染爆発は異常です。
本当に、自然に感染が拡がっただけでしょうか?

なぜ、変異はイギリスとインドで起きたのでしょうか?
ウイルスは国家を選びません。

イギリス、インドともに中国と敵対している国家です。
軍事的思考から考えると、偶然とは考えません。

軍事的思考から見ると、「パンデミックが起きた状況というのは、さらなる生物兵器による攻撃を仕掛ける絶好のチャンス」でしかありません。

もし、アチキが習近平氏の立場であったならば、政治的に敵対している国に対してウイルスを撒く司令を出すでしょう。(アチキは習近平氏のような人間ではありませんぞ!)

アメリカ、イギリス、インドなど大きな感染被害が出た国のほとんどが中国と敵対している国家である、という事実は、“偶然”で片付けられるものでしょうか?

それを軍事的思考から見れば、こう予測できます。

「中国人民軍がパンデミックを利用して、意図的にウイルスを持ち込み、生物兵器攻撃を仕掛けた」

つまり、感染が発生(パンデミック)したことに紛れて、その国でパンデミックを拡大させるために生物兵器としてウイルスを意図的に流出させた(ウイルスを撒いた)、ということです。

生物兵器(ウイルス兵器)の恐ろしさは、戦争の道具である生物兵器を街中で撒いたとしても、誰にも気がつかれない、という点にあります。
つまり、密かに相手国に知られずに戦争(テロ)を仕掛けられるのが生物兵器(ウイルス兵器)なのです。
例えばドローンを使って密かに撒いても、誰もわかりません。
事前に分ることは不可能です。
分ったときとは、被害が出たとき以外にはありません。
それが生物兵器(ウイルス兵器)というものの恐ろしさなのです。
しかも、その事実が証明されることは不可能に近いのです。
真実が明らかになるとしたならば、一つしかありません。
それは「内部告発」です。
ですから、中国共産党政府が倒されたときに、この情報は出てくるでしょう。

そもそもSARS2などの生物兵器を開発していたということは使用する(生物兵器による戦争)ことを計画していた、ということです。
でなければ、開発する必要などないものです。
(理由は、未来のパンデミックに備えるための研究などと主張するでしょうが…)

忘れないでください。
中国は易姓革命の歴史を持つ国家であり、兵法書(武経七書)を生んだ国家であることを。

〈ポイント〉

軍事的思考からみると「すでに起きたパンデミックは、生物兵器を使用する絶好のチャンス」であり、「知られることなく、敵対する国家に打撃を与えることができる絶好の機会」である、ということ。
要するに、SARS2が人工ウイルスで、開発したのが中国共産党政府ならば、「ウイルス攻撃を仕掛けられた」と考えるのが軍事的思考の導き出す答えです。

《軍事的思考から見る東京五輪の危険性》

さて、中国という国家は、反日でしょうか?それとも親日でしょうか?
中国が親日であれば問題はない、というのが軍事的思考からみた政治的見解です。
ですが、実際は、超反日国家です。

世界中から選手などが集まる五輪(オリンピック)には、工作員が紛れることが容易です。
それが軍事的思考から見た見解です。
工作員は、簡単に見破れないからこそ工作員なのです。
「怪しい」だけでは、逮捕も拒絶もできないのが現状です。
簡単に人民解放軍所属の人間、または人民解放軍から送り込まれた訓練された工作員が入り込みます。
その目的は、五輪開催中に生物兵器による攻撃をする、つまり、「ウイルスを撒く」ことです。
すると、東京五輪が閉会した後に、第五波がやってきます。

その場合、考えられる悲劇が2つあります

その第五波は、「いままでにない規模の感染爆発(感染拡大)を起こす」
もう一つは、「日本発の変異ウイルスが発生する」ということです。

もし、人民解放軍が五輪で生物兵器を撒く場合、変異ウイルスを使用する可能性が非常に高いと思われます。
(SARS2の変異ウイルスはすでに武漢ウイルス研究所において複数存在しているという情報がある)

つまり、日本発の変異ウイルスが日本をさらなる地獄へ突き落すことになります。
この場合、ワクチンでは対応できません。
ワクチンは健康な人がウイルスに感染しないようにするための予防法だからです。
すでに感染した人が爆発的に増えた場合は、治療薬を使用しなければなりません。
このとき、ワクチンのみの対応策は無力なのです。

現時点において、日本においてヒドロキシクロロキンイベルメクチン等は使用される方向にはありません。
なぜなら、ワクチン以外の方法がないという理由が「ワクチンの緊急使用を許可している法的条件」だからです。
ですから、五輪後に第五波、それも日本発の変異ウイルスが発生した場合、単に感染者が増えるだけでは済まず、重症者、死亡者が増えることが予想されます。

〈ポイント〉

軍事的思考からみる五輪開催後の危険とは、「日本発の変異ウイルスの発生による、いままでにない規模の感染被害の発生(第五波)」です。

《軍事的思考から考える五輪開催の条件とは?》

SARS2が人工ウイルスであり、生物兵器であると考えるならば、軍事的思考から導き出される答えは「五輪開催は中止するべき」です。
しかし、それでも開催すると言うならば次善の策があります。
それは「中国を東京五輪に参加させない」という方法です。

ですが、現政府は中国の腰ぎんちゃく議員によって牛耳られているので、現状ではこうした策は不可能です。
また、国民も納得しない人も多くいると予想され、民間人を装った各地に潜む工作員が全国で一斉に抗議の声をあげるでしょう。

それでも言います。
軍事的思考からみると「五輪開催は中止」が最善策なのです。
(いまさらかよ? と思うでしょう?)

もし、これ以上の感染被害を出したくないというのならば、経済を一日でも復興させたいというのならば、一日でも早く元の生活に戻りたいと願うのならば、「五輪開催は中止」が安全策であるのです。
それが軍事的思考の導き出す結論です。

国際政治の力学は「軍事」と「金(経済)」!

《国際政治の力学は「軍事力」と「金(経済)」》

驚くことがあります。
それは保守系の言論人、または国際政治学者もこうしたことを誰も考えない、指摘していないことです。
ある国際政治学者は、G7後に「五輪反対を言う者は、今後“ダサい”と言われる」とまで語っていました。
しかし、こうした発想しかできない国際政治学者には国際政治を語る資格はありません。

政治と軍事、政治と経済、政治と教育、政治と外交、すべて切り離せないものです。
さらに言うと、世界(国際社会)を動かしている大きな原理は「軍事力」と「金(経済)」です。
「金=経済=収入」と「軍事力」が世界を動かす大きな力であることを中国共産党政府は誰よりも理解しています。
だから、彼らの手口は“それ”なのです。

政治を考えるということは、「経済(貿易など)のカネの流れ(経済の動き)」と「軍事力による均衡」を考えるということです。

これが分っていない国際政治学者がいるようです。
国際政治において「軍事的思考」が出来ないようでは、国際政治を語る資格はありません。

国際政治において軍事的思考なしでは、政治上の判断はつきません

軍事とはクラウゼヴィッツが『戦争論』で主張しているように「政治の延長」だからです。

おい、おい、もしの話なんてするなよ!
なんていう人がいたら、そうした人こそ自分の日常生活を考えて見てください。
「もし?」ということは人間の生活に常に存在しているものです。

なぜ、マスクを着けるのですか?
なぜ、アルコール消毒をするのですか?
なぜ、3密を避けるのですか?
それは、もし、ウイルスがあった場合、感染しないようにと想定しているのでしょう。
想定して感染防止をしているのでしょう?

人間の生活や人生において「想定する」ということは絶対に欠かすことのできないものなのです。
ましてや国防に関しては「想定に次ぐ想定」が必要であり、その要諦は「最悪の事態を想定して、それに備える」ことです。

SARS2が人工ウイルスであると信じるのならば、兵物兵器による攻撃を考えることは必然でしかありません。
SARS2が人工ウイルスであると思っていながら、東京五輪は開催するべきという考えは「平和幻想」でしかありません。

保守の言論人がこうした思考を誰もしていないことが悔やまれてなりません。
それは日本という国家が「平和幻想」に包まれていることを意味しているのです。

軍事的思考からみる政治判断とは?

《「最悪の事態を想定する」ことが軍事的思考を持つ政治判断》

想定する、予測する、ということは政治においては国民の生活と密接に関係しています。
その場合の想定とは、「最悪の事態を想定し、それに備える」です。
政治上の想定とは「最悪の事態への対処」なのです。
そこには軍事的思考が当然必要なのです。

〈ポイント〉

「政治」と「軍事的思考(発想)」は切り離せないもの
政治の役割とは、「最悪の事態を想定し、それに備える」こと。

《いま、日本に必要なものは「平和幻想」からの脱却》

第二次世界大戦後、自国の防衛をアメリカ合衆国に任せきりにしてきた日本に大きく欠落しているのが「軍事的思考」です。
それは自虐史観による影響です。

日本は侵略国家で、他国に迷惑をかけた悪い国家だったのだ、という教育と洗脳によって、軍事的思考(軍事思想)を考えることまで“悪いこと”のように扱われる空気が醸成されてきたからです。
それは「平和幻想」でしかありません。
「幻想」なのです。

国際政治において、国際情勢において、「平和」とは「軍事上の判断」の上にあるものなのです。
学問では、「政治学」「経済学」「法律」「宗教学」など専門分化していますが、本来、政治とはすべてを含むものなのです。
全てを含むとは、すべてに関係している、ということです。

国連もWHOも真に「公平」「平等」の組織ではありません。
もし、そう思っているのなら、それは「幻想」であることに気がついたほうがいいでしょう。

以上、軍事的思考から東京五輪を考えてきましたが、こうした発想が国内の学者やジャーナリストから出てこない、というのが、日本という国家の“危うさ”であるのです。

さいごに

今回の記事の内容は、あくまでもご意見番の個人的な予測(予想)でありんす。
読み終わったら、忘れてください。

しかし、もし、ここに書いてある事態が起きたときには、思い出してください
もし、起こらなかったら、ただの杞憂だったと思ってください。

決して今回書いた記事の内容が実現することを望んでいるわけではありません。
ですが、そうしたことを判断の材料としないということは、国民の命を軽視している無能の政治家によって国家が運営されている、ということを意味することだけは事実です。
アチキは、無事に東京五輪が開催され、COVID-19の第五波もなく、収束に向かうことを願っています。
なぜなら、アチキは日本という国が好きだからです!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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