まずは『【前編】【中編】【後編1】【後編2】【追記編(1)】』をお読みください。
米国の勝利は国際法違反の上に築かれたもの
《ハーグ陸戦条約第23条の問題》
すでに示したが、アメリカ軍はいくつもの国際法違反をしている。
ハーグ陸戦条約第23条5項には「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じている。
(ただし、不必要な苦痛の明確な定義はなされていない)
原子爆弾は紛れもなく「不必要な苦痛を与える兵器」でしょう。
焼夷弾は紛れもなく「不必要な苦痛を与える投射物」でしょう。
原子爆弾も焼夷弾も民間人居住地への攻撃であるので、明確なハーグ陸戦条約違反(国際法違反)となります。(第25条:無防備都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することを禁ず)
つまり、アメリカ軍は国際法違反をすることによって、「日本の戦意を奪った」ということが紛れもない事実なのです。
ルール違反して勝者になった者が敗者を従わせようとしたのが占領政策であったことを日本人は自覚するべきです。
考えてみてください。
これがスポーツであったならばどうですか?
ルール違反して相手に勝った(相手を倒した)ことが勝利と認められますか?
ボクシングの試合で“蹴り”を使って相手をノックダウンさせて、それが勝者となりえますか?
ところが戦争や国際紛争においては「道理」や「普遍的真理(愛など)」よりも「力」がものを言うのです。
戦後、世界を動かす力の原理が存在することに日本人は目を背けられてきたのです。
それは「戦争に勝った者が他国を支配する(緩い属国扱いを含む)」という原理です。
つまり、軍事力において有利に立つことによって世界の中心であろうとする働きが世界にはあるのです。
《休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効だというならば…》
付け加えておきたいことがある。
「ポツダム宣言を受諾した後は休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効である(正確には第42条以降を指す)」という論理(主張)があるが、もしその論理が正しいのならば以下のことが占領下でまかり通ることになる。
それが意味することは「法の支配が及ばない」ということで無秩序の状態を意味し、それはGHQの好き勝手な支配を許すという結論に達する。
だから、上記の論理を振り回す人は以下のことを考えるべき。
〈もし、休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効であるならば〉
もし、休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効であるならば(正確には第42条以降を指す)、以下の国際法も無効となってしまい、その意味することは占領された日本には非人道的な扱いをしてもかまわない、という論理となる。
そのことを考えるべき。
第45条:占領地の人民は、敵国に強制的に忠誠の誓いをなさしめられることはない。
第46条:家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない。
第47条:略奪はこれを厳禁とする。
(第三款敵国の領土における軍の権力)
つまり、「休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効(42条以降が無効)」だとするならば、占領軍による略奪は罪ではなく、脅迫して米国に従わせることも罪ではないとなる。
これでは何のための戦争法規なのかその者たちに聞きたい!
要するに、「休戦状態だからハーグ陸戦条約が無効(42条以降が無効)」だと主張することは、占領下の強盗、脅迫などが国際法的にみて罪に当たらないと言っていることとなる。
それを主張している人たちは理解しているのか?
近代においては戦争にはルールがあるということを日本人は深く自覚するべきである。
しかし、日本以外の国では国際法違反は日常茶飯事であり、自国に有利に扱っているというのが国際常識である。
〈「休戦」の意味を考える〉
「休戦」の意味を考える。
ハーグ陸戦条約(第五章休戦)では「休戦」について以下のように規定している。
第36条:休戦は、交戦当事者間の合意をもって作戦行動を停止するものとする。期間の指定なき時は、交戦当事者は、いかなる時点においても再び交戦を開始する事が可能である。
第40条: 当事者の一方的な休戦規約の重大な違反が合った場合、他方は規約廃棄の権利を有するのみならず、緊急の場合においては即時に戦闘を開始することも許される。
これはどういうことかというと、条件や状況によっては、戦闘を再び開始することが可能だということであり、その真の意味は「戦争の完全なる終了ではない」ということである。
つまり、敵国(占領国)が国際法違反の行為をするならば、占領された国は再び交戦(戦闘)を開始してもよい、ということなのだ。
だから、休戦は「終戦」ではないのだ!
休戦の意味を平易な言い方をすれば、「戦闘行為(作戦行動)を停止するもの」であり、戦争の完全なる終わりではない。
「戦争の完全なる終わりに向けた状態」または「終了に移行する期間」と言える。
であるから、「休戦状態であるからハーグ陸戦条約は無効である」という主張は国際法理解の屈解であり、その帰結として「日本国憲法を制定したことは国際法違反ではない」という論理は間違いである。
《日本国憲法は民主主義から生まれたものではない》
最後に重要な点を指摘します。
現時点で、日本人は日本とは民主主義の国であると認識しているでしょう。
(ただし、現実は全体主義にかなり汚染されている)
ある意味、民主主義の究極の姿が、国民の声を反映して国の最高法規である憲法を制定するでしょう。
しかし、日本国憲法は国民投票や選挙といった民主主義の手続きを踏まずに制定されたものであることは事実です。
日本社会には、明らかに「先の大戦による贖罪意識」が植えつけられています。
それがさまざまな社会問題の中に色濃く反映されていることは間違いありません。
自分たちが洗脳されていることに気がつかないことこそ、洗脳の恐ろしさであり、愚かの極みと言えるでしょう。
いまだに日本の世論(日本人の意識)は洗脳され続けていることに、いったいいつになったら気がつくのだろうか?
それなくして「遺伝子治療薬(mRNAワクチン)」によるパンデミック(人口削減)の真の意味を受け入れることはできないだろう。
日本人は正しく国際法を理解するべきである。
日本人は、自国と自分並びに同じ日本人に対して「もう戦争はしてはいけない」と言う。
もちろん戦争は悲惨なものなので、好き好んで戦争をすることは避けるべきであり、搾取のための他国侵略は許されないことであることは間違いない。
しかし、こちらが戦争をする意思がなくても、自国と国民を守るために戦わねばならない状況が生まれることがある。
その際に、戦う力を持たない国家は侵略国に隷従される。
他国からの侵略から守る力は必要であり、それを否定する思想とは「自国滅亡論が仮面を被った思想」にしか過ぎない。
自国の伝統や民族性の破壊を喜び、他民族による支配を歓迎する者たちの思想である。
日本社会(日本人の意識)には、いまだにGHQの亡霊が巣くっていると伝えたい。
《日本国憲法が押し付けである証拠がある》
日本国憲法が押し付けである証拠は、日本国憲法の中に存在します。
それが「第9条」です。
憲法9条とは「不戦の誓い」であり「武力放棄」です。
ですから、純粋に9条を守ろうとすれば「軍隊」は持つことが出来ません。
しかし、日本には自衛隊があります。
自衛隊は軍隊ではないというのは、「ダチョウは飛べないから鳥類ではない」と言っているのと同じです。
独立した国家、統治権を持つ国家が軍隊を持たないということはあり得ません。
あってはならないのです。
なぜならば、軍隊とは国民の生命と財産及び領土を守るために存在するからです。
ですから、軍隊の否定(9条)は国家の自主権を一部もぎ取った状態であることの証左なのです。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という内容は実質的に自衛隊の存在によって破られています(憲法違反)。
自衛隊は軍隊ではなく自衛するための武装組織(戦争をしない軍隊)である、などというのは“詭弁中の詭弁”でしかありません。
つまり、第9条が存在することが意味することは主権があるはずの国家に自衛権がないと言っていることであり、それは自国の国民を守る力がない国家であるということなのです。
要するに、第9条を占領下の憲法制定時に入れたということは占領国による“縛り”でしかないのです。
その真の意味は「二度と白人国家に歯向かわないようにする」というものです。
しかし、その後、朝鮮戦争が起きたために、米国も日本の軍事力が必要となって苦肉の策として警察予備隊(後の自衛隊)が発足させられたのです。
重要なことなので繰り返します。
主権のある国家において軍隊の存在を否定するという憲法があることは異常であり、国家としての体を成していません。
それを自主権のある国家とは呼ばないのです。
逆の言い方をするならば、国家が国民、領土を守ろうとするならば軍隊を否定するはずがないのです。
独立した国家であるならば、国民を守るための軍事力を否定するはずがないのです。
否定するはずがない軍事力を否定する第9条が存在することが「日本国憲法が押し付けであり、洗脳しようとしたことの証(あかし)」なのです。
結局、第9条とは米国による「永久的な武装解除」なのです。
自主権をもつ国家ではあり得ない第9条の存在が「押し付け」である証拠です。
本来、軍人とは自らの命を懸けて国民を守る尊敬されるべき人たちです。
本来、軍事力とは国家の領土と国民を守るための力です。
それが正しい認識です。
付け加えると、身勝手な他国侵略、略奪や支配を目的とした軍事力による戦争や武力の行使は否定されるべきものである、と言っておきます。
追記の最後にメッセージを送る
もし、『日本人を狂わせつづけている洗脳作戦』の【前編】から【追記】までの長文を最後までお読みいただいた方がいましたら、伝えたいことがあります。
アチキの記事では「日本国憲法」を肯定する主張が多いので、「あなたは日本国憲法至上主義か?」と考えている方もいるのではないでしょうか?
もし、そういった受け取り方をされていたとしたら、「それは誤解です」と言っておきます。
アチキの立場は、形式上でも法治国家である日本国において憲法が悪法であっても、押し付けであっても、現憲法として存在するならば、それに従って国家は統治されるべきであると考えています。
ただし、内容には賛成する内容と修正(改正)する必要があると思っています。
そしてなにより重要な点は、占領下での憲法制定を「無効」とし、真の意味で日本人による自主憲法を策定することが必要であると考えています。
現在の日本国憲法の良いところは残し、日本人の精神と国家ビジョンを込めた新憲法を策定することが日本を守り、真の意味での主権回復となると信じています。
ここからが大事な主張です。
ただし、現政権(自民党+公明党)での憲法改正は大反対です!
それでも9条の改正は必要だとは思いますが、現政権での憲法改正は非常な危険をともなっています。
なぜならば、現政権はアメリカの操り人形(正確にはDSの)となっているからです。
もっと言うならば、現在政治家となっている議員たちには憲法改正は任せられないと思っています。
ただし、中国等からの侵略に備えるための改正は必然性を持つ、とも言っておきます。
いま起きているパンデミック対策及び遺伝子治療薬(コロナワクチン)による政府の暴走はある意味では、日本国憲法を制定した当時と似た状況です。
例えれば、「二人羽織」です。
日本政府がコロナワクチンを国民に接種させているように見えて、その背後に何ものかが存在し、特措法などの憲法改正なども、その背後に陰で操る者が存在します。
今回6記事に渡って書き綴ってきた真のメッセージが伝わったでしょうか?
ただ、「日本国憲法は押し付けではない」という論についての反論だけではなく、現在の政治や社会を歪ませている最大の要因が“そこにある”、と言いたいのです。
勘のいい方ならば、今回の記事の真の趣旨と最後のメッセージがリンクしていることがお分かりかと思います。
現政権は、真に日本国の為、日本国民の為の政治を行っていません。
逆に国民を蔑ろにし、国民の生活を困窮させ、国民の信頼を裏切っています(もともと信頼はなかったかもしれませんが)。
明治維新は、徳川幕府の統治者をほぼ全員排除してそれまで統治経験のない者たちの手で明治という新しい国家をつくり上げました。
この歴史が教える教訓とは、新しい国家をつくるには新しい人材が必要だということです。
既存の政治家、既得権益に縛られた政治家、背後にいる存在に操られている政治家では、真に新しい国家をつくることはできません。
いま必要なことは明治維新のように人材の“全入れ替え”です。
それなくして日本は主体的な国家運営はなされず、日本はいつの日か乗っ取られてしまうでしょう。
(この部分は考えに変化があり、削除しました)
日本の全体主義化を止められるのは、零細政党では無理です。
利権を貪り、名誉心に縛られている無能な現職議員たちでは無理です。
新しい時代を創造するのはいつの時代でも“新しい人材”なのです。
それを受け入れるかどうかで、日本の未来は変わってくると言っておきます。
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!