これまでの記事
【日本国憲法の源泉編①】~マッカーサー草案へのプレリュード(前奏曲)~
【日本国憲法の源泉編②】~マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)~
【日本国憲法の源泉編③】~日本国憲法の「原液」とは?~
【日本国憲法の源泉編④】~マッカーサー・ノートについて~
密室の9日間
《2月4日(1日目)月曜日》
GHQが密かに憲法草案作成に入った2月上旬の状況として、前年の12月頃から日本国内の政党や民間団体によって憲法草案が次々と発表されている。
1946年2月4日月曜日午前10時頃、憲法草案作業を行うメンバーがホイットニー准将の個室の隣にある会議室に集められた。
ホイットニー准将は「紳士淑女諸君、今日は憲法会議のために、諸君に集まってもらった」と口火を切った。つづけてホイットニー准将は以下のように語った。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
日本政府の新憲法案は、総司令部として受け入れることはできないものだ、なぜなら民主主義の根本を理解していない案だからである。
このような案を元に長時間かけて日本政府と交渉するよりも、こちらから憲法のモデルを提出した方が効果的で、早道だ。
ホイットニー准将の語った内容はその場にいた人たちには衝撃であり、その日のことは、生涯忘れられない記憶として残った。
おそらく占領軍が占領国の新憲法を作成することも驚きだが、その期限にも驚いたはず。ホイットニー准将は新憲法草案の完成を2月12日とした。つまり9日間しか起草作業がない超短期作戦であるということ。だが、各小委員会で書かれた条文を運営委員会がチェックし、さらにホイットニー准将がチェックする。当然修正が入る。最後にマッカーサー元帥がOKを出す。そこまでの期間として、たった9日間というのだから驚くのも無理はない。
この日ホイットニー准将が語ったことは、日本国民にとって記憶にとどめるべき重要な内容が含まれている。同時に、日本国憲法がGHQから「押しつけられた憲法」であることを理解できるものでもある。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
私としては、外務大臣とそのグループ(注・吉田茂外務大臣と松本丞治国務大臣を指す)が、天皇を維持し、残された彼らの権力を維持するための唯一可能な道は、はっきりと左寄りの道をとるような憲法を受け入れることだということを、納得させるつもりだ。
私は、議論による説得によって、そのような結論に達したいと希望しているが、それが不可能なときは、マッカーサー将軍から、力によって脅かすだけでなく、力を用いる権限も与えられている。
この発言内容を知らない現代日本国民であれば、驚愕することでしょう。
ホイットニー准将の内輪の発言の中に、「日本国(日本国民)が天皇を維持したければ、GHQによって起草される新憲法草案を受け入れるしかない」という固い決意と作戦指示が読み解ける。もし抵抗するならば“力の行使”をいとわないということであり、占領下にある政府側に選択肢は残っていないということであり、それは“強制”と呼べるものでもある。
だが、後で記述するが、この動きを(押し付け)強制と指摘されないように処置を取る必要がある。それによって、いまもって日本国憲法は押し付けではないなどという間違った論調が広まっている。
ここに潜む問題は、単に新憲法を押し付けただけではなく、その実態を隠すことまで成されたということ。実に徹底している。
このホイットニー准将の発言(考え)は、明らかにポツダム宣言の枠を越えていることは間違いない。だが、それも驚くべきことではない。なぜならばアメリカは原爆投下や焼夷弾投下という戦時国際法違反をして日本を屈服させたからだ。ポツダム宣言に反して憲法を押し付けるなど朝飯前のことだろう。
問題は、上記の発言の後に発せられた内容だ。
特に「日本国憲法は日本人が作った」とデマを流している人たちは以下のホイットニー准将の発言内容を、その胸に刻むがいいだろう。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
外務大臣とそのグループが、自分たちの憲法案の針路を変え、リベラルな憲法を制定するようにという、我々の要求を満たすようなものにすることがねらいだ。それが達成できたときは、出来上がった文書は、日本側からマッカーサー元帥に承認を得るため提出されることになる。マッカーサー元帥は、この憲法を日本人によって作られたものとして受理し、世界に公表することになるだろう。
重要論点を取り出す。
「マッカーサー元帥は、この憲法を“日本人によって作られたものとして”受理し、世界に公表する」
日本政府側の憲法改正案は民主主義的な憲法草案ではなく、日本人にポツダム宣言の内容を満たす新憲法草案を作成することは不可能と見て、GHQによって新憲法草案を作成し、たとえ日本側が拒んだとしても力で押し付け、なおかつGHQによる新憲法制定の事実を隠そうとしたということ。
これをもって、「“押し付け”ではない」とどうして言えようか?
身も蓋もないことを言うが、「憲法研究会の草案が日本国憲法の土台となった」という話は、この隠蔽作戦に由来する。つまり、ポツダム宣言違反を後世に指摘されないようにカモフラージュしたということ。
GHQによって起草されたマッカーサー草案を日本政府に押し付け、議会で修正させ、手続き上、明治憲法からの改正という正式なやり方を取ることで、GHQの蛮行を隠すという巧妙な手法を取っているのです。
こうしたことを知らず、「日本国憲法は日本人が作った(憲法研究会の草案が土台となった)」などと主張する人たちのやっていることは、真実の歴史の隠蔽でしかない。
思い込んで間違った価値観を持った者、占領政策等を知らずに間違った判断をしている者も大勢いると思うが、そうではなく確信的に「日本国憲法は日本人が作った(憲法研究会の草案が土台となった)」という事実ではない内容を発信している中核にいる人間は工作員の可能性が高いと、私は考えている。
ちなみに、GHQ草案執筆者の一人でもある「人権に関する小委員会」のメンバーであるペアテ・シロタ女史は、「誰も話すな」というホイットニー准将の言葉を守って、近年まで憲法草案の作成に携わったことを口外しなかった。
〈GHQの自白〉
だが、GHQ草案をもとにした日本国憲法が公布されてたった3年後に当事者である民政局が「自白」している。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
『日本政治の再編成』で、日本国憲法がGHQ民政局によって書かれた事実を、日本政府も世界各国もはじめて知るわけだが、憲法公布後わずか三年後に、当事者である民政局がなぜ「自白」してしまったのかという謎は、彼の胸の中に秘められたままになってしまった。
書籍『日本政治の再編成』は、ケーディス大佐が日本を去った1949年に民政局次長を引き継ぎ、1951年からマッカーサーの後任であるリッジウェイ将軍を支える民政局長となったフランク・リゾーの個人的な監修のもとで編集されたもの。
フランク・リゾーは、草案作成時陸軍大尉であり、「財政に関する小委員会」のメンバーであった。
なお、書籍『日本政治の再編成』は運営委員会のエラマン女史が当時記したメモ(エラマン・メモ)を公式記録として書かれたもの。
このエラマン・メモこそがGHQ民政局による憲法起草作業の秘密を解き明かすもの。
エラマン・メモには以下の文言が書かれている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
憲法の起草にあたっては、構成、見出し、その他、現行の明治憲法の例に従うものとする。
とある。
これはケーディス大佐の証言と一致している。
なぜアメリカ人である彼らが、わざわざ明治憲法の構成を下敷きとして新しい憲法を起草する必要があったのか。
通訳をしたゴードン陸軍中尉によれば、日本国憲法は日本語よりも英語の方が格調高いという。それが意味することは簡単であろう。それは英語を母国語とする人間が起草した憲法だからだ。
後にGHQが日本の憲法草案を作成したということで非難を浴びないように、つまり、ポツダム宣言に違反している(およびハーグ陸戦条規)という指摘を受け、日本国民の反発心を引き起こし、GHQによる占領政策(占領革命)がひっくり返されて、戦前の日本に戻ることを彼らは何よりも恐れたと推測される。
よって、GHQが密かに、しかも超短期間で作成した新憲法草案を日本政府が起草したということにして公に公表するためにも、明治憲法の構成を利用しなければならなかった。
これはいわゆる「隠蔽術(騙し術)」なのです。
現代に生きる日本国民は、この日本国憲法制定過程におけるこの事実を深く理解するべきでしょう。これを理解できるならば、「押し付けではない」などと口にできるはずがない。それは無知ゆえでしかない。
〈GHQによる憲法改正は戦時国際法違反〉
当時の日本政界の指導者たちには、残念ながら国際社会の状況を感覚的に理解できていない。この感覚は現代に生きる国粋主義者(日本大好きで、他国を下に見る価値観)も同じです。
日本国憲法誕生には制約があった。それはポツダム宣言の内容を反映すること。加えて国際条約の原則の上に成り立つものであること、さらに勝者となった国々に対する配慮(侵略戦争をしない拘束または誓い)などである。
しかし、戦時国際法であるハーグ陸戦法規には、「支障のない限り被占領国の基本的な国内法をそのまま尊重する(第43条)」という制約がある。
「支障のない限り」とは、国内の反乱、戦闘などによって占領が困難になる状況を指している。だが、日本人ならばわかるだろうが、一旦(戦争に)負けて、占領下に置かれたならば日本人の気質である従順さを発揮する。GHQ統治下の日本において、「占領に支障がでる事態」は発生していない。これが意味することとは、GHQによる新憲法草案作成および憲法草案の押し付け(日本国政府に提示して、議会で修正させ、公布させること)は、戦時国際法違反となる。
(この話題は【国際法編】でも語ります)
〈新憲法草案の大原則とは?〉
GHQによる新憲法草案作成の大原則とは、SWNCC-228の指針に立つというもの。
SWNCC-228なくして日本国憲法は生まれなかったと言っていいだろう。
SWNCC-228とは、1946年1月7日に国務・陸軍・海軍三省調査委員会(SWNCC)が承認し、1月11日付けで「日本の統治体制の改革」の指針を、指令や命令という形を取らず単なる「情報」として連合軍最高司令官に伝えた文書のこと。
その中に「日本国民が、その自由意思を表明し得る方法で、憲法改正または起草し、採択すること」という項目がある。だから、日本国憲法はGHQが作った(正確には草案が土台となった)と公表することが出来ず、日本政府が自分自身で起草して改正したと思わせなければならなかった。
注目すべきは、日本を占領する現場のGHQ(最高司令官部)に対して、上部組織であるSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調査委員会)が、「指令」や「命令」という形式を取らず、単なる「情報の提示」というやり方をしていること。
これは明らかに誤魔化しでしかない。つまり、責任追及を逃れるための姑息な手段だということ。後にこのことが問題となり、追求された場合に、「いやあれは命令ではありません。指令として出したものではありません」、「単なる参考情報でしかありません」といって責任追及から逃れる手法です。
本来、軍事組織が命令以外で動くことは摩訶不思議なこと。軍事組織とは命令あるいは指令によって統制し、作戦を実行するものだ。それが「情報を与えるだけ」という言い草は通用しない。だが、どうしてもこの言い訳を用意しなければならなかったのだ。たとえ真実が表に出ても、それが言い訳だと思われても、この文言を押し通すことで逃げ切る武器と成るからだ。実に姑息、狡猾である。
〈日本国憲法の原液とは?〉
ここではっきりと言う。
日本国憲法の原液とは、第一にSWNCC-228であり、第二にマッカーサー・ノートである。
この2つの原液をもとに、さまざまな色付けをしている。色付けとは合衆国憲法、ワイマール憲法、ソビエト連邦憲法、国連憲章などの各国の憲法や憲章などである。
その中にまじって日本の憲法研究会の草案があったということに過ぎない。
なぜ、ケーディス大佐などが「日本の憲法研究会の草案」を高く評価し、GHQが起草する際に役に立ったと言ったのかと言えば、早い話、GHQが草案作成をしたことを知られたくない事情(認めたくない事情)を隠すためのカモフラージュと言える。
これに騙されている日本人がいるが、そうした人間は保守でも愛国者でもない。
日本国憲法第9条(戦争の放棄)の理論的根拠(出所)は、パリ不戦条約であり、国連憲章であり、その路線を引き継ぐマッカーサー・ノートに求めることができる。
〈GHQ草案作成は秘密厳守〉
2月4日の最初の会議で「作業上の心得」が示されている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
1.この作業のすべては、完全に秘密裡に行われなくてはならない。
2.この業務については、暗号を用いなければならない。
3.この作業に使用される草案、ノートなどは、すべて「最高機密」として処理されるべきである。
4.作業は、小規模な実務委員会に分けて行われなければならない。各小委員会の作業は、全体委員会あるいは運営委員会によって統合されなくてはならない。
5.仮草案は、この週末までに完成されなければならない。
この事実を日本国民は知るべきでしょう。
GHQによる新憲法草案作成とは、秘密裡に行われた軍事作戦であり、その重要度は「最高機密」だったのです。
どのくらい秘密裡だったのかと言えば、起草メンバーは家族にも言えず、自分のデスクを離れる際には書類を机の上に置いて部屋を出ることは許されず、すべてロッカーの中にしまうこと、同じフロアの朝鮮部だけではなく、GHQの他の部署の人間にも起草作業がバレないように徹底していたことなどが挙げられる。
つまり、GHQ内でも民政局の選ばれたメンバー以外で憲法草案作成作業を知る者はいなかったということ。これは「厳命」されていたこと。「厳命」ってわかりますか。文字通り「厳しく命令する」という意味であり、命令に背くことは許されないということです。
〈シロタ女史、世界中の憲法を集める〉
秘密作戦の会議が終わるとペアテ・シロタ女史は、ジープに乗っていまだ焼け野原の街に飛び出していった。その目的は、憲法草案作成の資料を集めること。
シロタ女史は、あちこちの図書館を駆け巡って、世界中の憲法などを借りて回った。
しかも、一か所で大量に同じ部類のものを借りると秘密がバレると考え、一か所で4冊、別のところで5冊借りるという作戦に出た。
シロタ女史と同じ発想をした人物に、行政小委員会のエスマン中尉がいた。エスマン中尉は政治・行政の専門家である蝋山教授のところに駆け込んだ。もともとエスマン中尉は東京に来てすぐに蠟山正道教授の門を叩いていた。エスマン中尉は国際法、世界各国の憲法の英文を求めて蠟山教授を訪ねた。
なお、エスマン中尉がシロタ女史と同様に、憲法草案作成のための資料を借りに走ったことを、初めて公にしたのは、1986年にメリーランド大学で開かれた「日本国憲法公布40周年記念シンポジウム」の席だったから、ずいぶんと口が堅かったと言える。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
ともあれ、民政局の机の上には、明治憲法からアメリカ憲法、ワイマール憲法、フランス憲法はじめ、当時発表されていた各政党、民間学者の憲法草案などが、うずたかく積み上げられた。ワシントンから届いている対日初期占領政策に関する書類もかなりの量にのぼっていた。
「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は憲法研究会の草案を土台として作られた」と主張する人たちには共通するものがある、それが何かというと日本国憲法作成に関する資料を憲法研究会の草案のみしかあげないこと。つまり、その他の資料を一切なかったことにしていること。これは悪質な情報操作でしかない。
本題に戻ると、シロタ女史、エスマン中尉が集めてきた資料に、他のメンバーが「俺にも貸してくれ」と押し寄せたことは、当然と言えば当然と言える。
〈ケーディス大佐からの指針〉
2月4日の会議でケーディス大佐から基本的な指針を発している。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
ケーディス発言
現行の明治憲法では、天皇の権限と権利については、明確な規定があり、保障がなされている。われわれの草案では、これを覆さないといけない。新しい憲法を起草するに当たっては、主権は完全に国民の手にあるということを強調しなければならない。天皇の立場は、社交的君主の役割のみとされるべきである。
明治憲法では、統治権と統帥権が天皇に集中していたため、軍人が内閣総理大臣を経由せずに軍事的な国家方針を遂行できていた。つまり、明治憲法に軍国主義に走った諸悪の根源があるとケーディス大佐らは考えたということ。
明治憲法とは、明治維新という背景を持つものであり、維新の志士たちは、徳川幕府を倒すための武器として「天皇という権威」がどうしても必要だった。もし討幕派の薩長連合が錦の御旗を手にしていなければ、新しい時代の幕開けは遅れたか、徳川慶喜を筆頭にする新しい政治体制になっていた可能性もある。国内戦争が長引けば裏に潜む武器商人が大きな利益を得るだけであって、日本国内は悲惨な事態となっただろう。
この錦の御旗(天皇の側にいる)で旧体制を打ち破ったという成功体験が明治憲法による国家体制に大きな影響を与えている。
明治維新の成功が明治という時代を築く背景となっていたということ。
【日本国憲法の源泉編⑥】につづく
参考書籍
書籍名:『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
著者名:鈴木昭典
出版社:創元社
書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店
書籍名:『知られざる日本国憲法の正体』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

