『“保守の憲法論”最終結論【日本国憲法の源泉編②】~マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)~』

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【日本国憲法の源泉編①】~マッカーサー草案へのプレリュード(前奏曲)~

マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)

《憲法研究会の草案についてのGHQ側の評価について》 

ラウエルとホイットニーはこの改正案を、「著しく自由主義的な諸規定」と高く評価し、「この憲法草案に盛られている諸条項は、民主主義的で賛成できるものである」と結論づけている。そして、その上で、「若干不可欠の規定が入っていない。いかなる憲法も、承認を受けるには以下に示す原理を織り込んでいなければならない」として、さまざまな細部にわたる箇条書きの条項を加え注文をつけている。

〈憲法改正権を持つのは誰か?〉

上記の憲法草案とは、憲法研究会の草案のことをさすが、護憲派の方々がラウエルやケーディスなどの発言を切り抜き、それを日本国憲法の正当性として主張している。
だが、ポツダム宣言にあるように憲法を改正するならばそれは国民の自由意志にもとづいたものでなければならない。しかし、その国民の意思の顕現として実際に憲法改正を行うのはあくまでも日本政府であって、民間の憲法研究会ではない。
さらに出来上がった憲法改正案はGHQによる承認を得る必要があり、それが意味することとは、GHQの方針に反する内容であれば承認しないということが裏の意味として存在している。つまり、どんな憲法を制定するのか、どのような内容の憲法にするのかという決定権を実質的にもっているのは日本国民でもなく、日本政府でもなく、GHQであるということ。要するに実質的な憲法改正権限者(憲法制定者)はGHQであるということ。

〈「憲法研究会草案が日本国憲法の土台となった」などと主張するへ伝えたいこと〉

護憲派の方々は「憲法研究会草案が日本国憲法の土台となった」などと主張するが、憲法研究会のリーダーである高野岩三郎の個人草案では共和制憲法を作成していることをなぜ言わないのか?
高野岩三郎草案では、「根本原理を『天皇制に代えて大統領を元首とする共和国の採用』としている。
憲法研究会のメンバーは、いわゆる左翼の者たちであり、基本的には天皇制反対論者たちである。この事実をなぜ「憲法研究会草案が日本国憲法の土台となった」などと主張する護憲派の人たちは言わないのか?
この記事を書くきっかけとなった「まりなちゃん(アカウント名)」と「内海聡」などの人たちの論理は“切り取りの詐術”以外の何ものでもない。他の要素を完全にシャットアウトした上で決めつけによる主張となっている。
憲法研究会草案の実質的な起草者は鈴木安蔵だが、彼がマルクス主義者であることをなぜ声高に主張しないのか? 彼らの主張が真実だとすれば、日本国憲法とはマルクス主義の草案を土台とした左翼憲法ということになる。
ただし、憲法研究会の草案の内容については、現代人である私も評価している。しかし、内容の評価と制定における憲法の起源(土台や基礎)は別の問題である。この別の問題を分けて考えることができないのが、上記の者たちなのだ。

《松本四原則》 

GHQが日本政府に憲法改正の示唆を与えたという動きは、日本の民間にも大きな影響を与えた。政府だけではなく、民間人、憲法学者等によって憲法草案が作成されている。
しかし、GHQが示唆(実質的な命令)を与えたのは日本政府であり、正式に新しい憲法となるのも日本政府が提出したものである。
幣原内閣の松本丞治国務大臣を長とする憲法問題調査委員会の考えは、民間草案、たとえば憲法研究会などの進歩的な草案とは違っていた。
松本丞治委員長は12月になって、松本四原則なるものを打ち出した。

第一に、天皇が統治権を総攬せられるという大原則はなんら変更を加えないこと。
第二に、議会の議決を要する事項を拡充すること。その結果として従来のいわゆる大権事項をある程度制限すること。
第三に、国務大臣の責任を国務の前面にわたるものたらしめ、国務に対して介在する余地なからしめること、そして同時に、国務大臣は議会に対して責任を持つものたらしめること。
第四に、人民の自由・権利の保護を強化すること。すなわち議会と無関係の法規によって、これらを制限しえないものとすること。また他方、この自由と権利の侵害に対する救済方法を完全なものとすること。

〈野村淳治による松本丞治への批判〉

要するに、多少国民の自由と人権については考えているように見せているが、根本的な政治制度(天皇制)は変更しないという方針を打ち出している。
この松本丞治の認識の甘さにあきれて、意見書を提出した人物がいる。東大名誉教授であった野村淳治だ。
野村淳治は意見書『憲法改正に関する意見書』のなかで、自由なる意思により従来の立憲君主制をそのまま踏襲し、明治憲法を画期的に改正しなくても連合国は異議を唱えないだろうと高をくくっている人がいるが、それは大きな間違いであると指摘している。
さらに「日本国民が、デモクラシーを実行することだ」と提言している。
しかし、こうした提言は松本丞治には響かなかったようだ。

〈松本甲案(憲法改正要綱)の完成〉

年が明けた1946年正月から鎌倉の別荘にこもり憲法草案を執筆し、1月4日に完成させた。これがいわゆる「松本甲案(憲法改正要綱)」である。
委員会は、万が一松本甲案を受け入れなかった場合に備えて「乙案」も作成した。この乙案は実質的に宮沢俊義の草案である。

松本丞治がなぜ身内にも批判されるような実質的に日本国の政治形態を維持する様な憲法草案を作成したのかと言えば、その根源はポツダム宣言にある「日本国民の自由意思によって決定される」という文言に行きつくことは自明の理であろう。
要するに、憲法改正をするならば、GHQの意向ではなく、日本側の自由なる意思が尊重されると考えたということ。
私からすれば、実に“おめでたい思考”と言える。
これを裏付ける松本丞治の発言がある。

あくまでこの改正というのは、自発的に自主的にやることであるのですから、今後もアメリカの意向を問い、打合せをする必要は無いと思う。

日本政府側の憲法改正の委員会の長として、これほどふさわしくない人物はいないだろう。
この松本丞治という人物は、性格に難があり、プライドが異常に高く、他人の意見を聞かない性格を持っている。
敗戦し、ポツダム宣言を受諾してもなお、アメリカに対抗心を燃やすことでプライドを保っていたのではないかと疑いたくなる。
しかし、この認識から発せられた憲法改正案(松本甲案)はGHQに受け入れられるはずがなく、それによって重大な出来事を引き起こすトリガーとなってしまう。その重大な出来事とは“GHQによる憲法草案の起草”に他ならない。
もし、日本政府がポツダム宣言を深く理解し、GHQの考えを打診し、打ち合わせをした上でGHQが求める民主的な憲法草案を作成したならば、GHQによる草案作成作業は無かったかもしれない。
ここが日本国憲法制定に関する一つの分岐点であることは間違いない。
もし日本政府側が、GHQが求める民主主義的憲法草案を作成したならば、「押し付けか否かという論争」は起こらなかったと言える。

《GHQが憲法改正を急ぐ理由とは?》 

GHQには憲法改正を急ぐ理由があった。

書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用

1945年12月26日、マッカーサーを慌てさせる決定がモスクワで合議された。米英ソ中の連合国四大国外相会議で、日本占領を遂行するための連合国の組織、極東委員会(FEC)と対日理事会(ACJ)の創設が決定したのである。
極東委員会は、カナダ、オーストラリアなどを含む連合国11カ国で構成され、ワシントンに置かれ、2月26日に発足することになった。その役割は、日本に降伏条項を完遂させるための政策と基準の作成のほか、参加国の要求があれば、連合国最高司令官の発令する指令や措置について、委員会が決定した政策に関するものも含めて、検討を行うというものであった。そして、その決議に対して四大国が拒否権を持っていた。

〈マッカーサー対極東委員会+対日理事会〉

マッカーサーにとっての目の上のたん瘤こそが、「極東委員会(日本占領を遂行するための連合国の組織)」に他ならなかった。すでに天皇を戦犯にしないように心に決めていたマッカーサーにとって、カナダとオーストラリアが天皇を戦犯とする要求に頭を痛めていた。
占領地(現地)で実質的な占領責任者として日本改造のための占領政策を行い始めたマッカーサーにとって、天皇の処遇に関することと憲法改正に口出しをされることは何としても避けたかったことだった。
GHQ最高司令官であるマッカーサーにとっては、極東委員会の拒否権と対日理事会の大きな発言力によって占領政策が覆される恐れがあった。

※補足説明:「対日理事会」とは、米英ソ中の四カ国で構成される諮問機関で、降伏条項の実施と日本の占領及び管理について、最高司令官と協議したり、最高司令官に助言したりするための機関で、東京に設置された。

ただし、対日理事会が勝手に最高司令官の意思を無視して動くことはできず、いつどのような形で対日理事会の助言を求めるのかは最高司令官が決定することになっていた。
これは逆にそれまで独自の解釈によって任務を遂行していたマッカーサーにとっては、広範な権限が公式に与えられたこととなった。
しかし、マッカーサーの受け取り方は違っていた。

対日理事会の仕事は、私が日本占領を監督するのを、さらに監督することだったらしい。

マッカーサーは占領軍の最高司令官(最高権力者)として占領政策を指導・監督する立場にあったが、そのマッカーサーをさらに監視(監督)することが対日理事会の隠れた役割であり、極東委員会も同じ立場にあったということ。

《新憲法発表のタイムリミットとは?》 

GHQ民政局のメンバーによって、たった9日間で一国の新しい憲法が起草されたことが秘密とされた理由が、極東委員会が1946年2月26日に発足することであった。
極東委員会が動き始めれば、憲法改正にも首を突っ込み、マッカーサーの権限に影響があるのは目に見えていた。
さらに以下のような事情があった。

「とにかく、オーストラリアとニュージーランドは日本が大嫌いで、天皇を戦犯にしろと大変に強硬でしたね。ソビエトと中国は、それほど強硬ではありませんでした。マッカーサーは、何とか天皇制を守りたいと考えていましたから、極東委員会はとても邪魔な存在だったでしょう」

つまり、天皇制または天皇の存在を維持したいと考えていたマッカーサーにとって、天皇を守る切り札こそが憲法改正であり、その期限は極東委員会が発足する前(2月26日以前)でなければならなかったということ。
当時の日本政府および日本国民にはGHQが急いで憲法草案を起草した理由は知らなかった。いや、いまもって知らない国民も多くいると思われる。
極東委員会が動き出せば、天皇が戦犯にされる可能性が高まり、たとえ戦犯とならなくても天皇という存在は失われる(天皇制廃止)ことは予測できていた。
2月26日というタイムリミットまでに連合国側が納得するような憲法草案を作成することで天皇制を残そうと考えたということ。

注:ここで言う「(残そうとした)天皇制」とは、戦前の天皇に国家権力が集中する体制ではない。

重要なことは、SWNCC-228がワシントンから1月7日に届いていたこと。

〈GHQが憲法草案を起草しなければならなかった理由〉

なぜ、マッカーサーは前年に幣原首相に対して憲法改正を示唆し、日本政府側が動きだしていたにもかかわらず、2月4日から密かに憲法草案作成を民政局メンバーに命じたのかと言えば、それはSWNCC-228の文書の結論に、「最高司令官が先に列挙した諸改革を日本政府に命令するのは、最後の手段としての場合に限られらければならない」としていたから。つまり、可能な限り手出しをせずに日本側にやらせろということ。
さらにポツダム宣言にあるように憲法を改正するならば、「日本国民の自由意思によること」が必要であったから。
しかし、1月31日時点で、松本甲案はGHQに提出されていなかった。
だがGHQ側はその内容を事前に察知していたと思われる。松本甲案は明治憲法を少しだけいじっただけの旧体制維持の草案でしかなく、それはGHQ(アメリカ)がなそうとしている占領改革(占領政策)に合致しない。
だから、GHQ内部で新憲法の草案を起草せざるを得なかったのだ。

私は今回の記事を執筆するにあたって、十数冊の書籍を新たに参考情報としたが、この意味を指摘している人は皆無だった。
日本政府側(幣原内閣)の憲法問題調査委員会の動きが意味することとは、天皇を守ろうと考えてのことであろうが、実際は天皇の存在を危機に追いやっていることであり、逆に占領者であるマッカーサーの方が天皇を危機から救っている、ということだ。

《幣原首相にしたマッカーサーの約束とは?》 

1946年1月頃までにはマッカーサーは幣原首相に対して「天皇制を守る」ことを内々に約束していた。この時期のマッカーサーにプレッシャーを与えていたことは極東委員会が2月26日に発足することであることは間違いない。なぜ極東委員会が本格的に指導することがマッカーサーにとってプレッシャーになるのかと言えば、極東委員会のなかに「天皇を戦犯に」と声高に叫ぶニュージーランドとオーストラリアの代表が含まれていたからに他ならない。

憲法の改正が議題になることは、どうしても避けなければならなかった。天皇制の維持は日本国民の意思である、と世界に認知させるには、憲法改正によってそれを決定的に知らしめるのが最良の手段であるという思いは、ますます強くなる。

つまり、極東委員会の影響が出る前に、マッカーサーの権限によって憲法改正を先に行ってしまおうということだ。既成事実を作って「天皇を戦犯に」と叫ぶ声を封じようということだ。
事実、1月下旬にケーディス大佐はホイットニー准将から憲法に関する命令を受けている。
それは「連合国最高司令官の憲法改正に関する権限」について調査し、報告書を至急作成するようにというもの。要するに、マッカーサーに日本の憲法を改正する権限があるか調べて報告しろというものだから、この時点でマッカーサーは憲法改正草案を胸に秘めていたというしかない。
この報告書がマッカーサーにあがったのが2月1日。
ケーディス大佐の報告書には以下のような結論が書かれていた。

私の意見では、この問題についての極東委員会の政策決定がない限り――いうまでもなく同委員会の決定があれば、われわれはそれに拘束されるが――閣下は、憲法改正について、日本の占領と管理に関する他の重要事項の場合と同様の権限を有されるものである。

重要な論点は、本来憲法を改正する権限を持つのは極東委員会であること。ただし、それは極東委員会が始動し始めてからのことであり、いまだ発足していない時点では占領政策の権限を持つマッカーサーに憲法を改正する権限はあるとケーディス大佐は言っているのです。
だから、極東委員会が動き出す前に急いで新しい憲法を起草する必要があった。これがGHQによる憲法草案起草がたった9日間で作成された隠された事情なのです。

〈本当にマッカーサーには憲法改正の権限があるのか?〉

しかし、私は指摘する。
ケーディス大佐が言っていることは、現場のGHQと極東委員会についての関係による判断でしかなく、そこに国際法(ハーグ陸戦規約)およびポツダム宣言が含まれていないと言うしかない。

〈マッカーサーによる電報の内容とは?〉

マッカーサーにしてみれば、とてもポツダム宣言の主旨を満たす憲法草案が日本政府から出てこない中で、極東委員会の発足を待つわけにはいかなかった。そうなると天皇は戦犯にかけられる可能性が高くなり、それは必然的に日本国民の反感、抵抗を呼び起こし、GHQによる占領作戦がひっくり返ることが予測される。日本側の抵抗を抑えるためにアメリカは占領の人員(軍人含む)を増員しなければならなくなる。もし万が一日本国民が天皇を守るために徒手空拳で占領軍に立ち向ってくれば、占領軍にも死傷者が出る可能性もある。それが意味することとは、占領作戦の失敗となる。その責は当然ながらマッカーサーに帰する。
マッカーサーは1月25日、天皇制は占領政策にとって重要であるという長文の電報をワシントンに打った。
電報の内容を作成したのは参謀長代理のリチャード・J・マーシャル。
なお、この電報は21日にオーストラリアの国連戦争犯罪委員会代表がロンドンで、天皇を戦争犯罪人として告発するよう訴えたことがワシントンに伝わり、それがGHQに送られた返事として打電したもの。

もし天皇を訴追し、裁判にかければ、「その恨みを晴らすための復讐が始まり、それが数世紀間にわたって繰り返されないとも限らない。そうした不測の事態に備えるためには百万の軍隊が必要となり、その軍隊を無制限に維持しなければならなくなり、その規模は数十万にも達するかも知れない」

また、アメリカ合衆国の上院の軍事委員会の委員長であるラッセル上院議員が「上院として天皇裕仁は、戦犯として裁判にかけるべきと考える」という決議案を出している。
国際極東軍事裁判所の裁判長ウィリアム・ウェップも「手下の者はみんな裁判にかけられているのに、親分はどうした。なぜ天皇はここに出てこないのだ」と主張していた。

こうしたことを言うのはどうかと思うが、あえて言えば、特攻隊で出撃して命を落とした人たちの戦いは無駄ではなかったと思える。彼らはその命をかけて間接的に天皇を救ったとも言える。(ただし、私は無条件に特攻という攻撃法を肯定などしない)
日本と戦った米英たちは日本軍の強さに驚愕し、命をかけて特攻を仕掛けてくる日本軍を恐れた。内地の人間は竹やりで上陸してくる米兵を倒す訓練までしている。
この竹やり訓練を、単なる狂人のやることと見るか、そこまでして抵抗する強い精神力をもっていると見るかで判断はわかれる。
アメリカは、当然、日本軍と戦った実感として日本民族の底力を恐れた。
もし天皇が戦犯にかけられたならば、日本民族は命をかけて占領軍に立ち向ってくるかもしれない、そう考えることは自然なことと言える。

《マッカーサーの「武力によって押しつけられた憲法」発言》 

日本国憲法が「押し付け」かどうかに関する発言をマッカーサーが回想記の中で記しているので以下に示す。

憲法の内容がいかに立派で、よく書かれていても、武力によって日本に押しつけられた憲法は、武力が存在する限り続くであろうが、軍隊が撤退し、日本人が自由になるとともに、日本人はその憲法を廃止してしまうだろう。(略)私はこのことを信じて疑わない。

〈マッカーサーの憲法改正の予想〉

護憲派の方々、とくに「日本国憲法は押し付けではない」「日本国憲法は日本人が作った」などとデマレベルの発言をしている人たちはよくこの言葉を噛みしめるべき。
マッカーサーは「日本に(武力によって)押しつけられた憲法」と言っている。
この発言は、占領当時ではなく、時間が経過した後に回想記で語られたものであるから、ある意味では油断してしゃべってしまったのだろう。
マッカーサーの予想では「GHQによって押しつけられた憲法」の効力は、軍隊という武力が存在する限り続くというもの。だが、やがて占領軍は去り、日本は独立を果たした。後に自衛隊も設立された。
主権を回復したはずの日本は、なぜマッカーサーの予測のようにGHQから押しつけられた憲法を改正しなかったのか?
その答えは、左翼による護憲論が一つの理由であり、民主主義的な内容が国民に自由と人権を与えたため国民から支持されたため。つまりそれは、戦争と言う悲惨な経験をした日本国民にとっては民主主義的な憲法は大賛成ということを意味する。GHQにより押しつけられた憲法の内容が良かったということ。

何度でも言うが、憲法の内容が良いことと、制定過程が正当かどうかは別の問題である。
しかし、「日本国憲法は日本人が作った。だから憲法を護れ」と叫ぶ人たちは、この2つの問題を連環させて捉えている。
最も重要なことは、アメリカ軍は占領軍ではなく、駐留軍として日本領土に居続けていること。

日本を占領し、日本国改造を行った最高司令官の発言以上に「押しつけ論」を決定づけるものがあろうか。
「押し付けではない」などと間違った論調を世間に垂れ流している人たちは、マッカーサー発言を噛みしめるべきだ。
「武力によって日本に押しつけられた憲法」
(マッカーサー発言)

《仕組まれたスクープ?》 

1946年2月1日、毎日新聞に日本政府の「憲法改正試案」が一面トップを飾った。
この時点では、日本政府側からGHQに対して正式に「改正試案」は提出されていない。
(GHQに提出する予定は2月中旬となっていた)
驚くべきことに毎日新聞の記事には、いまだ未発表の政府による改正試案の全文が記載されていた。
その一部を以下に示す。

第一章 天皇
 第一条 日本国は君主制とす
 第二条 天皇は君主にして此の憲法の条規により統治権を行う
 第三条 行為は皇室典範の定る所に依り万世一系の皇男子孫之を継承す
 第四条 天皇は其の行為に附責に任ずることなし
 第八条 天皇は公共の安全を保持し又はその災厄を避くる為の必要により、帝国議会審
議委員会の議を経て法律に依るべき勅令を行す

第二章 国民の権利義務
 第十九条 日本臣民は法律上平等なり、日本臣民は法律命令に定る所の資格に応じ均しく官吏に任ぜられ及其の他の公務に就くことを得
 第二十五条 日本臣民はその住所を侵さるることなく公安を保持する為必要なる制限は法律の定るところに依る

全文では7章76条の試案であり、基本的に明治憲法を添削しただけの小手先の改正となっている。
あきれるのを通り越して、GHQに対する愚弄とも見える。
なお、毎日新聞がスクープした日本政府による憲法改正試案は、憲法問題調査委員会のメンバーの一人である宮沢俊義氏が作成した「宮沢甲案」と思われる。

日本政府による憲法改正試案がGHQに提出されたのは、定説では2月5日となっている。
これを受けてGHQはどう動いたのか?
マッカーサー元帥は、民政局長ホイットニー准将に、松本案を拒否する詳細な回答書を作成し、その会談において日本政府に手交することを命じている。

日本政府が作成した憲法改正試案を、マッカーサー元帥は「拒否」した
その時点で、正式に日本国の憲法を起草できる存在とは日本政府しかいないはず。だが、マッカーサー元帥は拒否した。
ここが「憲法押しつけ論争」の関する非常に重要な論点です。
つまり、マッカーサー元帥は拒否権を持っているということであり、これはポツダム宣言にある「日本国民の自由な意思」を無視したものでしかなく、実質的に憲法を改正する主導権と最終的決定権を持っているのは日本政府ではなく、GHQ(マッカーサー)であるということ。これを抑えないと日本国憲法の制定に関する正しい判断は出来ないのです。

毎日新聞が発表した「政府による改正試案」について私見を述べる。
「日本国は君主制とす」「天皇は此の憲法の条規により統治権を行う」と言うのだから、天皇制国家である国家体制に変化はないことになる。
松本丞治委員長たちは、この改正案がGHQに認められるとでも思ったのか。現代人から見ればあり得ないとなる。だが、当時の保守層(現代でいう右派)である人たちは、日本国の国家体制を大転換(民主化)するなどとは微塵も考えていなかったということ。その根拠はポツダム宣言と思われる。

「日本臣民は法律上平等なり」という条文には重大な論点が潜んでいる。
まず「臣民」とは天皇の臣下である民と言う意味であり、ここでも天皇制を維持することが裏付けられている。「臣」であるからには、「忠義」が求められ、それは民の自由と人権が制限されることが戦後も残ることを意味する。

さらに重大なのが、「法律上平等」であるのが「臣民」であること。
つまり、民たちはみな平等だが、天皇、貴族たちは民とは違うということであり、日本国の中に地位の上下が規定されていることになる。深読みすれば民の上位に軍人が位置すると取れるので、軍国主義が復活する可能性を残すことと同じこととなる。
しかも、民に与える自由は、制限がついているので、真の意味での自由ではなく、天皇から与えられる慈悲と言う意味となる。

この「臣民」という文言が重要なポイントなのです。
「臣民」と言う言葉を憲法に明記することは天皇制とセットなのです。だから後にGHQ案を日本政府に提示して、日本政府が修正する際にGHQ側は「臣民」という言葉を修正させている。要するに「臣民」という文言があれば民主主義国家、民主主義的憲法にならないのです。
この試案を見ることで、当時の保守層たちの認識と思想がうかがえる。
要するに、日本政府がGHQ側に提示しようとした憲法改正案とは明治憲法を上辺だけいじっただけの偽りの変更だったということ。
このことがGHQ草案起草のトリガーとなった。

《GHQ側の憲法改正に関する作戦とは?》 

2月2日、ホイットニー准将はマッカーサー元帥に宛てて上申書を提出している。

私は、憲法改正案が正式に提出される前に彼らに指針を与える方が、我々の受け入れ難い案を彼らが決定してしまってそれを提出するまで待った後、新規書き直しに再出発するよう強制するよりも、戦術としてすぐれていると考えたのです。

〈ホイットニー准将の思惑〉

ホイットニー准将が言いたかったことは、どんな草案を日本側が持ってきても、民主主義的憲法を日本政府が起草することは無理と判断したことであり、そうした草案を修正させたりすることで時間を浪費して、極東委員会が動き出したならば、マッカーサー元帥が考えていることが水泡に帰すことになるので、GHQ側で草案を作成し、それを土台として日本政府に多少の修正をさせて憲法改正をするしかないと言っているのです。
駄作を丁寧に指導して修正させるよりも、駄作を破り捨てて白紙の状態からお手本を作って盗作させたほうがいいと言っているのです。
ホイットニー准将の文言の中に「強制」という文言があるが、その意味は、GHQは強制することが出来るということであり、強制する意思があることを意味している。
また、「戦術」ということが意味することは憲法改正とは軍事作戦であるということ。
GHQとは軍事組織であり、日本占領とは軍事的占領であることを現代の日本国民は理解するべきでしょう。

【日本国憲法の源泉編③】につづく

参考書籍

書籍名:『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
著者名:鈴木昭典
出版社:創元社

書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店

書籍名:『知られざる日本国憲法の正体』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版

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