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『“保守の憲法論”最終結論【自民党憲法改正草案編⑦】~「改正草案第12条」「家族・新しい権利」について~』

【自民党憲法改正草案編⑦】
「改正草案第12条」「家族・新しい権利」について

これまでの記事

【自民党憲法改正草案編①】~自民党憲法改正草案は国民家畜化の暗黒な未来に向かうもの!~
【自民党憲法改正草案編②】~憲法とは何か?~
【自民党憲法改正草案編③】~憲法を守らない権力者とは独裁者~
【自民党憲法改正草案編④】~自民党憲法改正草案の“真の狙い(目的)”は主権者を「国民」から「政権」に変更する革命に他ならない!~
【自民党憲法改正草案編⑤】~自民党憲法改正草案は自由と人権の破壊に他ならない!~
【自民党憲法改正草案編⑥】~「前文」「天皇」「国民の権利と義務」について~

憲法改正草案第12条について

《憲法改正草案第12条》

それと同時に恐ろしいのは、彼らが国民に多くの義務を課そうと躍起になっている点です。
~中略~
国民はもっと「公益」だの「公の秩序」に従うべきではないか、と言うのですね。
~中略~
「公」は人格をもって立ち現れるものではありませんから、「公」にまつわる事柄を実行する俺たち権力者に従え、国民はいちいち「権利」などを主張するな、ということになりかねない。非常に雑に言うと、自民党の本音はそういうことのようです。

〈国民に注文を付ける憲法改正草案〉

「彼らが国民に多くの義務を課そうと躍起になっている」
「国民はもっと『公益』だの『公の秩序』に従うべき」
「国民はいちいち『権利』などを主張するな」

上記の発言(価値観)が何を意味するのかおわかりですか?
ズバリ言うと、「全体主義国家像」であり、その先に「独裁主義国家像」があるのです。
自民党の議員に聞きたい、あなたのその権力者としての立場は誰から与えられたのですか。
民主主義国家の体制を理解しているならば、「国民=有権者」と答え、国民から与えられた権力であると自覚するでしょう。国民から与えられた立場を利用して、逆に国民を従わせようとすることは、本末転倒であり、逆心行為に他ならない。

自民党の憲法改正草案は、「国民から与えられた権力である」ということを否定するものなのです。
つまり、自民党とは自由主義の政治団体でも、民主主義の守護者でもなく、真の姿は全体主義集団だということです。それが自民党の正体であり、本質なのです。

しかし、国民を誘導するために(騙すために)、民主主義の仮面をつけているだけです。
そもそも自民党が設立された際にCIAから資金が流れているということを考えれば、アメリカの犬としての政治勢力であることが理解でき、それが意味することとは、アメリカの国益を守る政治集団であり、反対に国民の幸福など考えていない政治勢力だということが言えます。
だから、消費税(売上税=付加価値税)を導入し、経済が不況のままの状態にしているのです。
自民党の気持ちが色濃く反映されている条文が改正草案の12条です。

〈自民党「日本国憲法改正草案」〉
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴いことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

では、現行憲法の12条と比較する。

日本国憲法第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う

「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という条文を、「自由及び権利には責任及び義務が伴いことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書き換えている(修正している)。
ここでも「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に置き換えている。
先でも語ったが、「公益及び公の秩序」という言葉を表面上で受け止めてはいけない。この表現には裏の意味(真の意味)が隠されている。「公益」とは国家の利益であり、「公の秩序」とは国家権力の示す秩序に他ならない。つまり、自分たち権力者に逆らうなよと言っているのです。ただ言うだけならまだしも、憲法に明記しようとしているのです。
「自由及び権利には責任及び義務が伴いことを自覚し(ろ)」というのですから、むやみに自由や権利を叫ぶと何らかの“責任”が伴うぞということであり、自由や権利よりを保障することよりも国民に“義務を増やして”国民を“権力者に従わせよう”としていることは明白です。

この傲慢さ、いったいどこから来るのでしょうか?
私は、統一教会の思想が大きな影響を与えていると考えています。なぜならば統一教会とは「反日」だからです。反日ということは国民を不幸にし、国家として衰退させようとしているということです。もう一つ朝鮮半島の歴史では、両班(ヤンバン)という貴族階級が現在で言うところの国民を奴隷または下層階級としてこき使い、まともな人間扱いをしてこなかった歴史があります。朝鮮半島の政治制度とは、両班などの貴族に両班以外の人間が奉仕する社会だったのです。
私には自民党の改憲草案は、朝鮮半島の歴史に見られる貴族階級にそれ以外の庶民は奉仕するために命があるといわんばかりではないか、と感じているのです。
朝鮮半島出身(出自が)の人間が政治家となれば、日本国が日本的ではなく、朝鮮半島的な社会に変貌することはごく自然な現象と言えるでしょう。

〈「自由と責任」、「権利と義務」について〉

つまり、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」しろと、国民に迫っているわけです。しかし、これは根底から間違っています。
「権利と義務は表裏一体で、権利があるから義務もあるはずだ」という主張がどう間違っているか。憲法における「権利と義務」は、そういった代償的な関係にはないのです。

憲法における「権利と義務」は、そういった代償的な関係にはない
こんな簡単なことが自民党の議員には理解できない。よく国会議員ができますね。「恥を知れ」といいたい。

「自由と責任」、「権利と義務」について論じればこうなる。
確かに「自由」には責任が発生する。だがその自由と責任は国家にも適用される。国家権力が行使できる自由とは憲法に規定された範囲内でしかなく、憲法秩序に反する自由の行使はただの濫用でしかなく、その重い責任が問われる。つまり、自由と責任の関係は個人だけではなく、国家権力にも当てはまるということ。

重要なことを指摘すると、国民の大半が憲法改正を望んでいないにもかかわらず、国家権力側が憲法改正を推し進める自由は存在していない。99条の規定により国会議員にはそうした自由の行使は認められていない。
要するに、いまやろうとしている高市早苗氏主導の憲法改正の動きは明確に憲法違反の動きであり、行使することができない権限(自由)である。こうした憲法秩序を国民が知らないからこそ、彼らは濫用をするのだ。

「権利と義務」については、小林節氏が指摘しているように「権利があるから何らかの義務が同時に発生する」という関係にはない。権利と義務は別のもの。憲法に示された義務とは、国家を維持するために国民に3つの義務を課しているが、根本的な義務を課されているのは権力者側である。
表裏一体であるのは、「権限と責任」です。
権限とは地位であり、権限があるということは、大臣でも国会議員でも、民間企業の経営者でも、権限(地位)と同等の責任があるという関係にある。「長」がつく管理者であれば、その地位に対応した責任が発生するということ。
国会議員というのは主権者である国民から「権限を与えられた地位」にある者のことで、その権限は憲法の範囲内及び法律の範囲内での行使しか許されていない。「権限を与えられた地位」とは、国家を守り、発展繁栄させ、国民の自由と人権を保護し、国民を幸福にする義務(責任)があるということ。権限とは責任であり、その責任を行使する義務があるという関係にある。
国民は知るべきです。自民党議員とは歪んだ法秩序の上に政治を行っている無知で無責任な政治集団であることを。

権利をもつのは、国民です。義務を負うのも、自民党は国民だと言っている。それでは、権利を持つ人と義務を負う人は同じではないですか。

我々、国民はもともと人権をもっていて、それを尊重、擁護する義務は国側にある。これは代償的な関係ではない。

自民党の政治思想は、エゴイスティックなものであり、実に身勝手で自己中心的な思考なのです。それは独裁者の思考に相通じるものだということです。
明治憲法においても、伊藤博文は憲法設立の趣旨を「臣民の権利の保護だ」と言っている。
自民党の憲法理解は不勉強という表現では済まされないレベルのもので、極めて悪質なものと言える。

そもそも国民が権利を振りかざし暴走することなど出来ない構成に日本国憲法第12条はなっている。
12条の条文に「国民は、濫用してはならない」と規定されている。いまさら国民に義務を課す正当な理由など発生する余地はない。

家族・新しい権利

《家族・新しい権利》

憲法には道徳的な内容を書かないということが基本原則です。なぜならば、道徳的な内容とはその根源を宗教的価値観に依存しているからです。
自民党の改正草案において、致命的な間違いが以下の条文です。

自民党草案
(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力より、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

〈憲法に「家族」?〉

「家族は」という言葉を憲法で使うのはあり得ません。
ましてや、「家族は、互いに助け合わなければならない」などと規定することは国民からすれば大きなお世話で、国家が口を挟むことではないのです。
この意味は、本来国家権力が踏み込んではいけないタブーの領域に足を突っ込んだということです。
では、もし家族が助け合わなければどうなるのでしょうか?
憲法違反?
「~しなければならない」という文言が憲法の条文に明記されるということは、義務と同じ意味となります。
この憲法条文をもとにして法律を制定されたならば、法律違反となることも予測できます。
これは完全に国民を国家の統制の下で支配することと同じです。
つまり、国家が国民個人の人間関係にまで権力の手を伸ばすということを意味している。
私から指摘おきたいことは、ディープステート(闇の世界権力者)の目的に「家族の破壊」があります。家族間のトラブルで刑法に触れないことで国家権力が口を挟んでよいことなど一つもありません。国家が介入していいことは、刑法に反することなど、身体等に危機が発生する場合のみです。
しかし、「家族は互いに助け合え」と言っているのですから、逆に言うと「助け合わなければ法秩序に反する」となります。こんなバカなことがありますか。
これは明白に、国民個人を国家権力の前にひれ伏すことを求めていると言えます。

現行憲法が個人の尊重を究極の価値としているのに対して、草案では「個人」よりも「人」や「家族」に価値を求めている点も大いに問題だと言えます。
「人」や「家族」を、「個人」の上位にあるものとして明記することは、個人の尊重を本質とする立憲主義に照らして許されないことです。立憲主義の究極の価値は個人(の尊重)にあるのであり、団体、集団、社会、ひいては国家が個人よりも優位に立つかのような表現は、立憲主義に逆行します。
~中略~
家族の絆が大切であるとしても、ライフスタイルや生き方は多様であって、「あるべき家族の姿」は、自由主義社会では自由な討論によって検討され、最終的には個人の内心にゆだねられるべき問題です。言い換えれば、国家が介入する問題ではなく、ましてや、国家権力を縛って国民の自由を確保するための立憲主義憲法に定めるべき内容ではありません。

伊藤真氏は「現行憲法が個人の尊重を究極の価値としている」にもかかわらず、自民党の改正草案が「団体、集団、社会、ひいては国家が個人よりも優位に立つかのような表現は、立憲主義に逆行する」と指摘していますが、ここに自民党の憲法に関する価値判断が示されているのです。
彼らはGHQにより貶められた戦前保守の子孫や思想的系譜につながる者たちです。だからことその心の奥底にはGHQ憲法に対する嫌悪感、否認の気持ちがあるのです。彼らはGHQ憲法を破壊し、戦前の社会のような憲法を欲しているのです。

何度でも言います。
自民党の憲法改正草案とは、自由主義な憲法でも、民主主義な憲法でも、立憲主義を守る憲法でもありません。むしろ逆であり、自由主義の否定、民主主義の否定、立憲主義の否定をする改正草案に他なりません。
国民のみなさん、自民党の憲法改正草案が実現した場合、日本社会は大きな転換をむかえることになります。国民主権はあるのかないか分からない幽霊状態となり、民主主義は骨抜きになり、立憲主義など完全無視され、国民の自由や人権は国家権力の掌の上に乗り、国家権力が国民を思うままに統治する国家へと変貌してしまうのです。

《「家族」は、社会の基礎的な単位?》

〈自民党「日本国憲法改正草案」〉
(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然且つ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わねばならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基礎として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

〈カルト宗教の価値観が条文化されたら、あなたはどうする?〉

「家族は仲良くしなさいね」という文章だと素直に読めば、別に誰からも異論はないだろうと思われるわけですが、これは社会道徳の手引きの原稿案ではなくて、憲法の改正草案ですからね。ここに、道徳観念に触れる規定を盛りこんできたということは、やはり非常にきな臭いものをはらんでいる。

正直に言おう。
この条文は、統一教会側からの提案であると予測している。統一教会はなぜか「家族」を大切にする教えなるものを説いている。だが、実際は真逆の現象が起きていることをどう説明するのか。

「家族は、(社会の自然かつ)基礎的な単位」と言っているのです。
ここに隠されたものがあります。
それは裏側に否定が潜んでいることです。
上記の家族に関する条文を明記することで、「個人」が基礎的な単位であることを消し込んでいるのです。なんとも卑劣なやり方です。このように自民党の憲法改正草案をそのまま読んではいけないのです。隠された裏側に重要な狙いがあり、目的が見えないように隠されているのです。

重要なことは、「道徳規範」や「家族」というものを憲法に入れるべきではない、という点に尽きる。
音楽の世界でリズムを取るときによく言われるのが「(リズムの)裏を取れ」ということがあります。
自民党の憲法改正草案も単純に素直に読む(理解する)のではなく、「裏」を読まねばならないのです。
憲法に「家族を大切にしろ」という法秩序を入れ込み、なおかつ憲法を守れと国民に迫ることは、家族間のいざこざなど、他人が入り込めないことまで国家権力が入り込む可能性を秘めているのです。そうしたことは必要最小限度にとどめることが世界の常識であり、家庭の中に国家権力が入り込むことは、民主主義国家、自由主義国家ではなく、全体主義国家または共産主義国家と呼ぶべきものなのです。

著書の中で小林節氏が指摘しているように、「法と道徳を混同するな、というのは近代法の大原則」なのです。
憲法に道徳レベルの内容を入れるということは、次に来るのは法律に道徳を入れ込むことによって、国家権力が信じる道徳または宗教的価値観によって、国民を統治するということです。もし、その宗教的価値観が統一教会の教えと同じものであったならばどうしますか?
私の言っていること理解できますか?
勘の良い方、自民党の問題を追求している方ならピンときたでしょう。
自民党を応援、支持しているのはどんな団体、どんな宗教でしたか?
それら国家権力ではない勢力の「教え」なるものが「道徳」として化粧をされて国民の前に提示されたら、その意図を見破ることができるでしょうか。
私の見解では、90%以上の人が見破ることはできないと推測しています。

憲法に「家族を大切にしろ」という法秩序を明記し、国民に憲法尊重義務を課すということは、国民の側が権力を監視する規定であるはずの憲法を180度転換させて、国家が国民を監視する法秩序にすることに他なりません。
憲法改正後、「家族を大切にしろ」という法律または政令を制定されたならば、全国各地で犯罪者とされるケースが続出する可能性さえあるのです。
こんな恐ろしいことを放置できますか?

「先生」と呼ばれている自民党の議員とは、法と道徳を峻別する見識を持たず、近代法の原則も理解していない無知な者たちだということです。いったいどこが“先生”なのでしょうか?
先生ではなく、「専制」ではないですか?

【自民党憲法改正草案編⑧】につづく

参考書籍

書籍名:『「憲法改正」の真実』
著者名:樋口陽一、小林節
出版社:集英社新書

書籍名:『【決定版】白熱抗議!憲法改正』
著者名:小林節
出版社:ワニ文庫

書籍名:『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』
著者名: 伊藤真
出版社: 大月書店

書籍名:『高市早苗という病』
著者名: 適菜収
出版社: ベスト新書

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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