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『「緊急事態条項」とは、独裁国家へのラストピース!【是非論編】~「緊急事態」を完全に想定することは不可能!~』

先に【解説編】【本質編】をお読みいただくと【是非論編】がより理解できます。

【是非論編】「緊急事態」を完全に想定することは不可能!

「緊急事態条項」の是非を問う!

《緊急事態条項の是非を問う!》

緊急事態条項における世間での是非を問いている論点は「一度憲法に規定してしまうと権力の濫用を防ぐことが不可能」ということです。
たしかに、緊急事態条項を憲法に規定してしまうと、国民はなす術がなく、ただ権力者のなすがままの言いなり(奴隷のような)状態となってしまいます。
つまり、緊急事態条項という法を“覆すことが不可能”となってしまうのです。
ですが、アチキが考える最大最終の問題はその奥にあります。

角度を変えて言えば、「“誰が”緊急事態条項の権限を持つのか」ということです。
善なる者か?
悪なる者か?
民主主義なる者か?
全体主義なる者か?
国民を真に守ろうとする者か?
国民から権力を奪おうとする者なのか?
という問題です。

少し極端な言い方をすれば、「緊急事態条項」も必要とされるときがありえるので、緊急事態条項があるからそれだけで国民が“絶対的に”不幸になると言うことはできない。
緊急事態条項を“どう活かすのか”という権力者の問題こそ根源的な問題であり、最大の問題である、ということです。
(緊急事態条項を肯定しているのではなく、想定される議論をしている)

これほど重要なことはないので繰り返します。
「緊急事態条項」の根源的なおかつ最大の問題とは、「“誰が”緊急事態条項の権限を持つのか」、という点です。
「誰が」という点が最大の問題なのです。
それによって「権力の暴走(横暴)」が起きるのか、いざという時の「備え」にしか過ぎないのか、という分かれ道になるからです。
近代法は、「誰が」という想定に「悪なる者」を想定して、最悪の事態を防ぐことを大きな目的としているのです。
ですから、憲法が国民の人権を守るために国家権力を縛るものとなっているのです。
つまり、近代法における憲法とは、最悪なる者の登場(権力の座に座る)への防波堤の役割を果たしているのです。

〈もうひとつの重要な問題〉

もうひとつの重要な問題があります。
それは「何をもって“緊急”というのか?」、という点です。
以下に海外で緊急事態条項が発動された「緊急事態」を示します。

ドイツ(ナチス統制時):国会議事堂への放火(ナチスによる自作自演)
トルコ:クーデター(未遂)
カナダ:コロナワクチン予防接種への反対デモ

(情報は、SHIFTより)

つまり、緊急事態条項の「緊急」とは戦争や災害だけではなく、政府にとって都合の良いように判断されて発動される、ということです。
軍事力によるクーデターならば国家の緊急事態であると思えますが、なぜ「予防接種への反対デモ」が緊急事態となるのでしょうか?
たとえ大規模なデモであってもデモを緊急事態とするということは、「政府に反抗する者は許さない」という傲慢な権力者の姿がそこにあるのです。
それは紛れもない民主主義の否定です。
要するに、「緊急」という定義が曖昧=政府(内閣)の勝手な判断によっている、という点です。

自民党(自由民主党)は、国民の「自由」を尊重していますか?
自民党(自由民主党)は、国民の「人権」を保障していますか?

新型コロナウイルス感染症対策、コロナワクチン接種政策、様々な増税、LGBTQ法など自民党の実施している政策は国民の自由と財産を奪うものばかりです。
要するに、自民党が緊急事態条項を発動したならば「日本全国民は不幸になる」ということです。
仮に、緊急事態条項が憲法に追加されたとしても(仮定の話)、善なる判断ができる権力者ならば、国民の基本的人権を奪う緊急事態条項を発動することを最後の最後まで躊躇し、国民の自由と権利を可能な限り守るでしょう。
しかし、自民党は違います。
自民党がやろうとしていることは、国民から「自由と権利」を奪い、自民党が強力な権利を持ちたいがための憲法改正なのです。
ですから、危険という範疇を超え「the end」なのです。

〈独裁という言葉の意味〉

「独裁」という言葉は現代では「悪い意味」としか受け取らない人が多いですが、もともとの意味は「善悪の区別」をつけるものではありません。
もし、仮に、圧倒的な善なる性質を持った人間、国民の幸福を実現できる能力を持つ者が独裁権力を持ったならば、「幸福」がその国家に満ち溢れるでしょう。
しかし、問題は能力と性格(性質)は遺伝せず、天才・圧倒的な善人がいつ、どこから出現するのか分からないことです。
悪い奴(欲深い奴)ほど権力を欲しがる傾向があり、悪い奴(欲深い奴)が独裁権力を持った場合、独裁者以外の全国民が「不幸」になるのです。
自民党が行っている政治は明らかに全体主義政治であり、明らかに独裁政治への道を進んでいると言えます。

こうした意味での独裁とは何か?
独裁とは、「監視」「強制」「逮捕(処罰)」による「恐怖政治」です!

〈麻生太郎氏の発言〉

麻生太郎氏は、以前、ドイツのナチスが緊急事態条項を利用して独裁を築いたことを引き合いに出して緊急事態条項を「肯定」しています。
(麻生太郎氏の「ドイツに学べ」発言 2013年7月29日)

「ナチスドイツに学べ」という発言をする人間が幹部にいる政党が自由で民主的な政党のはずがありません。

保守とは「伝統」や「慣習」を大切にすることです。
なぜ伝統や慣習を大切にするかというと、その国の歴史(時間経過)において選別され、選択されてきた叡智が集約されているからです。
また、その民族に特有の文化風習がそこにあるからです。

アチキが言いたい「保守とは?」で言うならば、自国の領土を守る「使命」と、自国民を最優先する「愛」と言えます。
他国の人間を完全に拒絶するなとはいいませんが、自国民より外国籍の人間を優先させるような政策を打ち出す自民党は明らかに保守政党とは呼べません。

《日本における「緊急事態条項」の必要性について》

サンテレビニュース(永井弁護士の発言)より抜粋引用

私は阪神淡路大震災のときに事務所が全壊したんです。
それ以来27年災害に関する法律に関わっている。
~~
緊急事態条項が必要だったことなんて1度もないです。
被災者にとって一番重要なのは仮設住宅に断熱材が入るのか、あるいは復興住宅に入るときに連帯保証人が必要なのかとか、そういうことなんですね。
条例とか法律の運用のレベルです。憲法なんか関係ないんです。

災害対策の原則というのは準備していないことはできないということ。
準備してもなかなかできないんです。
緊急事態条項というのは災害が発生した後、あわてて権力を集中するという制度ですが、どんな強力な権利でも準備していないことはできない。

〈緊急事態条項追加の理由は詭弁(騙し)〉

自民党が推し進めようとしている緊急事態条項を憲法に追加する案の大きな理由のひとつは「災害」です。

ですが、永井弁護士が語っているように、被災者にとっては憲法とは不必要なものです。
実際に被災者にとって必須となる事柄は法律や条例レベルのものでしかないのです。
ですから、真に災害対策を考えるならば、全国的な災害対策の法と条例の整備をすることになるのです。

他にも理由があります。
それは「衆議院が解散した際に大規模災害等が発生した事態」です。

衆議院が解散している時に大きな災害が発生した場合に混乱が起きるから、緊急事態条項を憲法に明記する???
これは“詭弁の極み”です。
答えはすでにあります。
「参議院の緊急集会」
つまり、衆議院議員が空白の場合は参議院議員がその変わりをする(一時的に参議院が国会を代替する)、ということが憲法にすでに規定されています
なんら困ることはありません。
困るのは衆議院議員だけです。

みなさん参議院選挙がなぜ半分ずつ行うか理由を理解していますか?
このためです!
衆参ダブル選挙が行われた際に、大規模災害が起きた場合、参議院が衆議院の代わりができないじゃないか? と思うでしょうが、ちゃんと半分の参議院議員は残っているのです。
だから、法的な問題としては何の問題もないのです。

もう一度言います。
困るのは内閣という行政を担当する衆議院たち(主にという意味)です。

《今までの内閣法制局の答弁では?》

過去の内閣法制局の答弁において、武力攻撃や大規模災害の際に、現行の憲法で「公共の福祉」の観点から、合理的な範囲において法律によって国民の権利を制限し、なおかつ特定の義務を課すことは許されるという見解を示しています。

なのに、「緊急事態条項」を憲法に明記する???

であれば、いままでの見解の間違いを国民に対してきちんと説明し、道理的に納得する内容を示す必要があります。
いままでのやり方と矛盾することを言いだしておいて、国民に何の説明もしないというのは、権力者の横暴以外の何ものでもありません。

実際は、現憲法のままで、武力攻撃事態法、災害対策基本法、新型インフルエンザ等対策特別措置法、国民保護法などの法律レベルで緊急政令の制定が可能なので、憲法に「緊急事態条項」を明記する必要性はありません。

《緊急事態(非常事態)を詳細に定めることは不可能》

「緊急事態」=「非常事態」の緊急(非常)たるゆえんは、「予測できないこと」なのです。
完全なる“予測を立てられない”からこそ「緊急事態=非常事態」なのです。
本来、いくら人間が過去の経験に照らし合わせて考えてみても、想像を超える事態というものが発生する可能性は最後まで残るのです。
ですから、緊急事態を詳細に定めること自体が不可能なのです。
ただし、ある程度の想定は可能であり、想定されることに関しては定めることもできる。
しかし、想定されていない事態が発生しないと、いったい誰が保障できますか?
つまり、完全に緊急事態を想定できない以上、詳細な規定は逆に足かせになるか、絵に描いた餅となるのです。
備えることができることと、できないことがある、ということです。

賛成派への反論

《緊急事態条項賛成派の意見とは?》

緊急事態条項を憲法に追加することに賛成の意見は次のようなものです。

「国会がまったく機能できない場合」及び「法律が制定していない緊急事態が起こった場合」に「緊急事態条項がないと対応できない」。

〈賛成派意見への反論〉 

こうした論理は詭弁術と言われるものです。
こういう言い方をすると気分を害する人もいると思われますが、こうした論理は「ものごとを判断できない人を騙す言論術」です。
いわゆる「詭弁(騙しの論理)」です。

法律を規定するということは、「その時点で何らかの事態を想定して対処しようとしている」ということなのです。
「国会がまったく機能できない場合」及び「法律が制定していない緊急事態が起こった場合」が発生するということは、人間の能力や法律の限界を超える事態ということです。
つまり、人間の能力を過信した姿がここにあります。
それは「法律至上主義」の人たちの姿です。
この世の法律ですべて解決できる、という現在人の傲慢さです。

自民党が改憲しようとしている「緊急事態条項」とは、他国の緊急事態条項とは違って、独裁権力を持つものでしかありません。
権力の暴走が起きても、それを倒すために立ち上がった正義の人たちが犯罪者として処罰される“超悪法”です。
後戻りができず、ご破算とすることが出来ないものです。
要するに、「緊急事態条項」を法律レベルで規定するのか、憲法に明記するのか、ということは重大過ぎる問題なのです。
これを間違うことは国民の幸不幸に直結し、日本の政治体制の変貌を意味するのです。

『【影の支配者編】自民党の裏に統一教会(国際勝共連合=KCIA)あり!』につづく

リンク先

『SHIFT』
「緊急事態条項の危険性について」

『東京弁護士会』
『第20回「憲法の本質と緊急事態条項」(2022年9月号)』

『サンテレビニュース』
『憲法への新設が議論「緊急事態条項」の危険性』

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!

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