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『東池袋自動車暴走死傷事故の初公判の「嘘」を見破る!【前編】 ~裁判における問題点を追求する!~』

【東池袋自動車暴走死傷事故の初公判で驚くべきことが】

《東池袋自動車死傷事故とは?》

「東池袋自動車死傷事故」とは、2019年4月19日、東京都豊島区東池袋四丁目で発生した交通事故。
被害者は、死者2人、負傷者9人(加害者を除く)の計11名。
事故当時の加害者の年齢=87歳。(現在89歳)

起訴状によれば、飯塚被告は普通自動車(プリウス)にて豊島区東池袋の二車線道路を時速60キロメートルにて走行中アクセルペダルを踏み込み、そのまま時速84キロメートルまで加速。
さらに96キロメートルまで加速を続け、横断歩道付近にいた通行人や車に次々と衝突し、自身の妻を含む9名に重軽傷を負わせ、松永さん母子を死亡させた。
検察側は、飯塚被告がブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えたのは直前の運転中の度重なる車線変更が契機になっていると指摘している。

《飯塚被告の当日の行動》

この日、食事をするために板橋区内の自宅マンションを出た飯塚夫妻は、飯塚被告の運転する車で文京区のレストランに向かっていた。
事故直前に車線変更を行ったところ、前方のバイクに近接してしまった。
そのため再度車線変更をすると、今度は前方の乗用車に近接した。
この過程でブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えて縁石にぶつかるが、そのまま走行を続けたため最悪の事故が起こった。

《東池袋自動車死傷事故の初公判が開かれた》

事故発生後、飯塚被告は事故で重傷を負い約1カ月間入院する。
警視庁は飯塚被告を逮捕せずに任意で捜査を続け、2019年11月に起訴を求める「厳重処分」の意見をつけて書類送検した。
東京地検は2020年2月に在宅起訴した。

2020年10月8日、東京都豊島区東池袋の路上で自動車が暴走し、合計11人を死傷させた、旧通産省工業技術院元院長・飯塚幸三被告の初公判が東京地方裁判所(下津健司裁判長)で開かれた。

《初公判で加害者が無罪を主張した!》

スーツ姿にマスクを着けた飯塚被告は、法廷に車椅子で現れた。
弁護人に車椅子を押され、証言台の前に移動した。
人定質問や起訴状読み上げの間は座ったままだったが、罪状否認の際には、ヨロヨロと立ち上がり、検察側に座る遺族の方々に頭を下げ、はっきりと語り出した。

「今回の事故により、奥様とお嬢様を亡くされた松永様ご遺族に、心からお詫び申し上げます。最愛のおふたりを無くされる悲しみ、ご心痛を思いますと言葉がございません。また、お怪我をされた皆様方、ご親族の皆様に、深くお詫び申し上げます」

と深々とお辞儀をした。
そして、信じられないことを口にした。

「起訴状の内容については、アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶しており、暴走したのは車に何らかの異常が生じたため暴走したと思っております。ただ、暴走を止めなれなかったことは悔やまれ、大変申し訳なく思っております」

と主張し、再び車椅子に座った。
弁護人も、同様に、

「運転していたこと事故の発生は争わないが、ペダルを間違えて踏み込み、踏み続けたことはなく、被告人に過失はない。システムに何らかの突発的な異常が生じ事故に到った可能性がある。過失運転致傷は成立しない」

と無罪を主張した。

たしかに、自動車に問題がある場合も可能性としてはあり得なくない。
過去、自動車の欠陥が原因の事故は起きている。

だが、今回の事故の場合、車の制御システムの異常が原因の事故なのだろうか?

この飯塚被告の主張は、製造メーカーにとっては死活問題である。
プリウスが欠陥製品であると言っているのと同じだからだ。
これに対してトヨタ自動車は、「裁判で真実が明らかにされるということですので、その推移を見守っています。証拠があると理解しています」と応じている。
一般的に自動車には電子信号を記録する装置が備わっている。
それを解析すれば運転時の様子がわかるのだ。
トヨタ自動車側は「事故の原因が制御システムの異常ではない自信を持っている」ということだろう。

また飯塚幸三被告は、昨年10月に事故に関することで、こんなことを語っている。

「安全な車を開発するように、あのメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になって欲しいと願っています」

(JNNの取材への返答)

《事故は過失か?車両の異常か?》

〈飯塚被告の弁護側の言い分〉

飯塚被告側(弁護側)の言い分はこうだ。

「車の制御システムの異常によって車が暴走した」
よって、過失運転致死傷罪は成立しない。
(ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えたのではないということ)

要するに、事故の責任は飯塚被告にはなく、車の責任だと主張しているのだ。

〈検察側の主張〉

《遺族の気持ち》

遺族である松永拓也さんは会見でこう語った。

「事故から1年半経ち、ようやく第1回公判を迎えることができた。この1年半のあいだ、私たち遺族は本当に悲しみと苦しみと向き合いながら生きてきた・・・」

「車の不具合を主張するのであれば、私は謝って欲しくはない。謝るならしっかりと罪を認めて、判決が出た後に、本当に申し訳ないと思うのであれば、(謝るのは)そのときでいいと、私は思っています」

「予想していたこととはいえ、残念でならない。本当に妻と娘の命に向き合っているのか、私たち遺族は無念でなりません」

また、死亡した松永真菜さんの父親である上原義教さんは、こう語った。

「悔しくて悔しくてなりませんでした」

「こういう人に私の娘と孫を奪われたのだと思うと、とてもつらくて苦しくて。そういう思いでいっぱいでした。私たちが今どんな思いで生きて生活しているのか、彼が反省しなければしないほど、私たちと同じ苦しみを味わってほしいという思いでいっぱい」

「(飯塚被告には)本当に反省いただいて、罪を償っていただきたい。私たち遺族一人一人の気持ちに向き合っていただいて、生きていってもらいたいです」

(参考情報は、「YAHOO!ニュース」など)

最愛の妻と娘を突然失った夫(松永拓也さん)の思いと、大切に育ててきた我が子(娘)とかわいい孫を失った上原義教さんの思いは、飯塚被告の心に少しも届いていないようだ。

【被害者参加制度は誰のためにあるのか?】

この初公判でアチキが怒っていることがありんす!

遺族の松永拓也さんは、「被害者参加制度」を使って裁判に臨んだが、亡くなった2人の「遺影」の持ち込みを被害者参加人としては禁止された。
抗議の上申書を提出するも却下された。

松永さんの弁護人である、高橋弁護士は「被害者参加人として座り遺影を持たないか、一般人として座り遺影を持ち込むか、二者択一を裁判長に迫られました」と述べた。

通常、証言台と傍聴席の間にあるバー(柵)の内側を「在廷」として扱い、被害者参加人も内側に座る。
しかし、今回は被害参加人が多く、内側に入りきらなかったため、バーの外側にある傍聴席の一部を被害者参加人の席として扱うことになった。

さらに高橋弁護士はこうも言っている。

「これまで、同じ形で遺影の持ち込みを求めて断られたことはありません。今回が初めてです」

結局、松永さんの母親が被害者参加制度を使わず、一般人として傍聴し遺影を持つことになった。
松永さんたち遺族はこの件をこう述べている。

「私たち遺族としては、被害者参加制度を使って裁判に参加することは大事なことです。もう一方で、遺影と一緒に、亡くなった2人とともに裁判に参加したいんだという思いも、比べることができないくらい、同じくらい大事なことです。そのどちらかを選択したいといけないのは本当に大変難しいものでした。今後も在廷権を有したまま、傍聴席で遺影を持てるように、裁判所側に言い続けていきたいと思っています」

《被害者参加制度とは?》

「被害者参加制度」とは、一部犯罪の被害者や遺族などが利用できる制度。
殺人や危険運転致死傷、過失運転致死傷、性犯罪など一定の犯罪について、被害者や遺族が裁判所の許可を得て刑事裁判に参加できる制度。
参加が認められた「被害者参加人」は、公判に出席し、証人尋問、被告人質問、事実関係や法律適用への意見陳述などができる。
自らないし弁護人に依頼して次のような行為が可能となる。

だが、裁判所は遺族が遺影を持ち込むことにナーバスな反応を見せる。

それはなぜか?

《遺影の持ち込みを禁じる理由は?》

実は、遺影の持ち込みに関する明確な規定はない。
というよりも、遺影を法廷内に持ち込むことを禁止する法律は存在しない

裁判所法や法廷等の秩序維持に関する法律などに基づき、裁判所がケースバイケースで可否を判断しているのだ。
(遺影の持ち込みの問題では、同じ事件で地裁はOKだったのに高裁ではNGが出たというケースもあり、裁判所(裁判長)によって判断がバラバラの状況である。)
つまり、裁判長の判断しだいだということだ。

これは問題である!!

以前は、以下のような理由から、遺影の持ち込みなどを認めないとしていた。

1.被告人に不当な重圧を与え、委縮させ、言いたいことを言いにくい状態にさせる。

2.裁判官や裁判員の心理に影響を及ぼし事実認定や量刑判断が被告人に不利ちなり、公正な裁判が行えなくなる。

3.法廷の雰囲気が異様なものとなり、遺族が感情を高ぶらせて法廷内外で不隠当な言動に及び、無用の混乱を生じさせるおそれがある。

4.額縁は凶器になり得るし、現に額縁を傍聴席にいすに叩きつけ、ガラスを割って散乱させた例がある。

《ご意見番の独自見解》

〈1についての反論〉

「不当な重圧を与え、委縮させ、言いたいことを言いにくい状態」

ならば、遺族や被害者が被疑者を前にして委縮、恐怖、怒りなどの感情を起こさないとでもいうのか?
まったく被害者サイドを無視する規定である!

〈2についての反論〉

「裁判官や裁判員の心理に影響を及ぼし、事実認定や量刑判断が被告人に不利となり公正な裁判が行えなくなる」

一般人である裁判員はともかく、遺影が法廷内(バーの内側)に持ち込まれただけで心理面に影響がでてしまい、事実認定、量刑判断が狂ってしまうなら、裁判官失格である!
裁判官とはその程度の人間なのか?
難癖もいい加減にしてほしい!

〈3についての反論〉

「法廷の雰囲気が異様なものとなり、遺族が感情を高ぶらせて法廷内外で不隠当な言動に及び、無用の混乱を生じさせるおそれがある」

遺影にそんな力があるか?
そもそも裁判自体が「異様な空気」に包まれた場である。
被害者遺族が感情を高ぶらせるのは当たり前じゃね~か!
家族を殺されて冷静にいられる遺族がどこにいる?
「無用の混乱を生じさせないために裁判官が存在する」のではないか?
この言葉は、裁判官の無能さを表現しているにすぎない。

〈4についての反論〉

「額縁は凶器になり得る。また額縁を凶器として使用した事例がある」

はっ?
ならば、ネクタイ着用禁止!ベルト着用禁止!とせねばなるまい!
ネクタイで被告の首を締めたらどうする?
ベルトで被告を叩いたらどうする?
基本的に、他人に危害をくわえようと思えば、どんなものでも凶器に成り得る。
ならば、裸で法廷に立つのか?

こんなバカな思考しかできないとは、裁判官の頭の中を疑う。
アホもいい加減にせよ!

ここに裁判官の「遺影」に関する心情が露骨に現れている。
つまり、裁判官は「遺影」を「物」としか見ていないということだ。

すべての裁判官よ、よく聞くがいい!
そして今後、その脳みそを入れ替えるがいい!

「遺影」とは、被害にあった“その人そのもの”なのだ。
遺族にとっては単なる写真ではなく、“愛しい家族そのもの”なのだ。
そして、「遺影」を法廷内に持ち込むという遺族の心情は「ほんの少しでも家族(被害者)の無念を晴らしたい」という思いなのだ。
そして、姿は見えなくなった家族と共に被告と戦うという決意の現れなのだ!

そうした被害者遺族の心情を少しも理解しようとせず否定する裁判官など、「裁判官として他人を裁く資格はない」といっておく。

後編に続く。

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。

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