『宮迫博之氏に救済の手を差し伸べ、テレビに忠義を尽くす明石家さんま氏にあっぱれ!』

【明石家さんま氏に批判が出た】

闇営業問題で所属していた吉本興業から解雇され、なおかつ社会的に干されていた宮迫博之氏が1月29日にYouTubeデビューして毎日投稿している。
再生回数は数十万回に達していて、このまま続けていけば収入的には十分だということだ。

現在、宮迫博之氏は明石家さんま氏の個人事務所預かりとなっている。
つまり、明石家さんま氏は社会から制裁を受けて収入のなくなった宮迫氏に救済の手を差し伸べているということだ。
その明石家さんま氏がラジオ『ヤングタウン』で宮迫氏についてコメントした。

以下引用

「あいつも生活がある。いま収入がゼロなんです。家族養わなあかんし、ローン払わなあかん。復帰早いという前に宮迫に仕事をあげてくれ。仕事いただける人は批判してもいいけど。溺れている人がいたら手を差し伸べるのが当たり前」

この発言に対して世間から批判が殺到したそうだ。

アチキも前回の記事で、宮迫氏を批判するなら擁護している明石家さんま氏をも批判するのが筋だと述べた。

そこでそのことを今回記事にすることにしたでありんす!

【明石家さんま氏の発言と世間の批判について】

〈明石家さんま氏の発言について〉

まず言っておこう!
明石家さんま氏に「あっぱれ!」

明石家さんま氏が言っていることは正論である。
困っている後輩を助けようとする明石家さんま氏に対して赤の他人が文句を言うのは筋違いだ!

収入のない後輩を救おうとする慈悲心をなぜ世間は批判するのだ!
宮迫氏に限らず、罪を犯した人でも処罰を受けた後は生きていかなければならないのだ。
それを妨害(批判)することは許されるのか?

もし、宮迫氏の復帰を妨げて(批判を続けることによって)宮迫氏の仕事(収入)を奪うことになったとしたら、それは罪ではないのか?
アチキからすれば、執拗に宮迫氏と明石家さんま氏を批判(ネットで)する人は罪を犯しているといえる。(名誉棄損、営業妨害)

宮迫氏に仕事上で直接関係もなく、直接被害を受けたわけでもない人がなぜそこまで批判を続けるのか?
確かに宮迫氏の罪によって被害を受けた人は十分に宮迫氏を批判する資格がある。

だが、宮迫氏になんの直接的に関係もない世間の人がなぜそこまで宮迫氏および明石家さんま氏を追求する?
そこには何がある?

〈世間の批判を批判する〉

明石家さんま氏を批判する人たちの意見は、
以下引用

「収入ゼロならバイトや肉体労働でもしろ。仕事が来ないのは求められていないから。だから復帰は早いということ。生活水準が億だった人。車や家を売れば?」

まずはっきりしておきたいことは、日本という国は「職業選択の自由」が保障されているということだ。
肉体労働をするか芸人をするかユーチューバーになるかは、本人の自由ということだ。
それなのに「バイトか肉体労働でもしろ」と特定の職業を指示することは極端に言ってしまえば恐喝だ。
職業選択の自由を奪うことだ

現在宮迫氏にはテレビ出演の仕事が来ていないようだ。
つまり、彼がテレビの世界では求められていないということだ。
そこはアチキも同じ意見だ。

世の中はすべて需要と供給によって成り立っている。
テレビの世界で宮迫氏の芸や存在が求められていないなら、テレビの世界で復帰したくても出来ないのが道理ということだ。

問題はここからだ。
「生活が億だった人。車や家を売れば?」
確かに生活費に困ったら売れるものがあれば売って生活費を工面する必要がある。
それが庶民感覚というものだ。
いまもって高級車を乗っているという宮迫氏が批判されることは理解できる

だが、アチキはこの批判の奥に「嫉妬」を感じる

芸能プロ関係者によれば宮迫氏は不祥事を起こす前は年収3~5億円もあったという。
(それが15年間も続いた)
たった1年でサラリーマンが稼ぐ生涯年収を超えているのだ。
しかも宮迫氏の奥さんがお金を厳しく管理していたので、今でもお金は十分にあるはずだ。
というのだ。

つまり、年収数億を稼いでいた宮迫氏に嫉妬しているのだ

確かにサラリーマンの生涯年収を1年で稼がれたら嫉妬もしたくなるだろう。
だが、それは間違いだ。
不祥事を起こす前の宮迫氏は成功者(芸人として)だったのだから、年収が数億円あろうと当然だ。

はっきり言っておく、宮迫氏を批判する人の深層心理には「嫉妬心」がある
人間には個人的な「好き嫌い」があるので、個人的に「好きな芸人、嫌いな芸人」がいることは仕方がないことだ。
だが、「嫉妬」はいけない
宮迫氏を執拗に批判する人たちは、自分の心の奥底を見つめてみるといいと言っておく。

ただ、宮迫氏もバカだな~と言っておく。
高級車を売って庶民の乗る中古車でも乗るというパフォーマンスくらいすべきだったと思う。

間違いのないように言っておくがアチキは宮迫氏のファンではない。
彼を擁護しているつもりもない。
ただ、善いものは善い、悪いものは悪いと言いたいだけだ。

【忠義の士明石家さんま】

宮迫氏を助けようとしたのに明石家さんま氏まで世間から批判を浴びている。
しかし、マスコミというものはいくらでも情報操作が可能なのだと言っておく。

真の意味で公平な報道は現在の日本においては為されていないと言っておく。
宮迫氏や明石家さんま氏に批判的な声だけを強く世間に発表しようとしたらそれが簡単に出来るのだ。

宮迫氏や明石家さんま氏を擁護する声を封印し、批判的な声ばかりあるように取り上げれば、世間はそれを信じ込む。
つまり、マスコミは自分たちの思惑通りに世間を情報操作している面があるということだ。

本当に報道が公平であるならば、反対意見に対しての賛成意見を探し、批判的意見に対しては擁護する人の意見を掘り当てて世間に発表すべきである。
つまり相反する意見を同時に取り上げて比較検証(議論)すべきである。

今回の報道でアチキが一番強く印象に残ったのは、明石家さんま氏の「俺はテレビの人間やから、YouTubeは見ない」という意見だ。

立派だ!

なにが立派なのかって?

いまどきYouTubeも見ないようでは時代遅れじゃないか!
と思うだろう。

明石家さんま氏はYouTubeを単に見ないということだけで終らずYouTubeを「敵」として捉えているようだ。

アチキは思う。
明石家さんま氏は忠義の人である

つまり、自分を育て、成功を与えてくれたテレビという世界と人たちに感謝し、テレビの世界に忠誠心を持っているのだ。
テレビの世界を駆逐しようとする勢力であるYouTubeを敵として認識しているのである。

アチキには明石家さんま氏の姿に歴史上の人物が重なって見える。
豊臣家の天下を奪おうとする徳川家康に最後まで抵抗した石田三成。
あるいは幕末の時代、官軍に最後まで抵抗し徳川家への忠義を捨てなかった小栗上野介。
このふたりの人物は新しい時代の勢力に逆らい、古い時代の勢力へ最後まで頑なに忠義の心を貫いた。

ある意味では時代を読めないバカ者。
しかし、別の見方をすれば「忠義な男」と言える。

アチキは明石家さんま氏の心の中にテレビの世界に対する忠義心を感じる。
要するに明石家さんま氏は忠義の士なのだ。

明石家さんま氏の態度は他の芸能人には見受けられない態度だ。
テレビに出ている芸能人で個人的にYouTubeを利用しない人がはたしているだろうか?
テレビの仕事をしている有名人、芸能人でもYouTubeやブログ、インスタグラムを運営して稼いでいる人は多い。
しかし、明石家さんま氏はそうではない。
おそらく明石家さんま氏がYouTubeでしか見れないものを発信すれば確実に100万回再生を超えて稼ぐことができるだろう。
しかし、テレビの世界に忠義を尽くす明石家さんま氏はそれをしない。
なぜか?
テレビの世界を守ろうとする忠義心が強いからだ。

それともう一つある。
テレビの世界で仕事をして生計を立てている人たちのことを彼は考えているのだ。
テレビ業界で生計を立てている人たちの生活を彼は守ろうとしているのだ

だからアチキは彼を「忠義の士」と呼ぶ。

宮迫氏は別だが、忠義の士を批判する人たちは後の世で悪名をかぶることになると言っておく!

【ご意見番が世間にもの申す!】

「職業選択の自由を奪うことは、誰にもできない」

「明石家さんま氏はテレビの世界に忠義を尽くす忠義の士である」

お読みいただき、うれしうござんす!


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