『不倫の暴露はプライバシーの侵害に該当する! ~週刊誌、テレビ局などのマスメディアの罪を問う~』

【またしても芸能人の不倫が発覚!】

お笑いコンビ・アンジャッシュ渡部健さんが複数の女性との不倫行為をしたと報じられた。
“文春砲”と呼ばれる『週刊文春』の暴露ネタである。

ちまたでは、渡部健さんの性癖に対して激しい避難の声が飛び交っている。
それについてアチキからいまさら言うことはないでありんす。
また、アチキが言わなくても世間の人がさんざん発言しているので必要もありんせん。

ただ、初めに強く主張しておくことがありんす。
アチキは、不倫は悪いことだと思っているでありんす。
だから、渡部健さんを擁護するつもりは、これっぽっちもありんせん

世間の人たちは興味本位に聞き耳を立てている人もいれば、他人の不倫(家庭問題)など聞きたくもない、という感想を持っている方も多くいると思うでありんす。
そこで、テレビやニュースなどで伝えていない内容を今回お届けするでありんす。
少し誤解を与える可能性がありんすが、よ~く読んでアチキの主張を理解しておくんなさい!

【不倫は悪いことなのか?】

まず初めに「不倫」について簡単に論じておく必要があると思う。

不倫は許されるべきか?
それとも許されない悪なのか?

《法律の観点では》

簡単に結論を述べると、

不倫は刑法に触れる刑事事件には該当しません
不倫に関する法律は「民法」です。
民法で不倫とは「不貞行為」とされています

不貞行為とは、配偶者を持つ者による配偶者以外の異性との性交渉を意味します。
したがって、婚姻前の恋人が自分以外の異性と性交渉をしても、それは不倫には該当しません。(民法上では)

民法では、配偶者の不倫(不貞行為)を離婚原因のひとつとして定めているのです。
夫婦は、お互い相手に対して、他の異性と性交渉をしない義務(貞操義務)を負担しているとされています。
ですから貞操義務(不倫をしないこと)は夫婦間の基本的な義務なのです。

さらに不倫によって精神的苦痛を味わったとして慰謝料と財産分与の請求をすることが出来ます。
また、不倫の相手にも、共同して貞操権侵害行為を行った者とされます。
そのため不倫の相手方にも慰謝料を請求することが認められているのです。

また、民法では「夫婦は互いに相手に対して貞操を守るように要求する権利」があるとされています。
これを貞操権といいます。
(貞操権とは、性的な関係を結ぶ相手を自分で選ぶ権利や、自己の意思に反して性的な侵害を受けない権利のことです)
配偶者の一方が不貞行為(不倫)を行うことは、もう一方が有する貞操権を侵害する行為となります。

民法は、他人の権利・利益を侵害して損害を発生させた者は、損害賠償義務を負担するとしています。
これを不法行為責任といいます。
不貞行為(不倫)は、他人の貞操権を侵害し、精神的損害を与える行為とされ、精神的損害の賠償である慰謝料支払い義務を発生させます。

《宗教の観点では》

モーゼの十戒には姦淫の戒めがあります。
イエスキリストは「汝、姦淫するなかれ」と説きました。
仏教には「不邪淫」という戒律があります。
仏陀は異性への欲望で生きた人が死後「血の池地獄」に落ちていることを教えています。
イスラムでは「姦通罪」として不倫をした場合は残酷な刑罰が与えられます。

法律の根源である世界的な宗教には、不倫を絶対的に悪と見て戒めているのです。

《戦前の日本では》

戦前の日本においては、不倫は犯罪とされていました。
不倫は「姦通罪」として処罰されていました。
明治40年の時点の刑法では、姦通罪は2年以下の懲役刑でした。

ただし、この時代の姦通罪は女性に不利な法律でした。
それは、夫のいる女性が夫以外の男性と性交渉をした場合、その女性と不倫相手の男性の両方が処罰されました。
ですが、妻のある男性が妻以外の女性と性交渉を行っても、それは犯罪とはなりませんでした。

男性は人妻に手を出しても、その夫に告訴されない限りは、いくら不倫をしても処罰されないという著しく不平等な法律だったのです。
戦後、日本国憲法の制定により男女の平等が定められ結果、姦通罪は廃止となりました。

《不倫の判定は?》

現代の法律や宗教知識から読み解く限り、不倫は「悪」と認定するのが人類共通の知恵でしょう。
法律は時代によって変化しますが、人間としての良心や倫理は普遍のものであると思います。
つまり、不倫は人としての道を踏み外した行為と呼べるのです。

【不倫の暴露はプライバシー侵害にあたる】

不倫は人の道を踏み外した悪行ですが、それとは別の大きな問題があるのです。
それは「プライバシーの侵害」です。

具体的に言うと、

「不倫の暴露はプライバシー侵害に該当する」

ということです。

重要な論点は「不倫という悪事」があったからと言って「プライバシーを侵害(暴露)されることは許容されない」ということです。

《プライバシー侵害を満たす要件》

プライバシーの侵害は、以下の3つの要件を満たす情報が公開された場合に成立すると判断される可能性があります。

「私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られる恐れがある事柄であること」

「上記の事実を公開されるまで一般には知られていなかったこと」

「上記の事実の公開を欲しないものであること」

つまり、公開されたくない私生活の情報(事実)を第三者が許可なく広く一般に公開したことで不利益などを与えた場合、プライバシーの侵害となる。

《プライバシー侵害に該当する情報とは?》

具体的にプライバシー侵害に該当する情報(事実)とは?

前科、過去の犯罪行為の公開。
疫病(持病・病歴)に関する情報の公開。
身体的特徴の公開。
指紋の公開。
手紙などの公開。
日常生活・行動・住所の公開。
身分行為(結婚・離婚)の公開。
収入及び家計の公開。
本の購入履歴やどんな講演会に参加していたか、どんな政治活動に参加しているかなどの情報の公開。

また、TwitterなどのSNSへの写真の無断投稿。
地方自治体による住所の情報漏洩。
警察による正統性のない職務質問。
などもプライバシー侵害になります。

これらの“本人が他人に知られたくないと思う情報”“まだ公開していない情報”を公開した場合に、プライバシー侵害となります。
不倫の暴露も、3つの要件を満たした場合はプライバシー侵害になるのです。
(基本的に不倫を他人にばらされることを望む人はいないと思われる)

【知る権利とプライバシー侵害について】

週刊誌やテレビ局の主張は「国民には知る権利」があるんだ、というものでしょう。
ただ、政治家であろうが、芸能人であろうが日本国民である以上、日本国憲法で人権と幸福の追求権を保障された存在です。
職務上で発生する情報と個人(プライベート)として発生する情報は分けて考えることが基本中の基本です。

「知る権利」とは、国民の幸福に大きな影響を与える事柄、国民の人権に大きく関わる事柄に関して許されることです。
勝手に個人のプライベートをのぞき見して、さらにプライベート情報を本人の許可なく公開し、それによって不利益を与える場合は、「知る権利」ではなく「プライベートを守る権利」が優先されるのは当たり前です。

たしかに芸能人が普段どんな生活をしているのか? ということは世間の人の興味をひくことでしょう。
さらに事件、不祥事を起こしたなら、「どんなことをしたのか?」「なにがあったのか?」と知りたくなるのが人間心理と言えます。
ですが、それは本人が知られたくないプライベート情報を許可なく公開する理由にはなり得ません。
それは人権を無視したことになるからです。

そう、不倫暴露とは人権を無視した行為なのです。
本人が知られたくないプライベート情報は守ることが必要です。
(犯罪などは別)

【メディアの不倫報道にもの申す】

《嘘を垂れ流し、人を不幸にする週刊文春と倫理のない各テレビ局にもの申す》

週刊誌、とくに『週刊文春』は下劣です。
嘘を平気で記事にする媒体です。

週刊誌とは、芸能人や政治家などの世間で顔と名前が知られている人のプライベートや不祥事を報じることで、世間の興味関心をひき、販売数を伸ばし、利益を上げようとする卑怯でズルい商売をしているのです。

テレビ局も同じである。
芸能人や政治家の不倫を報道し叩く一方で「不倫ドラマ」をいくつも制作している。
個人情報が大事だと報道姿勢を見せる一方で、芸能人などの著名人のプライベートを広く世間に知らせている。
不倫がダメなのか、不倫を勧めているのか、テレビ局にはその姿勢に矛盾が見られます。
結局、自分たちの都合(視聴率を取るため)の良いようにしているだけです。

そこに明確な倫理は存在していません。
もし、不倫を悪として認めるならば、不倫を美しく描くような作品を制作するべきではありません。
週刊誌もテレビ局も図式は同じなのです。
人の不幸(不祥事、薬物使用、不倫、事故)をネタにして、購買者、視聴者を集め、利益を得る。
つまり、他人の不幸を飯の種にしているのだ。
他人の不幸で商売しているのだ。
(テレビ局は全部ではない)

「他人(ひと)の不幸は甘い蜜」という言葉があるが、まさに週刊誌とテレビ局がやっていることはそれである。

そこに倫理はない。
そこに人権を真に守る姿勢はない。

人間というものは、良い情報よりも不幸な情報、悪い情報を聞きたがり知りたがる。
ある意味で人間の持つダークな部分だ。
それを週刊誌とテレビ局(特にワイドショー)は利用しているのだ。
こんな安易な商売がいままで許されてきたことが不思議でならない。

不倫が世間に知られた場合、不倫をした本人は世間からバッシングされ、否が応でも罪を自覚する。
仕事はなくなり、外出することすらままならなくなる。
社会的責任を追及され、収入を断たれ、人格を否定される。

確かに不倫は悪いことだ。
それを否定しない。
アチキは渡部健さんを擁護するつもりは毛頭ない。
彼は、欲望に支配された獣と言っていい。
深い反省と強い自己変革の決意なくこのまま変わらないならば、彼の人生は社会から抹殺され、死後は地獄へ落ちるだろう。

だが、週刊誌とテレビ局のやっていることも同等のことなのだ。
いや、週刊誌やテレビ局の罪のほうがより重いといえるだろ。

不倫という悪行をした人は個人の因果応報によって悲劇が起きただけだが、週刊誌やテレビ局が行っていることは、人の不幸を利用し、商売の材料にし、世間の人の心を暗くし、嫌な思いをさせている。

他人の不幸を商売のネタにする、そんなことが許されていいのか?
というのがアチキの主張である。

週刊誌やテレビ局は芸能人の不倫暴露がプライバシー侵害であることは百も承知だ。
なのに、なぜ暴露をするかというと、もちろん利益のためだが、そこに卑怯極まりない思考がある。
不倫という不貞行為をして、それが世間に知られれば、世間から非難されて世間を敵に回す。
本人は罪悪感にさいなまれる。
だから、自分のプライバシーが侵害されているにも関わらず、反撃することはない。
それを週刊誌やテレビ局は分かってやっているのだ。

もし、芸能人や政治家だからと言って、無条件にプライベートを世間に知らせることが出来ると思っているなら、いったい何の権利で、どんな法律に基づいて、どんな倫理観から行っているのかを世間に示すべきだ。
そんなものは存在しないはずだが。

今回、重要なポイントは“暴露”ということだ。
すでに世間に知られている事実や本人が話している情報はこの話題の対象外である。

問題点をまとめると、
欲望に振り回され不倫する人間。
プライバシー侵害をしても恥じない週刊誌やテレビ局。
他人の不幸を商売のネタにして利益を上げようとする拝金主義のマスコミ。
暴露することで金銭を得たり、復讐しようとする人物の存在。
他人の不幸を知りたがる一般大衆の野次馬根性。

他人の不幸を喜び、他人の不幸で商売するなど、人として最低である。
それは人というよりも悪魔の所業である。

【芸能人たちはプライバシー侵害に立ち上がるべき!】

その昔「不倫は文化だ」と公言した芸能人がいたが、その人物は新型コロナウイルスによる自粛要請が出ている期間中に、沖縄と茨城に行ってゴルフなどを楽しみ、コロナに感染して世間から非難を浴びた。

確かに彼の言うように不倫は小説や映画の題材として使われる。
不倫ということが人類の歴史から消えたことはないであろうと思われる。
だが、それでも人としての倫理は存在する。
小説や映画などの作品でも「人の心に良き影響を与える作品」と「人の心の欲望を掻き立て人生を狂わせる作品」があることを彼は知らないのだろう。
もういい歳だと思うが・・・。

正直「不倫は文化だ」などという価値観を持っているから、自粛要請にも応えず自分勝手に振舞って世間から非難されるのだ。
なにが問題かというと“自分勝手”であり、“エゴが強い”ということだ。

繰り返して言う。

不倫は人としての道を踏み外した行為である。

だが、今回のアチキの主張は不倫を非難することでなく、プライバシー侵害にある。

《不倫を暴露された芸能人たちに伝える》

不倫をして世間から非難されることは仕方がない。
仕事、収入が減るのも仕方がない。
でも、アチキは言う。
不倫を暴露された芸能人たちは貴重な経験をしたのだ。
「不倫は悪行だ、深く反省し、自己変革せよ」と言いたい。
そして、反省したならば世間の浄化に役に立て。

つまり、不倫を食い物にする週刊誌やテレビ局と闘え、と言いたいのだ。
とても難しいことを言っているのは、百も承知だ。
きっと「偽善だ」「そんな資格がどこにある」と世間から批判されるだろう。

だが、週刊誌やテレビ局によるプライバシー侵害を無くすには、被害にあった芸能人たちが立ち上がらない限り、マスコミによるプライバシー侵害はずっと続いていく。

謝罪文だけだして隠れている渡部健さんに、そんな勇気があるとは思わないが、妻の佐々木希さんは不倫を暴露した女性と週刊誌に対して損害賠償請求を起こすことが出来る。

芸能人たちよ、自分たちのプライベートを守れ!
マスコミによるプライバシー侵害を許すな!
悪行を反省し、社会の浄化に貢献せよ!
不倫撲滅運動をして、汚名を返上し、名誉挽回せよ!
あなたが味わった不幸を無くすために、暴露することで金儲けするマスコミ(週刊誌やテレビ局)と闘え!

誰かが立ち上がらなくては芸能人や政治家などの著名人たちのプライベートは侵害され続けてしまう。

マスコミはいい加減に反省しなさい。
「世間に知らせるべき情報」、「世間に必要な情報」と「世間に伝えてはいけない情報」、「世間に伝えられない情報」があることを自覚するべきだ。

SNSが発達した現代において、世間の人はマスコミの過ちにすでに気がついている。
世間の人たちを甘くみないほうがいいだろう。
このまま倫理を置き忘れた週刊誌やテレビ局ならば、未来はないだろう。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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