『虐待に苦しむ子供と親の問題とマスコミ報道について、もの申す!』

【虐待は他人事(ひとごと)ではない】

多くの子育てをする親は、「人ごととは思えない」と、当事者意識を持っています。
「虐待」を遠くにあるものではなく、近くに感じている人がとても多いのです。

「虐待になってしまうかも」と悩んでいる親は非常に多いのです。

親も生き物です。
体調が悪いときもあります。
そうしたときは子供に対する態度が左右されてしまいます。

これは会社などで考えればわかりやすいでしょう。
上司が家で奥さんとケンカした、子供とうまくいっていないなどの個人的な事情を抱えていると、部下がミスをしたときに、つい必要以上に叱って(怒って)しまうことはよく見られることです。

それは上下関係だけに限らず人間関係全般に言えることだと思います。
自分の体調が悪かったり、別の人との人間関係の悩みやストレスなどを抱えたりしていると、まったく関係ない人に八つ当たりしてしまうことは誰もが経験していることでしょう。
それは子育てでも同じなのです。

【親に対する世間の厳しい目】


「懲戒権の見直し」
「体罰禁止法の整備」

世の中は、子供に体罰をする親に対して非常に厳しい目を向けています。
厳しい目というか、ほとんど犯罪者として捉えている風潮があります。

あるブログでは、
「虐待する親は生きることを辞めろ」(原文のまま)
「虐待するバカ親に怒りが収まらない」
「子供を産み育てる資格のない親が多い」
と世間に向けて怒りをぶつけています。

もっとも子供を死なせてしまうなどは許されることではありません。
無抵抗な子供対して自分のストレスをぶつけることも許されません。
子供がなんら悪いことをしていないのに、体罰と称して暴力を振るうことは許されません。

ですが、すべての体罰(暴力)を虐待とするにはあまりにも大雑把すぎます
その家庭の事情、親子関係の事情などは千差万別です。
一括りにはできないはずです。

それを単純に「虐待」という一つの単語でくくって、親だけが悪いとするのは、はたして虐待を無くすためになるでしょうか?
それで本当に子供を守ることになるでしょうか?

【子育ての現実を分かってほしい・・・】

まず結論を言うと、子育てで悩んでいる親への“救済措置”が欠如しているのです。

教育評論家の尾木直樹氏も「我が国の子育て環境は危機的状況にある」と述べています。

子供が「宿題をしない」「朝起きない」「嘘をつく」「引き籠っている」など、子育ては苦しみの連続です。
世間の母親のほとんど全部といっていいくらい子育てする親たちは悩み苦しんでいます。
子育ては大変なのです。
その子育ての苦しみを夫(父親)は仕事ばかりして、少しも理解してくれない。
そんな孤立した状況で必死に子育てしている母親は非常に多いのです。

ストレスを抱える親。
教育に熱心過ぎる親。
体罰を教育のために使う親。
そのほとんどが我が子への愛情を持っています。
そうしたことを世間の人たちは理解する必要があります。

【動物にもある虐待行為】

哺乳類の親子関係・愛着を研究している理化学研究所脳神経科学センターの黒田公美さんは、「虐待といわれる行動、例えば養育放棄や子供を叩いたりすることは実は動物にもかなりある」と主張しています。

動物の場合、小さな弱弱しい子を産んで、その子のために自分を危険にさらして餌を取ったり、外敵から守ったりすることは重労働なのです。
人間の世界には天敵がいませんが、もともと哺乳類にとって子育ては命がけのプロジェクトなのです。
人間の子育ては重労働なのです。

また、人間の子育ては、動物とは比べようもないほど高度なものです。
動物たちにはない社会性・知性・人間性・倫理などを身につけさせなければいけないからです。
そういう意味で人間の子育てはとても難しいことでもあるのです。
どの親も模索しながら迷いながら子育てをしているのです。

【虐待の要因】

虐待という定義は非常に大雑把であるということをまず理解しなければいけません。
最近の風潮はなんでもかんでも「虐待」あるいは「パワハラ」などと定義して、そこに大きな問題があるようにマスコミが報道し、世間もそう考えてしまいます。

「死」に到る虐待という意味で考えるとそれは「誰しも起こりうることではない」ということが言えます。

子育てにおいては、夫婦関係のストレスが子供に向かう。
子供の夜泣きが激しい、医療的なケアが必要だということがストレス要因となり親をくるしめます。
そのストレスが弱い立場にある子供に向かうことはあるのです。

そのときに親は自分の行動を統制できなることがあるのです。
ですが、そうしたときにほとんどの親は必ずと言っていいほど「後悔」しています。
自分の行ったことに対して反省と懺悔の気持ちを持つのです。
罪悪感に引きずられることになるのです。

特に発達障害がある子供を育てている親はとても辛い思いをしています。
子供には愛情がある、けれど障害を持つ子を普通の子供と同じように育てなければいけない、という責任に押しつぶされそうになって悩み苦しむ親は多いのです。
その苦しみが子供へと向かうことはあることです。

虐待とは特別な家庭環境だけで起こるわけではなく、一般的な家庭で起こりうるものなのです。

〈虐待が起こる要因は〉

「子育てする親の孤立(いわゆるワンオペ育児)」
「経済的な不安」
「子供の強い個性や医療的問題」
「夫婦や家族間のストレス」
「仕事や人間関係のストレス」
など。

子育ては両親が揃っていても重労働です。
なのに、母子家庭、父子家庭での子育ては経験者でしか分からない苦しみと葛藤があります。

親も人間なのです。
子供が不完全なように親も不完全なのです。
親は完全無欠で完璧な人間ではないのです。
親だって初めての子育てだったり、もがきながら育児をしたりしているのです。
試行錯誤しながら模索しながら、迷いながら、間違いながら、後悔しながら子育てをしているのです。

それでも我が子を立派にしようと愛情を注いでいるのです。
そうした中で子供の悪い性格・行動・習性などを矯正するために手を上げることが出てきてしまうこともあるでしょう。
ただし、手を上げると言っても年齢によります。
0歳から12歳ごろまでは手を上げたくても避けなければいけないと思います。
赤ん坊に手を上げることは死を意味するからです。

虐待は特別な家庭の問題ではありません。
虐待を防止するなら一般的な家庭(親)を支援しなければならないのです。

〈虐待が起きる背景〉

「夫婦の不仲」
経済的困窮」
鬱などの親自身の精神的な問題」
辛い子供時代を過ごした成育歴
体罰を受けてきた教育歴
などが関係しているのです。

これらの要因は、人間以外の動物であれば一つあれば子育てが出来ない状況なのです。
人間の場合は、複数の要因が重なって虐待となってしまうのです。

【虐待を無くすためには】

子供への虐待を無くすためには、
「子育てをする親への支援と救済」

が必要なのです。

子育てする親も苦しんでいるのです。
悩み、葛藤し、もがき苦しんでいるのです。

その親を救済し、支援することなくして世の中から虐待を無くすことは無理でしょう。

現代社会は人類史上類のない非常にストレスが多い時代です。
子育てする社会的環境は最悪と言ってもいいでしょう。

社会全体を見ても、「セクハラ」「パワハラ」「マタハラ」などとなにかと言えば人権問題のように騒ぎ立てて問題とする世の中です。

人間の歴史をみれば科学の発達はありますが、人間の営みそのものは、人間の性質そのものは、人間の子育て自体は時代に関係なく変わりません。

もっと言えば子供への躾が必要だと親が感じたときに、横っ面をひっぱたくなどの行為を肯定していた歴史のほうが圧倒的に長いのです。

それは古くて間違った価値観だったと言えるでしょうか?
ときと場合によっては、子供の性質や性格によっては、躾や教育のために叩くことも必要な場面があると思います。
これは暴力を肯定しているわけではありません。
教育の最終手段として、それしか我が子を諭すことが出来ない、とするならば、そこに我が子への愛情がしっかりとあるならば、懲戒権としての行為は認められるべきだと思います。
(年齢による)

例えば、
「嘘ばかりついて人を騙すことをやめない」
「約束を平気でやぶって、自分の都合ばかり優先している」
「同級生をイジメる」
「万引きを繰り返す」
「親へ暴力を振るう」
「引き籠って学校に行かずゲーム依存となる」
「働かずゲーム依存して昼夜逆転の生活をしている」

我が子がこんな状況だったらどうしますか?
我が子に愛情があれば、「このままではいけない」
「このままでは我が子は社会の一員として生きていけない」
「このまま放置したら将来必ず人間関係でトラブルを起こして我が子は苦しむことになる」
そう思うのではないでしょうか?

そうして親は、口で言ってきかせます。
それでも、何度言っても悪行が直らなかったら最終手段としての体罰に訴えるのではないでしょうか?

教育のための最終手段としての、我が子への愛情を持った親による体罰まで虐待としてその権利を取り上げて、犯罪者扱いすることは間違いであると思うのです。

【ご意見番がマスコミにもの申す!】

子供になんの罪もなく暴力を振るうケースと教育の最終手段として体罰を使うことを一緒に扱ってはいけないと思います。
体罰と暴力などの虐待を同列に扱ってはいけないのです。

アチキは、なにも教育のためなら暴力(体罰)を積極的に使っていいと言っているわけではありません。

基本的に教育に暴力を持ち出すことには反対です。

好き好んで暴力を使って子育てをしようとしている親はいないと信じています。

ですが、中にはそれが必要な子供(人間)もいる。
親も人間だから間違った対処(子育て)をするときがある。
ということです。
それを認識しないで勧善懲悪な報道ばかりするのはマスコミの罪だと言っておきます。

マスコミの価値観はこうです。
体罰(暴力)をする親は悪。
子供を守るために虐待の報道をする。
弱者である子供は正しくて被害者である。
子供に暴力を振るう親は犯罪者である。

子供の虐待ではありませんが、マスコミの報道姿勢を例で言うと、
以前に高速道路であおり運転をしたあげく相手を高速道路上に出したことで死亡させた事件がありました。

被害者はあおり運転をされたあげくに命を落とした。
こんな酷い話、こんな酷い(むごい)ことはありません。
マスコミは加害者を糾弾しました。
世間の人たちも加害者を憎みました。

しかし、報道ではほぼ正しい情報がなされませんでした。
というのも、事件の一部だけがクローズアップされて、事件の核心が無視されていたのです。
被害者の方は高速のサービスエリアの駐車場で駐車してはいけないところに停めていた加害者に向かって暴言を吐いていたのです。

暴言を吐かれたことに腹を立てた加害者があおり運転をすることに繋がったのです。
暴言を吐かれたからあおり運転や殺人をしてもいいということではありません。
被害者の人にも事件を生み出した責任があるということを言いたいのです。
もし、被害者の方が暴言を吐かなければ事件は起きなかったはずです。

ですから今後こうした事件を防ぐための報道をするならば「相手がルールを破っていても暴言を吐いてはいけません」と注意することを教訓として示す必要があるはずです。
その情報をほとんどのマスコミは報道しませんでした。

マスコミの報道はいつもそうです。
一方的に誰かが悪くて、弱者を一方的に庇う。
それをマスコミが叩き、世間を騒がせる。
そのことによって世間の注目を浴びて視聴率を取る。
これがマスコミの姿勢です。

虐待の問題もこの図式が当てはまります。

虐待死の事件の多くは、義理の親からの暴力です。
本当の親(実の親)ではないからこそ、愛情のない体罰(暴力)が起きているのです。
愛情がない義理の親(他人)だから手加減無しの暴力となるのです。
それなのに愛情を持っている親の体罰と同列に扱うような価値観で報道しています。

マスコミは事件(虐待などの)の一部だけを取り出して、悪者と弱者を完全に色分けして世間を騒がしていることに対して改める必要があります。
もっと深く事件の本質を探り、もっとものごと全体を調べなければ事件の真実は見えてきません。
それは本当に子供たちを救うことにはなりません。
なぜなら子育てに悩む親が全然救われていないからです。

子育てをする親を悪者としたら、いったい誰がその子に愛情を注ぐのですか?
いったい誰が子育てをするのですか?

ただし、子供を産んでおいて、まったく世話をしない育児放棄やなにも悪いことをしていないのにストレス発散の目的で暴力を振るうこと、酔っぱらって暴れること、などは明らかに虐待と呼んでいいでしょう。

マスコミはなんでもかんでも暴力、虐待というワードだけで片付けて報道することは止めなさい。
子育てに苦しんでいる親の葛藤や悩みも報道しなさい。
悪さをしている子供のことも報道しなさい。

自室に引き籠り、ゲーム依存になって、親(主に母親)へ暴力を振るう子供も多いのです。
親から子供への暴力を虐待として報道するなら、子供から親への虐待も報道すべきではないですか?
それが公平・平等な報道というのでしょう。

世の中には守ってやらなければならない子供たちがいる一方で、悪さをして親を苦しませている子供たちもいるのです

それを選別しないで、表面だけを見て、「親の虐待」とすべてを片付けて報道するのは間違いです。

【ご意見番の意見】

「なんもかんでも虐待」と決めつけは間違いであると思います。

たしかに暴力はいけません。
まして幼い子供を死なせるようなことは虐待と呼ぶべきでしょう。

しかし、この国の教育は間違った方向へと傾いています。
虐待で子供が死亡したり、子供への虐待が起きたりする根本は、日本という国家に宗教心が欠落しているからです。

いまの日本には道徳心さえ失われています。
道徳心の本は宗教心です。
善と悪との根本は宗教にあります
それを日本という国家は戦後失いました。
宗教心を取り戻さねば「虐待」の問題も根本的な解決することは難しいでしょう。

教育に関する法律が2020年に変ります。
子育ての第一義的責任として、
「子どもを心身ともに健やかに育成する責任」
「子の教育をする責任」
は、親にあることを法律で明記するようになるのです。

これによって増々社会の中で子育てをする親への責任・プレッシャーが強まります。
(アチキ的には当たり前で、いちいち法律に明記する必要がどこにあるのか不思議としか思えません)
これによって、重圧がさらにかかった子育てをする親にストレスや批判が行ってしまうことを懸念しています。

【ご意見番が虐待についてもの申す!】

「虐待と愛のムチには大きな差がある。暴力は親が子へ対して行うものだけではなく、子から親への暴力もある。十把ひとからげの報道では真実は見えてこない」

「体罰を好む親は皆無です。親だけを犯罪者のように扱う社会では、本当に子供たちは救われません。子供たちを守るためには、子育てで苦しむ親を支援・救済する必要があるのです!」

「親は子供への愛情を何よりも大事にし、子供は親への信頼をしっかり持つことが大切です」

お読みいただき、ありがとうござんした!


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