- 1 【NHKの主張に反論する】
- 1.1 《反論1=「訪問によらない営業活動を実現するため」という主張に対する反論》
- 1.2 《反論2=「外部からの居住者情報の照会の要望」に対する反論》
- 1.3 《反論3=「受信料の公平な負担の実現」に対する反論》
- 1.4 《反論4=「訪問営業に関わるクレームの抑止が可能となる」に対する反論》
- 1.5 《反論5=「国営放送にすると政府の言いなりの局となってしまう」に対する反論》
- 1.6 《反論6=「国家権力のみならず、資本家の権力からも独立した放送局であるために国民が負担する受信料制度でNHKが成り立つ必要がある」に対する反論》
- 1.7 《反論7=「任意の受信契約をもとに運営している公共放送だからこそ、放送の独立性が高い水準で確保される」に対する反論》
- 2 【NHKの根本的な問題】
- 3 【ご意見番が考えるNHKの未来ビジョン】
【NHKの主張に反論する】
《反論1=「訪問によらない営業活動を実現するため」という主張に対する反論》
NHKは今回のテレビ受信設備届け出の義務化への制度変更の理由をこう述べた。
「『訪問』によらない営業活動を実現するため」
だが、ご意見番は反論する。
知らない人も多いと思うが、NHKの受信契約の営業活動と集金活動を行っているのは、ほぼNHKの職員ではない。
では、誰がやっているのか?
NHKには個人事業主である「地域スタッフ」という人が存在する。
地域スタッフとは、業務委託される形でNHKの受信契約の締結及び集金活動を代行し、担当の地域を回って営業活動をしている人たちのこと。
また、地域スタッフ意外に、NHKの受信契約専門の代行業者(民間企業)が存在する。
その受信契約代行専門の会社(民間企業)は、特に衛星放送契約に特化して営業を委託されている。(地上契約も行います)
NHKという組織は、民間企業で言えば一番重要な営業活動を他者に依存しているのだ。
営業活動とは、汗をかき、足を棒にして歩き、クレームをもらい、精神的にも肉体的にもキツイ業務である。
しかし、どんな企業体でも営業活動がその組織体の存続の鍵を握っている最重要業務である。
その重要な業務をNHKは、外部の人間や会社に委託している。
つまり、NHKの純粋な職員は、NHKにとって重要でツライ業務である営業活動(受信契約の)をしていないのだ。
なのに、「『訪問』によらない営業活動を実現するため」とは、どういうことなのか?
それは単なる地域スタッフと外注先の企業をリストラして、経費を浮かせる、ということでしかない。
要するに、NHK職員のリストラにならないから、営業活動がなくなってもNHKは痛くも痒くもないということだ。
よって、「『訪問』によらない営業活動を実現するため」という発言は詭弁である!
《反論2=「外部からの居住者情報の照会の要望」に対する反論》
「受信契約を結んでいない世帯の居住者の氏名や転居があった場合は転居先などの個人情報を公的機関などに照会できるような仕組みの導入」
これは、先にも少し述べたが、NHKによるプライバシーの侵害である。
国民にとっては、人権侵害以外の何ものでもない。
個人のプライバシー(個人情報)を本人の了解なしに、把握するということは独裁国家のする所業である。
それは個人の自由を踏みにじる行為である。
NHKの要望は、個人のプライバシーよりも、受信契約締結を優先したことになり、それは国民を蔑ろにしていることでしかない。
この恐ろしい事実から国民は目を反らすべきではない!
そして肝心なことは、NHKには受信契約の有無が記載されている世帯リストが存在し、そのリストに基づいて受信契約の営業活動が行われているということだ。
つまり、NHKは「受信契約を結んでいる世帯と受信契約を結んでいない世帯」を把握しているのだ。
だが、これに漏れるケースがある。
それが、引っ越しだ。
地域スタッフは、この「引っ越してくる者」を必ずチェックする。
それでも完全に受信契約に関する情報を掴めるとは限らない。
そこで、受信契約を結んでいない世帯の居住者の氏名や転居があった場合に転居先などの個人情報を公的機関などに照会できるような仕組みの導入を求めたのだ。
これによって、ほぼ完ぺきに全国民の情報を掴むことができるからだ。
だが、今回NHKが要望した内容は「プライバシーを侵害された管理社会」の姿でしかない。
《反論3=「受信料の公平な負担の実現」に対する反論》
「この制度改正が実現すれば受信契約の対象者を把握しやすくなり、公平な負担を実現できると主張している」
NHKのこの発言は空理空論である。
たとえ受信契約者の情報を把握しやすくなったとしても、その未契約者がNHKの受信契約に応じるとは限らない。
その保証などどこにもない。
おそらく「NO」と主張して、受信契約を拒む人はこの制度改革後も拒否し続けるだろう。
NHKの主張する「受信契約の対象者を把握しやすくなる制度改革」が未契約者の受信契約締結とどう結びつくのか?
NHKのあまい期待でしかない。
結局、受信料制度では完全なる公平な負担は実現しないだろう。
なぜなら、もし、今回のNHKの要望が通ったとしても、“誰か”受信料を払わない人が出ると予想されるからだ。
受信料の完全なる公平な負担が実現するといえるのは、日本国内でテレビ受信設備を持つ世帯(所有者)の“すべて”が受信料を払うときである。
たった一人でも受信料を払わない人がいれば、「不公平」となる。
NHKからすれば、99.9%の人が受信料を払ってくれれば御の字だろう。
だが、受信料を払っている国民からみれば、0.1%でも払っていない人がいるのなら「不公平」となるのだ。
NHKの本音は、ただ受信契約を増やすことでしかしかなく、「受信料の公平性」とは世間を納得させるお題目にしか過ぎないのだ。
《反論4=「訪問営業に関わるクレームの抑止が可能となる」に対する反論》
「訪問営業に関わるクレームの抑止が可能となる」
これは詭弁でしかない。
民間企業であろうと、NHKの受信契約営業だろうと、「営業」と名が付くものでクレームと無縁ものなどない。
なんらかの営業活動をしていれば、なんらかの顧客とのトラブルや顧客からの叱責は避けられない。
また、どこの世界にもクレーマーはいるものだ。
そして、重要なことは別のところで述べたが、受信契約を結ぶ営業活動を実際にしているのは「地域スタッフ」と呼ばれる委託された個人事業主であり、専門の企業の営業マンである。
要するに、その人たちの営業活動の質が悪いから要らぬクレームが発生しているのだ。
衛星放送専門の契約代行をしている会社の営業マンは、無理やり契約を結ばせる者がいる。
また、地域スタッフには社会的常識が欠けているのではないかと思われる人がいる。
そうしたことが要らぬクレームを生み出しているのだ。
根本の問題は、NHK職員に営業経験がほとんどないこと。
もっと言えば、NHK職員に営業スキルがないことだ。
(ここでいう営業とは、受信契約営業をさす)
だから、外部の人間に委託して済ませているし、そうした人たちを指導・教育することができない。
ただ、丸投げして頼っているしかないのだ。
「クレームがどうのこうの」ということは、NHK職員が受信契約営業を自分たちがしてから言うべきである。
《反論5=「国営放送にすると政府の言いなりの局となってしまう」に対する反論》
「国営放送」にすると「政府の言いなりの局となってしまう」
NHKは「公共放送」に強くこだわっている。
そして「国営放送」を嫌っている。
だが、NHKの実態は「公平性を欠き」「職員による不祥事が日常的に発生」し、番組制作においても「ヤラセが発覚」している。
NHKが主張する「国営放送にすると政府の言いなりの局となってしまう」ということは一見すると頷けるが、騙されてはいけない。
先にも述べたが、国権力からの影響を受けない放送局と謳いながら、会長自らが「政府に右へ倣え!」と発言しているのである。
元々NHKは国家主導プロジェクトの放送事業であった。
だから、その本質の奥深くに「国営的気質」「国家公務員的気質」を備えているのだ。
久留米大学商学部の塚崎公義教授が主張しているように、国立大学が政府の思惑通りになっているわけではない。
国立病院も同様である。
(国立には別の意味がある)
つまり、「国営」となると政府の言いなりの放送局となるというのは間違いなのだ。
たしかに海外ではそうした政府の言いなりの国営放送局が存在する。
だが、それは独裁色が強い国家においてである。
「言論の自由」と「民主主義」が機能している国家においては「国営放送局」があっても、ネット全盛の時代の現代社会では、政府の言いなりの放送局は存続することは許されない。
そうした論理をNHKは“すり替えてNHKの都合のいいような理論”にして論じている。
民主主義国家及び自由主義国家による国営放送局であれば、災害時の報道、ドキュメンタリー番組、教育などを制作する税金で運営する国営放送が今以上に信用されるのだ。
塚崎公義教授が指摘しているように、問題は「国営」かどうかではなく、「民主主義社会」「自由主義経済活動」がきちんと機能しているかどうか、なのだ。
さらに、NHKが発足した当時にはなかった民放放送局、BS放送局、CS放送局、動画配信会社などの存在がある現代において、もし、政府の言いなりの国営放送局があれば、世論は沸騰し、存在そのものが否定されるだろう。
NHKは、問題の論点を意図的にズラしているのか、または問題の本質がわからないアホなのか、どちらかだろう。
《反論6=「国家権力のみならず、資本家の権力からも独立した放送局であるために国民が負担する受信料制度でNHKが成り立つ必要がある」に対する反論》
「国家権力のみならず、資本家の権力からも独立した放送局であるためには、国家にも資本家にも頼らない収入源を確保しなければならない。だから、国民が負担する受信料制度でNHKが成り立つ必要がある」
これは反論5と重複するのでここでは深くは語らない。
しかし、これは詭弁であるといっておく。
そして時代遅れの発想である。
先にも述べたが、NHKの最高意思決定機関である経営委員会を構成する委員は、衆参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命することになっている。
NHKの籾井会長が「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という発言をしている。
これは放送法1条2項の精神を根底から否定するもので、公共放送を完全否定するものである。
また、資本主義社会を誤解している言論である。
もし、NHKが民営化され資本家の権力がなんらかの大きな影響を及ぼすとしたら、それは株式の過半数(51%)を持つ場合を意味する。
だが、同族経営の企業以外は、そうした特定の資本家が経営権を左右しないように配慮されている。
それが資本主義社会というものだ。
NHKの主張はすべてにおいて旧時代の価値観をベースにしている。
古い時代の価値観、慣習をただ官僚のように踏襲している時代遅れの人たちなのだ。
NHKの主張は、一見するとまともな論理のように思えるが、よくよく思案すると摩訶不思議な論法なのだ。
《反論7=「任意の受信契約をもとに運営している公共放送だからこそ、放送の独立性が高い水準で確保される」に対する反論》
NHKが「国営放送」ではなく「公共放送」にこだわり、受信契約を強制的に締結する理由はこうだ。
「あくまで任意の受信契約をもとに運営している公共放送だからこそ、放送の独立性が高い水準で確保される仕組みとなっている」
ここで注目しなければならないのは、NHKが「任意の受信契約」という言葉を使用していることだ。
NHKは放送法を盾にして強制的に受信契約を締結させようとするが、NHK自体が「任意」であると言っているのだ。
任意とは、当事者(契約を結ぶ側)の同意をもって成り立つという意味である。
放送法は、テレビ受信設備を設置したものはNHKとの受信契約を結ばなければならないと定めているが、その受信契約の方法などは定めていない。
つまり、受信契約における放送法は「ザル法」なのだ。
(「ザル法」=抜け落ちている法律という意味)
また、罰則規定も存在しない。
実にいい加減な法律なのだ。
重要なことを指摘する。
「任意」であれば、拒否する権利があるということを意味する。
そうでなければ「任意」という語彙を使用するべきではない。
NHKは、グレー部分がある放送法を自分たちに都合の良いように国民に説明して、強制的に結ばせようとしている。
(ただ、NHKの存在自体を否定しない)
要するに、NHKの受信契約は「任意」なのか「強制」なのか、それは解釈次第のグレーであるという意味を拭い去ることはできないのだ。
これは明らかに法(放送法)の不備である。
この混乱の原因は、放送法にある。
あくまでも「任意」というのなら、強制的手段である「家庭や事業所でテレビ受信設備を設置する際にNHKへの届け出を義務化する制度変更」と「外部からの居住者情報の照会」という要望は出せないはずである。
なぜなら、それは強制的に個人情報を得るというプライバシー侵害を犯しているからだ。
NHKは、この矛盾を説明するべきである!
【NHKの根本的な問題】
《NHKという放送局の根本的で根深い問題》
NHKの根本的で根深い問題を指摘する。
それは、以下の3点に集約できる。
「ラジオ放送事業の古い組織形態の継承」
「半民主化」
「放送法の不備」
《「ラジオ放送事業の古い組織形態の継承」について》
日本で放送事業が始まったのは社団法人日本放送協会(現在は公益社団法人)によるラジオ放送であり、ラジオを聴くには聴取料を取られていた。
まずラジオが聴ける設備を設置した場合、大日本帝国政府管轄の遁信局から「聴取無線電話施設許可書」という許可書(免許)を得る必要があった。
それに基づきNHKに聴取料を支払うという仕組みだった。
戦後、GHQによりこうした国家主導の放送事業は否定されたが、この「ラジオ放送時代の事業構造」「ラジオ放送時代の組織形態」を継承してしまっているのだ。
つまり、ラジオ放送がテレビ放送に置き換えられただけなのだ。
ラジオ放送時にあった「許可証」がテレビ放送になると「テレビ受信機設置の有無」に替わり、「ラジオ聴取料」が「テレビ受信料」に替わっただけなのだ。
NHKは、この戦前のラジオ放送事業の形態をそのまま引き継いでしまったことが根本問題なのだ。
ラジオ放送が始まったときに許可証を得てラジオ放送を聴く人は、いわゆるお金持ちであった。
だから、当然聴取料も払う。
そしてテレビ放送が始まったテレビ放送の黎明期に自宅にテレビ設備を持てる人もまたお金持ちだった。
お金持ちだから自宅にテレビを設置できるのだから、当然世間への見栄とプライドが働き、受信料も払う。
逆にそれがステイタスと見られていた。
やがてテレビは中産階級に広まり、いつしか日本国中の世帯に広まっていった。
それは貧困世帯もテレビを観る生活が普及したことを意味する。
すると、生活費に余裕のない人や民放放送局の番組が観たくてテレビを購入した人などがNHKの受信料を払いたくない、となったのだ。
こうした時代の変化、社会生活の激変の波に受信料制度は対応できていない、ということなのだ。
《「半民主化」について》
戦後は、GHQ(連合国軍最高司令官総本部)により、放送制度の民主化が進められ、1950年(昭和25年)に放送法などの電波三法を制定した。
この際に、日本国政府・企業などの圧力に屈さないよう、いかなる組織に依存する体制をも無くす必要があり、その結果、放送の受益者より負担金を徴収する「受信料制度」が誕生した。
民放放送局とNHKの根本の違いは、「国家主導の放送局であった経歴があるかないか」である。
民放放送局は、当然ながら民主主義社会を繁栄したものだから国家事業とは無縁である。
だが、NHKはそうではない。
つまり、NHKはその体質に「完全なる民主化されていない体質」を残してしまった、ということである。
放送法という、国家法によってその収益(受信料)を保障されている組織体とは、完全なる民主化されているとは言えない。
放送法の存在そのものが、NHKが完全に民主化または国家からの独立を完全に成し遂げていないという証拠なのだ。
要するに、NHKは半民主化された組織なのだ。
《「放送法の不備」について》
結局、受信料の問題は放送法の不備に突き当たる。
テレビ受信機を設置した者は、NHKと受信契約を結ばなければならないと定めながら、その受信契約について定めていない。
また、受信契約を結ばなかった場合、または受信料を支払わなかった場合の罰則規定を定めていない。
実にいい加減な法律なのだ。
《組織論から見たNHKの問題》
組織はいったん出来上がると、本来その組織が持っていた目的よりも、組織そのものの存続を目的としてしまう力が働くようになる。
それが如実に現れるのが、官僚組織である。
官僚組織の特徴とは、スクラップアンドビルドが出来ないことである。
新しい組織改革が起こるのは必ず政治家による。
それが歴史の鉄則だ。
官僚自体は、一旦出来上がって、自分たちが所属するようになった組織を解体しようとか、組織変革しようとか、ましてや組織自体を無くそうとはしない。
つまり、官僚には改革を創造する力はないのだ。
この組織に働く組織維持最優先の力がNHKにも働いている。
組織は時代の変化に対応してその姿を変えていくべきであり、本来の目的を見失ってはいけないのだ。
いまは戦後ではない。
明治以降、近代国家を築くために国家主導でいくつかの事業を発展してきた。
電気、ガス、鉄道、電話など。
国鉄はJRに分割経営された。
電信電話公社はNTTに民営化された。
現代はNHKが発足した時代とは大きく様変わりしている。
時代が変化したならば、組織はその姿を変えなければならないのだ。
【ご意見番が考えるNHKの未来ビジョン】
《時代遅れの放送法は修正が必要》
放送法(根拠法)が誕生したのは終戦から5年後の1950年
受信契約している世帯がNHKに支払う料金のこと。
契約しなければ払わなくてよい
ラジオの聴取料の導入理由は、放送を電話のような「公益性の高い事業」にすることで民間企業による放送局設立を排除し、ラジオ放送を速やかに普及させるためであった。
戦後の混乱期にテレビ技術の発展とテレビ放送の躍進を進めるためにNHKは大きな功績を残したことは確かである。
だが、そうしたテレビの黎明期はとうに過ぎ去った古い時代である。
NHKが存在理由とする放送法自体の修正または廃止が必要なのだ。
新しい時代には、新しい法が必要である。
《NHKの未来ビジョンの提言》
放送法が成立した1950年(昭和25年)とは、社会の様相が大きく変化している。
情報の価値、情報の質、情報を習得する手段が大きな変化を遂げている。
こうした時代に「現時点のような公共放送」は必要ないというのが、ご意見番の主張である。
よって、NHKに対する未来ビジョンを勝手に提言する!!
NHKは分割経営するべき!
「災害等の報道機関と教養・福祉等の公益性が高く、なおかつ緊急性、普遍性が高いものを扱うNHK」と「音楽番組、ドラマ、映画などの娯楽番組を扱うNHK」とに分割運営するべきである。
前者は国営放送とし税金で運営する。
後者は民営化(株式会社)して運営する。
これが、国民の負担金を公平にした上で、いままで公共放送として行ってきた部分を継続させる最良の方法である。
NHKの職員は一丸となって大反対するであろうが、NHKがもともと持っていた事業性は時代にそぐわなくなっている。
NHKが持つ技術力の高さ、災害等における報道の信用性、教育や福祉番組に真剣に取り組む姿勢は視聴率最優先の民放放送では不可能である。
NHKの強みとは「災害報道」「ドキュメンタリー番組」であるとご意見番は思う。
だが、「大河ドラマ」や「紅白歌合戦」を受信料制度で成り立っているNHKが放送する大義はない。
アチキが観ている限り、NHKが制作する大河ドラマには歴史的事実と反することが多い。
そうした娯楽番組を公共放送が放送するのは受信料制度でなくても良い。
娯楽番組は結局、「良い番組」「興味のある番組」「面白い番組」を作ったもの勝ちである。
だから公共放送が娯楽番組を制作することは、娯楽の少なかった時代ならともかく、娯楽手段が溢れる現代において公共放送が制作しなければならない明確な理由はない。
昔、アチキがNHKに出入りしていたときに「NHKの職員は官僚だな」と感想を持ったが、NHKは古い時代の価値観に呪縛されているだけである。
エリート意識で固まっているだけである。
時代の変化に応ぜず、NHKという組織を守ることを最優先にしているにしか過ぎない。
《結論》
NHKは、「報道・教育・福祉番組等の制作および技術開発を中心とする国営放送局」と「娯楽番組を中心とした民間放送局」とに分割し運営するべきである!
NHKには大改革が必要である!
NHKを改革し、時代を動かす大政治家の登場に期待する!
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!