【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)④】~日本国憲法“日本製”論を否定する~
これまでの記事
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)①】~鈴木義男という人物について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)②】~鈴木義男の新憲法制定への関与について~
【日本国憲法日本製編(鈴木義男の章)③】~憲法改正における鈴木義男の功績について~
憲法改正にかんする鈴木義男の見解とは?
《憲法改正にかんする鈴木義男の見解とは?》
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
およそ、この憲法といえども、もとより完全無欠ではありません。改正すべきものがあろうことは、われわれも認めるのであります。けれども、これを改正するには、適当な時というものがあります。今わが国が再軍備を公然合法化するに適当な時でありましょうか。世界の情勢をごらんなさい。わが国が、一時朝鮮事変に驚いて、アメリカの、それこそ押しつけによって、警察予備隊を作り、保安隊を作り、これを自衛隊に発展させたのでありまするが、…。
(1955年7月28日の衆議院本会議における発言)
〈自民党党是の起源とは?〉
1954年11月10日、首相に就任した日本民主党の鳩山一郎らによって、憲法改正を目的とする「憲法調査法案」が提出された。
上記の鈴木義男の発言は、このことに対する反論である。
鈴木義男は、この法案が「公然再軍備を合法化していくために9条を改正せんとするところに主要点がある」として反対の意を表明している。
実は、このあたりが自民党の党是である「憲法改正」の起源にあたるのです。
鈴木の抵抗虚しく、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務」とする自衛隊の設置を定めた自衛隊法が成立し、その翌月には自衛隊が設置された。さらに「憲法調査会」も設置される。
この動きこそ、現代につながる憲法改正の動きなのです。自民党はこの流れのなかに存在し、この系譜に位置する政治集団なのです。
〈憲法改正の動きに対しての鈴木義男の主張〉
では鈴木義男は、この憲法改正の動きに対してどのように考えたのか。少し長いが引用する。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
現行の憲法は、かりに与えられたにせよ、実によくできている憲法であると思う。民主主義、平和主義、人権尊重主義、そして近代的立憲政治のメカニズムがよく取り入れられている。当時わが国でも朝野が競って憲法草案を立案したものであった。多くは明治憲法に一寸手を入れた程度のものであって、ポツダム宣言が期待したわが国の民主化には何れも程遠いものであった。そういう調子ではわが国民に委ねておいたのでは、到底民主的憲法はできそうもないとうので、英米仏の憲法の粋をあつめて、一つのモデルを示したのである。しかし一字一句変えてはいけないというような強制を伴ったものではなかったのであって、基本線を崩さない限りわが国情に適切な修正は自由たるべきことを付言していたのである。現にわれわれは十数ヵ条を付加し、十数ヵ条を修正しているのである。
「日本国憲法は日本人が作った」と主張している人たちは、上記の鈴木義男の言葉をよく頭の中に入れることだ。
ここに日本国憲法の制定過程および存在意義が網羅されている。
まず、“まりなちゃん”や内海聡氏が主張するように、日本国憲法は憲法研究会が作った憲法ではない。GHQ民生局が欧米の多くの憲法を紐解き、ヒントを得、なおかつGHQ民生局草案の“原液”とも呼ばれるものが最初に存在する。
(日本国憲法の原液と呼ばれるものについては別の編にて語る)
日本国憲法の基本路線は、この「日本国憲法の原液」から発生しているものであり、憲法研究会の草案を参考にはしているが、決して憲法研究会の草案がそのまま政府案となり制定されたものではない。
小室直樹氏が指摘しているように、日本国憲法とは世界中の憲法等の寄せ集めである。ただし、世界のどこにもない理想を埋め込んだ平和的要素を強く持つ憲法でもある。
鈴木義男が語っている、「ポツダム宣言が期待したわが国の民主化には何れも程遠いものであった。そういう調子ではわが国民に委ねておいたのでは、到底民主的憲法はできそうもないとうので、英米仏の憲法の粋をあつめて、一つのモデルを示したのである」というのが日本国憲法誕生(GHQ草案の発生)の理由となっていることは紛れもない事実である。
重要なことは、近衛、次いで幣原首相に新憲法制定の示唆を与えたが、マッカーサーが満足する(=ポツダム宣言に合致した)憲法草案がでなかったこと。これによってGHQ民生局が草案を作成することになったこと。この流れを無視しては日本国憲法の成り立ちを正しく理解できないのだ。
ただし、この鈴木義男の主張にはある論点が欠けている。それが何かといえば「主権国家のあり方」である。独立した主権国家としてふさわしい憲法とは何かという論点である。
なぜこの論点が鈴木義男に賭けていたかと言えば、彼が「国際協調主義者」だからということに尽きる。つまり、本来の独立国家としての憲法ではないが、平和主義、人権尊重主義、立憲主義、民主主義を維持する国家としての手段として国際連合などの国際組織の力に依存することで国家を維持しようとする価値観を持っていたからに他ならない。決して鈴木義男が日本国の防衛や自衛権を否定していることではない。だが、それは現代の日本国民である私から言わせてもらえば、「属国としてのわが国」であり、「国際協調主義は幻想」にすぎないと指摘しておく。
GHQ(=マッカーサー)は、占領政策の一環として日本政府に憲法改正を示唆(実質的な命令)をしたが、ポツダム宣言等の縛りがあるため、GHQ草案の修正および修正された政府案の制定作業を当時の日本政府(幣原内閣)に委ねている。これは占領政策が「間接統治」を取ったからであるが、GHQが修正を好まなかったというよりも拒否していたものがある。
それはGHQ草案の柱でもある「天皇の処遇=天皇の権力を剥奪すること」であることは間違いない。これは軍国主義の解体を目ざすものであり、それによって「戦争放棄」の条文が入れられることで将来にわたって日本が白人国家に歯向かわないようにするための布石としたことは間違いない。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
当時司令部が少なくとも修正を好まなかった点は天皇の象徴たる性格を変えることと、わが国が再び軍隊をもつことであったことは確かである。
だが、現代の護憲派に伝えたいのは鈴木義男の改憲に関する考えだ。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
現行憲法も人間の作ったものであり、完全無欠ではあり得ない。なおした方がよい点、修正した方が便宜と思われる点はないわけではない。
これが当時、新憲法制定に関わった人間の改憲に関する見解である。
現代の「護憲派」の多くに見られる現象として、日本国憲法が理想的で欠点のないような捉え方をしている又はそれに近い受け止め方をしていることが散見する。
日本国憲法が人類史上最高の憲法であり、まったく欠点がないものであれば、護憲という主張は納得のいくものであるが、主権国家としてのあり方、時代の変化および国際状況の変化に対応すべき必要性などがあれば改憲という主張がでても当たり前となる。
(理論上)何がなんでも護憲というのは、単なる盲信でしかなく、それは一種の護憲信仰に近い。日本国憲法という教義を信仰する信者の姿に見えてくる。
ただ、【序編】で言ったように改憲か護憲かという論争において、現状の政治状況を考慮しない議論は国家を間違った方向性にミスリードし、国民の自由や人権を奪うことにつながる可能性があり、単純に護憲、単純に改憲、という論理を振りかざさないことが非常に重要であると言っておく。
ただ、鈴木義男は上記の改憲の必要性は認めているが、以下のようにも発言している。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
今はまだまだこの憲法の普及に努力すべきであって、断じて改正に努力すべき段階ではない。
鈴木義男の政治姿勢は、「平和憲法擁護」「再軍備反対」である。
つまり、日本国憲法が完全無欠ではないゆえに改憲の必要性を理論上認めながら、現実には護憲の立場を取り、独立国家としての自衛権を理論上認めながら、現実には再軍備を反対しているということだ。
こうした理論上と現実論を分けながらその時点での判断をしていくことが、憲法に関することでは重要なのです。
晩年の鈴木義男
《晩年の鈴木義男》
〈落選と当選復活〉
晩年の鈴木義男は、1958年5月の衆議院議員選挙で落選し、それを契機に翌年4月に新設の青山学院大学行政法担当の教授に就任している。
しかし、鈴木義男の政治生命は復活する。
1960年1月、民主社会党の結成に参加し、同年11月に行われた衆議院議員選挙に立候補し、みごとに当選する。
だが、当時の民主社会党は左派と右派のイデオロギーの違いが浮き彫りとなっていた。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
左派はマルクス主義に立脚しており、マルクス主義は暴力革命を敢えて辞さない立場である。これに対し、右派は暴力革命を否定し、議会民主制のルールに従って政権の交替をみとめる立場をとっている。
鈴木義男の立場は、当然右派となる。
〈教育者としての鈴木義男〉
鈴木義男は、人生の最後まで東北学院の理事長の職を務めている。鈴木義男という人間には複数の顔があるが、以下のような発言をしている点を見ても、教育者としての信念が見て取れる。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
日本の大学を育てるためには、政治が教育に手を出してはいけない。
人間に個性があるように学校に個性があってよく、また個性なかるべからずであります。真の人間を造る、これが教育の最高目標でなければならないと信じます。
教育は国家にとって最高の真摯な仕事であります。
〈政治と学問〉
日本国憲法第23条には、「学問の自由は、これを保障する」とある。
これは政治権力と学問の世界を切り離すことであり、万が一にも国家に都合の良いような教育が強制または推奨されないための「学問の自由」をしめしたもの。
だが、現実には政府による補助金が流れることによって実質的な学校側の政府による干渉や影響を完全に排除することはできず、自主独立の学問の自由はなかばなし崩しにされている一面がある。
日本国憲法は三権分立を明確に規定したが、時代が経過した中で、政治勢力が学問、裁判所、警察組織、検察組織などと癒着することによって、現代日本における三権分立は正しく分離されておらず、それが社会正義を腐敗させていると見える。
《鈴木義男、昇天》
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
東北学院大学の工学部校舎の落成式から一ヶ月余の1962年(昭和37年)12月上旬、青山学院大学での講義終了後に青山通りを歩行中、鈴木は胸の激痛に襲われ(医者は「胸に針を何本も刺されるような痛みであった」と語ったという)、救急車で慶応義塾大学病院に運ばれた。
それから約二ヵ月後、自宅に戻った鈴木義男は、8月25日に永遠の眠りについた。
病名は、動脈硬化性高血圧症、解離性大動脈血腫、腎硬化症と診断された。
鈴木義男と敗戦
《敗戦への思い》
鈴木義男が敗戦および占領政策をどのように受け止めていたのか?
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
敗戦後の占領について、日本人として「悔しい」「屈辱的だ」などといった感情は鈴木にはほとんどなかった。鈴木の関心はいかにして日本を民主主義国家にするか、いかにして自由と人権を守るか、いかにして平和を実現するかということであり、占領軍がこれらの問題にどう対処するかに注目していた。
〈鈴木義男は護憲派か?改憲派か?〉
GHQによる占領政策は、間接統治方式を取り、政策を実施するのは日本政府であったため、政府や議会に一定の役割が与えられていた。鈴木は新憲法の制定、法制司法制度改革に深く関わり、重要な役割を果たしたが、鈴木はある意味ではGHQを利用し、GHQ(草案作成にかかわった者を意味する)もまた鈴木のようなリベラルであり、なおかつ法知識のある人間を利用していたと言える。つまり、お互いに利用する関係性が成り立っていたということ。実際に鈴木は、新憲法制定に関する議会審議を前にしてGHQの責任者のもとを訪ねている。その際に「象徴天皇制」と「戦争放棄」に関すること以外はどんな修正をしてもよいという許可をとったという“逸話”がある。
だが、私はこれを疑っている。なでならば、上記2つの内容だけではポツダム宣言で示された占領政策を満たすことはできず、「象徴天皇制」を取ることの意味の半分は、民主主義の浸透にあったからだ。
現代人が知るべきは、鈴木義男が関わった憲法審議の小委員会(芦田小委員会)において、メンバーの多くが日本国憲法の積極的擁護者とならなかったことがあげられる。
当時の主流派(保守派)にとっては「天皇制国家」を替えることに抵抗感があり、実際に近衛案、松本案などはほぼ明治憲法を多少いじった程度であったことで証明される。
では、鈴木義男の立場はというと、
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
鈴木は「押しつけ憲法」論に反論し、「芦田修正」を否定して9条の積極的意義を説き、孤独な「憲法の父」として護憲の立場を貫く。鈴木ほど新憲法と強い一体感を持ち、その擁護に尽力した政治家はいない。
つまり、鈴木義男の政治的立場は「護憲」であるということ。
だが、理論上は「改憲もあり得る」「自衛権は国家としてあるべき」としていることはすでに述べた。
「芦田修正」については、その真実を現代まで引きずっているが書籍『平和憲法をつくった男』には芦田自身が「9条2項は自衛力を持てるように小委員会で修正している」と語ったと記されている。この芦田の発言に対して鈴木義男は、「事実ではない発言」として大いに失望を抱いている。
この芦田修正の問題は別の記事で出てくるので、その時までお待ちください。
鈴木義男の憲法に対する姿勢を私なりに分析する。
鈴木義男によって日本国憲法とは、社会主義を最終目標とするための民主主義による国家改造の武器であり、平和の理想を実現するためには「平和憲法」であるべきだと捉えていると思える。
鈴木義男の思想に迫る
《鈴木義男の思想に迫る》
政治家を評価する第一はその「政策」であることは間違いないが、それよりも何倍も重要なことが「政治思想」であることは、多くの国民が理解していない。国民が理解しなければならないことは「政策は騙せる」が「政治思想は騙せない」ことだ。政治思想を騙そうとする政治家は数知れず存在するが、必ずどこかで露呈する。その政治家の政治思想を知りたければ、愛読書やどのような書籍を読んでいるのか(読書歴)、どこかの団体に所属または関係しているのか(宗教団体含む)、支持団体がどんな集団なのか、どんな会合に参加しているのかなどをつぶさに見れば明らかとなる。
政治家が国民に提示する政策とは、その政治家の政治思想の現れに過ぎない。縁起の理法から見る問題は、表明された政策は表の政策と裏の政策、小手先の政策と本腰の政策、見せかけの政策と本音の政策と誤魔化しがいくらでもできることであり、逆にその根源であるところの政治思想は誤魔化しが利かないことにある。ただし、国民に嫌われる政治思想や国民から非難される政治思想は必ずと言っていいくらい「隠す」または「きれいごと」にすり替える。それでもその政治家が抱いている政治思想は果実を見れば必ずその本心は見抜くことができる。
鈴木義男の政治思想が「キリスト的思想(精神)」にあるのだから、当然の帰結として「弱い立場の人々への救済」や「独裁主義反対の位置にある民主主義」として現れるのは必然となる。
鈴木義男は、1915年(大正四年)の二高の「公開大討論会」で以下のような発言をしている。
書籍『平和憲法をつくった男』より抜粋引用
政治は国民の政治なり。国民自らの意見を開陳して少数者の専断に委すべからず。
私の解釈によれば、「政治」とは、国民のために行うものであり、国民を豊かに潤すためのものであり、国民の権利を守るものであり、そのために国民の意見を率直に受け止め、決して一部の権力者が身勝手に行うものではない。
ここにキリストの精神を見るのは私だけではないだろう。
ただし、私が困惑するのは、上記の政治実現の勢力モデルとして、斬新的社会主義と言われるフェビアン社会主義の系譜にあるイギリス労働党を想定していること。
ディープステートを研究する人の中では知られていることだが、「フェビアン主義(社会主義)」とは、今で言うところの「グローバリズム」であり、その正体は闇の世界権力の思想、つまり秘密結社から流れ出た思想である。
当時の人である鈴木義男は気づきもしなかったであろうが、この矛盾に私は正直困惑している。それでも鈴木義男が大正デモクラシーに憧れと理想を抱いていたことは評価に値すると判断している。
現時点では、鈴木義男という人間があちら側の存在であったまたはあちら側の影響を受けていたという確たる判断はつかない。この問題は棚上げとするしかない。
このことに関係することで現代人に警告することとして、闇の世界権力(イルミナティなど)はキリスト教に偽装したり、キリスト教の内部に潜んでいたりすることがあげられる。
結局、鈴木義男の政治思想とは、社会民主主義の潮流に属する政治思想に強く共鳴していたことは間違いないだろう。その根底にはキリストの精神があることは明白である。
ただ、彼は「国際協調主義」に傾いているので、(現代に生きる)ディープステート研究者からみると、その中に危険性があると言える。
鈴木義男の理念とは「人類文化の理想が平和にある」というものだと思える。
「理想」とは、現状認識、今自分が立っている場から導き出されるものである。
「平和こそが人類の理想」、この理念は現代に生きる日本人とは同じではないだろう。なぜならば、99%の国民が戦争を知らない人たちだからだ。鈴木義男は戦前から戦中を生きた人物であり、戦前の天皇中心主義の権力側から見れば虐げられてきた側に立つ人物(社会の主流ではない人物という意味)であり、悲惨な戦争の経験者でもある。戦争を経験したか否かということは「平和」という言葉の重みが違ってくるはずだ。現代人の言う「平和」とは現状の維持に他ならず、戦争を体験した人たちにとっては「平和」とはまさしく求めてやまない理想郷なのだろう。
通常、“社会主義者による民主主義”とは、社会主義に至る前段階としての政治体制、社会主義実現の手段とするものであり、民主主義を徹底することによって社会主義を実現しようとするものである。
鈴木義男も社会党に属する人物であり、その政治思想をみる限り、「社会主義者」と呼べなくもない。この鈴木義男の政治的立場、政治思想を無視して、鈴木義男を評価することはできない。鈴木義男の「民主主義」とは、「民主社会主義」であり、単なる民主主義とは違っている。社会主義の要素が混じっているということ。この点を、「平和憲法をつくった人物かどうか」という点において考慮する必要がある。
そもそも「日本国憲法は日本人が作った」という主張をする者が多くいるが、「日本人」という定義は広すぎてあまりに曖昧だ。日本人という言葉を使うならば、どんな日本人なのかが重要なはず。彼らがこの論点を無視していることは見過ごせない。
鈴木義男は、世界恐慌を契機として採用されたケインズ的財政思想に基づく政策の展開によって、資本主義経済は新たな段階に入ったと考えていた。
資本主義から真の社会主義に進化するという思想を持っている。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
つまり民主主義的政策の不断の積み重ねること、真の社会主義の実現の道であると考えている。
社会主義の目的を実現する政治のやり方はあくまでも民主主義の線にそって行われなければなりません。
2026年に生きる保守と自称する人々からすれば、こうした鈴木義男の政治思想は違和感を覚える、受け入れがたいものではないか?
若い頃の鈴木義男は、「社会主義革命(ワイマール憲法型革命)」の実現を目指していたということは知っておくべきだろう。
鈴木義男の思想は、大正デモクラシーの中で形成されたことは確かであろう。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
大正デモクラシーで論じられた主要なテーマは、天皇制国家を前提にしつつ欧米諸国の政治制度をいかに取り入れ自由・人権思想を広げていくか、特に労働者や女性の利益と権利拡大をどう進めていくか、アジアさらには国際社会の平和のために日本はどのような積極的役割を果たすべきか、こうした問題に対して学生や知識人はどのような責任を負うべきか、などであった。
大正デモクラシーは「自由」を裏付けに持つものだが、この自由を奪うものこそが「戦争」であることは間違いない。
日中戦争が始まると日本社会の状況は一変し、戦時体制の構築が進められ、思想・信条の自由、言論の自由、政治活動の自由への制約が次第に強くなる。
この状況と現代の日本社会(政治状況)は酷似している。
これに一部の人たちが気づき声を上げているが、大部分の国民は呑気に惰眠を貪っている。
ここに警告を発しておく。
日本国憲法“日本製”論を否定する
《日本国憲法が“GHQ主導”で作られたことを認めている》
『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という書籍の中で日本国憲法の生みの親を示す文言が書かれている。だが、その文言自体は正直にGHQが日本国憲法を作ったとストレートに認めるのではなく、別角度から見た表現となっている。その真意は、「日本国憲法を作ったのがGHQではなく日本人だ」という評価を固めたい(広めたい)という隠れた意図が見え隠れしている。
正直ではない、素直ではないと言っておく。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
その司法改革のほとんどはGHQの主導のもとに進められたとはいうものの、占領軍が日本に対して行った間接統治のもとでは、日本政府がGHQの改正案の意義を理解し、実施しないことには何も実現しない。
官僚答弁のような見事な論理逆転のお手本と言えるでしょう。
上記の主張の歪みを指摘する。
日本国憲法の制定過程が「GHQの主導のもとに進められた」であることを認めている。また、「日本政府がGHQの改正案の意義を理解し…」とも語っている。
つまり、日本国憲法制定の主導者はGHQであると認め、敗戦によって間接統治されているから日本政府がGHQの起草した草案の意義を理解する必要があると語っているのだ。
ここにGHQ草案の存在を認め、GHQ草案が日本国憲法の土台であり、根本的な憲法理念であり、なおかつ日本国憲法制定の主導者がGHQであるため、日本政府がGHQの改憲の意図を理解し憲法案を日本化するための修正等を必要としているということを自ら証明していることになる。
《鈴木義男とGHQの関係》
鈴木義男の憲法制定に関する関係は、帝国憲法改正案委員小委員会のメンバーとして、新憲法の条文を作成・審議することであった。決して鈴木義男が日本国憲法の草案をつくったのでもなく、制定に関しての主導権を握っていたわけでもない。
『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という書籍の中で、以下の記述がある。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
ここでは鈴木とGHQとの関係、とりわけGHQの司法制度関連の最高責任者であったアルフレッド・C・オブラー(1893~1982)との関係を見ておく必要がある。占領下にあってはGHQやA・オブラーの許可・承認なくしては、いかなる法案成立・司法制度改革も進められなかったからである。
鈴木義男はGHQに出入りし、その誠実な人柄と憲法研究における高い見識を民生局(G2)に認められていた。ここが肝心なのですが、鈴木義男以外にも新憲法草案を作成しようとした者たちはGHQの“考え(意向)”を探っている。なぜならば、日本人(政府側及び民間組織)による憲法改正草案が作成されたとしても、その中身がGHQの描いている占領改革に合致しなければ許可されないからに他ならない。だからこそ憲法改正草案作成作業においてGHQが何を考えているのかということをGHQ(正確には民生局)に出入りして情報を得ようとしていた。
こうした新憲法制定過程をみていくと、たとえ民間の憲法研究会が独自に憲法草案を作成したところで、その内容がGHQ(特にマッカーサー)の意思に反するものであれば、却下されてしまうことになる。
また、特に重要なことを指摘する。
GHQによる占領統治は間接統治方式を取っていると言ったが、この場合新憲法制定の草案を民間から選ぶことはない。GHQがあくまで相手にするのは占領下にある日本政府だからだ。そこに民間組織が入り込む余地はない。ただ、民間組織(憲法研究会など)の憲法草案を参考にすることは十分にある。この占領統治下の状況を理解しなければ、正しく憲法制定の道筋が見えてこない。
こうしたことを「まりなちゃん」「内海聡氏」は一切考慮していないと思われる。
占領下にあってはGHQやA・オブラーの許可・承認なくしては、いかなる法案成立・司法制度改革も進められなかった
この意味を正しく理解することが日本国憲法は「押し付け」か「押し付けではないか」を判断する指針となる。
重要なことなので指摘する。
「占領下にあってはGHQやA・オブラーの許可・承認なくしては、いかなる法案成立・司法制度改革も進められなかった」ということの意味は、新憲法制定の主導権を握っているのはGHQ(マッカーサー)であり、“占領下における新憲法制定者”を正しく理解すればGHQに他ならないとなる。
GHQの許可・承認なくしてはいかなる新憲法(草案)の制定は不可能だということ。ただし、GHQ草案を幣原喜重郎内閣に託してからは「政府案」として修正し、本議会等にかけて修正(日本化)させていることは事実であり、GHQ(特にマッカーサー)側が新憲法の重要な原則以外はある程度寛容な態度を見せ、日本側に自由にさせていたことも事実だ。
こうしたことは他の【本論】でも出てくるので、ここでは多くを語らないことにする。
なお、オブラーは鈴木義男をなぜ深く信頼できる人物として評価していたのかという理由についてだが、オブラーが自身の著書『日本占領と法制改革』の中で言っていることがあるので以下に記す。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
「かつては弁護士であり、学者であった鈴木は、穏健派に属し、政治的に(経済的にではないけれど)、米国の民主党のリベラル派に似ていた。私はここで再び、ワイマール期のドイツ社会民主党との類似点を見出した」
鈴木義男に限らないが、憲法研究会のメンバーたちにも当てはまるが、「日本国憲法は日本人が作った」と主張する人たちが語らないことがいくつもある。そのなかで鈴木義男や鈴木安蔵などの「政治(思想)の立場」がある。鈴木義男も鈴木安蔵も現代社会で言えば明らかに「リベラル派」に属する者たちであり(鈴木安蔵はマルクス主義者)、当時の「保守派」ではない。加えて言うならば、彼らは当時の保守勢力から異端視されたり、弾圧されたりした人たちである。この「政治的立場」がどのような新憲法草案を生み出すのかということに大きく関係してくる。
憲法草案とは、草案作成者の政治思想、政治的・社会的立場などに淵源を持つものであることは否定できない。
もし、「日本国憲法は日本人が作った」と主張するならば、日本国憲法はリベラル派およびマルクス主義者による憲法となる。こうした議論を示さないのはなぜか?
あなたたちは現代の保守なのかそれともリベラル派なのか?
正直に言うと、「護憲派」の人たちはリベラル派が多いというのが現状であろう。一方「改憲派」は世間からは“保守と見られている”者たちであるが、本当は偽保守(エセ保守)であり、その正体は「右派(右翼)」である。この場合の「右派」とは、「戦前の政治体制復古派」という意味である。ここを深く理解しなければならない。
この戦前及び占領中の政治的立ち位置と現在の政治的立ち位置が実は逆転している捻じれがあり、そうした理解をしないで憲法論を論じている人があまりにも多い。
鈴木義男も鈴木安蔵も当時の保守勢力ではなく、現在の観点から見ても保守勢力とは呼べない(鈴木義男と鈴木安蔵では少し政治的立ち位置が違う)。
こうしたことを理解した上で、「日本国憲法は日本人が作った」と主張しているのかと私は問いたい。
政治は誰のためにある?
《鈴木義男から学ぶこととは?》
結局、鈴木義男の人生と功績から学ぶものは、以下のことに尽きる。
民主主義の根本は国民主権にあり、同時に立憲主義の本義は民意尊重にある。
民主主義国家とは、国民を主権者とし、最高法規として憲法を抱き、憲法によって国民から与えられた権力である政治家等を注視、監視、批判、抵抗する国家制度を持ち、最高法規である憲法の下に形作られた法秩序によって国家を運営する国家体制であり、その柱は「立憲主義」にある。
よって、最高法規である日本国憲法の法秩序を破壊する権力者、憲法秩序に従わない権力者とは国民の敵、民主主義の敵、でありその正体は独裁主義者に他ならない。
なぜならば、独裁権力を握った権力者から人々を守るための国家体制こそが民主主義及び立憲主義だからだ。
国民主権を定めた日本国憲法の法秩序を破壊するものとは、国民に対する裏切り者であり、国民を不幸にする者であり、民主主義国家への叛逆者に他ならない。
そうした政治家に対して国民が声を上げ、戦わないならば、近いうちに日本は独裁体制となるだろう。
【日本国憲法日本製編(鈴木安蔵・憲法研究会の章)】につづく
参考書籍
書籍名:『平和憲法をつくった男』
著者名:仁昌寺正一
出版社:筑摩書房
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!