『パチンコの闇4 ~参考書籍「脱パチンコ」からの学び【人生転落のきっかけ編】 パチンコは犯罪に一番近い場所!~』

はじめに

「パチンコご意見番」の山下氏の著書からの学び第4弾です。
(パチンコご意見番とは、アチキが勝手に言っているだけです。あしからず)

パチンコにハマって幸福になりました。
パチンコで勝って大金持ちになりました。
パチンコのおかげで人間関係が良好になりました。
パチンコをやったから出世できました。
パチンコを打っていると心は安らぎます。
そんなことありますか?
経験者の方なら分かりますよね?
現実は、すべて逆じゃないですか?

「パチンコには善悪がない」、などと詭弁を吐く人がいますが、それがどんな意味を持つのかを考えるべきです。
他人をパチンコにのめり込ませる発言をすることは、他人をパチンコによって人生を狂わせる手助けをしていること。
また、パチンコを擁護することは、パチンコ依存からの真の脱却を妨害すること。

確かにパチンコという“システム”は違法ではありません。
しかし、「換金できるからこそ賭博」であり、「賭博だからこそ不幸を生み出す」のです。
人生を狂わせ、不幸を生み出すからこそ「パチンコは悪」なのです。
パチンコは人間性の向上に何一つ貢献しません。
逆に人間性を堕落させます。
それに気がつき、「禁パチ(脱ギャンブル)」の道に入った人たちは幸いなるかな!
忠告、警告、を無視してギャンブルにのめり込んで抜け出そうとしない人には必ずしっぺ返しがきます。
この世で来なくてもあの世で必ず来ます。
それが分からない人は「救う価値無し」です!

ということで今回も参考書籍は山下實氏の『脱パチンコ』(第6章)です。
パチンコのことを知りたいと考えている人にとって“必読の書”であると思われます。
ご興味がある方は、ぜひ購入してお読みください。

人生転落、きっかけはパチンコ!

《「従業員名簿」を提出しなければならない商売とは?》

山下實氏著『脱パチンコ』から引用

パチンコ店は「従業員名簿」という、従業員の素性を書いたものを、定期的に警察に対して提出しなければなりません。
これは一体何を意味しているのかを考えてみてください。
まっとうな商売ではないということだけは確かです。

〈パチンコ屋はまともな商売ではない〉

最近のパチンコ店には大卒者も就職していると聞きます。
しかし、以前のパチンコ店とは前科者の貴重な就職先だったのです。
また、パチプロ及び攻略法詐欺業者は暴力団(ヤクザ)や反社の人間と繋がっていることが多いといわれています。
そんなパチンコ業界だからこそ、「従業員名簿」を警察に提出しなければならないのです。

「従業員名簿」を警察に提出しなければならないということは、パチンコ店が警察の監視下にあるということです。
あなたの働く会社ではそんな義務がありますか?
警察に企業内で働く社員の個人情報を提出しなければならない商売がまともな商売と言えないことは自明の理です。

《パチンコは賭博》

山下實氏著『脱パチンコ』から引用

換金ができるという事実が表すとおり、パチンコは賭博なのです。
低価で勝っても規制上限まで射幸性はどんどん高くなります。
やめるにやめられなくなり、そして気がつけば予定以上の現金を失っているのです。

1パチ5スロはギャンブルへの「敷居」を低くする、危険なものだといえます。

〈「低価パチンコ」は底なし沼への入り口〉

「低価パチンコ」には仕掛けがあるのです。
通常パチンコは「1玉4円」で、パチスロであれば「1枚20円」での貸出ですが、低価パチンコなるものがあります。
低価パチンコとは「1玉1円」、いわゆる1パチです。

この低価パチンコをパチンコ店がなぜ導入したのかというと、他店との競争やパチンコの客自体にお金がなくなったなどの理由でそれまでの営業方法では収益が上がらなくなったからなのです。
そこで営業方針を変更して利益を上げる作戦として低価パチンコを始めたのです。

この1パチに食いついた人も多いでしょう。
噂によると1パチしかやらないパチプロもいると聞きます。

低価パチンコの店側の言い分は、「財布の中身を気にせずもっと遊びやすくした」ですが、それはパチンコ店が利益を上げるためについた詭弁でしかありません。
では、低価パチンコを導入した真の理由とは、ずばり「ギャンブルへの敷居を低くすること」です。
賭博場へ誘う甘い汁が低価パチンコです。
真の思惑は「低価(1パチ)で勝った客が高い割合で4パチに移動して負ける」、なのです。
実際、そうなっているはずです。

つまり、ワンコーナーだけ低価コーナーを設置したり、低価コーナー調整を甘くしてパチンコ初心者や金に余裕のない客をも呼び込み、その後の移動相乗効果を利用して儲ける算段なのです。
低価パチンコで勝っても射幸性が高まり、いつのまにかギャンブルの沼にハマってしまい、いつの間にか予定以上のお金を失ってしまう“仕掛け”なのです。
客が1パチから4パチへ移り、負けを取り返すために依存へと転落していく環境が作り上げられているのです。
低価パチンコはギャンブル依存症の“入り口”なのです!

《パチンコは公営ギャンブルよりも危険》

山下實氏著『脱パチンコ』から引用

パチンコと公営ギャンブルを比べてみると、依存者が多いのは圧倒的にパチンコです。
またパチンコは常習性や再発性も非常に高く危険なのです。

〈ギャンブル依存症は、公営ギャンブルと比べて、圧倒的にパチンコが多い〉

パチンコと公営ギャンブルを比較すると、依存者が多いのは圧倒的に“パチンコ”です。
パチンコは常習性、再発性が非常に高く危険なギャンブルなのです。
山下氏(カウンセラー)は、自身のところに相談にくる依存者のうち「パチンコが絡んでいない人」の割りあいは100人に1人いるかいないかの程度だと語っています。

つまり、ギャンブル依存症になりやすいのがパチンコであり、パチンコは公営ギャンブルよりも人生を転落させる危険なギャンブルと言えるのです。
逆にいうとパチンコというギャンブルがこの世から消えれば、ギャンブル依存症となる人の大多数が消える(将来的にという意味)のです。

では、なぜパチンコにハマってしまうかと言えば、メディアの偏向報道(情報操作)と過剰な宣伝も要因ですが、それだけではありません。
一番大きな理由は「利便性」です。
利便性とは、店舗数の多さ営業時間(営業日数)と言えます。
公営ギャンブルはすべて合わせても117ヶ所ですが、パチンコは全国で1万店舗以上もあり、その数は約100倍です。(最近は倒産が相次いでいる)
また、パチンコ店の多くが年中無休で営業していて、駅前などの立地条件のいい場所に店舗をかまえています。
ただし、近年は公営ギャンブルをスマホ等で簡単に行える利便性がありますが、毎日開催していないことがパチンコとの違いでしょう。
パチンコは営業時間も長く土日祝日なし、便利な場所にあるため「常習性」が高まるのです。

公営ギャンブルとパチンコを比較すると、国が管理し運営する公営ギャンブルは収益が国や市町村などの自治体の財源にあてられます。
福祉や社会的弱者支援、文化振興などに使われますので、ある意味では社会貢献しているとも言えます。
しかし、パチンコはどうでしょうか?
パチンコは裏金をつくりやすい産業であり、脱税の多い業界です。
つまり、パチンコの収益はパチンコ会社のためだけに使われ、なおかつ裏金に変わった場合は、いったい何に使用したのか不透明で知ることができないのです。
一説には、パチンコの裏金が北朝鮮へ流れ、ミサイルの資金となっているとも言われています。
となると、日本人は自分の国や家族を危険にさらす狂暴な国に資金提供し、自分で自分の命を危険にしている、ということもできます。
そんなバカなことがありますか?

《パチンコは人生を狂わせる》

山下實氏著『脱パチンコ』から引用

パチンコは人生を狂わせます。
パチンコ店内では犯罪が日常的に起こっています。

〈パチンコは、犯罪に一番近い場所〉

山下氏は、パチンコは「犯罪に一番近い場所」とまで言っています。
なぜか?
それはパチンコが人生転落の“きっかけ”となるからです。
山下氏は「(パチンコが)聖職者の自制心をも壊してしまい、犯罪者にするほど危険なもの」と語っています。
その事例を引用します。

事例引用

・パチンコ店で現金を盗んだとして逮捕された男性教員に処分停職6カ月。
・ホールで財布を盗んだ疑いで消防署の消防士長が窃盗で逮捕。
・パチンコ店で財布を盗んだ疑い 中学校の校長逮捕。

パチンコに職業は関係ありません。
職場では上司であったり、「先生」と呼ばれる職場であったりしても、金銭感覚が狂い、他人のお金に手を出してしまいます。
パチンコはハマった人の人生を狂わせます。
正常な思考(判断)を破壊し、金銭感覚を狂わせ、人間関係を壊し、人生を転落に導く危険なものです。
要するに、パチンコは「倫理」や「人としての良心」を破壊してしまうのです。

「聖職者」というワードがでたので、ここでどうしても言っておきたいことがあります。
信仰を持ちながら「パチンコにのめり込む」「パチプロとなる」とういことは、その人物の“信仰観”は間違いなく歪んでいます
本当に正しい“信仰観”を持っているならば、「欲望を増幅させる賭博」に近づくはずがありません。
信仰に出会う前にパチンコにのめり込んでいたならばまだ分かりますが、信仰を持ちながらパチンコにハマり続けるということは完全に信仰観が大きく歪んでいます
該当すると思う人は、己の心と行いを信仰に照らして考えるべきです。
しかし、そのような人は「反省しろ」と言われても反省せず、逆に間違いを指摘する者を悪者に仕立て上げて自分を善人に見せかけようとします。
始末に負えない人間なのです。
関係者に言うならば、「信仰を持っています」と言いつつ、「パチプロをしています」などと言う人間は間違いなく信仰観、人生観が大きく歪んでいるので決して信用せず、近づかないことです。
そういう人間は“仮面”を被って他人を“騙す”からです。

子どもたちに先生と呼ばれる教職者がパチンコによって犯罪をしてしまう。
これを「娯楽」「遊戯」と呼べますか?

娯楽で借金地獄に落ちますか?
遊戯で家庭が崩壊しますか?
娯楽でなぜ犯罪者が発生するのですか?
遊戯することでなぜ精神的な苦痛を味わうのですか?

パチンコへの依存によって精神的な苦痛を味わう。
「儲かる」「娯楽」という妄想を抱いたおかげで、金と時間を失い、人生を狂わされる。
それが現実です。

「理性」が狂ってしまうから犯罪に走るのです。
「正常な判断」が破壊されてしまうから借金を続けてまでパチンコを打つのです。
「倫理」を失ってしまうから信用を失い人間関係が崩れていくのです。

パチンコは、人を不幸にする!

《パチンコは賭博》

パチンコは「賭博」です。
パチンコが賭博である証拠は「換金(現金に)できること」です。
これが“ミソ”なのです。
換金できるからこそ射幸性を煽ることができパチンコ店は儲かり、消費者はのめり込んでお金をつぎ込むのです。
もし、換金ができずに商品と交換するというシステムであれば、パチンコ依存症になる人はほぼいなくなるでしょう。
それは単なるゲームセンターと同じであり、自己管理においてやるもやらぬもコントロールできる人がほとんどとなるでしょう。
「現金が手に入る(換金)」、それももしかしたら大金が!
と思うからこそパチンコにのめり込むのです。
つまり、パチンコが賭博であるという事実が人間を不幸にする原因なのです。

賭博とは、客に「儲かるかも!」という妄想を抱かせ、最終的に「損させる」ものであり、賭博に依存させることで胴元が繁栄するシステムなのです。
胴元の発想とは、「自分だけおいしい思いをするが、客の人生の幸不幸には責任を取らない」というものです。

人類の歴史からみれば、賭博とは人間性の堕落を意味し、賭博場とは人生転落のきっかけとなるものとされています。
事実、日本書紀の時代から統治者は「賭博行為を禁止」してきています。
賭博をした者も賭博場を開いた者も、ともに罰されています。
それが人類の普遍的な認識であることを知るべきです。
近代においては人類の倫理が崩れた時代なのです。
日本においては戦後からおかしくなっています。
賭博とは肯定されるものではないというのが人類の叡智なのです。

《パチンコは人間を不幸にする》

もう一度声を大にして言います。

「パチンコは人生転落の原因となり、犯罪に一番近い場所」

パチンコ地獄から脱却した人は天国へ向かって歩み始めた人であり、パチンコを心地よく感じ、パチンコ道から抜け出すことなど微塵も感じない人は、やがて本当の地獄を味わうことになるでしょう。
なかでも「パチンコ攻略法詐欺」は、他人をパチンコ地獄へ誘導する悪魔的存在なので、反省しその「心」と「行い」を改め生まれ変わらなければ、地獄行き決定となるでしょう。
「勝ちたい」「儲けたい」と考える人の欲につけこみ、効果の無い攻略法を売って金儲けするなど外道の所業以外のなにものでもありません。
パチンコ攻略法販売とは、“邪命外道”の生き方なのです!

最後に「私はパチンコをやって楽しい」「パチンコがないと生きられない」「パチンコは悪いものではない」と思う人は好きに生きなさい!
ただし、必ず反作用は来ることを覚悟しておきなさい!
もちろん、悪い反作用です!

パチンコからの脱却を勧めます!

参考書籍

著者:山下實(やましたみのる)
書籍名:『脱パチンコ』
出版社:自由国民社

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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