『TVプロデューサーの「過剰な演出は“やらせ”ではない」発言に反論する!【後編】 ~リアリティー番組において「過剰な演出は“やらせ”である」!~』

まずは【前編】をお読みください。

「過剰な演出は、やらせではない」に反論する!

《「過剰」「演出」「やらせ」という言葉の意味》

「過剰な演出はやらせではない」と言い張ったTVプロデューサーの言葉に反論する前提として、それぞれの言葉の意味を再確認しよう。

〈「過剰」の意味とは?〉

「必要な、または適当な数量や程度を超えていること」(広辞苑)

つまり、「度を超えている」ということ。
つまり、「必要ない」ということ。

〈「演出」の意味とは?〉

「演劇・映画・テレビなどで脚本またはシナリオに基づいて、その芸術的な意図を達成するように俳優の演技・舞台装置・照明・音楽・音響効果・衣装などを統括・指導すること」
効果が上がるように工夫すること」(広辞苑)

「演劇・映画・テレビなどで、台本をもとに、演技・装置・照明・音響などの表現に統一と調和を与える作業」
効果を狙って物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと」(国語辞書)

つまり、「演出とは、台本やシナリオがあってはじめて『演出』と呼ぶものである」ということ。
つまり、「演出とは、何らかの効果を狙って意図的に指導または統括するもの」ということ。

〈「やらせ」の意味とは?〉

事前に打ち合わせて自然な振る舞いらしく行わせること」(広辞苑)
事実らしく見せながら、実際には演技されたものであること」(国語辞書)

つまり、「事実を偽るもの」ということ。
つまり、「事実らしく見せるもの」ということ。
つまり、「何らかの意図を持った指導または指示が“真実”や“本人の意思”に反していた」ということ。

〈3つの言葉から読み解くと?〉

「過剰」「演出」「やらせ」という3つの言葉の意味を読み解いていくと、明らかになる論理がある。(リアリティー番組が話の前提です)

それは「過剰な演出」=「やらせ」という公式である。

「過剰」であるということは、不必要であり、程度や限度を超えている、ということを意味しており、それは「あってはならないもの」という定義となる。
また、「演出」という言葉を使用したならば「リアリティー番組」の前提が崩れることになる。
なぜなら、「演出」とは、「台本、脚本に基づいてするもの」だからだ。

「テラスハウス」などの恋愛リアリティー番組には「台本や脚本はない」と製作者サイドは主張していたはずだ。

台本と脚本がないのならば、そこに「演出」は存在しないはず

文字通り、出演者の思う通りに行動することを撮影することになるはず。
「演出」しているということは、たとえ台本、脚本(シナリオ)がなくても、そこに必ず“何らかの意図”があるのだ。

意図のない演出は存在しえない

だから、リアリティー番組制作において、「演出」だという誤魔化し(詭弁)を弄したが最後、自分たちの罪(やらせ)を認めることになるのだ。(自ら証明していること)

結局、ドラマなどと違って、リアリティー番組において「演出」という言葉が入りこむ余地は本来、はじめからないのだ。
本当にリアルであれば、本当に出演者が自分の意思で行動しているのならば、「演出」は不要である。

リアリティー番組の制作に「演出」というワードを持ちだすこと自体が、テレビ業界の詭弁なのだ。

テレビ業界の人間の認識の間違いを証明していることになるのだ。

だが、リアリティー番組に「演出」は必要ないが、「番組出演上のルール」は必要であるとアチキは思っている。
それは「出演中に暴力をふるってはいけない」とか、「プライベートで他の出演者の悪口を言ってはいけない」「放送後も出演者のプライバシーに関する暴露をしてはいけない」などだ。
つまり、出演者の人権や自由、プライバシーを守る目的のものは番組制作に必要であるということ。

要するに、テレビ業界の人間は「演出」と「やらせ」の区別を本気で出来ない人間たちであるということだ。
フジテレビ遠藤社長の発言もそうだが、テレビ業界の人間の発言は詭弁術であることにいい加減に気がつけ!!

結局、「演出」そのものは、芸術作品(ドラマや映画)にとって必要不可欠なものであり、無害なものであるが、リアリティー番組において「過剰な演出」と詭弁を弄してもそれが「過剰」である以上、「不必要」「意図的」であることとなり、それはリアリティーという定義から外れてしまうのだ。
それを世間では「やらせ」というのだ!!

《リアリティー番組制作陣が意識していない問題点》

津田氏の主張を見て行くとあることに気がつく。
それはリアリティー番組制作をしている人たちがおそらく意識していないであろうと思われる問題点である。

津田氏の言葉から見ていこう。

「何が起こるか分からないというスリル感、想定外のハプニングやトラブル・・・」

つまり、リアリティー番組を制作すること自体が「想定外のハプニングやトラブルを発生させるリスクを負っている」ということなのだ。

これを製作者サイドは「当たり前のこと」としか認識していない。
だから、番組制作中、または放送中などに起こるハプニングやトラブルを解決する必要な手段を持っていない。
始めから「当然のこと」としか認識していないのだから、ハプニングに対する対処法、トラブルを解決する手法などを用意していない
しかも、用意できないのが実状であるといえる。
なぜなら、予測できないことだからだ。
だが、それでも考えられるトラブルを防ぐ手法を見つけ出し、出演者を守るルールを策定するべきなのだ。

リアリティー番組とは、はじめからリスクを負っている種類のものなのだ。
それに対する製作者サイドのリスク回避意識が低くすぎるのである。
制作費が安価なのに視聴率が取れる、という視聴率優先の発想がそこにある!!

津田氏の主張の中には至極ごもっともな内容も多い。

「詳細な台本や、いわゆる『やらせ』演出があると、どんどんリアリティショーとしての番組の質は落ちていきます」

「むしろ『やらせ』が指示されたのなら、そのほうが楽かもしれません」

「大人に『悩みを打ち明けて』と声がけされても、親や先生に言われているのと同じで、なかなか本音をさらけ出すことはありません」

「出演者の多くは、本当に等身大の若者たちです。様々な悩みを抱えています」

「出演者は、制作コンテンツの顔であり・・・」

「出演者も、現場のスタッフも、使い捨ての商品であってはならないのです」

記事の中に(主張の中に)これらの文言があることで、読者はきっとこう思うことだろう。
「あ~出演者のことをきちんと配慮して考えているんだな」
「出演者の気持ちを理解しているだな」
「いいこと言っている」
「正論だな」

しかし、言論で一番重要なものは、枝葉末節ではなく、「結論」なのだ。
語り手が主張したいと思っている「主旨」なのだ。

枝葉末節が正しくとも、結論が間違っているならば、その言論は間違いとなるのだ。
部分的には正しいことを主張していたとしても、読み手に間違った価値観を植え付けるものは“罪な言論”なのだ。

上記の津田氏の言葉はアナウンス効果となっていると思われる。
(「アナウンス効果」は、正確には「告知」「お知らせ」などの意味があり、「知らせることで影響を与えること」を意味する)

津田氏の主張は部分的には、ご意見番としても賛同、評価する発言が多いが、精読すると2つの問題を見逃すことができなかった。

一つは「過剰な演出はやらせではない」という主張
もう一つが「木村花さんの件における、フジテレビ側を擁護している発言」である。

本人にその意識があるかないか分かりかねるが、津田氏の主張には、この2つの問題が大きく刻まれていることは間違いない。
それは回り回って「木村花さんの死に対して製作者サイド(フジテレビ側)に責任がない」と言っていることになり、娘の名誉回復を願って行動している母響子さんの行為に後ろ足で砂を掛けることである。
だから、ご意見番は見逃せなかった。

《「過剰な演出はやらせではない」の結論》

「過剰」「演出」「やらせ」の3つの言葉を分析すればするほど、明らかになる事実がある。
それは「過剰な演出」は「“やらせ”そのもの」ということだ。
(リアリティー番組において)

つまり、「過剰な演出は、やらせではない」という発言自体が、「TV業界のやらせ体質」を証明していることになるのだ。
そして、何よりも視聴者にとって重要で見過ごせないことは、そのことにTV業界の人間がまったく理解も気づきもしていない、ということだ。

メディア業界には「やらせ=視聴率を取るために必要な演出」と考える思想(文化)が根付いている

だから、堂々と「やらせ」や「捏造」した番組を制作または放送しているのだ。
要するに、メディア文化の中に倫理が大きく欠落しているのだ。

視聴率最優先の発想が何よりも重要視され、視聴者さえ騙してもいい、という発想があるのだ。
「面白ければいいだろう」「楽しい番組ならいいだろう」という、倫理や正義、人としての良心などを放棄した人間たちがメディアを牛耳っているということだ。

「過剰な演出は、やらせではない」などと言うのは悪魔の詭弁術でしかない!
詐欺師が使う弁論術と言ってもいい。

「演出」とは、本来、芸術を表現するためのものである。
芸術は「真実」や「美」、「善」、「人生の生き様」などを描くことで見る人に感動、癒し、喜び、良い影響、人としての成長、生きる力などを与えるものである。
その中に「一線を踏み越えた騙し」があってはならない。
「誰かを犠牲にする」ことがあってはならない。

テレビ業界の常識は、世間の非常識ということを業界人は知るべきだ!!
同時に、世間の人たちは、テレビ業界の人間に倫理観が欠落している事実を知るべきである!!

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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