はじめに
意外と知られていないことがあります。
(知る人ぞ知る事実)
日本の国会議員のなかに帰化した者たちがいる!
それも少数ではなく、結構な数がいる。
日本国民は、現在国会議員でいる人の中で帰化歴がある者に対して「帰化の履歴の公表」を求めるべきなのです。
これは法整備する必要があるのです。
なぜならば国家防衛と日本国民の命と財産、権利の問題がそこにあるからです。
帰化した国会議員などが知らねばならないことは、帰化の履歴に関して一切の言い訳や言い分は通用しないということです。
今回の情報源は、『弁護士北村晴男ちゃんねる』さんの「帰化を隠す国会議員について」です。
最後にリンクを貼っておきますので、ぜひご視聴ください。
日本に帰化した履歴を隠して選挙に出ることはとんでもない間違い!
《日本に帰化して後、国会議員になった人がたくさんいる》
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
日本の国会議員の中に元々韓国籍・北朝鮮籍だった人が日本に帰化して、その後国会議員になった人はたくさんいる。
意外に知られていないのです。
なぜ知られていないのか、というと北村弁護士が語っているように、選挙に出る際に公表しないからであり、当選後も公表しないからなのです。
(一部に判明している人はいる)
ただ、元々外国籍の人が日本国籍を取得して、晴れて日本人(日本国籍を持つ人)になったのであれば、国政などの選挙に出ること自体は違法行為でもないし、それだけをとって間違っているとは言えない。
ですが、ここには非常に重要な問題が絡んでいるのです。
この問題は2つに分けられるのです。
「帰化する事」と「帰化した人が国会議員になること」の2つです。
帰化すること自体にもある種の問題はありますが、ここでは帰化した人が国会議員になること(選挙にでること)に対する問題提起をします。
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
そのこと自体は何の問題も無いが、私が一番問題だと思っているのは、その履歴ですね。
元は韓国籍だった。
元は北朝鮮籍だった。
その後いつ日本に帰化して、そして日本人になったという履歴を選挙に出る時に出さないでしょう。
これがとんでもない間違いだと思う。
元々別の国籍を持っていた人が帰化したことを隠して(積極的に公表しないで)選挙に出るということがとんでもない間違いであると北村弁護士は語っています。
なぜとんでもない間違いなのでしょうか?
おもしろいのは北村弁護士はただの間違いではなく、間違いの前に「とんでもない」とつけて表現していることです。
言い得て妙な表現です。
つまり“ただの間違いではない”ということです。
あってはらならない“重大な間違い”だということです。
重大な間違いとは何でしょうか?
「帰化した履歴を隠して選挙に出て国会議員になる」
これは国防と日本国民の権利の問題が関連してくるのです。
つまり、日本を破壊する活動、日本で工作活動をするために帰化する者が正体を隠して日本国内で活動できてしまう(議員として)、ということです。
だからスパイ、工作員にとってはズルいと言われようと卑怯と言われようと公表したくないのです。
悪いことをする人間は本性を隠すものなのです。
日本を害するために権力を持とう(国会議員になる)とする者とは、その本性を暴かれたくないのです。
百歩譲って破壊工作員でないとしても、反日思想の持ち主が選挙にでて権力を持つことはとんでもない間違いです。
反日思想の持ち主が真に日本国繁栄のための政治、日本国民のための政治をするはずがありません。
何度も伝えましたが、「静かなる侵略(戦争)」と呼ばれる乗っ取り戦争があります。
この記事でも示します。
『スイス民間防衛』より
静かなる侵略
第一段階:工作員を“政府の中枢”に送り込む。
第二段階:宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。
題三段階:教育現場に浸透し、「国家意識」を破壊する。
第四段階:抵抗意志を徐々に破壊し、平和や人類愛をプロパガンダとして利用する。
第五段階:テレビ局などの宣伝メディアを利用して、自分で考える力を奪ってゆく。
第六段階:ターゲットとする国の民衆が、無抵抗で腰抜けになった時、“大量植民”する。
「静かなる侵略作戦」で示された第一段階が「工作員を“政府の中枢”に送り込む」なのです。
では、政府の中枢に工作員を送り込むためにはどうするか?
国会議員にならねばならないのです。
詐欺師が詐欺師の顔を隠すように、政治の中枢に入り込む工作員は工作員の顔を見せません。
詐欺師が嘘をついて騙すように、工作員は偽の大義(理由)を掲げて騙します。
帰化した履歴を隠して選挙に出て国会議員になるということは国防の問題として「工作員の侵入(政治の)を防いでいない」ということであり、同時にそうしたことは日本国民への裏切り行為でもあるのです。
だから、帰化した履歴を隠させてはいけないのです。
やましいことがないのならば、正々堂々と元の国籍を公表できるはずです。
「公表しない(帰化を隠す)」ということ自体に“おかしさ”や”疑惑“が含んでいるのです。
《国会議員はあらゆる情報をオープンにするべき》
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
「出さないのは出すと差別されるから」と言うかもしれないが、冗談じゃありませんよ。
国会議員というのは権力者ですから。
国の行方を左右する人なので、あらゆる情報をオープンにした上で、その上で自分は、例えば国会議員になるのであったら「日本の国益のためにこうやって頑張る」ということを説明して支持を集めるべきなんです。
帰化した履歴を隠したままで選挙に出て「なるべくなら知られないで欲しい」みたいな姿勢はとんでもない卑怯者の発想です。
〈権力の大きさ=責任の重さ〉
北村弁護士はもし自分が帰化した人間であり、その上で選挙に出るのであれば正々堂々と自分の帰化した情報を出すと主張しています。
そしてこう語っています。
「正々堂々と帰化したことを言う。それが政治家の姿だと思う」と。
では、なぜ国会議員または国政選挙に出る人が、帰化した情報などのあらゆる情報をオープンにしなければならないのか?
「国会議員というのは権力者だから」
権力を持つということは、間違った権力の使い方をすれば国民を害してしまうのです。
権力があるということは同じ比重で「責任」が発生しているのです。
「権力の大きさ=責任の重さ」なのです。
さらに人道上の問題もあります。
北村弁護士の言葉を借りれば、「帰化した履歴を隠したままで選挙に出るということは、とんでもない卑怯者の発想」ということです。
卑怯な行為であり、ズルい行為であるのです。
権力の座に座ろうとする人間はそのようなことをしてはいけない、ということが“人としての倫理(人としての道)”なのです。
ですから、帰化した履歴を隠して選挙に出るということは、倫理に逆らう行為とも言えるのです。
《帰化したことを聞くと、「差別」?》
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
ある国会議員が元々在日韓国人の方で、あるいは在日台湾人の方で、あるいは在日朝鮮人の方で、そして帰化したということを報道しただけで「それは差別に繋がる」とか「それは差別だ」とか。
あるいは「あなたは元の国籍は何ですか?」と質問しただけで「そんなこと聞くのはおかしい」みたいな事をいうとすれば、それはとんでもない間違いです。
心得違いだと思う。
〈「差別」と叫ぶ者にこそ「差別思想」がある!〉
「差別」
これは万能の“詭弁術用語”なのです。
自己弁護し、追求から逃れるための方法として、または相手をやっつけるための非常に便利な道具(言葉の)なのです。
国会議員が帰化した履歴を公表する。
または、選挙に出る際に帰化した履歴を公表する。
これがどうして差別という概念に繋がるのでしょうか?
実は、そうした主張をする側にこそ「差別思想がある」のです。だから差別だという発想が生まれるのです。
要は、「それは差別だ(帰化した履歴の公表を求められること)」と主張する人こそ差別する発想をしているのです。
はっきりと言います。
国会議員または選挙に出る人が、帰化した履歴を公表する事、これは差別ではなく、そうした問題にすり替えてはいけません。
《国籍の履歴をオープンに!》
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
ぜひ一刻も早く「国籍の履歴」ですね、帰化をした場合は帰化をしたということを常にオープンにする社会であってほしいと思う。
〈スパイ天国から国家を守るためには「国籍の履歴をオープンにする社会」が必須!〉
「国籍の履歴」をオープンにする社会。
これを嫌がるのは侵略を狙う国家及びその工作員と国籍を排除したいグローバリストたちでしょう。
「国籍の履歴」をオープンにする社会を構築するためには、主権者である国民がそうした要求(要望)をしなければなりません。
「どっちでもいいんじゃないの」とか、「差別になるから公表は避けた方がいい」などという国民が多ければ多いほど、日本国内はスパイにとって天国になります。
侵略がしやすくなるのです。
日本人はGHQの占領政策によって「戦争オンチ」「平和オンチ」にされました。
それは洗脳されたということです。
その洗脳はいまだ解けていません。
スパイを排除しない、国内の工作員活動などから国家を守る、これは主権国家であれば当然のことなのです。
その国家の国民の権利を守るためには必須のことなのです。
現在の日本は、こうした当然の国家観が狂っているのです。
やましいことがないのであり、日本のために働きたいのであれば、国籍の履歴を隠す理由はないはずです。
一方、国民の側も、元の国籍を知った上で日本国民は議員として受け入れ、仕事を与えるべきなのです。
何も隠すことではないのです。
隠すということ自体がやましいことであるのです。
なぜならば、国会議員とは「公人」だからです。
国籍の履歴に関することは、私人におけるプライバシーとはなりませんし、公人である国会議員には該当しません!
《政治家は批判されるのが仕事》
弁護士北村晴男ちゃんねるより引用
それを理由に批判する人がいたとすれば、それは批判させておけばいい。
政治家は批判されるのが仕事みたいなものですから。
どんなに批判されても自分の信念を貫いていく。
これが政治家がやるべき事だと思いますね。
〈主は国民であり、国会議員は奉仕者〉
最近、とある議員は国民から批判されると「訴えるぞ!」と恫喝する姿が世間を騒がせていますが、これは“とんでもない間違い”です。
北村弁護士は、「政治家は批判されるのが仕事みたいなもの」と言っていますがまことにその通りであって、政治家は主権者である国民によって選挙で選ばれた人なのです。
民主主義においては、主権者がいなければ得られない地位が議員という職業なのです。
つまり、主は国民であり、奉仕者として議員が存在するのです。
これは法的根拠を持つものなのです。
日本国憲法前文抜粋
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
権力者である政治家が国民の批判を監視するのではなく、主権者である国民が自分たちの代わりとして政(まつりごと)を任せている議員(政治家)の仕事等を監視するというのが民主主義なのです。
当然、主権者である国民の意にそぐわないことがあれば批判します。
国民が政治家を批判することは法的根拠を持つ正当なものなのです。
これが理解できない政治家がいますが、とんでもない間違いです。
法の秩序というものを理解できないならば、政治家をやる資格はありません!
批判する国民がたとえ自分の支持者ではなくても、批判に耳を傾ける、これは当然のことなのです。
支持者ではない国民から批判されると、批判を「誹謗中傷」にすり替えて訴えるぞと脅すというやり方は中国共産党のやり方です。
まともな人間のやることではありません。
ましてや外患誘致罪の疑いや犯罪行為の疑惑、倫理観にかけた言動、それと日本国民を苦しめる政策などがあれば主権者である国民から批判されて当然なのです。
それでも自分の政治信条、政治信念が正しいというのならば、国民を幸福にした結果を出すべきです。
政治は結果責任です!
国民の生活を守った、国民の自由を守った、国民の人権を守った、国益を守った、自国の主権を守ったなどの結果をだしてから国民に対して何かを言いなさい!
国民の生活を苦しくしておいて、国民からの批判を訴えるなどと脅すような政治は、まちがいなく独裁政治です。
それは民主主義政治ではありません。
日本人はお人好し過ぎます。
主権者の自覚を持たず、自分たちを苦しめる政治家を批判しない日本国民とは、臆病な民族なのかもしれません。
独裁政治が嫌ならば、国民は声を上げることです!
嫌なら、「嫌!」と。
ダメなら、「ダメ!」と。
間違っていると思うなら、「間違いだ!」と。
政治的プロパガンダや洗脳、情報操作によって愚民とされて声を発せない国民がいる国家とは、実は“専制政治国家”なのです。
もう一度言います。
政治は結果責任です。
たとえ悪意がそこになくても、故意ではなく過失であっても、出現した政治に対して結果責任を負うのが政治家というものです。
国民は民主主義国家において主権者であり、政治家はその奉仕者なのです。
リンク先
『弁護士北村晴男ちゃんねる』
「帰化を隠す国会議員について」
最後までお読みくださり、ありがとうござりんす。