『選挙買収事件。河井議員夫妻が公職選挙法違反で逮捕! ~政治家を選ぶ指針を提言する~』

またしても政治家の不正が発覚!】

《現職国会議員の逮捕》

2020年6月18日、前法務大臣の河井克行衆議院議員と妻で参議院議員の河井案里議員が、東京地検特捜部に逮捕された。
容疑は、昨年の参議院選挙における現金配布による票の買収(公職選挙法違反)である。
法秩序を司るはずの法務大臣経験者が率先して法を破ったことの罪は重い。
(現時点では、容疑の段階である。これが冤罪だとしたらとてつもない冤罪となるが、アチキは冤罪ではないと思う。)
この事件で河井夫妻から現金の提供を受けたとされるのは、なんと94人にのぼる。

事件や容疑については、すでにニュースで報道されているので、アチキのほうからは詳しく語ることは省略する。

しかし、ま~呆れるでありんすな!
そして怒りを感じるでありんす!

《明らかになる不正》

問題は、実際に河井克行氏と案里氏が現金を配布して票の買収をしたのかどうかだが、現金を受領したと証言する地方議員などが続出しているようだ。
当初は現金の受領を否定していた地方議員たちも、一転して認め出している。
さらに、そのことで議員辞職する地方議員が出ている。

広島県府中町の繁政(しげまさ)秀子町議は、現金を受領したと証言して29日辞職した。
広島県安芸太田町の小坂真治町長は4月にすでに辞職している。
広島県三原市の天満啓祥典(よしのり)市長も25日に辞職を表明している。

広島県北広島町議会の宮本裕之議長の証言では、昨年3月に克行氏が安倍総理や官房長官が載っている記事を持参し、案里氏を「党本部が応援している」と伝えたうえで、現金20万円の入った封筒を置いて立ち去ったと話している。
宮本裕之議長は、「直感的にこれはお金だなと思いました。絶対受け取っちゃいけないなと」そう思ったがその場では返せず、昨年の夏に関係者を通じて返却したという。
しかし、「道義的責任をとる」として議長を辞任する意向を示している。

公職選挙法では、票を買収する側だけではなく、買収目的で渡された現金を受け取った側も公選法違反(被買収)に該当する
つまり、金を使って票を買う側も、それを知っていて金を受け取る側も法律違反となるのだ。
3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。
罰金刑以上が確定すれば、公民権停止となり、議員は失職となる。

《事件ついての懸念》

夫婦とも現職の国会議員が逮捕されることも異例なことだが、問題は買収された側の人数の多さにある。
報道によると、法曹関係者が今回の事件は特異なケースとして、被買収側は立件されない可能性があることを示唆しているという。

これについてご意見番から一言言っておく。
地方議員とは言え、受け取った側は政治家だ。
政治家が金を受け取るということはどういうことなのか、よ~く知っているはずだ。
知っていなければならないことだ。
それをその場でつき返せない議員ならば、買収の片棒を担いだといわれても仕方がない。
今回、買収された側の人数が多いからと言って、すでに辞職しているからと言って、現金を受け取った地方議員を起訴しないなら、それは法を破ることになる

もし、それをするならば、河井夫妻を逮捕(起訴)する権利はないのではないか?
数が多かろうが、後で返そうと思っていたと言おうが、現金を受け取った時点でアウトだ。
それを政治家は知っていなければならず、知っているはず。
無理やりだろうが、「安倍総理」の名前を出されたから仕方なしに一旦受け取ったと言っても、そうした言い訳は通用しない。
アチキから言わせれば、そんな弱腰の政治家など必要ない、と言っておく。
法律を破り権力を手に入れようとするやり方に屈する政治家は有権者を裏切る罪人である
そんな政治家は必要ない。
とっとと隠居するがいい!

【政治と金の問題】

それにしても今回の公選法違反は以前から指摘されていたが、河井夫妻は白を切っていた。
いや、いま現在も「知らぬ存ぜぬ」を貫き通している。

なぜ、案里議員は選挙法違反を記者に指摘されても平然としているのか?
それは国会議員、地方議員に限らず、政治の世界で現金買収が公然と行われているという事実がそこにあるからだ。
要するに、「みんなやってるじゃないの」ということだ。
「なのに、どうして私たちだけ悪く言われるの?」と思っているのだ。

選挙法違反はあちらこちらで公然と行われているのが実態なのだ。
だから、案里議員は平然としていられるのだ。
だが、それを口にすると罪を自白することになるから、言えないが態度に出ているということだ。

ただ、昔よりは減っているとは思うが、アチキの生まれた町でも選挙買収の話はよくあった。
選挙のときにおにぎりが配られるのだ。
その握り飯を食べると中から1万円が出てくるという仕掛けだ。

国民よ、市民よ、これが現在の政治の実態なのだと知ることだ。
そして、こんな腐った政治家を一掃しなければならないことに目覚めなければいけない。
なぜなら、それが私たちの税金を正しく使うことになり、それが国民、市民の幸福につながるからだ。
不正を平気で行い権力を手に入れる政治家などすべて排除しなければならない!

【政治家を選ぶ指針を提言する】

《徳治主義的民主主義の実現を》

〈政治家を選ぶ2つの基準〉

現在の日本国における政治システムは、投票による民主主義制度となっている。
つまり選挙で誰を選んだのか? 選ばなかったのか? ということは有権者である国民、市民の責任なのだ。
自分たちの生活、幸福と密接に関係している政治家を選ぶことはとても重要なことだ。
よって、アチキから選挙の際に政治家を選ぶ指針を提言する。

国民、市民を幸福にする政治家を選ぶ基準(指針)とは、2つある。
政治家は国民、市民のリーダーである。
つまり、選挙とは国民、市民のリーダーを選ぶことなのだ。
そしてリーダーに必要なのは、「実力(能力)」と「人格(性格)」の2つだ。

まず絶対的に必要な能力は政策能力である。

だが、今回はこの部分を語るのが趣旨ではないので、詳しく語ることを省略する。
少しだけ語るとするならば、議員の仕事は法律や条例を制定し、行政組織の長として陣頭指揮を取ることだ。
だから、国民、市民の生命と財産を守り、生活を豊かにする政策が必要となる。
政策のない政治家など道を知らないタクシードライバーのようなものだ。

今回、アチキが問題にしたのは、2つ目の「人格(性格)」のところだ。
人格(性格)とは、要するに“人間性”ということだ。

一般に有権者が投票する理由はなんだろうか?
所属する政党、政策が良い、学歴が高い、経歴が良い、顔が良い、女性だから、若いから・・・。
など理由は人それぞれだろう。

どうしても現在の投票型民主主義は外見や経歴を第一優先としがちである。
(この場合の外見とは、二枚目とか美人だとか言う意味である)
だが、政治家にとっては政策と人格の2つこそ問われなければならないのだ。

ご意見番は、今後の選挙における政治家を選ぶ基準(指針)として「徳のあるリーダー」を選ぶことを提言する。

政策能力を持った人物であり、なおかつ徳の高い(人格的に優れた)人物を選ぶことを提言する。
これを徳治主義的民主主義という。

経歴や外見によらず、地盤があるかないかによらず、人間的にお手本となるような優れた人間性を持っている人を政治家として選ぶ、ということだ。

「徳」というと、なんだか難しいことを言うな~とか、「徳とか、人間性なんてわからないよ~」と言うだろう。
確かにパッと見は分かりづらいかもしれない。
だが、それを判断基準にしないから、票を現金で買収して権力を手にする議員が出てくるのだ。
また、議員になった後に不正な会計処理をする議員が出るのだ。

そうした税金の無駄遣いや不正な選挙を止めさせたいと思うなら、優れた人間性を持つ人間を議員として選択しなければならないのだ。

アチキは単なる民主主義ではなく、人間性の優れた人を政治家にする「徳治主義的民主主義」を提言する。

それが政治家の不正を失くす最良の手段であり、国民、市民が安心して政治を任せ、自分たちの幸福を守ることになるのだ。

《徳のある政治家を選ぶ》

〈徳のある政治家とは〉

徳とは、古い言葉でいうならば「礼」「智」「信」「義」「勇」そして「仁」である。

えっ、よく分からない?
という人がいるだろう。

アチキの持論は「徳治主義的民主主義」なので、折に触れてこの「徳」について触れていきたいが、今回は「金」に関する論点に絞ってお伝えする。

〈金にクリーンな人物を選ぶ〉

誰しも汗水たらして収めた税金を無駄に使われたくない。
金で票を買うとは、なんたることか!
と思うだろう。

分かり切ったことを言う。
金に汚い政治家を輩出してはいけない。
税金を無駄遣いするような経済感覚の欠如した政治家を輩出してはいけない。
金で票を買うような汚い人間を政治家にしてはいけない。

分かりやすいようで、分かっていないのが「金にクリーンな政治家を選ぶ」ことである。
有権者は、どうしても自分たちの要望をかなえてくれる政治家を押すものだ。
それはいいのだが、その人物が不正に税金を使うかどうかまで判断基準としていないことが多い。
また、現金をもらったから1票入れるという有権者もいる。
それは得するようで大きな損失をしていることに気が付くことだ。

政治家を選ぶ指針で需要なのが「金を不正使用しない」ということ「国民(市民)の血税を無駄にしない経済的価値観を持っている」ことだ。
庶民感覚を持たない政治家、金儲けしようとする政治家を排除しなければ、アチキたちの生活は良くなることは無いのだ。

けんど、金に汚いかどうかなんてよく分からないと思うだろう。
確かに難しいと思う。

だが、それを判断基準としない限り、選挙買収は起き続けると言っておく。
選挙買収を失くしたいなら、政治家を選ぶ基準に人間性を重視するしかないのだ。

〈嘘をつかない政治家を選ぶ〉

「金に汚い人間は、嘘を平気でつく」

金に汚い人間かどうかを見る指針は「嘘をつくかどうか」だ。
裏を返せば誠実な人間であるかどうか、ということだ。
誠実な人間は「嘘」をつかない。

だが、選挙のときは票が欲しいので立候補者は頭を下げ謙虚で誠実に見えるものだ。
「嘘」を見抜くのは至難の業であることは間違いない。
だが、それでも「嘘」をつく人間かどうか、という指針を持たねばならない。

「嘘」はどこに現れるか?
それがはっきりわかるのは、残念ながら当選後のことが多い。
要するに、選挙公約を守るかどうかでその政治家が嘘つきなのか、誠実な人間なのかが分かる。
ただし、努力したが実現まで至らなった点は考慮すべきである。
それは嘘には当たらない。

選挙中に分からないのか?
それを見破ることに繋がることがある。
それは選挙のときに公約、政策を立候補者は語る(主張する)が、そこに直ぐに票につながるような話題(政策)しか話さないか、タブーの政策にまで触れているかどうかが一つの指針となる。
つまり、外交問題、憲法改正問題などの難しい政策、これを言ったら票が集まらないだろうな~、でも必要な政策である、ということを言うか言わないか? 
それがその人物が本当に国民や市民を守ろうとしているのか、自分が当選したくていい顔をしているだけなのかが現れてくる部分だ。
だから、外交問題、防衛問題、減税などの難しく現職の政治家が言いづらい点に触れているかどうかを見ればいい。
そうした問題を避ける立候補者は、国民、市民に上手いことをいって当選したら都合のいいことだけしかやらない。

「嘘」を見破る方法?
本当は確実な方法がある。
だが、とてつもなく難しい。

それは内部関係者に聞くことだ。
立候補者した人が誠実な人間であるかどうかは、その人物を良く知る人間、接した事のある人間なら分かるものだ。
内部や関係者に聞くことができれば、誠実な人間かどうかはある程度判明する。
だが、現状では難しい。

たとえ当選後であろうとも、誠実な人間でない、嘘をついている、公約を守ろうと努力(活動)していないとなれば、次の選挙で落とすべきだ。
それを繰り返すことで、やがて誠実な人間だけが政治家として残っていく
難しくても諦めてはいけない。

結局、金に汚い人間は「嘘をつく」「誤魔化す」「自分の利益を優先的に考える」というタイプの人間なのだ。
「嘘つきは泥棒の始まり」という諺があるように、嘘を平気でつく人間は他人から何かを奪うものだ。
さらに奪っておいて罪を感じないことが多いものだ。

〈公私混同しない政治家を選ぶ〉

金に限らないが、「汚い政治家」「不正をする政治家」に共通する特徴は、公私混同をするということだ。
だから、公私混同するという事実があった人間に投票しないことだ。

〈裏表のない政治家を選ぶ〉

選挙の時はいい顔しかしないもの。
腹黒い人間は、選挙の時に裏の顔は見せない。
これも見破るのは至難の業。
だが、いずれ裏表がある人間は分かってくる。

これもその人物と接した人から印象やエピソードを聞くことで分かってくる。
裏表があるということは、裏にやましい考えがあることであり、裏表がないひとは誠実な性格であることが多い。

〈人間の性格は顔や目、態度に現れる〉

「嘘をつくかどうか?」「裏表があるかどうか?」そんなの選挙の時に分からないよ、と言われるだろう。

アチキも自分で言っていながら、簡単ではないことは百も承知だ。
だが、知ろうと思えば、いずれ分かってくる。
現状の選挙活動状況では、立候補者の人間性まで有権者に非常に伝わりづらいことは間違いない。

だが、
人間の性格(人間性)は必ず外側に現れてくるものである
とも言っておく。

その人間の心は顔の表情、しぐさ、態度、言葉に必ず現れる
特に目には誤魔化しきれないものが現れる。

アチキが今回河井夫妻の事件で気になっていたのは、国会でぶら下がり記者が案里議員に取材をしたときの光景だ。
不敵な笑みを浮かべ、「密、密、うふふ」と言って記者をあしらい、足早に立ち去った。
マスクをしていたので、表情のすべてを見ることは出来なかったが、アチキは案里議員の目が気になった。
さらに案里議員が報道されることになり、過去の写真と最近の写真が報道されていた。
これについて特に思うことがある。
それは現在、または最近の案里議員の“顔つきが悪い”ということだ。
特に“目つきが悪い”ということ。

人間の心は他人から見ることは出来ない。
しかし、顔の表情には心の様子が如実に現れる
「目は心の窓」と言われるように、特に目によく現れる。
目つきが悪いということは、心の中に病んだものがあることを意味するとアチキは思っている。
つまり心の中に邪心があるということだ。

その人物を見分けるポイントに目の表情がある。
目に輝きがあるか、それとも濁っているか。
口からでる言葉はいくらでも誤魔化せるが、本人が誤魔化そうとしても誤魔化せないのが“目”なのだ。
だから、選挙のとき立候補者の目を良く見て、その人柄を読み解くのだ。
言葉で誤魔化されてはいけない。

〈迷ったときの最後の指針〉

金に汚い人間か分からない。
嘘をついているか分からない。
誠実な人間であるか分からない。
裏表がある人間か分からない。
公私混同する人間かどうか分からない。

いったいどうしたらいいんだ?
とおっしゃる方がいると思います。

それなら最後にとっておきの指針を伝えます。
(これは極端な指針であり、すべてには当てはまりません。)

それは「古い政治家を選ばない」ということです。

長く政治家をやっている人は、金や権力に染まっている可能性が高いです。
新人だから全員が金にクリーンだとも言えません。
(逆に長く政治家をやっているから絶対に金に汚いとは言えません)
ですが、迷って迷って決断ができないというなら、これも一つの指針ですと言いたいのです。
そして当選後、金に汚いことが噂されたら次の選挙で落とせばいいのです。
(投票しないということ)

政治家を志した出発点では、純粋だった政治への理想が、“長い物には巻かれろ”で、長く政治活動をしているうちに、長く政治権力の座にあることで、金に汚くなることが多いのです。
だから、どうしても迷ったら、新人の中から目の奥が透明な人を選ぶことです。
選挙活動(街頭演説など)で、誠実そうに見える新人を選ぶことです。
(これは完全無欠の方法ではありませんので、ご注意ください)

【立候補者の人柄が有権者に伝わるようにマスコミは本来の使命を果たすべき】

マスコミは、今回の都知事選挙において「主要5候補」「諸派」と報道し、マスコミの使命である「平等」「公平」な選挙報道をしていません。
これは偏向報道であり、情報操作です。

マスコミの本来の使命とは、立候補者が主張する政策とその人がどんな人物なのかを公平に知らせることにあります。

マスコミは自分たちの都合の良いように政治家を選ぼうとしているのです。
国民、市民は、それに対して声を上げて抗議しなくてはいけません。

河井議員たちが金で票を買収したのと同じか、それ以上の罪をマスコミは行っているのです。
偏向報道は放送法違反に該当します。

マスコミは今回の都知事選で偏向報道した結果の全責任を追うのです。
都民はそのことを忘れてはいけません。

【徳治主義的民主主義のススメ】

能力があって、人格も優れている。
能力もないが、人格も凡庸。
能力があるが、人格に問題あり。
能力はないが、人格は良い。
さあ、どれを選ぶべきでしょうか?

一番良いのは「能力があって、人格も優れている」で、一番ダメなのが「能力もないが、人格も凡庸」であることはわかりやすいでしょう。
ですが、この一番ダメな人が政治家として当選しています。

なぜか?
地盤がある、有名人である、資金がある、与党に所属している、などが理由です。

政治家は指定の選挙区から選ばれる存在です。
個人の実力と性格は非常に大切です。
有名人だから、所属する政党が大きいからという先入観で投票することは、結局は政治腐敗に繋がります。

迷うのは、「能力があるが、人格に問題あり」「能力はないが、人格は良い」の2つのタイプでしょう。
これについては、いくら能力があっても人格に問題がある人物を政治家にしてはいけないと言っておきます。
それならば、むしろ能力はないが、人格が良い人物を選ぶほうがまだましです。
なぜなら不正をしないからです。
(あまり能力がなさすぎるのも問題ですが・・・)

とにかく、人柄など分からないと言っていては、いつまでたっても河井議員のような人物が政治権力を握ってしまいます。
日本人は、精神的なことに関してもっと強い関心を持つべきです。
単なる経歴や所属政党などのみで判断することは盗人に権力を渡すことにもなります。

民主主義の最終責任者は、有権者であることを忘れてはいけません。

「徳」のある人物を選ぶことこそ、これからの選挙に必須のことです。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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