『テレビの裏側と腐敗を生む構造!(後編) 【シリーズ・テレビ局の腐敗を糾弾する2】』

今回も、水島宏明氏の著書『内側から見たテレビ』と中川勇樹氏の著書『テレビ局の裏側』を主な材料として、ご意見番の見解を交えながら、テレビ局の裏側と構造、ヤラセや捏造が発生する原因を追求していきます。
水島宏明氏と中川勇樹氏に敬意を表しつつ記事を書き進めていきます。

まずは(前編)をご覧ください。

【テレビ局は格差社会、テレビ局が決して報道しないこと】

よくテレビで格差社会が問題とされています。
だが、テレビ局こそ「格差社会の代表選手」であるのだ。
テレビ番組を制作しているのはテレビ局の社員だけではないことは周知の事実である。
規模の様々な制作会社の社員、フリーランス、派遣されてきたスタッフなど、所属と待遇がそれぞれ異なる人たちが一つの番組を支えている。

《テレビ局が決して報道しない格差とは?》

テレビ局は同じディレクターの仕事をしていても、正社員と子会社や外部社員との間に、大きな待遇の格差がある。
テレビ局がいわゆる社会のなかの「格差」を報道することはあっても、自分たちの業界の格差のことに触れることは皆無である。
テレビ局社員の給料が視聴者の平均を遥かに上回ることを触れることも絶対にない。

実は、テレビ業界内は、他の業界よりも格差が類を見ないほど深刻な「格差社会」なのだ。

制作会社のテレビマン同士が酒を飲むとき、その場にテレビ局の社員がいない場合に限った定番の話題があるという。

「あいつADさえまともに出来ないのに、俺より給料高いんだぜ」

「あのプロデューサー、毎日、新聞読んでるだけで年収1200万だよ」

「車両配送のおっさん、部長待遇らしいから年収1000万超えてるってことだろ、バイトで出来る仕事だぜ」

(中川勇樹著『テレビ局の裏側』より)

テレビ業界の人間は、脚下照顧して自分たちの格差社会と向き合うことが必要である。

《テレビ業界に幅を利かせる身分格差》

経費などもテレビ局の社員と制作会社の社員では違いがある。
テレビ局の社員が取材で地方に出張に行くと、1日いくらという出張手当が出る上に、宿泊費規定もあり、そこそこのホテルに泊まれる。
一方、制作会社の社員は、手当が出る大手もあるが、額は低い。
中小の制作会社やフリーランスには、手当などあるわけもない。
すると、同じ番組のスタッフなのに「身分」によって泊まれるホテルに差が出るのは当たり前なのだ。

こうした「身分」は、仕事内容や「出世」にも関係している。
局の社員は新人でも、数か月から1年程度でADからディレクターになり、順調にいけばプロデューサーやチーフディレクターに上がっていくが、制作会社のスタッフはどんなに優秀であっても曜日ごとの演出責任者である「曜日チーフ」止まりである。

局の社員は、時間外手当や住宅費補助など様々な制度があり、入社1、2年目の新人でも月30万円を軽く超える。(いまはどうでしょうか?)
時間外労働などの状況によっては40万円を超えることもある。
だが、大手制作会社なら20~25万円、中小や派遣になると15~18万円程度となる。

結局、テレビ局社員はADでも年収700万円以上になることもあるのに比べて、小規模制作会社や派遣社員では200万円台の人もいる。

収入において、同じ仕事をしているのにこれだけ格差がある業界が他にあるだろうか?

もちろん、実力が物を言う世界は別である。

テレビ以外の業界や職種でも、発注者側の大手企業と下請けとでは給料格差が存在する。
しかし、テレビ業界の格差ほど極端で、恒常化しているものは少ない。
ほぼ、同じ仕事、同じ職種、同程度のキャリアで3倍以上も給料格差が存在する事例がごろごろしている。
つまり、テレビ局の給料は、大手商社や大手銀行など日本を代表する巨大企業並みなのだ。

また、テレビ業界の構造は、大手キー局が制作会社の大手に発注し、その会社の依頼で数社の小規模制作会社がスタッフ派遣や孫請けという形で受注する形態を取っている。
こうした構造はさまざまな業種で存在するごく当たり前の構造だが、実はこうした構造は社会問題として取り上げられない。
それは取材、放送するテレビ局などのメディアこそ給料格差・身分格差となっているからだ。

要するに、身分格差がどの業界よりも顕著なのがテレビ業界なのだ。
特権階級的な意識がテレビ業界関係者にはあるのだ。

《テレビ業界の男女格差》

テレビ局というと思い浮かべるのが「アナウンサー」ではないだろうか。
世間では「男女平等」がさんざん話題になり、女性の社会進出も進みつつある。

だが、テレビ局には世間とは逆の男女差別が存在する

男性の新人アナウンサーは、報道ではまずニュースの原稿読みから始まる。
それも当初は顔出しではなく、ニュースのVTRに合わせて原稿を読む「オフコメ」や「陰ナレ」と言われる声だけの出演となる。
情報番組だと、リポーターとして、小さいコーナーの取材を担当することもある。
スポーツなら実況を行うアナウンサーのサブアナとして、データの整理や情報収集などを行う裏方仕事からスタートするのが普通である。
その後、リポートなどを担当しても、放送に出るのは名前と声だけ。スタジオ進行役などを務めて顔と名前をきちんと認識してもらえる存在となるのは遠い先のことである。

一方、女性アナウンサーは若い頃から大きな仕事を任されることが多い。
女性アナウンサーの場合、新人でも大物司会者の横に座るアシスタント役を任される。
バラエティー番組では、有名タレントの横で進行役を務めることもある。
これを称して「タレント化」という。
テレビ局は視聴者の関心を集めるために自社の女性アナウンサーを一種の商品として、アイドル性やタレント性を積極的につくり出し、利用していく。

ただ、長い目でみれば男性アナウンサーのほうがいい場合もある。

最近では、女性アナウンサーが動画サイトでアナウンサー業務とはまったく関係ないことをして世間の注目を浴びようとすることまで行われている。
これも自社の女子アナをタレント化することで、視聴者の関心を自局に集める手法である。
だが、アナウンサー業務と関係ない動画配信に疑問と不満を持つ女性アナウンサーも出ている。
それでもテレビ局側は、視聴率が取れる方法があればなんでもやるという姿勢を崩していない。

だが、この女子アナにも落し穴がある。
女子アナの世界には「30歳定年」という言葉がある。
文字通り30歳手前から仕事が少なくなり、若手に仕事を奪われていくことを意味する。
女子アナの場合、フリーになってさらに稼ぐことも、スポーツ選手や芸能人と結婚して幸せな結婚生活を送ることもできる。

だが、終身雇用制をとっているはずのテレビ局で、定年まで女子アナとして勤めたという事例はほとんどない

旬が過ぎれば後は結婚するなり、フリーになるなり、地味な仕事をして会社員として生きるかが問われてくる。
この女子アナにおける就業実態は、旬のときだけ利用して、後はご勝手にと言っているに等しいのではないか?
これで人ひとりの人生を真剣に考えていると言えるのだろうか?

男性アナウンサーは、年齢とともに地位と収入が上がっていくが、女性アナウンサーは、花咲く時期だけ使われて、あとはポイ捨てのように扱われるのが実情だ。

《テレビ局にも天下りは多く存在する》

テレビでは、官僚(役人)などの天下りが批判のやり玉になることがある。
だが、テレビ局とその関連会社、制作会社の間にも「天下り」が多く存在する。
さらに、その構造にはテレビ局と密接な関係にある大手新聞社やラジオ局も関係している。
たとえば、テレビ朝日の歴代社長の多くが、朝日新聞出身者である。

テレビ局で取締役クラスに出世して地方局などへの天下りに成功すれば、生涯賃金が1億円以上増えると言われている。
テレビ業界は役人の甘い汁を吸うやり方を表では批判しながら、実は自分たちで同じことをしているのだ。

【テレビで「やらせ」「捏造」が起きる背景に迫る】

《テレビ業界の仕事を下に流す構造によってなにが起きるか?》

テレビ番組の制作は実質的に下請けの制作会社に委託し、制作会社がさらに孫請けの制作会社に仕事を流す。
こうした構造になっていることでなにが起きるか?

■辛い、キツイ仕事は下請け、孫請け会社に行くことになる。
■発注先企業が現場仕事から離れることで、現場の仕事が分からなくなる。
■下請け、孫請けに仕事を出すことで優越感をもつようになり、いつの間にか横柄な態度や傲慢さを生み出す土壌となる。
■実際の番組制作を下請け、孫請けにさせることで、番組制作において発生する不祥事の直接的な責任を発注先のテレビ局が避けることができる。
(つまり、責任転嫁、責任の自覚が薄れる)

上記のことが「やらせ」「捏造」を生み出す要因となっているのは確かだ。

テレビ局(キー局)は、問題が起こると可能な限り外部関係者の責任にすることで事態の収拾を図ろうとする志向を持っている

実際は、局社員の「指示」があったにもかかわらず、制作会社が処分を負わされたケースが何度もあるという。

こうした構造によってテレビ局はいわゆる「美味しいところ」だけ取って「美味しい思い」をしている、と同時に不祥事があっても自身に傷がつかないような構造的にしているのだ。

このことでフジテレビは、「テラスハウス」「あいのり」などの「やらせ」問題も、「世論調査不正」問題も、結局のところ責任は下請け、孫請けした制作会社にあるとして自らの責任を回避しているのだ。

《『あるある大事典』の捏造》

世間を大きく騒がせた『あるある大事典』の捏造事件を制作した番組制作会社のディレクターは、捏造の過程を振り返ってこう語った。

「とにかく面白くしたい、視聴率を取りたいとの思いから捏造に手を染めた」

『あるある大事典』の捏造では、捏造の主な原因は1人のディレクターにあるものとされた。
捏造検証の番組では、捏造に到った経緯が紹介されたが、それは「プレッシャーに追い込まれて捏造に走った」と説明されていた。
つまり、「視聴率が取れる面白い番組を作る」というプレッシャーが制作会社のディレクターにかかっていたということだ。

そのプレッシャーをかけたのは誰か?

検証番組では、その点には一切触れていない。
つまり、制作会社のディレクター個人の責任であるかのような結末としたのだ。
ここに悪質なテレビ局の本質と構造がある。

《孫請けの制作会社は視聴率によってのみ評価されるシステム》

大手テレビ局が大手制作会社に番組制作を依頼すると、さらに孫請けの制作会社に番組制作を依頼するという図式があることはすでに指摘したが、孫請けの制作会社は複数存在し、順繰りに仕事がまわってくるわけではない。
孫請けの制作会社が仕事の依頼を受けるために必要なのが「なにがなんでも視聴率を取れる番組制作」となる。
つまり、下請けの制作会社も孫請けの制作会社も評価される基準は「視聴率」しかないのだ。

視聴率のよい番組を作る制作会社は安定して定期的に仕事をもらえるが、視聴率の悪い制作会社の企画は通りにくくなり、制作依頼頻度も当然ながら低くなる。
時には新しく制作会社が登用されたり、成績の悪い会社が外されることも起きる。
だから、下請けの制作会社、孫請けの制作会社は、なにがなんでも視聴率を取るために「やらせ」「捏造」に手を染める。
制作会社からすれば、「視聴率=金」でしかない構図が存在している。

この構図はある意味でテレビ放送事業と深くかかわっているので仕方がない面もあるが、その本質において「やらせ」「捏造」が発生する要因でもあるのだ。
この構造からすると「やらせ」「捏造」が起きないほうが不自然だという見方もできる。
つまり、視聴率しか評価するものがない以上、「やらせ」「捏造」が起きて当たり前の構造となっているのだ。

《演出とやらせの境界線はない》

「テラスハウス」に出演していた木村花さんが番組内での行為をネット上で誹謗中傷され自殺したことで、フジテレビは正式な回答として「やらせ」はなかったとした。

だが、あるテレビ局の放送マニュアルには「やらせと演出の間に明確な境界線はない」と記載されているという。

このことを世間の人は知るべきです!

「演出」という言葉は元々演劇用語であり、ニュース番組や情報番組はもとより、テレビ番組(ドラマを除く)に使用する表現ではない。
テレビ局側は、取材、撮影した素材を編集したりする“工夫”を演出と認識している。
つまり、視聴率をひきつけるための構成、順序の入れ替えなどの編集をあたかも企業努力かのように認識している。
そこに真実か真実でないかの倫理は働かない。

テレビ局にあるのは「面白ければそれでいい」という価値観であり、「視聴率が取れればそれでいい」という価値観なのだ。
だから、そもそも「やらせ」と「演出」の区別など初めから認識していないのだ。
これは大きな問題である!

【テレビ局は報道機関】

《報道機関としてバラエティー番組ばかり作れない事情》

地上波テレビ局は、報道機関であり、災害などの緊急時にその役割を果たすことで公共の電波の使用権を独占的に認可されているビジネスである。

従って、現在の日本の地上波放送局は、ある程度の割合でニュースなどの報道番組を流さなくてはいけない。
だが、真面目で硬いニュース番組は、一部の関係する人たちの興味をひくのみであまり視聴率を期待できるものではない。
そこで、ニュースを主体としたバラエティー番組として番組を放送する。
(例えば「サンデージャポン」など)

つまり、ニュースを扱うものであってもそこに面白可笑しくする要素を入れることで視聴者の興味関心を惹きつけようとするのである。
だが、そのことによって「やらせ」「捏造」が入りこむ余地が出来てしまうのだ。

NHKのように純粋なニュース番組を制作、放送できない(しない?)民放テレビ局の抱える事情も「やらせ」「捏造」に影響を及ぼしている。

【テレビで「やらせ」「捏造」が起こる理由は?】

《テレビ業界に存在する信仰とは?》

さまざま述べてきたことが、事実でないことを捏造してまでも視聴率を取ろうとするテレビ番組の裏事情である。

テレビ局には「視聴率信仰」が存在している。

「視聴率」というものがまるで神様のように存在し、すべての思考と行動が視聴率確保のために集約されていく。
それがテレビ局で起こる「やらせ」「捏造」などの不祥事の発生原因である。

倫理と哲学、または真理的価値観のないテレビ番組制作は、視聴率という1本の軸で動く利益主義集団となり、「公平」「公正」であるべきはずの報道機関としての役割を放棄してしまう。

アチキは「視聴率」を取ろうとすること自体を否定しない。
大切なことは、倫理や人としての良心を守ったうえでの番組制作である。

《憲法にない「報道の自由」》

テレビ局に限らないがマスコミが勘違いしていると思われる点がある。
テレビ局は、たしかに報道機関としての使命を担っていて、それによって放送法に定める許認可を受けている存在(ビジネス)である。
そして、テレビ局がなにかあったときに金科玉条として持ちだすのが「報道の自由」であろう。

だが、間違ってはいけないのは、「報道の自由」は憲法に規定されているものではないのだ。

日本国憲法21条第1項には

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

と規定されている。

そこに「報道の自由」は存在していないのだ。

「言論の自由」と「表現の自由」はあっても「報道の自由」は認められていないのだ。
これはテレビ局がさまざまな社会問題を取材、放送する際に明確な根本的な法的根拠を持っていないということだ。
「言論の自由」と「表現の自由」は、マスメディア以外の芸術活動、言論活動などにあてはまり、テレビ放送の番組だけの問題ではない。
しかし、「報道の自由」がさすことは、ほぼマスメディアのこととなる。
憲法では、マスメディアに対して「報道の自由」という「自由」を保障していないのだ。

結局のところ、テレビ放送とは、総務省から免許をもらって営業しているビジネスでしかない。(5年に1度、放送免許の更新を受けなくてはならない)

反面、報道機関としての使命をあわせ持つ、ややこしい存在でもある。
この相反する側面を持つのがテレビ局なのだ。

これが意味するところは、テレビ番組の編集は自由でもテレビ局自体は法律的に自由な存在ではないということだ。

重要なことなのでもう一度言う。

「報道の自由」とは、憲法で保障された自由ではないのだ。

あくまでも公的機関としてその役割を期待されている社会的責任でしかないのだ。

テレビ局が制作する番組でも「ドラマ」「クイズ番組」「バラエティー番組」と「ドキュメンタリー番組」「ニュース番組」「報道を主体とする番組」では、自由度が違ってくる。
フィクションであることをうたっているドラマやバラエティー番組では、現実にはあり得ない演出や企画、ストーリーがあってもいいだろう。

だが、現実社会で起きるニュースを扱う報道機関としての役割を果たすときに、「演出」という名の「やらせ」「捏造」があってはならない。

ここで問題となるのは、昨今のニュースを扱う番組に純粋なニュースを報道する番組ではなく、ニュースを扱うバラエティー番組が増殖したことだ。
朝から夕方まで各局で放送されているワイドショーと言われるものがそれである。
ニュースを扱ってはいるが、番組としては「バラエティー」であることで、過剰な演出や嘘が混じり込む。

また、「リアリティー」をうたった番組では、演出など一切あってはならない
スタッフから「指示」や「提案」などが一言でも入れば、それは「やらせ」「捏造」となる

悲しいかな、いまのテレビ業界には、その「やらせ」「捏造」と「演出」の区別をつける知恵がない。

視聴者の生活を豊かにし、娯楽的面白さを提供するのがテレビ局のビジネス的側面であるならば、真実を伝え、社会問題の解決へと導くことが報道機関としての責任でもある。

《テレビ業界人へのメッセージ》

テレビ局にあるのは「報道の自由」ではない。
「報道の責任」である。
「自由」ではなく「責任」なのだ。

政治家の不正や企業の不祥事を暴き、人々を不幸にした事件を放送する根本にあるのは、「報道の自由」ではなく、視聴者の生活と安全を守るという「報道の責任」である。

テレビ局の番組制作は、視聴率を取るための自由ではなく、視聴者を楽しませ、知識や情報を提供することで生活の手助けをする責任において行われることであることを自覚してもらいたい。

「報道の自由」という間違った思想が業界に存在するからこそ、視聴者に本当に必要な情報を伝えずに視聴率を取りに行く番組が制作され続けるのだ。
自由ではなく、知らせるべき事柄を知るべき人に伝える責任がテレビ業界の精神的支柱でなければいけない。

宗教の世界では有名な話だが、悪魔は人間を誘惑する際に使用する言葉がある。
それが「自由」だ。
間違った自由は、堕落への道である。

テレビ番組制作は「自由」のもとに行われるのではなく、報道においては「真実を知らせるため」「視聴者への啓発のため」にあるべきであり、娯楽番組は「視聴者の心を豊かにするため」「生活を潤すため」にあるべきである。
すべては、視聴者のためになる番組を制作するという責任において行われることである
間違った自由を捨て、責任を自覚するべきである!

最後までお読みくださり、ありがとうござりんす。


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