木村花さんの死後にTwitterで侮辱発言(誹謗中傷)をした男性に129万2000円の支払いが命じられた!
《木村花さんの母、響子さんの損害賠償請求訴訟に決着》
5月19日、木村花さんが亡くなった後、Twitterで花さんを誹謗中傷する投稿(ツイート)をしたとして、花さんの母・響子さんが東京地裁に損害賠償を求めた民事訴訟(池原桃子裁判長)で、投稿者に慰謝料など129万2000円の支払いを命じる判決がくだされた。
被告男性は反論もせず、答弁書の提出もなく、裁判を欠席した。
長野県在住の被告男性は花さんが亡くなった後に以下のような侮辱的な発言を投稿していた。
(アカウント名は「りりめろ」という情報がありますが、真偽は定かではありません)
「テラハ楽しみにしていたのにお前の自殺のせいで中止。最後まで迷惑かけて何様?地獄に落ちなよ」
この投稿を母・響子さんは許せなかった!(当然)
このツイートが花さんに対する侮辱的表現として、社会通念上許容される限度を超えていると判断。
遺族である響子さんの「敬愛追慕の情」を侵害しているとして、男性に対し、慰謝料200万円などを含む約294万円の損害賠償を求めていた。
判決分によると、東京地裁(池原桃子裁判長)が下した損害賠償は以下のとおり。
遺族響子さんに生じた精神的苦痛に対する慰謝料として、50万円と算定。
弁護士費用を5万円と算定。
Twitter社などに対する開示請求訴訟で要した費用74万2000円。
つまり、129万2000円の支払いと言っても、経費等を除くと実質のペナルティ(慰謝料)は、たったの50万円なのだ。
しかし、響子さんの代理人弁護士の清水陽平氏によると、慰謝料50万円という損害賠償は、これまでの判例と比べると“高い”のだという。
多くのケースで数万円程度、多くても10万円程度だという。
清水弁護士は、響子さんの訴訟において50万円という金額が認められたことは、今回の事案の重要性が認められたとする意見を述べている。
木村花さんを死に追い込んだ罪(誹謗中傷)の認定が軽すぎる!
《花さんを死に追い込んだ男たちの罪が軽すぎる!》
木村響子さんの訴訟は長野県在住の男性だけではない。
他にも訴訟案件が2件ある。
一つは、大阪府の20代男性(2021年3月)で、8回にわたり花さんに「テレビ、ネット、社会でもいきてるだけで笑いもの」「ねえねね。いつ死ぬの?」などと投稿したことにより侮辱罪で略式起訴された。
もう一つは、福井県の30代男性(2021年4月)で、花さんのTwitterアカウントに複数回投稿し、「死ねや、くそが」「きもい」と侮辱発言を繰り返していた。
警視庁捜査1課の捜査によると、花さんに寄せられた書き込みのうち約200アカウント、300件の投稿を誹謗中傷と判断している。
しかし、ここに大問題がある!
花さんに向けられた誹謗中傷の多くが名誉棄損罪に問うことが難しく、刑事罰がもっとも軽い「侮辱罪」に適用されている、ということ。
大阪府の男性と福井県の男性の場合も、「侮辱罪」で刑事処分は受けたが、罰金としては、たったの科料9,000円(略式命令)にとどまっている。
9,000円??
はっ!
交通違反ですか?
9,000円というのは一部の交通違反より軽い科料です。
あり得ません!
清水弁護士に抗議します!
法曹界の前例主義もいい加減にしなさい!
たった一人の家族を失った悲しみが、たった9,000円ですか?
大切な娘を「死に追い込んだ者たち」への罰がたったの9,000円ですか?
もちろん、200アカウントもの大勢の人たち全体に罪があり、大阪府、福井県、長野県の3人の男性だけの責任ではない。
だが、人ひとりを「死に追いやった罪」がたった9000円?
それが現時点での法曹界の“命の重さへの認定”なのですね!
それが大切な娘を奪われた遺族への“法の対処”なのですね!
《法曹界の人間へのメッセージ》
軽すぎる!
間違っている!
法律を改正するべき!
法曹界も改革すべき!!
意識変革をするべき!
被害者の無念を晴らすことよりも加害者の更生を優先する法の裁きは間違っている。
遺族救済よりも加害者への配慮を優先する法曹界の慣習は間違っている。
法律には限界があり、法律を逸脱することは許されないが、法律以前に人として大切なものがあることを法曹界の人間は悟るべき!!
机上の知識(六法)だけではなく、「人間とは何か」「人間の本質とは何か」「人間としての正しい生き方とは何か」ということを、他人を裁く法曹界の人間たちは学ぶべき!
木村花さんが誹謗中傷されて自殺した後でも絶えることのない誹謗中傷!
《花さんを誹謗中傷した多くのアカウントが不安と恐怖に怯えている》
現時点で、起訴されたのは、たったの3件。
花さんに対して悪質な誹謗中傷をした人間たちは、いま毎夜、震えて眠りについていることだろう。
自分が響子さんから訴えられないかと、毎日不安と恐怖に追い込まれていることだろう。
その中には、後悔し、自らの愚かさを反省している者もいるだろう。
だが、
「イタズラでは済まされないことがある」
「冗談では済まされないことがある」
「軽はずみでは許されないことがある」
「やっていいことと、やってはいけないことがある」
「後戻りできないことがある」
「取り返しのつかないことがある」
それが分らないのか???
《安易に他人を誹謗中傷する人間には邪悪性が潜んでいる》
Twitterを覗いていると思うことがある。
喧々諤々意見続出、議論奮闘、非難(批判)の応酬合戦。
正当な論争と非難合戦が織り交じっている。
その中には誹謗中傷も顔を出す。
注目すべきは、悪質な言葉をSNSなどに放つ人たちの邪悪性である。
(あくまでもご意見番が知る限りにおいて)
彼らにはある特徴がある。
その特徴を精神科の医師であり、心理療法カウンセラーであるM・スコット・ペックの言葉を借りる。
(著書『平気でうそをつく人たち』より)
「邪悪な人間には自分の邪悪性を他人に投影する性癖があるという事実である」
「自分自身の罪深さに目を向けることのできない、あるいは目を向けようとしない彼らは、他人の欠点を責めることによってその言い逃れをしようとする」
つまり、ネット上で安易に他人を誹謗中傷する人間は、自分の罪に対して自覚症状はなく、代わりに他人を「貶めること」「蔑むこと」「傷つけること」を無神経に行う、ということである。
ネット上で安易に他人を誹謗中傷する人間には邪悪性が潜んでいるのだ。
その邪悪性を修正・更生させることは容易ではない。
なぜなら、そうした邪悪性を持つ人間たちは「自分の罪を認めない」または「自分の罪を自覚しない(目を背ける)」からだ。
世の中から誹謗中傷を撲滅するために必要な「考え」と「社会のあり方」とは?
《ネットの世界は日常世界の一部にしかすぎない》
ネット上の誹謗中傷は無くさねばなりません。
木村花さんのような犠牲者を二度と出してはなりません。
ネット上の悪質な誹謗中傷には、今後、法を整備し厳罰化しなければなりません。
しかし・・・。
身もふたもないことを言ってしまうと、それは至難の業であるのです。
誹謗中傷はなにもネット上だけで起こっているわけではありません。
ネット上は安易にそして容易に他人を誹謗中傷することができるので、そうしたことが多く発生し、世間から注目されますが、ネット以外の社会生活においても誹謗中傷はあるものです。
誹謗中傷を撲滅するために考えるべき一番重要なことは、「誹謗中傷する言葉は人の心の中から生じている」ということです。
人の心に他人を「憎む心」「嫌悪する心」「中傷する心」などがある限り、ネット上の誹謗中傷は完全に止むことはないでしょう。
それを別の例えで言うならば、「人を殺してはいけない」ということは人類の共通意識のはずですが、殺人が世の中からなくなったことはありません。
殺人は社会悪だと誰もが思っています。
殺人は法律で裁かれます。
殺人罪の規定があります。
なのに、殺人をする人間が絶えないのです。
結局、ネット上の誹謗中傷は「ネット上のこと」と区別したり、特別な世界の出来事と思ったりしてはいけないのです。
ネット上の誹謗中傷は、現実世界で起きる人間関係の延長でしかありません。
「ネット上」という特別な空間があるようで、本当はないのです。
(意味わかりますか?)
ネット上の世界(SNSなど)は、現実世界、日常世界の一部でしかないのです。
ですが、ネット上で安易に誹謗中傷する人たちはそうした感覚がマヒしているのです。
ネット上の世界が「どこか現実ではない特別な世界」のように錯覚しているのです。
ネット上の世界などというものは、存在しません。
現実世界の一部でしかないのです。
相手の顔が見えなくても、知らない人と簡単に瞬時につながろうとも、それは日常世界の一部でしかないのです。
それを自覚することが非常に重要です。
その自覚がないから、平気で「死ね」「消えろ」などと投稿できるのです。
ネット上で平気でそうした罵りの言葉を吐ける人間は、逆に普段の生活では普通の人間、おとなしい人間、常識的な人間を装っているかもしれません。
普段の現実世界(ネット空間以外のこと)での吐け口として、ネット空間を利用して他人を誹謗中傷しているかもしれません。
対面で言えない言葉は、ネット上でも言ってはダメなのです。
相手が目の前にいたらケンカ(または騒動)になる言葉を吐ける、ということは、その人は日常空間から心が離れ、別の異次元空間に漂っているのです。
この感覚のズレは難しいものですが、直さねばならないものなのです。
《ネット上の誹謗中傷の撲滅に必要なものは「心を大切にする社会」の実現》
上記の前提を踏まえて、なお、あえて「ネット上での誹謗中傷の撲滅」を考えるならば、非常に大切な考え、価値観があります。
それは「人間とは肉体ではない」「人間の本質は心」「人間存在とは精神的な存在」であると社会全体が認めることです。
「人間は死んだら灰になって終わり」という唯物論から間違いは起きています。
唯物論だから、死んだらなにもない、だから、死んだ人間よりも生きている悪い奴らのことを考えよう(更生)、となるのです。
殺された人が魂となり、無念、苦しみに打ちひしがれているとは思わないから、平気で被害者を無視したような裁判が行われるのです。
身体への危害は法で罰するが、心への危害へは法の規制も罰もほぼ存在しない世の中となっているのです。
だから、精神的な苦痛への無理解、人間の心への傷害への軽視が発生するのです。
人間の存在は「心=魂」であり、身体を傷つけることと同様に「心を傷つけることは悪なのだ」という価値観が世の中に浸透しなければ、ネット上の誹謗中傷はなくならないでしょう。
顔も名前も知らない相手、会ったこともない相手が自分を誹謗中傷してくる。
それがネット上での恐怖です。
それはある意味では、対面で言われるよりも心が傷つきます。
耳で聞く悪口よりもネット上での誹謗中傷は、その言葉がまるで空間に実態を持って存在を現わしたように、その時間に深く刻まれて存在してしまいます。
唯物論、左翼思想、科学万能主義、これらを排除し、人間の存在が心(魂)なのだという価値観が常識とならねば、心を深く傷つけるネット上の誹謗中傷は止みません。
人間とは「心」であると認識しなければ、「身体を傷つけることは悪いことだが、精神的に傷つけることは許される」と思ってしまい、SNS上で誹謗中傷するのです。
他人を平気で誹謗中傷する人は、「精神的な傷害」に対して、ものすごく鈍感なのです。
無神経なのです。
そうした方はネット上だけ無神経なのかといえば、そうではありません。
対面での接触では仮面をかぶって接する、口では嘘を言って本心を誤魔化しますが、その邪悪性はその人の心の奥底に存在しています。
結局、ネット上で他人を平気で誹謗中傷する人は、心に邪悪性を持った人なのです。
その心の邪悪性を認識し、邪悪性を排除しなければ、そうした人たちよる誹謗中傷はなくならないのです。
刑法が厳として存在しているのにも関わらず、「オレオレ詐欺」「殺人」「窃盗」「強姦」「薬物使用」などが絶えないことと同じなのです。
心の価値を認めないから、花さんを誹謗中傷した男性への罰は9,000円の科料なのです。
心の価値を認めないから、遺族の響子さんへの慰謝料がたったの50万円なのです。
ネット上の誹謗中傷を撲滅するために最重要なことが「心の価値」を認めることです。
「心を大切にする価値観」が浸透しなければ、ネット上の誹謗中傷は止まないのです。
「心の価値を認める社会」になることがネット上の誹謗中傷の撲滅には絶対に必要なことなのです。
心を傷つけることは身体を傷つける以上に悪いことだという価値観が浸透することが、ネット上の誹謗中傷撲滅の大前提なのです。
〈お知らせ〉
『めざせ誹謗中傷の撲滅』はシリーズ化することにしました。
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『「意見」と「悪口」、「批判」と「誹謗中傷」の違いを見分ける指針。 ~ネット活動における指針~』
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