はじめに
「プロパガンダ・リテラシー」とは、一言でいえばプロパガンダを見抜く方法という意味です。
「ディープステート」や「陰謀」を信じない人々はいまだに多く存在します。というよりも陰謀を信じない人たちで溢れているといったほうが正確でしょう。なぜ信じられないのかと言えば、「カバー」されているからなのです。“カバー”とは、本当のことを知られないようにする、真実に蓋をする、虚構を信じさせることで隠す、という意味です。
陰謀を信じない人たちは、世界にプロパガンダが溢れているということも信じないのかもしれません。プロパガンダとは政治の世界、戦争時だけにあるものではなく、日常のなかに潜んでいるものなのです。ですが、“それ”とは気がつかないためにまさか自分がプロパガンダの見えない糸に絡め取られているとは思わないのです。
ディープステート=グローバリストと戦うためには、「プロパガンダ・リテラシー」が必須です。
彼らが「思想戦」を得意としていることを知ることからはじまり、彼らの思想戦に対抗し打ち破ることによってのみ、本物の自由と正しい意味での人権は獲得できるのです。
私から見れば、ディープステートと戦っていたり、真実を世に出している人たちの中にさえもプロパガンダの蜘蛛の糸に絡み取られていると映っています。
ある出来事には正しい判断をしているのに、別の問題となるとディープステートの思惑通りの判断をしている人たちが多くいます。
また、戦後の日本を支配するディープステートが仕掛けた「洗脳作戦(プロパガンダ)」によって、間違った価値観、歴史観を植えつけされられている人たちも多くいます。
そういう人たちに、こう言ったら烈火のごとく怒るでしょう。
「あなたのその価値観は洗脳された結果です」
まさか自分が洗脳されているとは思ってもみないものです。
ですが、ディープステートとは必ず思想戦(情報戦)から入ってくるのです。
その思想戦には必ず洗脳=プロパガンダが含まれているのです。
超手短に言ってしまえば、ディープステート(陰謀団)とは、「洗脳によって世界を支配している」と言えるのです。しかもその洗脳は人々が思考をコントロールされているとは思わない形で形成されているのです。
この記事を書こうと思った直接のきっかけは、日本の政界に危険な政党が勢力を拡大しているからです。
私から見れば、その党首および政党は「プロパガンダの名手」と見えます。
ヒトラーなどの独裁者に共通することとして、人々を熱狂させる方法を心得ていることがありますが、別な言い方をすると「プロパガンダが得意(上手い)」ということです。
プロパガンダという意味を正しく理解しつつも、プロパガンダに踊らされない思考を持つために今回の記事を書きました。また、続編(第二弾、第三弾)も書く予定です。
私は普段から、ディープステート(陰謀団)の嘘を見抜くことが重要だと指摘していますが、ではどうすればいいのかと考えている方もいるかもしれないと思い今回の記事をお送りすることにしました。
今回の記事はディープステートによるプロパガンダを直接あつかうものではなく、もっと広い意味でのリテラシーとなっています。
ネットの発達、およびSNSによっていままでにないプロパガンダが発生しています。それは「個人発信のプロパガンダ」です。現代に生きる私たちは「プロパガンダが飛び交う空間で生きている」ということを自覚することが必要なのです。その自覚無くして「自由」は守れないのです。
なお、書籍『プロパガンダの見抜き方』から学びつつも、烏賀陽氏の主張を全面的に受け入れているわけではありません。正直「違うな」と思うところもあります。ですが、プロパガンダというものを考えたことのない人、プロパガンダというものを学んでみようと思う方にとっては良い教材だと判断しています。そうした土台の上に私の独自見解を展開して記事としています。
そのため著書の中から特定の部分に焦点を絞っているので、烏賀陽氏の体験等は省いてあります。詳しく知りたい方、興味がある方は著書を購入してお読みください。
参考書籍は、烏賀陽弘道氏の著書『プロパガンダの見抜き方』です。
プロパガンダとは何か?
《プロパガンダとは何か?》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
・プロパガンダとは、発信者が多数の受信者に向けて、明確な意図・目的を持って発信する情報を指す。
・伝達手段にはマスメディアが用いられる。
・その意図・目的とは「情報の受け手の思考や感情、行動を発信者にとって好ましいように誘導・変更する」ことである。
・その意図・目的は表面からは隠されていることが多い。
・従って、その意図・目的を知らないままに情報を受け取り、処理をすると、自覚しないうちに、発信者の思うままに思考や行動を誘導される可能性がある。
・発信者は政府・企業が主であるが、SNSの普及した今日では個人であることが増えた。
〈プロパガンダには隠された思惑がある〉
烏賀陽氏はこう指摘している。
「その情報を流す側には何らかの思惑がある」
通常というか政治関係、国際情勢の情報をマスメディアが流す場合、「意図」「狙い」があると考えるべきであり、それは表面上、文面からは“見えない”ようになっている。
だから、マスメディアが流す情報には、「思惑」「狙い」があることを前提として見る必要があり、そのための力が「プロパガンダ・リテラシー」だということ。
プロパガンダとは何か?
烏賀陽氏の見解では、「相手の思考や感情を自分に有利に誘導・説得するスキル」となる。
私の言葉で言うと、「大衆をコントロールするために感情、価値観、思想を情報の受け手に信じ込ませる洗脳または情報操作または印象操作」となる。
プロパガンダにも度合いがあり、宣伝から始まり、印象操作&情報操作→思考操作→洗脳、と進むにつれて強度が増していく。発信者の望む結末又は方向性となるように大衆に向けて特定のイメージを大規模に埋め込むメカニズム。
つまり、プロパガンダとは、一種の騙し術であり、特定の意図を持った情報を発信することによって、気づかれることなく受け手の感情や思考を思うがままに操るまたは影響を与えること。
ただし、一番程度が低い「宣伝」となるとうっすらとプロパガンダ的な要素があろうとも、それは社会で許容される手法と判断するべきであろう。
プロパガンダとはマスメディアを使って「大衆」の思考や感情、行動を自分の望ましい方向に誘導・説得するもの。自らに有利になるよう多数の思考を誘導(ミスリード)すること。
要するに、マインド・コントロール、大衆操作のこと。
この場合のマインド・コントロール、大衆操作には各人に自覚されないという条件が付く。プロパガンダをプロパガンダと見破った人には効果はない、だから見破られないように、気がつかないようにコントロールしていく一種の大衆操作術。
ここで烏賀陽氏が絶対に言わないであろうということを言う。
プロパガンダには総本山がある。
その名を「タヴィストック人間関係研究所」という。
ここで研究されたマインド・コントロール(大衆操作術)がいまや全世界に広まっているのだ。
《プロパガンダの起源》
烏賀陽氏がプロパガンダの起源について触れているので、少し長いが引用する。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
プロパガンダ(Propaganda)という言葉はもともとはキリスト教、特にカトリック側の言葉だ。宗教改革が勃発した約100年後、旧教側=ローマ教会が新教徒に対抗してカトリックの教えを布教しようと正式の省庁を作った。その名前が「布教聖省(ラテン語:Sacra Congregation de Propaganda Fide)」だった。1622年、作ったのはローマ教皇グレゴリウス十五世である。
本来、“Propaganda”はラテン語で「繁殖させる」「増やす」「伝える」「普及させる」という意味だ。Sacra Congregation de Propaganda Fideを日本語に訳すと「信仰を広めるためのローマ教会の聖なる省庁」になる。1627年には伝道師の養成学校「プロパガンダ大学」が創設される。
「プロパガンダ」という言葉は本来、「福音」を広める「布教」「宣教」「伝道」という意味のラテン語だった。
ゆえにキリスト教文化圏では「プロパガンダ」は「『これは素晴らしいものですよ』と勧めること」という語感を持つ。
〈プロパガンダの語源〉
要するに、元々は「プロパガンダ」とは宗教用語であり、端的に言えば「福音を知らせる」こと、つまり「布教=キリストの教えを広めること」を意味していたということ。
別な言い方をすれば、神の教えを神の教えに触れていない人たち、または神の教えを信じない人たちに信じてもらえるように勧誘、説得することで教えを広めるという目的性を持ったものであったということ。
こうした思考、手法は現代では「宣伝」という平易な言葉で理解することが出来る。
一般的には、「プロパガンダ」と聞けば悪いイメージが頭に浮かぶと思われるが、元々は宗教における布教活動のことを指していたということ。
だが、布教活動をするのは聖なる教会だけではなく、悪魔が作りしカルト教団、悪魔が乗っ取った教団などもあり、彼らは人々を神の側から悪魔の側へと鞍替えすることを狙って活動している。そのために彼らがプロパガンダの手法を悪用していることは紛れもない事実である。
これを良く知られる言葉で言えば、「マインド・コントロール」と呼ぶ。
マインド・コントロールとは、プロパガンダを含みながらそれ以上の支配力を持った手法と言える。
神の御業、神の側の手法を捻じ曲げて悪用するのが悪魔という存在なのである。
こうした悪魔の手法が世に存在するために「プロパガンダ」という言葉に悪いイメージが定着していると思われる。
もうひとつ、「プロパガンダ」という言葉を聞いて悪いイメージが浮かんでくる理由に、「プロパガンダが戦争の道具」とされているからであることは間違いないだろう。
戦争は無辜の人々に残酷な死や悲惨な出来事を引き起こす。よって戦争時に使用されるプロパガンダが人々の頭の中では「プロパガンダ=戦争」を想起させる。このためプロパガンダという言葉に嫌悪感が自然と発生する。
いい意味での説得は人々にとって恩恵をもたらすことは間違いないが、プロパガンダの何が問題なのかと言えば、「自由」を奪う点に尽きてしまう。
人権の中には「選択の自由」、「言論の自由」、「表現の自由」などがある。プロパガンダがプロパガンダたるゆえんは、人々が持つこれらの自由を気づかぬうちに奪っている点にある。
「いまからあなたの選択の自由を奪いますよ」といって自由を奪う者などいるわけがない。ではどうやって人々の選択の自由を奪うことで、自分たちの利益につながる誘導や説得、さらに高度な洗脳をどうやるのかといえば、「気づかぬうちに思想誘導する」であり「本人自身が考えたように思考誘導する」なのである。その手法こそが「プロパガンダ」に他ならない。
プロパガンダの領域は上下、左右にわかれ奥行きが深く広範囲に見られる。
人々の選択の自由を奪わない程度の宣伝もあれば、明らかな意図を持って思考を誘導するもの、悪意を持って洗脳するものまである。
つまり、プロパガンダという手法そのものに善悪があるのではなく、その手法を使う者の目的、動機、狙いなどによって善悪が分れるということ。
たいていの場合、手法そのものには善悪が無いことが多い。手法そのものが悪であるものもあると思われるが、たいていの場合は手法そのものに悪があるのではなく、その使い手の心と使うやり方によって善悪が分かれてくる。
《烏賀陽氏と私の判断の違い》
烏賀陽氏と私の見解には違いがあります。
著書の中で烏賀陽氏はこう言っています。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
なお「プロパガンダ」と「フェイクニュース」を混同している方が多いので、一言。両者は一部重なるものの、まったく別物である。プロパガンダは必ずしも「嘘」ではない。いやむしろ100%フェイクの情報は信用されず、プロパガンダとしては効力を持たない。「少しの事実に多量のフェイクが混ぜてある」のがよい。
〈プロパガンダとフェイクニュースの違いとは?〉
「プロパガンダ」と「フェイクニュース」は全くの別物。
プロパガンダは必ずしも「嘘」ではない。
これは間違っていると私は考える。
私と烏賀陽氏の違いは、おそらくディープステートの研究をしたかしないかの違いが大きく影響していると思われる。
宣伝という意味のプロパガンダであれば、上記の烏賀陽氏の価値判断はそうでしょうとなりますが、洗脳という意味では間違っているとなる。
プロパガンダには、宣伝という浅瀬から洗脳という深瀬まで幅広くある。
ディープステートの研究をしたことのない人にとっては、プロパガンダ=洗脳ということを理解できない。
ディープステート(秘密結社)とは、常に嘘をつく。
ただし、烏賀陽氏が言っている通り、嘘100%だと信用されないので事実と嘘を混ぜ合わせる。だがそれを真実か嘘かと判断すれば、嘘が混じった特定の意図を持った情報発信は「嘘によるプロパガンダ」となる。嘘の中に混ぜた事実とは嘘を信じ込ませる為だけの役割しかもたないものであり、全体の趣旨としては「嘘の情報発信」となるからだ。
ではなぜ嘘をつくのかといえば、情報の受け手に何らかの価値観を受け入れさせるためであり、それによって判断や行動を誘導する為である。
ディープステートに関しては、フェイクニュースを常時使用し、なおかつフェイクニュースをプロパガンダとして使用する。
ただし、つまらないフェイクではなく、人間にとって欠かせない話題であったり、政治的に重要なことに対してフェイクを使う。
「フェイクニュース」の中には、単純な意味でのフェイクニュース(でたらめの情報)とプロパガンダの使命を帯びたフェイクニュースがあるのです。ですから前者であれば、烏賀陽氏の主張通りですが、後者が存在しているので「プロパガンダとフェイクニュースは全くの別物」とは言えません。
プロパガンダの中には「嘘」があり、フェイクニュースさえも真実の情報に仕立てあげる。
こうしたことこそプロパガンダのプロパガンダたるゆえんである。
私の記事を読み続けている方がいましたら、私の言っていることがよく理解できると思われます(敵対者以外)。
アメリカ合衆国が二度の世界大戦に参加した理由こそが、「嘘のプロパガンダ」によるものだからです。
アメリカ国民の多くが戦争に反対していたにも関わらず、二度の世界大戦に合衆国が参戦した理由こそが、「嘘のプロパガンダ」によって国民が騙されたからなのです。
《プロパガンダの特徴》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
効果的なプロパガンダは「物語」を持っている
〈物語を作る理由とは?〉
「物語」を作ることで情報の受け手は受け入れやすくなる。同時に理解しやすくなる。
この「物語」の際に利用されるのが「美談」。
なぜ「美談」を用いるかといえば、「反発」「反駁」を防ぐため。
著書の中では五輪(東京)の例えが示されている。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
「幼い子供の犠牲を悼むことに反駁がしづらいように、五輪の開催や成功にも反駁がしづらくなる」
これは幼い犠牲者を悼む人物を聖火ランナーとして指名することで、「聖火リレーを走る」行為が「亡くなったこどものための行為」に転換される作用を持つ。
それによって聖火ランナーが任務を達成することが、すなわち五輪全体の成功を願う方向性に見えない糸が張られていく。
プロパガンダとして利用されがちなのは、なんらかの「犠牲者」。
何らかの事件や事故などにあって犠牲者となった人たちを世間の人たちを避難することは非常に困難となる。
なので「物語」のなかでる「犠牲者」を役者として登場させてくる。
これは犠牲者を人々や当の本人さえも気がつかないように利用するということ。
こうした事例のように、社会の認識を政府に有利な方向に誘導する方法こそが「プロパガンダ」なのです。
政治の世界では、常に「プロパガンダ」が存在していると思うべきなのです。
著者の烏賀陽氏はこう付け加えている。
「聖火リレーはそもそもの出自からしてプロパガンダ・イベントである」と。
《プロパガンダの対象とは?》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
プロパガンダが説得の対象とするのはこの「大衆」である。「マスメディアを使って多数の思考や感情、行動を自分の望ましい方向に誘導・説得する」という意味でのプロパガンダが本格的に稼働するのは、こうした「大衆」の存在が前提にある。
〈プロパガンダの実行部隊とは?〉
プロパガンダが説得の対象とするのはこの「大衆」であり、そのための行動部隊こそがマスメディア。
ですからマスメディアとは、「多数の思考や感情、行動を自分の望ましい方向に誘導・説得する」という認識を持つ必要があり、この認識がない人はプロパガンダにも世論誘導にも気がつかずにミスリードされてしまう。
ただし、見抜くのは簡単ではない。そもそも普段から隠れたプロパガンダに我々はさらされていることがあり、プロパガンダをプロパガンダとして判断する訓練も受けていないからだ。
日本人の中でもプロパガンダというと戦中の大本営発表とナチスを思い出すのではないか?
だが、ナチスは国家プロパガンダの元祖ではない。ヒトラーがお手本にしたのは第一次世界大戦のアメリカ・イギリスの政策宣伝である。ナチスのプロパガンダ手法がアメリカ・イギリスからきていることをヒトラー本人が認めている。
(烏賀陽氏の主張)
あ~、と思った方は私の記事の読者であり、なおかつ勘の良い方です。
私のシリーズ記事『世界を操る闇の権力者の正体に迫る!』の中で上記の話がでてきます。
第一次世界大戦で使用されたプロパガンダの大元がタヴィストック人間関係研究所なのです。タヴィストック人間関係研究所とは、世界統一政府樹立を目的とするディープステートの参謀機関です。
こうした“つながり”は通常見えません。学校教育でも教わらないし、そうした情報は隠されているからです。
烏賀陽氏は、国家プロパガンダを本格的に始めた最初の国が第一次世界大戦中のアメリカだと述べているが、実はその裏にイギリス発のシンクタンク(タヴィストック人間関係研究所)が潜んでいたのです。実際にはアメリカが使用した国家プロパガンダとはタヴィストック人間関係研究所で開発されたものです。イギリスにはアメリカを世界大戦に引きずり込む目的があり、アメリカ内部に侵入したディープステートたちがタヴィストック人間関係研究所で開発されたプロパガンダ技術を使うことによって大国アメリカ合衆国を世界大戦の舞台に引っ張り上げたのです。なぜならばプロパガンダなくしては、国民の8割が戦争に反対する民主主義国家が戦争に参入することがないからです。
プロパガンダと戦争とは、深く結び付いているのです。
ですから、プロパガンダの名手の政治家が出現したならば要注意です。
その人物の心根が善なる動機と目的を持っているのか、それとも逆に身勝手で権力志向で国民を支配下に置こうとする性質を持っているのか、それを見定めなければならないのです。
烏賀陽氏は第一次世界大戦時のアメリカ合衆国におけるプロパガンダを専門とする政府組織をあげています。
アメリカ初のプロパガンダ組織とは、「公共情報委員会(CPI)」、別名「クリール委員会」。
「公共情報の委員会」? 名前を聞いただけではその真の目的も動機も見えないのがこうした組織の特徴であり、この特徴をディープステート組織はおしなべて持っています。
これは一種の詐術なのです。「公共」という言葉に騙されてはいけないのです。
《プロパガンダをプロパガンダならしめるものとは?》
プロパガンダをプロパガンダとしてならしめるには、欠かすことのできない要素がある。
それが「偽善」、または「仮面」である。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
幸いなことに、誠実で能力のある政治家なら、プロパガンダの技法を使うことで、人々の意思を思う形に作り上げることができる。
〈プロパガンダは騙し術を含む〉
人は、その人物(情報発信者)を「信用できない」と感じれば、いくら耳障りのいいことであっても、危機感を煽られてもその情報を受け入れずに否定的に捉える。
だからこそ、プロパガンダをプロパガンダとし成り立たせるために一種の騙し術または目くらましが必要となる。
この役割をするのが「善」。人は個人でも企業体でもその情報発信者を善とみる、つまり騙しをしていないと思うからこそ、その情報を受け入れる。ところが多くの場合、何らかの騙しの要素は入っている。軽度のものなら「錯覚」や「誤解」させるものであるが、重度のものならば「洗脳」するものと程度の幅は広い。
本当にその情報発信者が善人であれば何の問題もないが、騙すために(=プロパガンダを有効にするために)「善」を装う情報発信者が存在する。
要するに、善という仮面をつけることで受け手に信用させ、情報を受け止めさせるということ。
プロパガンダの範囲は広いが、悪質性を少しでも持つものはおしなべて「騙しの要素」が入っている。それによって白を黒にひっくり返し、黒を白に塗り替えてしまう。最悪なのは「嘘(完全なデタラメ)」を完全に信じ込ませてしまうこと(信じ込んでしまうこと)。
「悪魔は天使の仮面をかぶって姿を現す」という言葉を覚えておいて欲しい。
『(2)~プロパガンダの定石Part1~』につづく
参考書籍(引用元)
書籍名:『プロパガンダの見抜き方』
著者:烏賀陽弘道 (うがやひろみち)
出版社:新潮新書 (新潮社)
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!