『パチンコ論1 ~「パチンコ依存症」は悪魔の言葉? 矛盾した思考とズレた発想にもの申す!~』

はじめに

基本的に騙し、嘘、脅し、誹謗中傷などではない発言は言論の自由として許容されるべきだと思います。
しかし、それに近い言論(発言)で、「失礼な発言」「矛盾が多い考え(思考)」「悪い影響を与える思想」は訂正されるべきであると思っています。

今回は「問題あり発言」を取り上げます。
問題あり発言をした方は、自身がパチンコ中毒(依存)から抜け出した経験を書籍にしています。
(アチキも読みましたよ!)
ですから、その方がどんな不幸を味わったのかなどを書くと、誰なのか判明してしまうので、そういう点については語らないことにします。
あしからず。

アチキは最近「脱パチンコ」の発言を発信しています。
真面目に禁パチをしている人を応援しています。
ですが、Twitter上で「これは明らかに矛盾している」「この発言は失礼だ」と思うものがあったので、記事にすることにしました。
内容は切羽詰まったものではないし、それほど悪質なものでもないと思っていますが、それでも反論発言があってしかるべきだと考えて『パチンコ論』と題してご意見番の私的見解を示します。

「依存症」という表現を否定しても意味はないです!

《「依存症」という言葉は悪魔の言葉??》

Twitter上で見つけた反論しておきたい発言を引用(1)

「依存症」という言葉は「悪魔の言葉」だ!
本来、使うべき言葉は「中毒」である!

この方はその理由として「多くの混乱を生じさせる言葉だから」と述べていますが、アチキからすれば「何の混乱ですか?」と問いたい。

まず、自らを「パチンコ依存症」と自覚し、そう名乗り、禁パチを実践している方にとって、「依存症という言葉は悪魔の言葉」ということは失礼極まりないと思います。
パチンコの障害については「依存症」「中毒」「嗜癖」などの用語が使用されています。
ですから複数のいい方がある、という意味では混乱とも呼べるかもしれませんが、いずれの言葉も意味する事は同じです。
しかし、明確に「依存症」と呼ぶべきではなく「中毒」と呼ぶべきであるという論理は言い過ぎ(間違い)であると思います。
ただし、ギャンブル依存症自体が医学界から放置されているので、研究が進んでおらず、用語も明確な線引きもなされていないということは認めます。

〈依存症の意味〉

「依存症」とは、日々の生活や健康、大切な人間関係や仕事などに悪影響を及ぼしているにも関わらず、特定の物質や行動をやめたくてもやめられない(コントロールできない)状態となること。

〈中毒の意味〉

一方、「中毒」という言葉の意味は、あるものへの依存が強くなり、不足すると非常に強い飢餓感をもつこと。
(物質な中毒ではなく精神的な中毒の意味)
つまり、特定の何かに強く依存し飢餓感を持つ状態を「中毒」と呼ぶのです。
ですから、「依存」という言葉と「中毒」という言葉は切っても切れない関係にあるのです。

〈嗜癖(しへき)の意味〉

精神科医の帚木蓬生氏(ははきぎほうせい)は、「嗜癖」という表現を使用しています。
「嗜癖」とは、ある特定の物質や行動、人間関係を特に好むこと。
簡単に言うと「度を越した好み」が嗜癖です。
ギャンブル等の行動や習慣に関しては行動嗜癖と呼ばれています。

他にも「衝動制御の障害」あるいは単に「障害(ギャンブル障害)」と言われることもあります。

〈結論1〉

パチンコをやめなければいけない、やめようとしている、のにやめられない状態であればそれは「パチンコ依存症」と呼ぶべき状態です。

「依存症」とは、特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることなので、「パチンコ」を止めようと思っているのに、「パチンコを打ちたい(やりたい)という衝動がおさまらない」ならば、それは「依存症」と呼ぶべきです。

ですから「依存症という言葉は悪魔の言葉だ!」「本来、使うべき言葉は中毒である!」という発想は間違いです。

《ギャンブル依存症はWHOが認定している病気》

そもそもWHO(世界保健機関)は、1970年代後半にギャンブルをやめたくてもやめられない状態を「病的賭博」という名称で正式に病気として認定しています。

なぜならば、ギャンブルがやめられないメカニズムはアルコール依存症や薬物依存症と似ているからです。
このため「病的賭博=ギャンブル依存症」は、アルコール依存症等と同じ疾病分類(物質使用障害および行動嗜癖)に「ギャンブル障害」として位置づけられている。

〈ギャンブル依存症の症状〉

・ギャンブルにのめり込む
・興奮を求めて掛金が増えていく
・ギャンブルを減らそう、やめようとしてもうまくいかない
・ギャンブルをしないと落ち着かない
・負けたお金をギャンブルで取り返そうとする
・ギャンブルのことで嘘をついたり借金したりする

といった症状が特徴です。
上記の状態に当てはまれば、「ギャンブル依存症」です。
ですから、「依存症」という表現は間違いで「中毒」と言うべきである、という主張は明確に間違いです。

要は、その方が自分の気持ちとして「依存症」=「病気」だったと認めたくないのでしょう。
自分が病気であったと認めたくないから、「病気」を連想する依存症という表現は使いたくないという心理が働いていると思われます。
ですが、実際は、「依存症」=「中毒」=「障害」ということが正しい認識です。

〈結論2〉

パチンコへの衝動を自分で抑えられず、やめようとしてもやめられない状態は、WHOが正式に「病的賭博」と認定しているのですから、「病気」と呼んでなんの問題もありません。
また、「中毒」「障害」という表現も別のいい方として並行して使用しても問題ありません。
ですから、「依存症ではなく中毒と言うべき」という発言は間違いです。

そもそもそういう語彙表現にこだわること自体が重要ではありません。

《自分の状態を正確に知ることが脱出の始まり=重要なこと》

Twitter上で見つけた反論しておきたい発言を引用(2)

パチンコをやめる上で「病気か病気でないか?」の議論に何の意味があろう?

アチキがこの方の著書全体を読んで感じたことは、「パチンコの善悪を判定していない」ですが、もっと言うと「パチンコが悪である」と認識していない、ということでした。
それが、Twitter上での発言で同じ発言をしていたので、「やっぱりな」と思ったしだいです。

この方は努力してパチンコ中毒(依存)から脱出した。
頑張って借金を返済した。
立派なことです。
ですが、この方の発言をずっと読んでいると感じることがあります。
最後の最後で潔さがない、と。

パチンコは悪ではない、という認識は結局のところ、「パチンコにのめり込んだ自分は悪ではない」ということに無意識につながっていきます。
この方はパチンコ中毒(依存)になると「嘘をつく」「借金をする」という2つの特徴が出る、と述べていますが、それだけではないでしょう?
嘘をなぜつくのか?
パチンコをやりたくてしかたがない欲に振り回されているからです。
パチンコ中毒(依存)状態になると人間が変るといわれています。
それは「都合のいいものしか見ない」「都合の悪いことは無視する」「他人の意見(苦言等)は聞かない=強情」「ありもしない妄想を描く」などです。
つまり、「自己中心的な思考」となってしまうのです。
自己中心的な思考にとらわれているから嘘をつくのです。
何を置いてもパチンコをやりたいと欲を出すから借金をするのです。

パチンコをやめる上で「病気か病気でないか?」の議論に何の意味があろう?
意味はあります。

自分の精神状態(行動制御等)に関して自分でコントロールできない理由を知ることが対処の始まりだからです。

これを体の症状に置き換えれば分かりやすいでしょう。
お腹が痛い。
さぁ、どうしますか?
治療する。
薬を飲む。
そのためにはなぜ痛いのか、どんな原因で傷みが発生しているのか理解しないと治療することも薬を処方することもできません。

要するに、パチンコをやめようとしてもやめられない状態を依存症と呼びたくないのは「逃げ」なのです。
一番肝心な自分の弱い部分から目を背けているだけです。

アチキは思いますが、自分はパチンコ依存症だ、やめる、と決意して行動している人は潔く立派だと思います。
なぜならば、弱い自分、間違った自分、見たくない自分から目を背けずに直視して、なおかつ正しい生活、人生の道を歩み始めたからです。
だから、応援しています。

それを「依存症」ではなく「中毒」だ。
病気と呼ぶことに意味はない。
などと言うことこそ混乱を起こしていることだと気がつくべきです!

〈結論3〉

自分の状態を正確に知ることが脱出の始まりで重要なことです。
ですから、自分がパチンコ依存症なのかどうかを認識することはパチンコ依存から脱出するためのスタートなのです。

《矛盾する主張》

問題発言をした方には大きな矛盾があります。
その方は「パチンコには善悪はない」と発言をしていました。

パチンコに善悪がない?
パチンコは悪いものではない?
ならば、あなたはなぜ人生の不幸を味わったのですか?
なぜ、あなたはパチンコをやめたのですか?
矛盾しています。

しかし、その方はパチンコにハマってしまい抜け出せない状態を「中毒」と表現しています。
「毒」ですよね?
毒ですから、それは「悪」ですよ。
悪という言葉が理解できないならば、「危険」「不幸」「堕落」と呼んでもいいでしょう。
どちらにしても「ユーザーに悪い影響を与えている」ということであれば、パチンコという存在は「悪」となります。

パチンコは中毒をもたらすが、悪ではないという論理は、「コブラの毒は悪いけど、コブラは生物であって悪ではない」、というような論理です。
この思考は実は「すり替え」なのです。
嘘はすり替えによってなされます。

パチンコ中毒になった人は物事を自分に都合の良いようにすり替えます。
すり替えの形態として嘘をつくのです。

ここまで語ると、「誰なんだ?」と質問されそうですが、分かる方には分かる。
それでいいでしょう。
アチキがこの人のツイートに意見(議論)する義務も責任もないし、そうした関係性もないので、そこまでする必要はないと、いまは、判断しています。

ですが、真面目に禁パチをしている人に対して「失礼な発言」、「混乱させる発言」は許しません!

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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