『旭川の14歳中学生がマイナス17℃の公園で凍死=悪魔たちの所業に、もの申す!【後編2】 ~驚きの「少年法改正案(素案)」の提言!~』

先に【後編1】をお読みください。

少年法という壁!

《軍事学からみる「少年法」の欠点》

少年法とは、目的を「処罰」ではなく、犯罪をした少年の「更生・保護(健全育成)」としているのです。(第1条)

珍しい発想だと思いますが、法律の話を“軍事学”から読み解いていきます。

軍事学では、「戦略の間違い(失敗)は、戦術で補えない(カバーできない)」とされています。
「戦略」と「戦術」を超簡単に説明すると、『戦略』とは「政治上の目的を達成すための大枠」で、『戦術』とは「個々の作戦における勝利するための手段(方法)」といえます。
つまり、戦略があって戦術がある、戦術は戦略に沿う必要がある、ということです。
戦略を実現するために戦術が使用されるということです。

そして、重要なことは、戦術を間違えたり、個々の作戦で失敗しても、戦略が政治目的を達成する路線に沿っていれば、局所では敗れたとしても、大局では勝利することが可能である。
逆に、いくら個々の戦闘(作戦)で勝利を重ねても、戦術が優れていても、戦略そのものが間違っていたら、大局において敗北してしまう、ということです。

何が言いたい? って?

少年法の全体を包含しているのが「第1条の目的」です。
つまり、第1条が少年法における「戦略」なのです。
その後に続く法が「個々の戦術」なのです。

もう、おわかりですか?
少年法の戦略(目的)は、「更生・保護(健全育成)」なのです。

だから、少年法本来の趣旨からすると「少年を罰する」という概念は相容れないものなのです。
少年法には、「出発点において処罰という概念がない」のです。
「処罰の概念がない」とは、もう少し正確に表現すると「罪と比例した処罰がない」ということです。
つまり、「成人のような処罰を与えず、可能な限り処罰しないように措置を取る」というのが少年法の趣旨なのです。

第一条 「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行ある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」

ですが、現実には凶悪犯罪を起こす少年がいる。
実態社会として、世論として、生活実感として、凶悪犯罪を起こす少年を処罰してくれとの要望がでる。
また、統治機関としての政府がなんらかの対処(法による)をしないのは問題である、となる。
ということで、個々に犯罪を起こした少年に対する法律が「第1条」の後に続いているのです。

これは素直に少年法を解釈すると矛盾なのです。
ですから「厳罰化(少年法の改正)は少年法の趣旨に反する」という議論が巻き起こるのです。
少年法に視点を置けば、「少年に対する厳罰化は少年法に反する」という意見は正しいのです。
しかし、法律以前に「人道上の問題」「人としての感情」から見ると厳罰化の声があがるのは当然と思えるのです。
実際に、第1条から見ると厳罰化は少年法の趣旨(目的)から逸脱することを意味します。

ですが、ですが、です!!

そうはいっても、凶悪犯罪を起こす少年たちはいるわけです。
被害者は「収まりがつかない怒り」と「胸を切り裂かれる悲しみ」に苦しむわけです。
だから、統治者の立場としては、何らかの手を打たねばならない、となるのです。

犯罪少年の処罰を求めることは被害者の立場や社会正義からすれば当然であり、少年法の趣旨から犯罪少年たちを少年法に従って保護するべきだ、という両方の主張が、両方ともある意味で正当性を持っているのです。

その違いは「立場の違い」なのです。
どの立場、どの視点に立脚して少年法を考えるのか、ということで違ってくるのです。

軍事学から見ると、少年法の戦略に反する戦術が数多く存在し、また付け加えられようとしているということです。
それは「少年法」そのものが抱えている矛盾(欠陥)から導き出されるものであるのです。
これを修正するには、「戦略の見直し」を行うしかないのです。

《少年法は欠陥法

要するに、「少年法」という法律自体が「欠陥法」なのです。

さらに、法律は時代変化、環境変化などによって改正(イノベーション)する必要があるのです。
ですが、司法界や政治家たちには、経済界の人たちのように、時代の変化に対して柔軟に改革を推し進めるという意識と感覚が欠落しているのです。
特に司法界の人たちには企業家精神(イノベーション)は皆無と言っていいでしょう。
過去に制定された過去の法にしがみつき、過去の法を金科玉条のように死守することで未来を築こうとしているように見えます。

法律は時代の変化によって修正するべきであり、法律の世界にもイノベーションが必要なのです。

《未成年だからといって「イジメ抜いて自殺に追い込む」ことは凶悪な犯罪である!》

今回の旭川の事件は、殺人事件としては扱われていない。
むしろ報道では「自殺」とされている。
「殺人事件」と「自殺」では、まったく扱いが違ってくる。
だが、アチキはこう主張します!

未成年だからといって「イジメ抜いて自殺に追い込む」ことは凶悪な犯罪である!

少年法改正に反対の人、厳罰化に反対の人の理由は、「少年の更生を妨げる」「厳罰化によって再犯が増える」というものです。

ですが、犯罪にもレベルがあり、人間にも違いがあります。
それを「単に年齢」だけの区別で判断していいのでしょうか?
そもそも、そこにこそ少年法の根本的な問題が潜んでいます。

こんな意見があります。

「10代の時点で身も震えるような凶悪犯罪を犯す人間が、ちょっと少年院に入ったからといって更生するとはこれっぽっちも思えません」

そもそも凶悪犯罪を起こすような少年をその他大勢の少年たちと一緒に扱うこと自体がおかしいのです。
凶悪犯罪を起こす少年たちは未熟だから凶悪犯罪を起こすのではなく、彼らの内に潜む凶悪な性格によって凶悪な犯罪を引き起こすのです。

年齢ではないのです!!

凶悪な犯罪を起こす者を、少年だという理由で処罰をくださないのは、悪しき平等主義であり、間違った人権主義なのです。
それは被害者と遺族(家族)の存在を無視していると言わざるを得ないのです。

「少年法」の改正を求める改正案を提言する!

《少年法は改正するべき!》

ご意見番が考える少年犯罪に関することは、「凶悪犯罪については、成人同様の処罰にするべき」というものです。

凶悪犯罪以外の軽微な犯罪については、現状の対処でいいと思っています。
(家庭裁判所送致、少年院移送など)

しかし、「リンチ」「執拗なイジメによる暴力や脅し」「殺人」「殺人未遂」「自殺の強要」「自殺教唆」「強制性交」「薬物使用・製造」「強盗」「放火」などの凶悪犯罪に関しては、成人同様の刑事処罰にするべきです。

それは年齢が若くても、凶悪犯罪をするような人間は、その個の人間性自体に狂暴性が潜んでいるからです。
凶悪犯罪を起こす少年たちの闇は深く、簡単に更生するものではないからです。
そして何よりも「被害者」と「遺族(家族)」の救済を第一に考えるべきだからです。

ですが、国際条約や少年法擁護者たちなどの要因で、現時点では非常に難しいでしょう。
そこで、世直しご意見番が誰も言わない驚きの「少年法改正案(素案)」を提言します。
素案(アイディア)の段階ですが、一笑にふす方、あっと驚く方、疑問に思う方、さまざまな反応がでるでしょう。

しかし、世直しご意見番としてマジで真剣な提言であり、少年犯罪を無くし、身の毛もよだつ少年による犯罪を無くすための提言であると述べておきます。

《少年犯罪を抑止、再犯の抑止を考えるなら少年の身になって考えるべき》

結局、法律とは「誰の視点で制定するのか」「誰の視点で解釈(運用)するのか」ということが重要です。
少年による犯罪をなくすのなら、「加害少年の目線、気持ち」になって考えてみるべきです。

少年犯罪に対する厳罰化を反対する人の意見を聞いていると思うことがあります。
それは加害者側の少年の目線でもなく、被害者の気持ちに寄り添うのでもなく、部外者である大人の立場で考えていることです。
少年による凶悪犯罪は激減しているという話もありますが、激減しているから厳罰化反対というのは筋が通っていません。
1件でも凶悪犯罪があれば、その被害者にとっては激減していようが関係なく、その現実が100%なのです。

少年による犯罪の抑止を考えるならば、「加害者となるであろう少年が嫌がることをする」というのが戦術的発想です。
それは「成人と同じ処罰」です。

少年といっても全国のほとんどの真面目な少年たち、法を犯さない少年たちには関係のない話なのです。
少年法が対象にするべきは、「犯罪を平気でするような悪い子ども」なのです。
そうした悪い少年たちは、自分たちが少年法によって守られているということを必ずと言っていいほど認識しています。
逆に言うと、少年法をいいことに凶悪犯罪を起こす、と言うことも出来ます。
だって、「どうせ死刑にならないのだから」「どうせ刑務所には入らないのだから」「どうせ前科はつかないのだから」という“浅はかな考え”があります。

少年たちによる凶悪犯罪を抑止するには、彼らが恐れていることをすることです。
それが「成人と同じ刑事罰を受ける」または「厳罰化」です。
凶悪犯罪を起こす少年たちと一般の少年たちを同列で扱うべきではないのです。
悪しき平等思想がそこにあります。

《「少年法」改正の前提》

〈前提1〉

少年法の第1条(目的)を改正しなければいけません。

少年法の目的に「原則、罪に相応しい処罰をくだす(ただし、12歳以上の少年に対して)」ということを盛り込まなければいけません。

〈前提2〉

少年法改正ポイント=刑事処罰の対象を「12歳以上」の少年にする

まずここを改正します。

なぜ、12歳以上なのかというと、凶悪な犯罪を起こす少年たちは中学生以降の未成年たちだからです。中学生にはまだ13歳にたっしていない年齢の子がいます。
よって12歳を刑事適用年齢のスタートとします。

11歳以下の少年が凶悪な犯罪を起こすケースはほぼありません。
この年齢の少年たち(子どもたち)には、まだ素直さや幼さが残っていて、狂暴性が露出する可能性は非常に少ないと判断します。

《「少年法」改正第一案(素案)》

「凶悪犯罪については、成人同様に刑事処罰をする(12歳以上の少年)」

ポイントは、12歳以上の少年が犯した“凶悪犯罪に限って”、成人と同様の刑事処罰を与えるということです。

ただし、国際条約上の縛りがあるので「死刑」と「終身刑」はいまのままでは執行できません。
つまり、凶悪犯罪と軽微な犯罪を区別して、軽微な犯罪については今まで通り家庭裁判所送致の措置をする。
しかし、凶悪犯罪については被害者と遺族の立場を最優先して、処罰を与えるということです。

凶悪犯罪とは?
殺人、殺人未遂、強盗、放火、薬物使用、薬物製造、薬物売買、誘拐行為、強制性交、テロ行為、自殺強要、自殺教唆、などです。

今回の爽彩さんのケースのような「悪質で執拗に行われたイジメによって自死にいたった」場合は、凶悪犯罪とするべきでしょう。

ただし、「凶悪犯罪とは?」という点は議論して決める必要があります。

《「少年法」改正第二案(素案)》

上記の改正第一案は、あまりにも過激だ!
と思われるでしょう。
そこで代案を第二案とします。

「12歳以上の少年が凶悪犯罪を起こした場合は、その保護者(基本的に両親)がその責任を負い、加害少年の代わりに刑事処罰を受ける」

つまり、少年を罰する代わりにその保護者を罰するということです。
少年が凶悪犯罪を起こした責任は少年を育てた保護者にあるとして、保護者に責任を取らせる、というものです。

実際、旭川14歳中学生の死に関して見る限り、爽彩さんを死に追い込んだ少年たちも悪質でしたが、保護者たちも悪質でした。

これは、「犯罪の責任(処罰)を誰も取らされない」ということを回避するための改正案です。
ひと一人が死んだのに、誰も刑事処分されないというのは、あまりにもおかしなことです。
被害者と遺族からすれば、「少年というだけで罪を問われない」「誰も処罰されない」という状況は、とても耐えられるものではないのです。
ここが少年法の大きな欠陥なのです。

《「少年法」改正第三案(素案)》

え!
犯罪を起こした本人ではなく、保護者を刑事処罰するのか? と驚いた人も多いでしょう。
そんなバカな~!
と思ったでしょう。

ですが、もし、非行少年たちに親思いの気持ちがあれば、それがストッパーとなるでしょう。

それでは、第二案を拒否された方に第三の改正案を提示します。

「12歳以上の少年が凶悪犯罪を起こした場合、成人と同様の処罰を与える。ただし、その刑の執行を成人後にする成人までの期間は家庭裁判所送致扱いとする

この改正案のポイントは、犯した凶悪犯罪の罪は成人同様に判断するが、未成年の間は刑の執行を停止させる、というもの。

さらにその間に、本人の反省、謝罪、自己変革等を家庭裁判所と被害者(または家族)が犯罪少年の更生を観察し、更生したかどうかということの意見書を提出し、最終的に裁判官が判断し、最終判決をだす(成人に達する時点で)。

つまり、やってしまった凶悪犯罪については形式上、成人同様の処分を下すが、実際の刑の執行は成人するまで停止状態とし、更生を観察する。
そのときに犯罪少年の更生に関する情報開示を被害者と被害者と遺族(家族)に行い、被害者と遺族(家族)が意見書を提出する。
その意見書並びに保護観察中の犯罪少年の様子を裁判官が考慮し、最終判決を下す。
というもの。

この場合、凶悪犯罪を起こしたとしても、真に心の底から反省し、悔い改め生まれ変わるのなら、きっと被害者(または遺族)も許す気持ちが芽生える可能性がでるでしょう。
これこそ、本当の意味での更生です。

反省も謝罪もしない犯罪者を少年だからといって無条件に「更生」を真っ先に考えるのは、人道上の問題があります

もし、成人までの期間において反省も悔い改めもしてない、逆に責任転嫁、言い逃れを続けるのならば、成人同様の刑事処罰を与えるのが妥当です。

《少年法」とは、なんのためにある?》

おそらく上記の改正案(素案)を一笑にふす人も多く、実現不可能と思った人も多いでしょう。
ここで示した改正案(素案)は、ふざけて論じているのでも、加害少年たちを不当に扱うのでもありません。

よく裁判(司法界)などの象徴として「正義の女神テミスの像」を見たことがある人も多いでしょうが、テミスが持っているのは「善悪を測る天秤」と「悪を断ずる剣」です。
天秤が象徴しているのは「犯した罪の重さ」と「処罰される罰の重さ」の比較です。
要するに、犯した罪とその罪の処罰は釣り合っていなければならないのです。
犯した罪に対して軽すぎる刑罰ではいけないし、同時に過剰な刑罰を与えることもいけないのです。

罪と罰は釣り合っていなければいけないのです。

少年犯罪に関しては、あまりにも罪に対して罰が軽すぎます。

今回、アチキが改正案で述べた視点は、「被害者の立場からの視点」であり、「被害者遺族(家族)の立場からの視点」です。

『事件の真の解決と救済について』という項で述べた通り、事件の重要事項は「真実を明らかにする」です。
そして事件解決において優先されるのは「被害者の立場」と「遺族(家族)の立場」です。
その後に、「加害者に対して相応の処罰を与える」ことです。
そして「加害者が罪を認め反省し、謝罪し、悔い改め、生まれ変わる」なら、そのときこそ「加害者の社会復帰、救済を考える」べきです。
さらに、「反省し、生まれ変わろうとする元犯罪者を社会が受け入れること」です。
更生したならば、社会がチャンスを与えることです。
しかし、反省もせず、罪の自覚もない犯罪者をそのまま社会に放置してはいけないのです。

たとえ少年であっても凶悪犯罪を起こすような稀に出現する少年たちは、その本質において邪悪さを持っているのです。
その邪悪さを放置してはいけないのです。
邪悪さを放置するということは、善悪がひっくり返ることでもあるのです。

もう一度言います。
ひと一人の命が奪われたのに、誰も処罰されないということは間違っているのです。
「更生」とは、心の底から反省し、罪を償い、生まれ変わった人間にのみ与えられる言葉なのです。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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