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エールを送る!

『ドナルド・トランプ次期大統領の宣言~ディープステート解体の戦いが開始される!~』

ドナルド・トランプ氏という人物が大統領となることの真なる意味とは、世界を裏側から支配し、社会を腐敗させ、人々を堕落させ、あどけない子どもたちに恐怖と苦痛と絶望を与えている「ディープステートとの戦い」にある。 いままさに、ドナルド・トランプ大統領が復活(帰還)することによってディープステート(グローバリスト)対神の戦士(自由の守護者)との戦いが始まろうとしているのです。 この歴史的現実を、あなたは理解するべきでしょう。

『新型コロナワクチン後遺症患者の会にエールを送る! ~病院は、病気を治してくれる場所じゃないの?~』

コロナワクチン接種後に健康被害を訴える人が溢れている。 コロナワクチン接種後に健康だった人が後遺症で苦しんでいることは事実。 コロナワクチン接種後に健康だった人が死亡したことは事実。 これが現実です! 現実に起きていることです。 それをmRNAワクチンと因果関係がないとか詭弁を吐いている者がいますが、言語道断だと言っておきます。 現実を無視するなら、「あなたは空想・妄想の世界に生きているのですか?」と言っておく。

『中国共産党独裁政治の崩壊が始まっている! ~「脱共産党」がムーブメントに成りつつある!~』

中国の歴史を見る限り、政権の圧政や権力者の腐敗によって人民が苦しみ喘ぎ、それに耐えられなくなったとき、時の政治権力を倒す人たちが立ち上がって革命を起こす、この繰り返しです。 中国国内において、また海外(中国人)からの動きによって、中国共産党の支配は終わりをむかえるべきである。 日本が取るべき道は、内部崩壊=革命の後押しです。

『ワクチン後遺症の患者を治療する長尾医師が刑事告訴に出た! ~医者ならば患者に寄り添い治療に全力を傾けるべき!~』

「意見」は、相手の主張に反することであっても、相手の人格を否定するものではありません。 単なる「考え」の違いを提示するものです。 ですが、「悪口=誹謗」は、相手を傷つけるために発されるものです。 議論と喧嘩が違うように、意見と誹謗もまた違うものなのです。

『嘘つきとの論争に困っている人にエールを送る!【後編】 ~嘘つきは地獄へ落ちる!~』

嘘つきは、 素直に相手の苦言を聞き入れることができないのです。 素直に自分の過ちを認めて謝罪することができないのです。 素直さの欠如、謙虚さの欠如、そして反省ができない、これが噓つきに共通する特徴です。 要するに、自己愛が強く、うぬぼれが強いのです。

『嘘つきとの論争に困っている人にエールを送る!【前編】 ~嘘つきの論法とは?~』

嘘つきはなんでもありです。 ルールを守って闘う者と、ルールを無視してやりたいことをする者とは、一見ルールを守る方が不利な展開になることもあります。 しかし、宇宙を貫く法則は捻じ曲げることができません。 嘘は必ずいつの日か、バレます。 ですから、嘘つきとの論争において「議論に負けた」と思った方がいましたら、そんなことはないと言っておきます。 なぜなら「真実を語ること」そのものが「勝利」だからです。 「嘘をつくこと」そのものは「敗北」だからです。 それが宇宙を貫く法則です。

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【後編2】 ~イジメ撲滅を阻害する要因(大人たち)とは?~』

イジメ問題の最深部とは、「イジメ問題に深く関わろうとしない教師」の問題である。 イジメをする人間に共通する要素がある。 それは「悪いことをしても悪いとは思わない」ということと「悪いことを指摘されても反省しない」ということ。 反省して改めるのではなく、「自己弁護」「自己防衛」に励む傾向がある。 善悪の区別がつかない子供を育てた責任は親にあり!

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【後編1】 ~裁判の限界と裁判官に潜む問題とは?~』

イジメ被害者が教師(学校側)に申告、相談しない原因は被害生徒にあるのではなく、教師(学校側)にあるという認識が正しい教育の姿勢であり、ことの是非の判断である! 重要なことは「真面目な人がバカを見る社会」「悪いことをした人が罰せられない社会」「落ち度のない被害者が救済されない社会」は人間不信と社会不信を生み出す、ということだ。

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【中編】 ~学校側と保護者には、本当に責任がないのか?~』

「私は、12歳だった当時の僕のため、そして、同じようにイジメ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通じて、イジメで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています」 「市側にあった加害行為(安全配慮義務違反)は認められませんでした。第一審と同じように、“こういう被害行為にあった子どもは、死んだほうがいい”と言われているようなもの。このような判決だと、当時の自分を含め、同じような被害にあっている子というのは救われることはない」