『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【中編】 ~学校側と保護者には、本当に責任がないのか?~』

まずは『【前編】これはイジメと呼ぶべきではなく、犯罪と呼ぶべき(一審裁判)』をお読みください。

控訴審(高裁)の判決を検証する

《控訴審の判決とは?》

2021年7月12日、福岡高裁(増田稔裁判長)で判決の言い渡しがあった。
(第1回口頭弁論は、2020年11月18日)

内容は、一審同様に、鳥栖市に対する請求を棄却した。
つまり、イジメは認定されたが、市の安全配慮義務違反は認められなかった、というもの。

一方では、イジメについて「肉体的、精神的苦痛を与える加害行為を継続的に受けた」として個々の行為を判断した一審よりも厳しく認定した。
なお、弁護団は「拷問・恐喝行為」と位置付けていた。

〈判決の基準〉

判決の基準は、2012年当時の文部科学省が調査で用いていた「イジメ」の定義によっている。
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない

この定義によって和威さんは「他の生徒からイジメを継続的に受けていたと認めることができる」「他人の身体や財産等を害してはならず、これを害した場合には、その行為の責任を負わねばならない」としている。

〈判決の内容〉

神社で行われていたサバイバルゲームで「守ってやった」という理由で金銭を要求したいわゆる「平和条約」については、一審では加害行為の一覧にある別紙での掲載扱いだったが、控訴審判決では、本文中に書きこまれる進展があった。
さらに、控訴審判決では、「遊びやじゃれ合いの範疇を超え、和威さんが苦痛を感じる程度の暴力というべき有形力の行使がされることも多かった」「社会通念上許されるとか、不法行為が成立しないことになるとは解されない」と判断し、不法行為として認めた

控訴審判決では、こうした事実認定をした上で、反論した加害生徒たちの供述や陳述の信頼性がないとして、共同不法行為と認めている
加害生徒5名が和威さんに対して「中学校入学後のある時点から、10月23日までの間、継続的に加害行為(暴行及び嫌がらせ行為)を加えている」として、連帯責任を負うとした。
また、他の3人についても、継続的なイジメを認定できないとしているものの、8人全員の賠償責任は認めた
これは控訴審第1回口頭弁論後の記者会見で弁護士が主張した「イジメは個々の行為で判断するのではなく、全体の関係性を判断するべき」という主張が通ったことになる。

〈PTSDの認定について〉

控訴審判決では、一審で認められたPTSDの発症を否定している
控訴審判決は「イジメ被害に遭ったことのみで外傷的出来事の基準を満たすと判断することはできない」としている。
また、医師の報告書の記載で「和威さんがどんなイジメ行為を受けた事実があることを前提として診断したのか明らかではない」としている。
それでも「イジメによって精神的苦痛を受け、精神症状を発症して通院を余儀なくされた」とは認めている。

なお、和威さんのPTSDに関しては、日本を代表するトラウマの専門医の意見書が提出されている。
専門医の診断では、和威さんは重度のPTSDであると認められている。

〈財産的損害について〉

財産的損害については、控訴審(高裁判決)において「32万円8400円」と認定した。
ただし、和威さん側の主張は、自宅で母親の脳梗塞の再発に備えていた入院費用70万円に手を付けたとし、その他、自分たちが将来のために貯めていたお年玉や妹の貯金も含めて、少なくとも100万円を加害生徒たちに奪われたと主張している。

ここで疑問を持つ人もいるだろう。
なぜ、そこまで金銭の要求にこたえてしまったのか?と。
和威さんの発言では、

「お金を持っていかなければ、母や妹に危害を加えると脅されていたためです。そのため、仕方がなく持っていかざるを得ませんでした。自分はどうなってもいいと思っていました」

《控訴審では終わらない、終わらせてはいけない》

結局、控訴審(福岡高裁)でも加害生徒の保護者と市側への請求を退け、一審では認められていたPTSDの発症についても認められないと判決された。

和威さんは、いまでもPTSDに悩まされ、人間不信が強まっている。
新たな人間関係を築くことが難しい状態にある。
就職の不安も抱えている。
また、フラッシュバックに悩まされ、記憶のない間に自殺未遂を繰り返している。

《控訴審を振り返っての和威さんの発言》

控訴審(福岡高裁)の意見陳述を締めくくって和威さんは以下の様に語った。

「私は、12歳だった当時の僕のため、そして、同じようにイジメ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通じて、イジメで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています

「今回の判決を受けまして、加害者がやったことはだいたい認められましたが、市側にあった加害行為(安全配慮義務違反)は認められませんでした。第一審と同じように、“こういう被害行為にあった子どもは、死んだほうがいい”と言われているようなもの。このような判決だと、当時の自分を含め、同じような被害にあっている子というのは救われることはない」

担任の責任、学校側の責任を検証する!

《学校側(鳥栖市)の責任を検証する》

市側(学校側)の責任については、控訴審も一審同様の判断をしている。

イジメが発覚する10月23日以前に、一定程度、担任がイジメの行為を認めていながらも「安全配慮義務を怠ったと認められることにはならず、本件で認められる事実を考慮し、本件の全証拠を検討しても、市教育委員会が義務に違反したと認めることは出来ない」とした。
謝罪文を書かせたこと、一時期部活参加停止処分としたこと、別室登校として特別指導したこと、和威さんへの支援会議を複数回したことを理由としている。

〈和威さんが学校側にイジメ被害を相談していない理由とは?〉

和威さんがイジメについて、家族だけではなく、担任ら学校側にも被害を話していない。
それは担任の態度が大きな理由としてある。

和威さんは控訴審で以下の様な主張(意見陳述)をしている。

「担任の先生は私が暴力を受けている時も、見て見ぬフリをしていました、そんな先生に相談することはできません。イジメに苦しむ人は、その場をしのぐことで精一杯で、どこに助けを求めればよいのかわかりません。また『相談すれば、必ず救ってくれる』という確信が持てず、声をあげることはできません。私がまさにそうでした」

要するに、担任は「見て見ぬフリをしていたから信用できなかった」ということです。
さらにイジメが発覚した2年生のときの担任は、一見味方のような関わりをしたが、その後裏切られたと話している。

和威さんの弁

「2年生の担任は『俺が助けてやる、一生付き合うから』と私を抱きしめて言いました。何度も家庭訪問に来てくださり、親身になって話を聞いてくださいました。本当に心強かったです」

しかし、その後担任の様子が豹変する。

「先生の態度が1学期の終わりごろから変わってきました。私と二人だけのときに、母や家族に対する不満はないかと何度も聞くのです。私は先生の態度に違和感と不信感を抱くようになりました」

(意見陳述)

ポイントは、「担任がイジメを見て見ぬフリをしている」と和威さんが受け取っていることです。
イジメ被害者からすれば、「『相談すれば、必ず救ってくれる』という確信が持てなければ教師に相談することはできない」のです。
まして、2年生の担任には「違和感」「不信感」を持っている。
それで相談しなかった方が悪いという論理は被害者への“二次被害”を与えるものでしかない。

〈学校側の主張は、責任回避の論理〉

学校側の論理はこうだ。
プロレス技をかけられていることを目撃したが、それは苦痛を感じる程度ではなかった。
給食中に注意したではないか。
つまり、担任が和威さんが苦痛を感じるような行為を見ている状況を現認していない、だからイジメそのものを認識していないので、防止義務が無く責任も負わない。

しかし、思い出して欲しい。
市側は当初、「和威さんが受けていた被害は『犯罪に等しい』と会見で認めている」のだ。

「現認していないから責任はない」
「苦痛と感じているように見えなかった」

というものは、教師(市側)の責任回避の論理でしかない。

〈教育のプロとしてのあり方とは?〉

弁護団は以下の様な主張をしている。

教育のプロである教師が、積極的にイジメの端緒となる行為を探っていかなければいけない姿勢を認めませんでした。他の判例では、教育のプロとしての教員の責任と認めるものもありますが、今回は消極的でした」

教師という職業が教育のプロであるならば、思春期の生徒同士の人間関係において「イジメが発生する可能性が高い」という認識の上に立たねばならない
常にイジメが発生する、教師に隠れてイジメが起きる、という認識の中で教育に当たらねばならない。
それが教育のプロとしての責任である。
さらに、言えば、その前提に立ち、教師が待ちの姿勢(イジメ被害の申告を待つ)ではなく、教師自らがイジメの調査や観察行動をするべきである。
生徒からイジメ申告を待つ姿勢は教育のプロとしての立場を否定するものである。

これを別の例えで言えばわかりやすいだろう。
お菓子製造のプロ職人(会社)が、自社の製造したお菓子が変形、異物混入に気づかずに商品を市場に出し、顧客からクレームが起きたときに、果たして責任はお菓子製造会社にはないと言えるのだろうか?
製造の途中で気がつかなかったから仕方がない、という論理が顧客に通用するのだろうか?

学校という一種の治外法権が認められている場所が、このように社会通念、社会常識からかけ離れた存在となっていることを学校関係者及び市側は気がつくべきだ。

加害者の保護者の責任

《加害生徒の保護者には責任がない?》

和威さんの訴訟(裁判)では、加害生徒の保護者の責任も争点となった。
しかし、一審でも控訴審でも保護者の責任は認められなかった
理由は以下の通り。

「加害生徒が家庭内で暴力的な態度を見せることはなかった」
「素行に問題があると認識することができたとは言えない」
「中学校から両親に対して注意や連絡があったとは認められない」

つまり、「加害生徒の問題行動を認識することが可能であったにも関わらず、監督義務を怠ったと認めることが出来ない」とした。

しかし、以下の様な主張もある。

「善悪のわからない子供を育てたということに保護者にも責任がある」

【後編1】裁判の限界と裁判官に潜む問題とは?につづく。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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