アベノマスクが大量に未配布のまま在庫に!
《政府調達の布マスク(アベノマスク)が大量に残っている》
昨年、新型コロナ感染症が日本において感染の広がりを見せたとして、緊急事態宣言が出されました。
“未知なるウイルス”に国民は恐怖と不安を覚え、マスコミが煽りました。
そんな中、当時の政府(安倍政権)は、感染症対策として“布マスク”(アベノマスク)を一律に配布しました。
ですが、8,000万枚以上が余っていることが判明しました。
政府は感染対策として、2020年3月から6月にかけて複数の民間業者と契約し、介護施設や保育所用などとして約1億5700万枚、全世帯向けに約1億3000万枚の布マスクを調達しました。
しかし、2021年3月末の時点で感染対策目的として調達されたはずの布マスクが配布されないまま民間の倉庫に保管されていたのです。
なんとその保管費用が6億円。
(会計検査院の調査、及び厚生労働省への取材で判明)
《未配布の布マスク》
未配布の布マスクの数は?
介護施設や保育所を対象にしたものが「およそ7866万枚」、全世帯向けが「およそ405万枚」、合計「8270万枚」が倉庫に眠っていたのです。
(7800万枚という試算もある)
布マスク1枚の単価はおよそ140円なので、在庫となった布マスクの金額を計算すると115億円相当になる。
保管費用の6億円と合わせれば、121億円となる。(3月末時点で)
会計監査院は、保管費用の節減に努めるとともに、在庫の解消が見込めない場合は、売却や譲渡を検討すると示唆している。
なお、磯崎官房副長官は、介護施設向けの布マスクについて以下のような発言をしている。
「一律配布から希望に応じた随時配布に見直した」
「調達について問題があったとは考えていない」
(情報は、「東京新聞」「JIJI.COM」「NHK NEWS」など)
布マスク配布はただの税金の無駄遣い!
《政府の欺瞞》
当時は、まだ新型コロナウイルス(SARS2)及びCOVID-19(新型コロナ感染症)についていまほど明確に分っていなかったことは考慮する必要があるとは思う。
しかし、それは民間人レベルと政府レベルを同じに論じられない。
政府は一早くウイルス情報、感染症に関する情報をつかむことができる立場にあるからだ。
それを証明するように、安倍総理(当時)が第一回目の緊急事態宣言を出したその二日後にイベルメクチン等を適用外使用する通達を出しているからだ。
ということは、政府は昨年3月末時点でイベルメクチン等の薬品がCOVID-19に有効であるという情報をどこかから得ていたことになる。
国民には真実を知らせずに感染対策を推し進めていたと言わざるを得ない。
《布マスクの問題点1》
昨年の時点で、COVID-19にマスクがどれだけ有効であるかを当時の政府がどれだけ正確につかんでいたのかは憶測するしかないが、2021年の秋の時点でみれば、明らかに愚策中の愚策でしかないことは明白である。
なぜなら、マスクはCOVID-19の感染対策としてはほとんど有効ではないからだ。
COVID-19は明らかに「空気感染」であり、「飛沫感染」ではない。
ましてや「接触感染」など極めて稀にしか起こり得ない。
COVID-19は「呼気(エアロゾル)」による感染が一番確率的に高い感染症である。
しかし、厚生労働省はCOVID-19を「飛沫感染」「接触感染」といまだに言い続けている。
そのカラクリは政府が昨年から行ってきた感染対策の失策を誤魔化すためであると見るのが正しい見方だと思える。
COVID-19が「飛沫感染」であるとするならば、日本国中で国民がマスクを着けている状況で感染が広がるはずがない。
また、ウイルスは物体にはいない。
ウイルスが存在するのは宿主の細胞内である。
だから、「接触感染」を主な感染源とすることは科学的ではない。
「接触感染」は科学的に証明されたことではない。
そもそもウイルス対策として有効性が高いと言われている不織布マスクでさえ、呼気(エアロゾル)を完全に防ぐことはできない。
どんなにきちんと不織布マスクをしても、呼気(エアロゾル)に含まれるウイルスを吸い込む可能性はある。
なのに、布マスクではまったくウイルス感染症による対策として意味を為さない。
イベルメクチン等がCOVID-19に有効だと判断した見識が政府にあったにもかかわらず、マスクがCOVID-19に有効ではないとなぜ判断できなかったのか?
世界の七不思議ともいえる現象だ!
《布マスクの問題点2》
布マスク配布の本当の意味は、感染対策ではないとアチキは見ている。
もちろん感染対策の意味が1%もないとは言わない。
1%くらいはあるだろう。
しかし、本当の意味は他にあると思っている。
その一つが、「未知のウイルス感染症の対策を政府が何もしていないと国民から突き上げられることを回避する」こと。
つまり、未知のウイルス(当時)に対して政府の対策に国民が怒りの声をあげないように、「対策を考えていますよ」「対策をしていますよ」というアピールをしたこと。
さらに当然の帰結として次の論点を導く。
それは「選挙対策」です。
これが真の目的です。
現代の政治家たちの根源なる思考には、常に「選挙対策」が潜んでいます。
選挙に負けて落選しないことを常に想定して法案を立案し、行政の舵を取っています。
何をしていいのか分からない未知のウイルス感染症に無策な政府の姿を隠蔽するために布マスク配布をし、それによって有能な政府を演じていたのです。
つまり、何もしないと国民から見放されてしまうから、「とりあえずやってみた」というレベルの感染対策だったのです。
《布マスクの問題点3》
布マスク配布の感染対策の一番の重要ポイントは、「税金の無駄使い」という点です。
布マスク調達、配布にかかる費用、在庫分、在庫の保管料、すべて「国民の血税(税金)」です。
上記で検証したように、COVID-19の感染対策に「布マスク」は意味をなしません。
つまり、配布しなくても良かったという結論が導き出されます。
そもそも国民のほとんどは使用していません。
それは国民が布マスクに対して信用性を感じていなかったからです。
それは国民の気持ちと政府の考えの深い溝を表わすものです。
つまり、政府は国民の気持ちが全然わかっていないのです。
要するに、政府の独りよがりの政策で税金を勝手に使用した上に、無駄使いした、ということです。
反省しない政治家たち(特に政府)にもの申す!
《磯崎官房副長官にもの申す!》
磯崎官房副長官は、この布マスク在庫問題に対して以下の様な発言をしている。
「一律配布から希望に応じた随時配布に見直した」
「調達について問題があったとは考えていない」
これにご意見番が反論する!
一律配布から希望に応じた随時配布に見直したからなんですか?
それは論点ズラし論法です。
大事な論点を誤魔化す手法です。
随時配布に切り替えたから「在庫があまった」のですか?
一律配布を止めたから「保管料が6億円」もかかったのですか?
それは苦しい言い訳です。
基本的に政府の人間は、政府の政策を庇うような発言しかしません。
そうした発言に国民が呆れていることを少しも感じません。
一律配布から随時配布に切り替えたのではなく、「切り替えざるを得なかった」となぜ正直に言わない!
国民がアベノマスク(布マスク)配布に苦情を寄せたから、誰も布マスクを使用しないから、一律配布に意味がないと判断し、しかたなく随時配布に切り替えたのでしょう。
それを政府に都合の良いような言い方をするのは止めなさい!
国民をバカにし過ぎです!
《反省しない政治家》
結局、布マスク調達、布マスク一律配布、在庫が大量に出る、保管料に税金が使用される、ということに潜む問題とは、ずばり政治家たちに「税金が国民の血税であるという認識がない」ということを露呈させていることです。
税金は国民が努力して働いて得た収入を国家(および自治体)が強制的に徴取するものです。
そして政治家や官僚たちの給料は国民の税金から出されます。
これは雇い主が国民で、その奉仕者が政治家及び官僚であるという意味です。
ここで言える重要なことは、血税の無駄使いは許されない。
万が一、無駄使いをしたならば、きちんと国民に説明をし、納得してもらう義務がある、ということです。
しかし、政治家はそうした政策の失敗を認めません。
スルーしてなかったことにします。
その変わりに「給付金をだします」などの甘い誘いばかり主張します。
給付金って、税金ですよ。
自公連立政権の政治家たちは反省をせよ!
国民一人ひとりが賢明に働いて得た収入から出した税金を無駄使いしたことを反省せよ!
完全なる政府はありません。
だからこそ、間違ったならば反省することです。
国民に対して説明と謝罪をすることです。
それをスルーしてとぼけるのは国民に対する大罪です。
基本的に政治家と官僚たちは反省の出来ない人たちなのです。
国民はそれをよく理解して政治家に主張するべきなのです。
《給付金の支給ではなく、その分の減税をせよ!》
政治家のかかげる政策において摩訶不思議な政策があります。
それは「給付金」です。
(ただし、必要な種類の給付金もある)
国民は「給付金がでる」となれば当然喜びます。
人間ですから。
ですが、ここで根本から考えましょう。
なぜ、「給付」なのですか?
給付金とは別な言い方をすれば税金を使っての選挙活動(公式な買収)です。
給付金と同じ金額を減税する政策があっても良いはず!
しかし、政治家たちは減税には見抜きもしない。
なぜなら、財務省が大反対するからです。
もし、給付する金額と減税された金額がおなじであれば、国民の懐事情は同じ経済事情となります。
国民の立場からみれば実質上、収入が増えたことになります。
当然、支出も増える可能性もでます。
しかし、減税ではなく、なぜか「給付」などを政治家たちは主張する。
(もちろんそれだけではないが)
そのカラクリは、減税は国民にとって収入増加となるが、政府(財務省)の立場からすると減収となるからです。
さらに政治家としては有権者(国民)からの支持を得る手段が減るからです。
この図式を国民はよく理解する必要があります。
給付が当たり前の国家の帰結は必ず「大きな政府、高い税金」の国家となります。
それは結局、国民を幸福にしません。
「小さな政府、安い税金」が国民にとって理想的な国家です。
現在の自公連立政権が進んでいる政治は明らかに「大きな政府、高い税金」です。
必ずツケは国民に来ます。
明日、衆議院議員選挙がありますが、いまさら言ってもしかたがありませんが、自公連立政権は愚策ばかりしていますが、共産党及び立憲民主党が政権を取ったならば、さらなる愚策をするでしょう。
日本国は沈没します。
自公連立政権を庇うつもりはもうとうありませんが、究極の選択をするならば、という観点で見れば、ほんの少しだけ自民党の方がましと言えるでしょうか。
ただし、公明党は日本政治及び日本国民の幸福を考える上で“がん細胞”であると言っておきます。
《税金の正しい意味を政治家は肝に銘じるべき》
最後に税金の正しい意味を政治家に提示する!
税金を別な表現であらわすと「血税」です。
つまり、国民の「血」と「汗」なのです。
「血」とは、国民が必死に働いて得た生きるために必要不可欠な資金。
「汗」とは、国民が流した汗の対価として得た人生を送るための資金。
つまり、国民が自分と家族の生命と健康、喜びなどを生み出すための“血と汗の結晶の一部”なのです。
法律上、国民の義務だということは、政府は主権者から預かった立法権、行政権を行使する際に血税の意味を正しく理解し、決して無駄遣いしないことが当然のことだということを導きだします。
さらに万が一、血税を無駄使いしたならば、国民に対して説明と謝罪が必要です。
それをしいなどころか、言い訳をするとはいったいどういう了見か?
政治家は、「税金」の意味を正しくつかむべし!
いま、政府の自粛政策等によって経済的危機に追いやられている国民がいます。
また、とても一人暮らしなどできない収入しか得られない若者もいます。
彼らの生活における経済的痛み、生活における不安、将来への恐れ、そうした現実と心の傷みを理解しないならば、そんな政治家は必要ない、と言っておく!
布マスクで血税を無駄使いした分を、減税などにあてればもっと違った状況があったでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!