『“保守の憲法論”最終結論【検閲編①】~検閲とは言語空間を閉鎖すること~』

【検閲編】のはじめに

もう一つの日本人洗脳作戦とも言うべき占領政策が「検閲と焚書」です。
ここで言う「検閲」とは、「日本人に知らせたくない情報を、いかにして隠すかという秘密作戦」のことです。両者はクルマの両輪であり、二つが相まって、全体の作戦が進められたのです。
GHQの政策実施は、重要な部分は日本政府を通した間接統治によって行われ、多くの日本人に“自分たちが自主的にやった”と錯覚させることで、絶大な効果を発揮しました。

ポツダム宣言の受諾によって軍事占領された日本国は主権が奪い取られた状態です。別な表現をすれば、日本政府及び天皇の上位にGHQが君臨する状態となったということ。憲法論に絡めて言うと、逆らうことが出来ない軍事占領状態であり、厳密な情報統制(検閲、焚書、禁止令等)された状況下において米国によって起草された憲法には正当性はないということ。これは「国際法違反」なのです。ここでいう国際法とは『ハーグ陸戦法規』および『ポツダム宣言』です。

江藤淳氏は、9カ月におよぶワシントン滞在中に日本の占領されていた期間にGHQが行った新聞、雑誌等の検閲の実態を調査している。
日本国憲法の正当性を主張するためには、GHQが行った占領政策を知る必要がある。
逆に言うと、GHQによる占領政策を知らない人の日本国憲法擁護論は不毛であると言っておく。

参考書籍は、『閉ざされた言語空間』『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実』『ルネサンスvol.12 GHQが隠した「本当の日本」』です。

検閲とは言語空間を閉鎖すること

《錯覚の魔術》

日本政府を前面に立て、GHQは背後に陣取って言論を操ったのですが、手を動かしている主体は、日本人自身だと“錯覚させた”のです。
また「焚書」という出版物の排除も行っている。
西尾博士の『GHQ焚書図書開封』によると、民間情報検閲支隊が遂行していた焚書作業は、昭和23年から、なんと文部省社会教育局の手に移り、警察をつかって続行された。

重要な点は、「GHQの占領政策は、重要な部分を日本政府を通した間接統治(日本政府を前面に立てる)によって行ったこと」であり、それよって多くの日本人のほとんどが、“自分たちが自主的に国家を立て直したと錯覚させた”ことです。

《検閲の本質とは?》

GHQ草案を基にして制定された現日本国憲法第21条は以下の通り。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

しかし、GHQはこの憲法理念を真っ向から逆らう「検閲」を占領下において行っていた。
「検閲」とは、「自由の破壊」であり、「人権蹂躙」に他なりません。
自由を剥ぎ取られ、人権を奪われた状態とはいわゆる奴隷状態といってもいいでしょう。
それほど強制的な検閲とは「悪」なるものなのです。
GHQにとっては占領政策を成功させるための絶対条件こそが「検閲」だったのです。
検閲(及び焚書)とは、情報のコントロールを意味するもの。
そのコントロールとは、GHQが日本国民に知られたくない情報を隠し、逆に日本国民を洗脳するための情報を植えつけるということです。
要するに、洗脳するためには真実、真相を隠す必要があり、その後に偽の情報を植えつけることで目的を達するものです。
それが「検閲」の本質です。

《検閲とは洗脳作戦の一環》

〈事前検閲〉

敗戦から1か月しか経過していない昭和20年9月10日、GHQは、「新聞報道取締まり方針」を発し、9月19日には、「日本出版法」を制定した。
昭和20年12月8日、日本が対米戦にふみきった日を選び、GHQは、自分たちで記述した1万5000語の『太平洋戦史』を各新聞社に10回にわたり連載するように命じました。
【WGIP編】で語ったように『太平洋戦争史』とは日本人の歴史観を入れ替えるものです。
この本質は単なる入れ替えではなく「洗脳」と呼べるもの。

GHQが実際に「検閲」をしていたことは明白です。
一般人の手紙(私信)も月に400万通が開封され、電信や電話も盗聴されていました。
しかも、巧妙に検閲の痕跡を残さないようにしていたのです。

これを実際行った組織が「CIE(民間情報教育局)」です。
江藤淳氏は、「検閲とその秘匿は、日本の伝統的な価値体系を破壊し、また戦後の日本の言語空間のなかで、依然として現在も続けられている」と指摘しています。

新聞、出版物の事前検閲
・極東国際軍事裁判批判
・GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
・アメリカ合衆国への批判
・連合国の戦前の政策に対する批判
・神国日本の宣伝
・戦争犯罪人の正当化および擁護
・戦争擁護の宣伝
・ナショナリズムの宣伝
・大東亜共栄圏の宣伝
・解禁されていない報道の公表

〈検閲の目的〉

「検閲」を行った大きな理由に、「日本国民の民意(GHQが行った占領政策を日本国民がどう受け取っているのか)」を把握することがあげられます。
言い方を変えれば、GHQの洗脳作戦がどれだけ成果を上げているのか、逆に浸透していないのか、ということを詳細に把握する目的があったのです。

《閉ざされた言語空間》

通説によれば、日本は敗戦・占領と同時に連合軍から「言論の自由」を与えられたことになっている。しかし、当時の状況を逐一調べてみると、実際には降伏文書調印から二週間も経たぬうちに、昭和20年(1945年)9月14日午後5時29分を期して、まず同盟通信社が占領軍当局から24時間の業務停止を命じられていた。そして、翌15日正午、業務再開を許されたときには、「同社の通信は日本にのみに限られ、同盟通信社内に駐在する米陸軍代表者によって100%の検閲を受ける」ことになっていた。

〈ポツダム宣言はGHQにも適用される〉

白人国家の文明の奥にはディープステートと呼ばれる「秘密結社」の思想が流れています。
「黒い貴族」とも呼ばれる彼らのやり方は表面上の大義または正義とは別に本当の狙い(意図する目的)が裏側に隠されています。

「ポツダム宣言」とは連合国と日本国における降伏における条件(占領を終了する条件)ですが、その第12項に「これらの目的が達成され、日本国民の自由に表現された意志にしたがって平和的傾向があり責任のある政府が樹立されれば、すみやかに連合国の占領軍は日本から撤退するものとします」とある。
ポツダム宣言の内容は、日本国を縛ることは勿論ですが、連合国側もこの宣言に縛られることになるのです。
第12項を読む限り、日本国民は言論の自由があり、日本国民の意志が戦後社会に反映されると勘違いしてしまうでしょう。
しかし、現実には降伏文書調印から二週間も経たぬ昭和20年(1945年)9月14日から最初の検閲が始まり、政府や通信社、新聞社、雑誌社にとどまらず民間人を対象にした民間検閲を行っているのです。つまり、日本社会を徹底的に調べ上げているのです。江藤淳氏の言葉を借りれば、日本社会はGHQの検閲によって「言論空間を閉鎖」したと言える。
この欺瞞を理解するべきです。

〈検閲の根拠とは?〉

江藤淳氏は、メリーランド大学附属のマッケルディン図書館に収められている占領中に米軍の検閲を受けた資料を修めたいわゆるブランゲ文庫を調査し、一次資料からGHQ(実質的に米軍)の検閲の実態を明らかにしている。

※補足説明:「ブランゲ文庫」の“ブランゲ”とはメリーランド大学の史学教官だったゴードン・W・ブランゲがGHQ参謀第二部(G2)の戦史室に6年勤務していた人物から由来する。

マッカーサーの参謀第二部長チャールズ・A・ウィロビー少将から参謀長エドワード・M・アーモンド少将に宛てた長文の覚書の一部を以下に示す。

1944年11月12日付JCS873/3(附表A)は、合衆国の責任範囲内の地域における民間通信検閲の責任を戦域軍司令官に課し、かつこれが敵国領土占領期間中を通じて軍当局の実施すべきものであることを定めている。また、当該命令書は次のように述べている。検閲は、「その範囲と寛厳の程度については戦域軍司令官の裁量によりこれを緩和することができる。しかしながら、いかなる地域においても、あらかじめ統合参謀本部の許可なしにこれを終了させることはできない

日本占領期に実施された「検閲」は、統合参謀本部命令(JCS873/3)を根拠にしている。
つまり、GHQ占領期の検閲とは、米国ワシントン政府の統合参謀本部の“命令”に基づいて実施されたものだということ。
注目すべきは日付。
JCS873/3(附表A)が発せられたのはまだ戦争が続いている最中である1944年11月12日であり、この時点ですでに戦争の勝利を確信し、戦後処理としての検閲の命令を出しているのだ。

アメリカはいまだ日本が降伏していない時期から、戦争に勝利することを確信し、戦後処理(占領)の計画を進めていたということを現代に生きる日本国民は知るべきでしょう。
こうした緻密かつ計画的な戦争をする国家に日本が勝てるはずがないとも言える。
占領地における「検閲の終了」を決定するのは、占領統治者であるGHQでもマッカーサーでもない。「終了」に関する権限は合衆国大統領に直属する機関の専権事項である。
検閲に関する命令書の改訂版(日本における民間検閲に関する太平洋陸軍基本計画)は1945年(昭和20年)9月30日付けで出されている。

《民間検閲》

GHQが行った「検閲」の中心は、「軍事検閲」ではなく「民間検閲」であることを日本国民は知るべきだろう。つまり、軍事に関する検閲、政治に関する検閲だけではなく民間人(日本国民)に対して検閲を行っているということ。占領軍であり日本社会に占領革命を起こそうとしているGHQにとって何より気になることが「日本国民の反応」または「日本国民の考え」だったのです。
要するに、GHQが行った占領政策に対してどのような反応をするのか、日本国民がどう考え、受け入れるのか拒否するのか、ということを何よりも知りたがっていたのです。
これは占領期における内乱および占領期間終了後の日本のあり方を考えれば当然となる。
GHQは、自分たちが引き上げた後も自分たちの占領政策が生き続けることを望んでいたし、そのような仕掛けを行っている。
つまり、GHQが引き上げた後、日本人の反発が起き占領政策が覆され、戦前の日本社会に逆戻りすることを恐れていたということであり、そうならない対策を取ったということ。

「検閲」の意味とは、GHQによる占領革命を否定する動きをチェックするものであり、米国が犯した戦争犯罪を後の日本国民から非難されないためのものであり、占領革命がずっと続いていくための情報統制に他ならない。

占領期間中ありとあらゆる分野において検閲が行われた。
検閲の対象となったのは、郵便、電信、電話、旅行者携行文書、映画、スティール写真など。
日本国民が出している手紙(私文書)も検閲していた。しかも手紙を見たと分からないように元の状態に戻して検閲の隠蔽をしている。
徹底的な検閲を行っているのです。

《「言論の自由」の限界点とは?》

「検閲」の問題とは「言論の自由」の問題に他ならない。
ゼカリア・チャフィー・ジュニアという人物が1920年に刊行した『言論の自由』では、言論の自由の正当な限界をどこに見出すべきかという問題の探求をしている。
現代の日本においても日本国憲法第21条において言論および表現の自由が保障されている。
チャフィーは著書の中で、いかなる意味においても、誰でもが何時何処ででも、言いたい放題好き勝手な言論をすることが許されているわけではなく、自由の限界点があるという論を展開している。

彼の眼には、第一次世界大戦中に米国政府がとった検閲その他の言論規制措置は、合衆国憲法修正第1条に対する重大な挑戦を含んでいるもの映じていた。それは、チャフィーによれば、ほかのどの理由にもとづくものでもなく、「米国憲法に示された言論の自由条項が、単なる政治的信条の表明にとどまらず、法的拘束力を有する」ものと解せられるからであった。

合衆国憲法修正第1条に比すべき日本の憲法条項は第21条であることは間違いない。
日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

政治家に伝える。
日本国憲法に示された言論の自由条項が、単なる政治的信条の表明にとどまらず、“法的拘束力”を有するのである。さらにそれを補完するために99条が存在している。
憲法21条とは、「法的拘束力を有する」ものだと言っておく。
この日本国憲法第21条が定める言論の自由および検閲の禁止とは、チャフィーが論じていることと同様に、政治的信条の表明にとどまらず、権力者に対する法的拘束力を有するものであるということを日本国民も理解するべき。
その裏付けが、第99条である。

日本国憲法第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

つまり、国務大臣、国会議員は21条に規定されている言論の自由を保障し、検閲をしてはならない(禁止)という条規を尊重し擁護する法的義務がある(法的拘束力を有する)ということ。

〈言論弾圧(検閲含む)とは戦争の始まりを告げるもの〉

高市早苗氏が進めようとしているスパイ防止法および国会機能維持条項(緊急事態条項)は、明らかに日本国憲法の法的拘束力を破るものでしかなく、憲法違反であることは明白である。

言論の自由が規制または弾圧され、権力側によって検閲されるという事態が発生するのが「戦争時」であることは間違いない。
実際にアメリカ合衆国において、第一次世界大戦中に「宗教上、政治上、あるいは倫理的な立ち場から戦争批判を行ったという理由」だけで多数の市民が投獄されることとなった。
ここから見えてくる教訓とは、言論弾圧(検閲含む)とは戦争の始まりを告げるものであり、戦争をするためには言論弾圧(検閲含む)が必要となる。
戦争と言論の自由(検閲含む)の関係を言い換えれば、自由と秩序の調和の問題となる。
言論および表現の自由を望む国民と戦争という国家権力の発動を開始するための条件を作ることとの対立がそこに横たわっている。

〈憲法が保障する言論の自由とは?〉

ここに2つの学説を対比する論を示す。
ブラックストーンの学説では、「政府が事前に検閲または介入によって言論を規制しようとするのは、明らかに言論表現の自由に対する侵害であるが、事後、すなわちいったん公開または公刊されたあかつきには、政府はこれを存分に処罰し得る」というもの。
チャフィーはこのブラックストーン説を批判している。
まず、ブラックストーン説は合衆国憲法の解釈にもとづくものではないこと、さらに事前検閲を違法としているとしても、それは必ずしも言論表現の自由を保障しているわけではないと批判している。
そしてチャフィーは合衆国憲法修正第1条が「言論の正当な行使の自由を保障するものであって、その濫用を保障するものではない」としている。
チャフィーの見解では、統治者と人民との関係において、相互に相容れない二つの見解が存在すると指摘している。
つまり、統治者としては言論の自由を縛ることによって統治したいという願望を持つが、人民の側では統治者からの制限を限りなくなくしたいと考えるという相矛盾した見解がぶつかり合っているということ。
一つの見解として、「統治者は人民に優越しているという見解であり、その権威を減殺させるような一切の批判から超然としていなければならない」というもの。
これに対する二つ目の見解は、「統治者は人民の代理人もしくは従僕であり、人民は当然従僕たる統治者の誤りを見出し、その処罰や罷免を論議し、政府の政策を批判することが可能である」というもの。
高市早苗氏の考えが前者であり、日本国憲法の示す法秩序が後者である。

これらの相反する学説に対するチャフィーの結論とは、

検閲は表現の自由の諸々の敵のうちで最も危険なものであり、非常な危難に遭遇して必要となった場合を除いて、この国に存在してはならぬものである。

チャフィーによれば、合衆国憲法では、政府にではなく人民に絶対の主権が付与されており、行政府のみならず立法府の権限もまた制約を受けているものであり、合衆国憲法修正第1条は、合衆国市民に対して原則的に、公務を批判し得る無制限の自由を与えているとしている。

高市早苗氏率いる自民党およびその支持者たちに伝える。
チャフィーの主張することと日本国憲法の法規定は同じ効力を持つ。
つまり、日本国憲法第21条は日本国民に対して原則的に、公務を批判し得る無制限の自由を与えているのです。なぜならば、21条は合衆国憲法修正第1条を模範としているから。
日本国憲法第21条によって国民の「言論の自由等」が規定され、第99条によって憲法が定める条規を「尊重し擁護する義務」を負っている(法的に拘束されている)権力者には国民の言論の自由を保障することが法的な義務となる。法的な拘束力を課されている国会議員、国務大臣等が憲法秩序に違反することとは「犯罪」と同等の意味を持つ。

日本国憲法の前文にはこうある。

日本国憲法前文抜粋
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

つまり、国政とは国民から与えられたものであって、統治者(政治家)は国民の従僕であると規定されている
また第1条でも「主権の存する日本国民の総意」とあるように、日本国憲法が定める主権者とは国民に他ならない。
さらに前文では、以下のように定めている。

日本国憲法前文抜粋
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

よって、国民の「言論の自由を制限する法律」または「検閲を可能とする法律」は定めることは出来ない。国民から権力を与えられている国会議員が国民を監視する法律を制定するなど言語道断でしかない。憲法に反する法律の制定、または憲法そのものを改正しようとすること自体が意味することとは、その政治家が「無法者」であることを証明することに他ならない。
「無法者」とは、ディープステート(黒い貴族)の別名であることを伝えておく。

チャフィーは戦争と言論の自由を以下のように論じている。

それが戦争遂行に直接かつ危険な危害を及ぼしかねないことが明瞭でない限り、言論は検閲によってもまた処罰によっても規制されるべきではない。

チャフィーは言論の自由の限界線とは、言論が非合法行為を触発させる限界点の一歩手前に設けられたことになるとし、憲法修正第1条が、言論を単にそれが有害な傾向を有するという理由だけで処罰することを禁じていると確言できると主張している。

日本国憲法第21条は、明らかにその元がGHQ案にあり、GHQ案の条文はアメリカ合衆国の憲法修正第1条を参考にしていることは間違いない。

チャフィーから学ぶことで最も重要なことは、仮に検閲を必要悪だとしても、表現の自由の諸々の敵のなかで「最も危険な悪」だとしていること。
また、自由な社会において、「検閲」政策が人気を得ることは到底不可能であることをここに指摘する。

よって、国民の言論および表現の自由を奪う統治者とは、必ず後々国民の復讐にあうこととなる。
イギリスの歴史家のアクトン卿が言っているように「絶対的権力は絶対的に腐敗する」のであり、腐敗した統治者は歴史のいずれかの時点で国民から排除される運命にあるのだ。
統治者が国民から自由を奪うことによって権力を拡大あるいは増大させたとしても、その反作用はその大きさに応じて統治者を襲うこととなる。
宗教的な意味で言うとするならば、創造主は人間に「自由」を与えた。その与えられた自由を奪うものこそが「悪魔」であると言える。
つまり、自由を奪うことは「悪」であり、そこに正義も大義も存在しないということだ。

《日系人に対する強制退去および強制収容所送り》

1942年(昭和17年)1月29日、合衆国検事総長フランシス・ビドルは、太平洋沿岸に安全保障地帯を設け、すべての適性人士をこの地帯から移動させるよう命じた。
~中略~
同年2月13日、太平洋諸州選出の上下両院議員は、連名でローズベルト大統領に書簡を送り、合衆国市民たると否とを問わずすべての日系人を、カリフォルニア、オレゴン、ワシントン三州から即時退去させるよう要請した。

※補足説明:江藤淳氏の著書ではルーズヴェルトではなくローズベルトと表記しているので原文のまま引用した。

これを受けたルーズヴェルトは、日系人の強制退去を命じた大統領令9066号を発した。
強制退去の第一弾として、ロサンゼルス地域の日系人のグループがカリフォルニア州マンザナの強制収容所に移動させられた(3月22日)。
この命令に影響された日系人は、全米に居住している12万6千人のうち11万人に達した。
強制収容所は10か所あり、カリフォルニア、アリゾナ、アイダホ、ワイオミング、コロラド、ユダ、アーカンソー諸州の荒蕪の地に開設され、同年11月3日、日系人の強制退去はすべて完了している。

〈検閲の主体は米国政府〉

国家の使命とは、たとえ海外に住む人であっても同じ民族を保護するというものがある。
日本から見れば、米国に移住した日系人を強制的に収容所に入れて自由を奪うということは許されざることである。日本人の心の中に「米国憎し」という思いが湧きてきても当然と言えよう。

しかし、日本人の性質である忠義心を日系人たちは見せる。アメリカ軍に入隊した日系人たちには階級が与えられなかった。彼らが二等兵に昇進したのはガダルカナル戦でその活躍ぶりが師団長や軍司令部に認められてからであった。
米軍は日系人を戦場の最前線に送り込んだ。それでも日系人たちはアメリカ合衆国のために命を投げ出して戦った。

検閲の関係で言えば、多くの日系人が海軍日本語学校で訓練を受け、日本語の翻訳作業をさせられた。

間違ってはいけないのが、占領中に行った検閲は連合国が行ったものではなく、合衆国政府がその軍隊をして実施したものであること。
さらに検閲の実施は秘匿されていたこと。

「日本における民間検閲基本計画」では、日本における民間検閲は容赦なく拘束的なものでなければならない。それは日本の支配下に在る地域を包囲することを意図している、とある。
この民間検閲の基本計画は、日本国内だけにとどまらず当時日本の支配下にあった台湾や朝鮮半島にまで及び、なおかつ「拘束する」ものでなければならないとしている。
つまり、言論や通信、放送等の自由を完全に奪うということに他ならない。
これらのことを江藤淳氏は以下のように述べている。

まず日本を、「実効ある検閲の網の目」によって包囲し、その言語空間を外部の世界から完全に遮断する。しかるのちに「広汎」な検閲「攻勢」によって、この閉ざされた言語空間を占領権力の意のままに造り変える。

要するに、GHQ(実際は米軍)による「検閲」とは占領革命のための手法の一つであるということを意味する。
これはまさしく「洗脳」の手法に他ならない。
カルト宗教は、外部の情報から信者を遮断し、内部の教義だけを与えて信じ込ませることによって信者に特定の価値観を植えつける(洗脳)ことによって思うままに動かす。

〈GHQ(米軍)による違法行為〉

言論の自由、表現の自由を奪われるということは、人間としての尊厳を奪われることと同義であり、尊厳ある人間としての生き方を奪われることでもある。
戦後の日本人の価値観は、占領期間に行われた検閲等の占領政策によって、伝統的な価値観、自由な言論、日本人としての歴史観を奪われて、逆にGHQによる特定の価値観、歴史観、政治思想を植えつけられたのです。
自由を奪うことは「悪」なのです。
こうした悪なる占領政策によって日本国憲法は誕生したということを日本国民は理解するべきなのです。(ただし、内容の良し悪しは別の価値判断となる)

はっきりと言えば、GHQは汚い手を使っている。

日本政府がポツダム宣言受諾を表明したことによって、やがて日本において米占領軍当局が実施すべき民間検閲が、実質上合衆国憲法修正第1条の規定に等しい言論・表現の自由の原則に、好むと好まざるとにかかわらず拘束されざるをえなくなった、という事実である。

つまり、占領中の主権は占領国にあるため占領国=米国を縛る憲法修正第1条が米占領軍をも拘束することとなったということ。さらにポツダム宣言第10項にある「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」の適用を受けることになる。
だが、実際は合衆国憲法修正第1条もポツダム宣言第10項ともに違反した占領政策を実行している。

これは米国の国内法および国際法(ポツダム宣言)の両方に違反しているということになる。
こうしたこと平気で行うのが白人国家だということを、日本国民は理解するべきでしょう。

米国政府は、「1945年7月26日の宣言と国務省の政策との比較検討」と題する覚書で、ポツダム宣言は、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈されるべき国際協定となるはずであり、「国際協定」である以上それは当然、「双務的」拘束力を有すると分析している。

〈合衆国憲法修正第1条と日本国憲法第21条の違いとは?〉

合衆国憲法修正第1条
連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。

上記の合衆国憲法修正第1条に相当する日本の憲法は、第20条および21条となる。
比較のため記す。

日本国憲法第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

合衆国憲法修正第1条と日本国憲法20条と21条の違いがおわかりだろうか?
日本国憲法20条と21条は、信教の自由、言論の自由、表現の自由、出版の自由、集会の自由、結社の自由を“保障する”条文となっているが、合衆国憲法修正第1条はさらに踏み込んで、第1条が明示する自由及び請願権を侵す法律の制定を“禁止”している
どちらが強力な拘束力を持つかと言えば、明らかに合衆国憲法修正第1条である。

私は思う。
なぜ、日本国憲法も合衆国憲法のように憲法に反する法律の制定を“禁止”する条規となっていないのかと。ここまで踏み込まなければ、本当に国民の自由を守ることはできない。
もしくは憲法違反をする政治家等に対する罰則を設けることで国民の自由を守ることができるが、日本国憲法には罰則もないし、憲法に反する法律を禁止する規定もない。不十分な憲法規定だと言える。
ここに内閣が国民の言論の自由等を奪うことの“隙”が生まれる。

日本人は理解するべきです。GHQによる占領とは、征服による敗北ではなく、ポツダム宣言の受諾による敗北(敗戦)であるということ。
肝心な点は、無条件降伏したのは日本軍であり、日本政府と日本国民はポツダム宣言が示す条件を受諾して降伏したこと。
だから、ポツダム宣言を守る拘束力は日本国とGHQ側(連合国)双方にある
しかし米軍および米国政府は国際法を守る気などサラサラないのだ。

《GHQによる検閲の意味とは?》

米軍検閲官が検閲のために開封した私信(民間人が個人的に送る手紙や葉書等)には当時の日本国民の心情があらわれている。

これらのうち、8月16日付と9月29日付のものは、いずれも戦地にある肉親に宛てられた国外郵便と覚しいが、ここで注目すべきことは、当時の日本人が、戦争と敗戦の悲惨さを、自らの「邪悪」さがもたらしたものとは少しも考えていなかったという事実である。

こうした当時の日本国民の生の声を調べること、ならびに占領政策によって日本国民の認識(心情)がどのように変化しているのかを調査するためという目的も検閲にはあった。

しかし現在の日本国民の多くが、日本人はアジア諸国を侵略し、原爆を落とされてもしかたがないほど「悪いことをした」と思っていることは明らかだが、それがいったいどこから来たのかと言えば、前記事で指摘したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムなどによってもたらされたものである。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを成立させるためには「検閲」が必要だったのです。GHQにとっての検閲の意味とは、「洗脳作戦」が有効かどうかを判定するための役割を担っていたのです。
こうして戦後の日本国民はGHQの占領政策によって「洗脳」させられてしまったのです。
これを理解しなければ、日本国憲法制定の真の意図が見えてこないのです。

米国務省は、発出されたポツダム宣言について、日本側とほぼ同一の見解を保持していたのである。
~中略~
換言すれば、このとき米国務省は、ポツダム宣言が米国の「政策の一部をなすもの」などではあり得ず、逆に対日政策の全部を規制すべき文書であることを、充分に、かつ正確に理解していた。そして、実際ポツダム宣言は、日本の受諾によって、現実に米国の対日占領政策の大本を拘束する協定文書となったのである。

重要なことを指摘します。法の秩序(主に国際法)に反することをしているのは、日本より米国なのです。

【検閲編②】につづく

参考書籍

書籍名:『閉ざされた言語空間』
著者名:江藤淳
出版社:文春文庫

書籍名:『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版

書籍名:『ルネサンスvol.12 GHQが隠した「本当の日本」』
発行人:小川忠洋
出版社:ダイレクト出版

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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