『ドラマ「半沢直樹」が人々を魅了する理由。 ~人間の醜さと素晴らしさ!~』

日曜劇場『半沢直樹』、終わっちゃいましたね~!
今回は、『半沢直樹』が世間で好評な理由に迫ってみたいと思うでありんす!

日曜劇場『半沢直樹』の面白さとは?

《日曜劇場『半沢直樹』の面白さとは?》

ドラマ『半沢直樹』は、池井戸潤氏の小説を原作とするものであり、テレビドラマであり、フィクションです。

半沢直樹原作
ファーストシーズン原作
俺たちバブル入行組』
『俺たち花のバブル組』

セカンドシーズン原作〉
『ロスジェネの逆襲』
『銀翼のイカロス』

最新刊
『アルルカンと道化師』

そもそも『ドラマ』や『映画』などはフィクション(作りもの)ですが、どうして人間は興味関心を持ち、面白可笑しく観るのでしょうか?

フィクションとは、極端な言い方をすれば「嘘」。
この場合の「嘘」とは、悪い意味ではありません。
騙しているわけでもありません。
(創作上の謎などの騙しとしての手法はあります)

でも、本当のことではない、真実ではない、現実に起きた出来事(事実)でもない、なのに人はどうして『ドラマ』や『映画』を楽しむのでしょうか?
不思議といえば不思議です。

ドラマ『半沢直樹』の面白さを一言で表すと、「痛快!」という言葉に集約できます。

人間は、ドラマや映画の中で、現実社会では得られない「なにか」を得たいと思っているのではないでしょうか。

ドラマ『半沢直樹』の面白さは、やっぱり「やられたらやり返す。倍返しだ」という台詞に象徴されるように「悪人」に対して徹底的に対決する固い意志、「悪事」に屈せず正義を貫く姿勢、そして悪に勝利する姿ではないでしょうか。

《物語論から見た『半沢直樹』の成功の秘訣》

物語論としての創作術を言うならば、次のような成功の秘訣があります。

「悪人と戦う正義のヒーローが登場する」
「ヒーローの前に立ちはだかる悪人は主人公を窮地に貶めるほどの強敵である」
「強敵と戦い苦難困難をかいくぐり最終的に勝利を掴む」
「ヒーローを支えるヒロインの愛」
「ヒーローと共に戦う仲間たちとの友情」
「記憶に残るインパクトのある台詞がある」
「現実に起こりそうな出来事であるが、その世界で展開されている物語は人間の純粋な部分や理想的な世界観を描いている」
「その世界が、あったらいいな、と思わせるものである」
「主人公への憧れ(主人公のようになってみたいと思わせる)」

などがあります。

これらの条件(要因)をすべて『半沢直樹』は満たしています。
ですから、ドラマ『半沢直樹』は物語論として、成功するべくして成功した、と言えるのです。

また、どんなに人気が出ても、評判になっても、人間を堕落させ、人間の欲望を拡大する方向で描かれた物語は、それ自体が悪と呼べます。

成功には、「善」としての成功と、「欲望の実現」という意味での「悪」の成功があります。

例えて言えば、ヒトラーが当時のドイツで国家のトップに昇り詰めた成功が「悪」としての成功でしょう。
政治家が不正な金銭を得て、選挙資金とし当選することは「悪」としての成功でしょう。
経営者が、脱税をして、社員には薄給しか出さないくせに自分だけ裕福になるのは「悪」の成功に近いでしょう。

世の中には「良い物語」と「悪い物語」が存在しています

「人間の欲望」しか描かない物語、「恐怖」や「不安」しか描かない物語は地獄的です。

良い物語とは「人間の醜さ」を描きながら同時に「人間の素晴らしさ」を描くものです。

良い物語は、読者や視聴者に「希望」「勇気」「生きる力」「愛の大切さ」「夢」などを与えます。

しかし、男女の愛を描きながら結局不倫のストーリーを描いただけで終わってしまう物語は「良い物語」とは呼べません。
物語の中で、人間の持つ「欲望」を描くことが目的ではなく、それを克服することの大切さを描く作品が良い物語なのです。
人間の醜さを描くことを物語のテーゼとするのではなく、人間の持つ素晴らしさを描くことをテーゼとする物語が良い物語なのです。

本当に素晴らしい物語とは、人間の素晴らしさを描くために、あえて醜さを引き合いに出しているのです。
光と影を対峙させることで、光の素晴らしさを描くのです。

結局、人間を善なる方向へ導かない物語は、人類の残すべき遺産(作品)ではないということです。

『半沢直樹』は、アチキたちの心に眠っている『正義の心』を呼び起こしてくれます。
半沢直樹が不正をする人たちと戦う姿は、視聴者の心に熱いなにかを生じさせるのです。

現実社会には悪人がいっぱいいる

人間は“この世”と呼ばれる世界で現実に生きる存在です。
そして、現実の社会では「悪人」がたくさん存在しています
人類の歴史とともに「悪事」はあり、「悪人」は絶えたことがありません。
それが現実ではないでしょうか?

万引き、窃盗、イジメ、傷害事件、詐欺、不倫、横領、脱税、殺人、人間は他の動物がしないような悪事をします。
他者を傷つけたり、他人の尊厳を落としたり、他人から何かを奪ったりします。
悪事の範囲を緩くすれば、パワハラ、セクハラなども立派な「悪事」でしょう。
また、「嘘」「約束を破る」「裏切り」「自己中心的な行為」「誹謗中傷」も悪事と呼べるでしょう。

地球上に生きる動物たちは生きるために他の動物を捕食(殺す)します。
必要以上に他の生き物を殺したり、何かを奪ったりはしません。
ですが、人間はそうではありません。
なぜでしょうか?

人間と動物の違いは、文明を持っているかどうかという違いに集約できるでしょう。
社会を形成し、他者の利便の為に職業に就き、調和して生きるために法律などのルールを作成して、さまざまな技術などを進歩させて生きることができる。

人間以外の動物は、ただ本能に従って生きるだけですが、人間は違います。
「知性」と「理性」を働かせ、論理を持って他者と共存して生きようとします。

ですが、同時に人間特有のものがあります。
それは「限りない欲望」です。
「底なしの欲望」と言ってもいいでしょう。

仏教の開祖、釈尊はこれを「煩悩」と呼び、滅却するべきものであると説きました。
「煩悩」こそ、人生の苦しみの根源であると教えました。
「あれが欲しい」「これが欲しい」「他人よりいい思いをしたい」「自分だけいい思いをしたい」「他人に知られなければズルをしてもいい」
そうした「足ることを知らぬ欲望」が人生の苦しみだと教えています。

人間は、他の動物よりも感情が豊かです。
ですが、それは感情の振り幅が広いという意味でもあります。
「誠実」「真心」「真摯」「思いやり」「素直さ」「正直さ」などの心の作用を働かせるその反対側で「恨み」「憎しみ」「嫉妬」「怒り」「欲情」などのマイナスの感情まで極端な幅を持つことができるのです。
これは人間が持つ心の自由に起因しています。

結局、「悪人」とは、人間の心の自由をマイナスの感情のほうに傾いて発揮してしまった人のことです。
その一方で、半沢直樹のような人物は「正義」「誠実」「情熱」「信念」といったプラスの感情(心)を発揮した存在と言えます。
人間は間違いを犯しやすい生き物であり、欲望に振り回される心が悪人の発生原因なのです。

理想や正義を求めるのが人間

人間は煩悩に振り回され、他者からなにかを奪ったり、他人を傷つけたりしますが、反対に「不正を憎む」「正義を実現しようとする」「真面目に生きる」「他人に思いやりを持って接する」といった高次なる精神を発揮することもできます。

人間は他の動物が持たないような欲望を持つと同時に、「理想」「希望」「正義」「奉仕」「慈悲」「誠実」などの徳目を持っていて、そうしたことを実現しようと努力する存在でもあるということです。

また、個の人間を評価すると完全なる悪人もいないし、完全なる善人もいないのではないでしょうか。

結局、一人の人間を見たときに、「善意」と「悪意」のどちらが多いのか、ということがその人間の資質、価値を決めているように思えます。

「欲望」を肯定し、欲望に振り回されて生きるのか、「欲望」を制御して生きようと努力するのか、ということが立派な人間か非難される人間なのかということを分けているのではないでしょうか。

人間の素晴らしさは、「希望」「正義」「誠実」などを心に描き、それを社会に実現しようとするところではないでしょうか。

『半沢直樹』はリアルヒーロー

「人として失格だ~!」

半沢直樹が悪事を行う人間にはく言葉です。

人間は能力があるから、仕事が出来るから立派な人間なのではありません。
どんなに地位を得ても、高収入を得ても、どんなに有名になっても、それが人間の立派さではないのです。

人間が人間であるためには「悪事」から遠ざかり、「善」を選択することができることが大切です

現実の人間社会では、悪を働こうとすればできます。
ですが、それを自制し、他者と調和し、自他ともに発展繁栄の道を歩むことが人としての道であるはずです。

現実社会で生きていると、否が応でも「不正」「嫉妬」「嫌がらせ」「妨害」などにあいます。
ですから、誰しも悪事を見た、悪事の被害を受けた経験があるといっていいでしょう。
しかし、その悪事に対して半沢直樹のように徹底的に戦い勝利できる人は極めて稀でしょう。

だからこそ、人はそうした物語(ドラマや映画)の世界に「叶えられない願望」を託すのです。

腐った世の中に「正義」を取り戻す、それが『半沢直樹』という人間です。

半沢直樹の正義を貫く生き方に希望を抱くのです。
つまり、『半沢直樹』のようなドラマは人間に善なる生き方を示すものなのです。

釈尊が説いたように、この世は蓮の池のような泥の池なのです。
ですが、その汚れた泥の池の中から清らかな花を咲かせる蓮の花のような生き方をするのが人間というものなのです。

「正義」を忘れたら人間としては「終わっている」のです。
人間が人間であるためには「正義」を失ってはいけないのです。

私利私欲に走るならば、無用な不殺生などしない動物以下ということになってしまいます。

人間の素晴らしさは「正義」を守る生き方にあるのです。
人間は本質的に「正義」を好むものなのです。
それが『半沢直樹』が注目を集める理由なのです。

『リアル半沢直樹』は存在する

半沢直樹のような人間は、現実社会に存在しないのでしょうか?
ドラマの中だけ、映像の世界にしか存在しないのでしょうか?

半沢直樹を「不正」と戦い「正義」を実現する人間と定義するならば、現実社会に半沢直樹のような人物は存在しているのです。

たとえば、オリンパスで上司の不正を内部告発して1000日戦争をした濱田正晴さん。
警察組織の悪事、間違いを鋭く指摘する原田宏二さん。
新型コロナウイルスの発生源の真実を暴露しようとしている中国のウイルス学者の閻麗夢(イェン・リーモン)博士

など、リアルな現実社会で、悪事と戦う人たちがいるのです。
大きな不正と戦うだけが「リアル半沢直樹」ではありません。
身近な生活の中で、ちょっとした正義やささやかな誠実な行為をしている人たちも「小さなリアル半沢直樹」であると思います。

ただ、残念なのは、テレビ業界の内部には、いまのところ「リアル半沢直樹」は見当たらない、ということです。

半沢直樹のような大きな不正と戦うだけが、リアルヒーロー、リアルヒロインではありません。

小さな親切、ささやかな善の行為、身近な正義を守ることを実践している人たちはリアル半沢直樹です。

世界は、リアル半沢直樹を求めています。
リアル半沢直樹が増えることが泥の世界に一つ蓮の花が咲くことになるのです。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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