【自粛警察が現れた!】
いま世間を騒がせている連中がいるようでありんすな~!
その名は「自粛警察」。
しかも、一人ではなく全国に複数いるってぇ~じゃね~か!
これはご意見番としては、意見を言わねばならね~な!
〈ケース1〉
神奈川県横浜市にある『居酒屋バンバン番長』では、ガイドラインに沿った昼営業をしていたが、「自粛警察」なるものが店の入り口に貼り紙をした。
内容は、
「バカ 死ね 潰れろ」
と黒のマジックペンで書かれていた。
書き込みがされていたのは、店が案内のために貼っていた案内文に対してだ。
店主の飛田さんは、この自粛警察の行為によって店を休業することにしたようだ。
〈ケース2〉
また都内のライブハウス(バー)『高円寺いちょん』ではガイドラインに沿ったライブ配信をして営業していた。
しかし、
「安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。つぎ発見すれば、警察を呼びます。近所の人」
と書かれた貼り紙がされていた。
店主の村田さんは、この述べた。
「僕は自粛警察を自粛したほうがいいと思う」
〈ケース3〉
都内の飲食店(煮込蔦八)では、嫌がらせ電話が鳴りやまないという。
電話の内容は暴言や意味の分からない言葉ばかり。
それでも営業をやめないと今度は貼り紙を貼られた。
「この様な事態でまだ営業しますか」
と手書きで書かれていた。
【自粛警察の問題を斬る!】
《前提》
まず前提として、この「自粛警察」と名乗る人物たちが自ら「自粛している真面目な人」なのか、それとも「自粛していない不真面目な人」なのかが問題となる。
完全に白黒分けるのは難しいかもしれないが、たいがいどちらかに分かれていると思われる。
自身が自粛していない人の場合は、問答無用に「悪」であると、言っておく。
即刻やめるべきである。
「高円寺いちょん」の店主村上さんが言っているように、「自粛警察を自粛する」べきだ。
自ら自粛をしていない人が、他人に「自粛せよ」とは言える道理がない。
そこを間違えてはいけない。
問題は自粛している人が自粛警察を行っている場合だ。
この問題は、各論と総論に分かれて論じるでありんす。
《各論》
〈動機について〉
何事でも大事なのがその人が行動をするときの動機である。
名経営者の稲盛和夫氏は現役の時につねに自らに問いかけていた言葉があった。
「動機善なりや否や?」だ。
つまり、行動する自分の動機が「善なる」ものであるかどうかということが、その行動の正邪を判定するということだ。
動機が善ということは、一般的には「正義」や「正しさ」であるが、これを裏返して表現すれば、「嫉妬」「恨み」「憎しみ」「妬み」の感情ではないということだ。
もし、そうしたマイナス感情をもとにした行動であれば、これもまたアウトだ。
そしてこの自粛警察の問題でやっかいなのが、「自粛をさせることが善」であると信じていることだ。
確かに、自身が自粛生活をして毎日我慢しているのに、自分はお店を休業しているのに、あいつは休業していない、自粛していないとなれば、腹も立つだろう。
自粛要請が出ているのだから、自粛させることが正義であると思うだろう。
また自粛させたいと考えても不思議ではない。
自粛警察の動機には100%否定できないものがあると思うでありんす。
みんなが我慢して自粛しているのだから、あなたも自粛しなさいよ、と言いたくなるのは人間の性でありんす。
では、自粛警察のやっていることを肯定するのか?
〈やっていることの内容〉
では、次に自粛警察がやっていることの行動を見ていくでありんす。
同一人物ではないので、貼り紙の言葉は少し丁寧なものもあれば、酷い中傷の言葉であったり、まちまちのようだ。
だが、明らかに悪口であるもののほうが多い印象がある。
「バカ 死ね 潰れろ」は誰が見ても完全に誹謗中傷でしかない。
「警察に通報する」も行き過ぎた表現だ。
いま報道されている自粛警察の内容を見る限り、「悪口」「誹謗中傷」「嫌がらせ」でしかない。
つまり、やっている行動は「悪」ということだ。
〈立場が違う〉
では、「自粛を迫る」ことがなぜ悪なのか?
あんたは、動機は理解出来ると言ったじゃないか?
というだろう。
それに答えるには、人間のやることの善悪の基準は「人時所」によることが多い、ということだ。
「人」つまり立場の問題がある。
つまり、今回の自粛警察の場合は、自粛を呼びかける立場の人が政府や公的機関(役所など)、警察(本物の)であれば、なにも間違いではない。
それを一般市民がやることの何がいけないのか?
「その立場ではない」「その権限はない」ということだ。
立場がない人の行動は間違いになるのだ。
〈手口が汚い〉
アチキはいま世間を騒がせている自粛警察なるものを知って思うことがありんす。
それは、なぜ直接、店主に掛け合って話をしないのか?
ということだ。
あなたが本当に正しいと(自粛をさせることを)思うなら、姿を見せず、ひっそりと貼り紙などせずに、堂々と店主と話し、説得すればいいのだ。
それをしないでこっそりと貼り紙をして正義を語るのは「卑怯」であると言っておく。
もし、正義のヒーローになりたいのなら、店主とひざ詰めで話をしてみなさい。
(おっと、密接になるじゃね~か。いけね~な!)
もちろん2m離れてだ。
アチキは自粛警察の手口が汚い、といっておく。
仮に動機が良くても手口が汚いのでは悪となることを認識してほしい。
〈犯罪の可能性あり〉
お店の備品にマジックペンで書くことは、「器物損壊罪」に該当する可能性が高い。
(貼り紙をすることも罪)
また、店の客でもないのに店舗の敷地に無断で侵入し、その目的が店側の意に添わない貼り紙をするのであれば、「住居侵入罪」と同等の罪となる。
そしてなにより、馬騰するような言葉は「名誉棄損罪」「冒とく罪」に該当する可能性が高い。
さらにガイドラインに沿った営業をしている場合、「営業妨害」にあたります。
つまり、これだけ法に反する可能性が高いのです。
〈店側は先手を打って対抗せよ!〉
お店側も困っているようですね。
ガイドラインに沿った営業をしているのなら、法的に問題はありません。
自粛警察は、人としての道理と大義をかかげているのでしょうが、そこにお店などの人の事情を全く考えていません。
ガイドラインに沿っているかどうかなど、気にしていません。
ですから、先手を打つことをおススメします。
お店側から先に貼り紙をするのです。
「当店は都(または県)のガイドラインに沿った営業をしています。きちんと公的機関から許可を得ています。感染被害を出さないための対策をしっかり行っています。ですから、もし、当店の敷地に無断で侵入し貼り紙や落書き等をした場合、警察に通報、または法的手段に出ます」
と、貼り出しなさい。
負けてはだめです。
ガイドラインに沿った営業をしていて、十分に衛生面で対策をし、どうしても営業せざるを得ない状況であれば、自粛警察と名乗る不届きな輩と闘いなさい。
ただし、3密を避けた感染被害対策を十分にすることは絶対的に必要です。
彼らの悪意と闘いなさい。
いつの時代でも混乱に乗じて悪魔的人物は現れます。
そして悪魔的人物の特徴は、真実に悪意を混ぜて真実(本当に正しいこと)を分からなくさせてしまうことです。
動機が善であるように見せかけて、結果的に人間を破滅に導くことです。
それが悪魔的人間の特徴です。
感染対策がちゃんと出来ているなら、ガイドラインに沿った営業をしているなら、自粛警察に宣戦布告して、頑張りなさい!
アチキは応援するでありんす!
《総論》
各論をまとめた結論は、
「自粛警察」は間違いです。
たとえやっている人が善なる動機であっても、真面目に自粛している人であってもです。
理由は各論で述べました。
そして最大の理由は、自粛警察に矛盾があるからです。
矛盾とは、営業していない店舗を探すことや貼り紙をするために外出することは、「自粛していない」ことになるからです。
要するに、どんな言い訳をしても、「あなたが正しく自粛していない」ということです。
【自粛の意味を正しく理解するべき】
〈自粛警察の発想は“自粛”を十把一絡げにしている〉
自粛警察は、自粛要請を勘違いしているようです。
自粛要請が出ても、社会で必要とされる職業の人たちは普段と同じように職場に通い仕事をしています。
医療従事者たちはむしろ普段より忙しく働いています。
要するに、
自粛すべきは、
「不必要な外出」
「急いでしなくてもいい用事での外出」
「生きるための最低限必要なことではない娯楽などの外出」
「感染が発生しやすい場所(3密)への外出」
などです。
ですから、飲食店と言っても、夜の酒場と食堂では違いが出てきます。
ホステスやホストなどが客をもてなす店と客が食事だけをするだけの店では違いがあります。
また、業態(運営方法)を変えれば、状況は違ってきます。
確かに自粛せざる得ない職業の人たちは苦境に立たされています。
困った問題であり、アチキも心を痛めています。
ですが、自粛の問題は個別に考えることが必要です。
日本人は平等意識が強過ぎる民族です。
村八分の習慣を持っている民族です。
この自粛警察は村八分思想であり、私的制裁でしかありません。
【自粛警察を名乗る人物たちに、もの申す!】
自粛警察を名乗る人物たちに、もの申す!
いますぐやめなさい!
もし、あなたが自粛を迫ったお店があなたの貼り紙等によって休業し、そのことが影響して、生活することが出来なくなり、一家離散、経済苦を理由に自殺してしまったとしたら、あなたは責任を取れますか?
もし、「俺が責任をとってやる」というのなら、「どうぞご勝手に」と言っておくでありんす。
ただし、死んだ人は戻ってこないし、責任をどうとるのかアチキには分かりません。
だから、やめなさい!
あなたがやることではない!
やるべきではない!
いまは、利他主義で他人を思いやり、協力し合い、一致団結し、この悲劇を乗り越えるのです。
【安倍総理と首長たちに、もの申す!】
とにかく一日も早く経済対策を行いなさい!
自粛が思うように進まない最大の要因は、経済対策を政府が行わないからです。
経済対策が遅すぎるからです。
3月中、遅くても4月中に経済対策を打つべきでした。
遅くとも4月中に国民に経済支援のお金を手渡すべきでした。
そして、第二、第三の支援金、救済金、金融緩和などの手を早急に立て、それを総理が自分の言葉で語りかけ、「これだけの経済対策を打ちます」と伝えるべきだったのです。
経済活動には、人間の心理が大きく作用します。
不安感が経済活動を鈍化させ、生活に不安、恐怖があれば、国民は不満を口にし、政治家を信用しなくなります。
その結果、真面目な人以外の人たちは、勝手な行動をし始めます。
感染被害を拡大させないための緊急事態宣言及び自粛要請は必要ですが、それだけではダメなのです。
感染被害を防ぐと同時に、経済対策を早急に行って国民の心を安心させなければいけないのです。
それを邪魔する者があれば、身内の議員であっても、誰であっても切り捨てなさい。
いまは国民の命と生活を守ることが大事です。
経済対策の足を引っ張る連中、支援金を出し渋る財務省などを説き伏せなさい。
官僚の書いた答弁書などを見ながら(下を向いて)話すようでは国民に伝わりません。
リーダーは自分の言葉で語りなさい。
官僚言葉で国民に語りかけてはいけません。
それでは国民の心に届きません。
リーダーのやるべきことは、国民を安心させることであり、信頼を勝ち取ることです。
国民の多くの人たちが収入を失ったのなら、国家公務員の賞与を0にして、国民への支援金にあてなさい。
国民が生活に困窮しているのに、国家公務員は普段と変わらない賞与をもらうのは、ナンセンスであり、あまりにも国民を軽視することです。
なぜなら、国家公務員は国民へ奉仕する立場であると日本国憲法で明記されているからです。
国会議員や地方議員、及び国家公務員は経済的な傷みを国民と分かち合うべきです。
それなくして本当に国民の気持ちを理解することはできないでしょう。
いまの政府がやっていることの最大の問題点は、“経済対策が遅すぎること”と“経済対策が足りなさすぎること”です。
【野党議員および議員予備軍の人たちに、もの申す!】
野党議員の人たち、及び議員を出していないが政治活動をしている議員予備軍の人たちにもの申す!
安倍総理及び自民党、あるいは知事などの首長の新型コロナウイルス感染を防ぐための対策に、大いに不満に思っていることでしょう。
アチキも同感です。
ど~も自民党には腐った政治家がうようよしているようでありんす。
野党、及び政治家予備軍の人たちは現政府に不満を示し、否定する発言をここぞとばかり発信していますが、お見事と言えます。
なにが?
野党根性がです。
政府のやっていることをヤジる、批判することは簡単です。
実際にアチキも散々指摘しているように間違いや対応の遅さなどが露呈しています。
それは認めます。
また、それは独裁を防ぐ意味で必要です。
言論の自由があります。
野党などの政治家たちが独裁とならないように、政府が間違った方向に走らないように監視し、政策をぶつけることは必要です。
当然です!
ですが、野党及び政治家予備軍の発言を聞いていると、アチキは思うことがありんす。
その深層心理に現政権を倒して、自勢力の拡大を願う気持ちが混じっていることです。
維新前の薩摩藩、長州藩の意識と似ていると思うのです。
たしかに政治を考えれば、そうでしょう。
いまがチャンス!
ですが、国民のためを考えるならば、国民の命と生活を守ることを考えるなら、捻じ曲げられない事実(現実)があります。
それは、この緊急事態を乗り越えるのは現政権がやるしかない、ということです。
野党議員たち及び議員予備軍の人たちは悔しいでしょう。
わたしたちならこの危機を乗り越えられた、と思っている人もいるでしょう。
けんど、それが出来んせん。
選挙などいまできません。
やっている場合ではありません。
だとすると・・・。
現政権がいかにダメでも、アホでもちょんでも、(そこまで言うなって?)現政権、安倍総理のもとでこの緊急事態を乗り越えるしかないのです。
だから批判や対策に関する意見は言うべきですが、政策に関する発言はどんどん出すべきですが、この事態を終息するために政治家なら行動で示しなさい、と言いたい。
野党議員はこの緊急事態に歳費を支援金に充てましたか?
野党議員はアベノマスク(カビノマスク?)が不良品ばかりだったことを知って、代わりのマスクを手に入れましたか?
芸能人がやっているように、自粛を勧める動画を発信しましたか?
芸人が行っているように、動画を流して国民を慰めましたか?
野党議員の人たちは自分たちの身を削り支援金を出しましたか?
マスクを配りましたか?
同じく政治家を目指す議員予備軍の人たちは、この危機に対してどんな行動をしましたか?
政治家と評論家ではその評価は違うのです。
政府の間違いばかり指摘するだけで、実際の行動において救済、支援活動を政府以上に行っていないなら、政治家としては失格です。
さらに、どんなに政策が違っても、思想信条が違っても、どんなアホな政権でも、いまは呉越同舟するべき事態です。
同じ日本国民が争ってどうするのですか?
政権を倒すのは後です。
数ヶ月後政治的状況がバラバラのまま他国が攻めてきたらどうしますか?
天変地異が起きたらどうしますか?
争いあう気持ちを一旦しまって、野党議員として出来ること、政治家予備軍としてできることを行わなければなりません。
感染者による死亡者と同様、経済苦による自殺も、等しく尊い生命です。
「生命」と「経済」は比較しうる性質のものではない。
という発言を耳にしました。
それは確かに一理あります。
ですが、すでに数百人の死亡者を出している感染症の死亡者、明日も命を落とす人が出ると予想される感染による死亡者と、いまはまだ持ちこたえている経済苦で自殺してしまいそうな人たちを同じく扱うことは政治的判断としては少しずれていると思います。
命の重さはみな同じ、当たり前です!
これは政治におけるトリアージなのです。
感染による死亡者をまず最優先で無くすこと。
そして同時に経済対策で経済苦やそれによる自殺者を救うことです。
(トリアージとは、医療用語で、救急現場において、患者の重症度に基づいて、治療の優先度、搬送の順位などを選別して治療すること)
問題は、経済対策があまりにも遅いことです。
この新型コロナウイルス対策で完全無欠の対策はないです。
あっちもこっちも被害がでない、どこにも被害が及ばない対策はないです。
なによりアチキが言いたいのは、「その発言は新型コロナウイルス感染で命を落とした人、及びその家族の気持ちを聞いたうえでの発言でしょうか?」ということです。
マスコミでも同じですが、新型コロナウイルス感染被害の一番の被害者は死亡した人及びその家族です。
死亡した人が一家の大黒柱であった場合、残された人はどうなるのでしょうか?
死んでいるのですから、補償の対象外とならないのでしょうか?
そうした人の気持ちを散々聞いてから(取材)言って欲しいものです。
そうした人たちが自粛はしなくてもいいというならそれでいいでしょう。
ですが、そう言うとはアチキは思えません。
いまの世間の論調はコロナで死んだ人、及びその家族の気持ちをどこかにおいてきてしまったとしか思えません。
アチキの意見は、感染による死亡者を1人でも出さないためにあと少し自粛し、同時にそして即時に経済的支援を行う、ということです。
経済的支援は数度必要です。
また、大ナタを振るって大減税も必要です。
(長くなるのでこの話はまた別の機会に)
とにかく、
現政権及び自民党はすでに緊急事態に対応できない力量しかないことは露呈しました。
ですが、いまは政権交代が出来ません。
だから、アチキは「与野党同盟を結べ」と言ったのです。
それが至難の業であることは百も承知です。
ですが、そうした至難の業なくしてこの危機を乗り切ることはとても難しいのです。
一時的でいいのです。
ケンカは終息してからまたやりたいだけやればいいのです。
政策合戦は終息後にいくらでもできます。
党派の思想信条、及び政策の違いを捻じ曲げろと言っているのではないのです。
いまは国民への経済対策、感染被害を防ぐ対策、医療崩壊しないための対策を与党と野党、そして政治家予備軍の人たちが一致団結して国難に乗り切るべきなのです。
薩摩と長州が結びつくことは当時の政治情勢ではあり得なかったことです。
当時は藩意識が強かったからです。
薩摩藩としてはこうする。
長州藩としてはこう考える。
と藩の立場を中心とした発想をしていたからです。
いまの日本の政治状況も似ていると思います。
ケンカは後にしなさい。
一時的に(直接的か間接的かは別として)同じ目的のためにやるべきことをやってください。
意見は食い違うでしょうが、国民が安心し、生活を維持できるように協力する姿勢を見せてください。
野党議員と議員予備軍は、緊急事態に追われている与党、政府ほど忙しくないのですから、自分たちのできる国民救済の行動を一つでもしてください。
政治家は行動で示すべき!!
発言だけの政治家は必要ない!
お読みくださって、うれしうござんす。