『障害の公表はプライバシー侵害にあたる。 ~悪平等の自治会長(班長)選びにもの申す!~』

アチキは、とても悲しい出来事があったことを知りました。
今回、その方の無念を晴らす意味も込めて記事を書きたいと思うでありんす。

【自治会の班長選びを巡り男性が自殺】

その悲しい出来事とは?
知的障害や精神障害のある大阪市平野区に住む男性(36)が自殺してしまったのです。
自殺した理由は、自治会の班長選びをめぐって、障害者であることや、自分にできない作業などを記す文書の作成を強要されたことが原因とみられています。
男性の両親は、自治会と当時の自治会長ら2人に対して2500万円の損害賠償請求を大阪地裁に提起したのです。
男性は、2011年ごろに統合失調症と診断され、2013年には知的障害の療育手帳を交付されていました。

男性は、平野区の市営住宅で障害年金などを受給しながら独り暮らしをしていた。
昨年11月中旬、市営住宅の同じフロアの住民のなかから、くじ引きで自治会の次期班長を選ぶと知り、自治会側に「精神の病気で班長ができない」と伝えたが、当時の班長から「特別扱いはできない」と告げられていた。

男性は24日、自治会の会長、班長と地域の社会福祉協議会の関係者の計4人で面談した。
その際、障害があることや、お金の計算ができないことや自転車に乗れることなどを列挙した文章の作成を約2時間に渡って強要され、班長決めの集まりを開く際には文書を他の住民に見せることを伝えられたという。
男性は文書を作成した翌日、自宅で自殺した。

男性が強要された文書とは?

「しょうがいかあります」
「〇となりにかいらんをまわすことはできます」
「〇ひととあったらあたまをさげることはできます」
「×おかねのけいさんはできません」
「×ごみのぶんべつができません」

男性が可能なこと、苦手でできないことが約20項目にわたり「〇×」の記号とともに手書きされた。

大阪地裁で、原告側は他人に知られたくない障害の有無や内容について文書を書かせたことはプライバシー権や人格権の侵害にあたると主張した。
当時の自治会長らは、文書をほかの住民に見せるなどと伝えて過度な心理的負担を与え、男性を自殺に追い込んだと主張している。

一方、被告側は弁論で文書作成について「班長の選出から外れることについて(他の住民に)対面で説明してもらうよりも負担が少ないと考えた」などと主張した。
文書を作成したのは他の住民の理解を得る必要があり、その理由により書面を作成したと主張している。
また、強要はしていないと反論している。
被告側は請求棄却を求め争う方針を示した。

(情報:「産経新聞」「朝日新聞」等)

【障害の有る無しを公表することはプライバシー侵害】

まず言えることは、この件は明らかにプライバシー侵害に該当している、ということだ。
以前にも記したが、どんなことがプライバシー侵害にあたるのかを見てみると、

《プライバシー侵害に該当する情報とは?》

疫病(持病・病歴)に関する情報の公開。
身体的特徴の公開。

手紙などの公開。
前科、過去の犯罪行為の公開。
指紋の公開。
日常生活・行動・住所の公開。
身分行為(結婚・離婚)の公開。
収入及び家計の公開。
本の購入履歴やどんな講演会に参加していたか、どんな政治活動に参加しているかなどの情報の公開。
また、TwitterなどのSNSへの写真の無断投稿。
地方自治体による住所の情報漏洩。
警察による正統性のない職務質問。

これらの“本人が他人に知られたくないと思う情報”“まだ公開していない情報”を公開した場合に、プライバシー侵害となります。

今回の大阪の男性のケースは、「疫病(持病・病歴)に関する情報の公開」と「身体的特徴の公開」に該当する。
(注:厳密にいえば障害のすべてを病気とは呼べない)

障害があるかどうかということは、障害がある人にとっては「知られたくない情報」であり、「できれば言いたくない情報」なのである。
それが、たとえ見た目などで他人が推し量ることができたとしても、自ら口にしたり、まして文書として他人に見せるなどしたくないと思うものである。

自治会の班長選びから外れるために障害の様子を書き記し他人に公表することは、障害を持つ人にとっては屈辱的なことである。

大阪のこの出来事ではっきりとアチキが言っておきたいのは、自治会長や班長(当時)たちが他人の気持ちがまったく分からない冷酷な人間だ、ということだ。
思いやり、優しさ、配慮のない、判断であり、行為でしかないということだ。
アチキがこの男性の親だったら、自治会長たちを絶対に許さないだろう!

【障害者にも生きる権利があり、健常者と同じ人格権がある】

この件に対して弁護士のさいとうゆたか氏が言及している。

障害者基本法

第三条 「第一条に規定する社会の実現は、すべての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ、次に掲げる事項を旨として図らねばならない」

二 「全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げならないこと」

この法律によって障害者は地域社会における共生の権利を持っていると考えられている。

弁護士のさいとうゆたか氏はこう述べている。

以下引用

「障害者において、その能力上遂行が困難な役割を担わないと生活できないということであれば、地域社会における共生ができているとは言えないでしょう。ですから、障害のため自治会の班長を行うことが困難な場合、自治会の班長をしないでも生活できることも障害基本法は求めていると考えます」

「そうであれば、自治会の班長を外して欲しいとの要望を受け入れないこと、受け入れるとしても障害という重大なプライバシーの侵害と引き換えでなければ受け入れないということであれば、到底障害者基本法の定める地域における共生は実現できていないと思われます」

「よって、自治会の役員において、班長を外すことを他の住民から理解して欲しいという気持ちを持っていたとしても、男性に障害について書かせたり、それを他の住民に伝達しようとしたとすれば、不法行為と評価される可能性はあったと考えます」

【自治会長は本当に必要か?】

この問題は民族論、差別論、障害者と健常者との論点、組織論、または地域共生の論点などさまざまな角度から論じることができる根深く広い社会問題でありんす。

ですが、アチキは今回自分の経験から少し論じたいと思う。
実は、アチキも自治会の長(組長)を数年前に経験しているでありんす。

ご意見番はどこに住んでるんだって?
おっと、それはシークレットでありんす!

アチキの住む地域では最小単位を「組」とし、その上に「地区」という地域組織となっている。
アチキの所属する「組」は24軒の住居(住民)がいる。
その24軒で毎年「組長」を順番に担当する仕組みになっている。

組長の役割は、
毎月広報誌を配布すること。
回覧板の管理。
地域の費用(組費、1年分)を4月に集金すること。
組内で亡くなった方、1週間以上の入院をした方が出た場合は、各家庭から見舞金を集めること。
死亡の場合、1家庭1万円。
入院の場合、1家庭5000円
また、夏祭りの際に、各家庭を回って「募金(500円)」を募っていただいてくること

といった役割がある。

それと地域の氏神の神社で正月の初詣に来る人たちに甘酒などを振る舞うなどの行事の運営を行うというものがあります。

ただし、これは他の地区との持ち回りなので、組長をしているときに、神社の役割りが回ってくることは稀である。
アチキが聴いたのは15年に1回くらいしか、その役割は回ってこないというものでした。
ただし、その役割が回ってくると3年間はその地域の役割りとして割り当てられます。

アチキが組長をやったとき、なぜか忙しく、その正月の神社の役割り(正月三が日)が回ってきた年でした。
さらに、組内で亡くなった方がでたので、組の代表として葬儀にも出席しました。
また、入院した方がその年は2名も出たため、お見舞い金を2度も集めて、入院した家庭に届けるといった役割りもしました。

亡くなる方と入院する方は毎年でるわけではないので、そうした経験をしない組長も多いのです。
すると、組費の集金と祭りの募金、回覧板の管理、広報誌の配布だけの役割りとなります。

ま~アチキのときは忙しかったでありんす!
なんで??

アチキは組長をしていて思いました。
自治会の役割って必要か?
ってね!

なによりも、大きな疑問を感じたのは自治会の長の役割りが強制的に担わされる、ということです。
嫌でもなんでもやらなければならない。
そんなのありか?

それとアチキのときは、近隣トラブルまでありました。
ある主婦の方がアチキにアドバイスをくれました。
どこそことどこそこの方がこの地域のだから、問題があったらその方に相談する(報告?)するといいよ、ってね。

アチキは「なんじゃそれっ!」って思ったでありんす。
どうしてその地域に古くから住んでいる人が「主」と呼ばれ、その人たちの意向を気にしなければならないのか?

「長」とは、「権限」と「責任」をもつ存在です。
どんな組織の長でも、その役割は同じです。
その組織で起こる事柄について正しい判断をし、それに相応しい対処をすることです。

しかし、自治会の長の役割りは実質的に「雑務」です。

長とは名ばかりで、権限はどこにあるか分からないのに、責任だけ押し付けられる、実にやっかいなものなのです。

こうした自治会の長の役割をするには、コミュニケーション能力が必要とされます。
時には、説明、説得などが必要とされます。
それが知的障害のある人、統合失調症の人に可能でしょうか?

根本的なことを言います。
どんな理由があろうと、みな等しく自治会の長の役割をしなければならないのはなぜでしょうか?
法的根拠は?
倫理的根拠は?

人間はそれぞれ身体的な違い、職業における生活環境の違い、家庭内における事情の違いなどがあります。
だからといってそうした理由をもって、居住する地域で共生を否定されるものではありません。
ここに日本人の悪しき平等主義が存在しています

障害がある方にまで、自治会の長の役割を担わせることははっきりとした間違いです。
それはイジメであり、パワハラでしかありません。
(このケースは障害のある男性が一人暮らしをしていたため発生した。他に班長を担う健常者の家族がいたとすれば問題にはならなかった)

【PTA役員選びも同じ】

実は、アチキはPTAの役員もしたことがありんす。
それは子どもが高校に通学していた3年間のことです。
入学時に新役員決めをしますが、くじ引きで役員がアチキに回ってきてしまったのです。

その学校では3年間役員をすることが決まっていました。
とほほ・・・。

アチキがやっていたのは本部役員ではなく、委員会の方でしたが、3年のときには委員長をすることになりんした。
その学校のアチキの所属していた委員会では、3年の父兄が委員長をし、2年の父兄が副委員長をする決まりでした。
2年で副委員長をした人は3年で委員長選びから外れることが出来ます。
委員の人の心理は、できれば副委員長も委員長もしないで卒業したい、です。

委員長、副委員長の選出は秋ごろに行います。
アチキが3年の委員長だった時の話です。
文化祭にて委員会活動を仕切っていたアチキに1年のある父兄(といっても女性の方)が「話がある」と寄ってきました。
聞いてみると「実は難病があるから副委員長選びから外してくれ」という要望でした。
話を聞いた限りでは切実そうな話だったので、アチキはその件を了承しました。

その後、他の委員会メンバーに詳しい理由を述べずに伝えました。
難病であるということはプライベートなことだからです。
当然、納得しない方がほとんどでした。
会議も終わって校外にでたところで本音を言われました。
ある方から「納得できません」といわれ、その方が副委員長選びから外れる理由を聞かせて欲しいと追求されました。
アチキは、その方たちの気持ちが十分理解できるので、詳しいことは伏せて簡単に難病で役割を担えないということを示して、説得しました。
理由が分かったことで、その方たちは納得してくれました。

他の委員の方からすれば、ひとり身勝手な理由で副委員長や委員長選びから外れることは、自分たちが選出される確率が高くなることなので、切実なのです。
誰もやりたくないのです。

アチキはこうした経験をしています。

自治会の長もPTAの役員も無理やり押し付けるという根本的なところに問題があります。
自治会の長とPTAの役員では少し事情も役割も違うので一概には論じられませんが、事情のある人に押し付けることはやってはいけないことだと強く思います。

このPTAの役員から引退できたのは、子どもが高校を卒業して大学に入ってしまった5月でした。
つまり、子どもはその高校の生徒ではないのに、5月の総会まで役員を引退できないのです。
子どもが卒業して学校にいないのに、その学校に行くって変ですよ!

ですから、3学年下の委員選びまでやるはめになったのです。
そこで、新1年生の中から選ばれた役員に無理やり役員を押し付けられた人がいて、そのフォローなどを4月、5月、6月ごろまでやるはめになってしまいました。
すでに新委員長がいるのにです。

この話は割愛しますが、要するに、事情があってPTAの役員をすることが無理なのに、現職のPTA役員によって無理やり押し付けられてしまうことが多くあるのです。

できない人に無理やり押し付けても、結局その方はPTA活動に参加しません。
名前だけの幽霊役員となってしまいます。
それは双方にとって良いことではないです。

アチキはこうした委員会の事情、役員決めの問題点を次期PTA会長に訴えて引退しました。
こうした日本的な問題は悪しき平等主義であります。

もっと個人を尊重する社会でなくてはいけません。
個人が組織のためにあるのではなく、個人のために組織が存在することを深く理解することが重要です。

【ご意見番が全国の自治会にもの申す!】

男性を自殺に追い込んだ当時の自治会長と班長たちは人としてあるまじき行為をしたと指摘しておきます。
男性に障害者であることを具体的に文書に作成させておきながら「強制はなかった」と弁明している。

こうした虚言を平気ではき、自己弁護し、言い逃れを企み、人の命を奪った罪悪感を感じず、反省や謝罪もしない人間は獣と同じです。
人としての心を失っています

文書を書かなければ、班長選びから外してもらえないのに「強要はしていない」。
はっ?!
詭弁、嘘、詐欺!
いい加減にしなさい!

こうした虚言を吐く人間は、自己愛のかたまりなのです。
自分のことしか考えていないのです。
他人の気持ちなど考えない、配慮しないのです。

住んでいる自治会長や班長などの複数人から、班長が出来ない理由を文書にせよと迫ること自体が障害を持つ人の心を踏みにじる獣の行為です。

人の命を奪っておいて、反省も謝罪もしない人間の面を被った獣には厳罰あるのみ!!

こうした人間が存在することに悲しい気持ちになります。

《日本全国の自治会にもの申す!》

人間には個性や能力、家庭環境の違いがあります。
各自の人権とプライバシーを尊重することが自治体の活動よりも優先されなければなりません。

自治会の長の選出はかならず個人の事情を考慮し、本人の意思を確認し、強制的に押し付けることをやめるように改善してください。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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