まずは『【前編】メディアの偏向報道にもの申す!』をお読みください。
後編のはじめにあたって
【後編】の内容は、新型コロナワクチン特例承認取消訴訟を実際に傍聴した方の報告(ブログ)を引用しながら、問題を探っていきます。
ですから、傍聴者の方のブログから多くを引用することを伝えます。
傍聴者=ブログ管理者→『目覚めている庶民(自頭2.0)』
タイトル「【コロナワクチン訴訟】傍聴してきました」
傍聴者は語る!
《武漢ウイルスワクチン特例承認取消等請求事件》
『武漢ウイルスワクチン特例承認取消等請求事件』
第1回口頭弁論:10月12日(火)13:00~東京地裁703号法廷
この裁判は「新型コロナワクチン特例承認の取り消しを求める裁判(訴訟)」です。
傍聴者の方は、たった26席しかなかった傍聴席に座り、法廷内の出来事、法定外の雰囲気、その後の記者会見などを最初から最後まで見た1人です。
貴重な証言をもとに、この裁判の様子を検証し、問題を探っていきます。
《傍聴者は語る》
〈裁判の意義〉
傍聴者の方は語ります。
「今回の裁判は、接種後の死者、重篤な後遺症患者を大量に生んでいる『ワクチン』と呼ばれている異物注射。そんなものを国が長期安全性の確認もしないまま特例承認し、全国民に接種させようとしている安全管理上の是非、人道上の是非を問う裁判です」
この原告側の意義(訴訟理由)を、裁判所(裁判官たち)は、公平、平等な立場であるべきな「法の番人」として受け止める必要があります。
〈裁判以外の様子〉
傍聴者の方は、裁判所周辺での出来事を以下のように報告しています。
「裁判所の入り口では、複数の警備員に持ち物チェックはされますが、マスクの有無は『一言も』『ただの一言も』誰もなにもいわれませんでした」
また、裁判所の中での様子は以下の通り。
「法廷内では裁判長からマスクについて一言だけ話がありました」
「裁判所として感染対策に取り組んでいるので、任意で、マスクの着用をお願いしたい」
これに対して原告側の木原弁護士は質問をしています。
「マスク着用に法的根拠はあるのですか?」
すると、裁判官は「あくまで任意のお願い」だと再度、繰り返しました。
「任意」ならば、個人の判断に任せるべきです。
この裁判長の答え方が秀才官僚(裁判官)の性質をあらわしています。
つまり、直接「法的根拠はない」と回答するのではなく、「任意のお願い」と回答することで、自己正当化とプライドを保っているのです。
〈裁判の様子〉
一番驚くべきは裁判の内容です。
傍聴者の方は以下のような報告をしています。
「しかし、裁判は、一瞬で強制終了してしまいました」
「原告側の木原弁護士による冒頭陳述は、途中で裁判長の怒声によって遮られ、木原弁護士は係官4人の腕力によって退廷させられるという、法治国家として信じられない光景をみました」
「隣の女性は嗚咽を漏らしていました」
「裁判長の怖い目つきは傍聴席にも向けられ、『傍聴席も発言したら退廷させる!』と怒鳴られました」
このような、およそ裁判中とは思えない在り様、裁判官として似つかわしくない態度に傍聴者の方は以下のような感想を述べています。
「マイク越しに怒鳴るのはプロレスの試合後だけだと思っていましたが、東京地裁の裁判長もやっていました」
「廊下にいた人の証言では、原告側の弁護士は、係官の腕力で、法廷の廊下に『投げ飛ばされた』そうです」
「『顔や頭を床に打ったのではないか』と言っていた人もいました」
「廊下にいた人たちからは『暴力反対!』のシュプレヒコールが起こりました」
裁判を傍聴した方の以下の言葉は重い意味を持ちます。
「冒頭陳述をしていただけの弁護士が、裁判長から怒鳴り散らされた挙げ句、発言を止められ、廊下に投げ飛ばされた、これが事実です」
〈不当裁判への抗議〉
おそらく原告側だけではなく、この裁判の行方を見守ろうとした人たちが裁判中に起こった出来事に驚愕したことでしょう。
それは以下の言葉で表現されています。
「これが法治国家のやることでしょうか?」
「予防接種というタテマエで行われている異物注射接種は、国をも超える大きな力で動かされています。裁判官だって取り扱いたくない事件なのでしょう。つまり国も裁判所もグルということだと感じました」
〈戦いの意義〉
傍聴者の方はこの裁判における戦いの意義を以下のように語っています。
「私達の戦いは、政府やメディアとの戦いであると同時に、真実に気づいていない人、気づこうとしない人をどれだけこちらに巻き込むことができるかという戦いでもあります」
「陰謀でも大げさでもなく、『大勢の庶民の命を守る』ための戦いです」
これは公の愛(大義)とも呼べる動機です。
いわゆる公憤(公の怒り)です。
こうした公憤、大義こそが革命や変革の大きなエネルギーであり、時代を変える力の源泉なのです。
一番それを阻害するものは「無関心」です。
ですから、この裁判に多くの国民が関心を持つことがなによりも重要だと感じます。
〈裁判の報道について〉
この裁判の報道について傍聴者の方の意見は?
「今回の裁判のことを報じたメディア記事はどれも『ノーマスク集団』がどうのこうの書いていますが話題をそらし問題を矮小化している報道だと思います」
「ノーマスクの集団が大挙して押し寄せ、裁判所が混乱した、みたいな書き方もされていますが、明らかにフェイクニュースです。マスクは感染症蔓延の空気を作り出し、大勢に従わせる同調圧力を醸成し、ワクチン接種に誘導する目的で、メディアが国民を洗脳して定着させた『ユニフォーム』に過ぎません」
〈マスクについての見解〉
傍聴者の方はマスクについての見解を示しています。
「もはや『ノーマスク云々』などどうでもいいこと。世界の多くの国はすでにほとんどノーマスクです。2年近くほとんど誰も死んでない病気に対して、感染予防効果のないマスクをいつまでも着けている日本の方がおかしいのです」
追記
次回の裁判は2022年1月13日午前11時30分、東京地裁にて行われます。
(情報は、『目覚めている庶民(自頭2.0)』「【コロナワクチン訴訟】傍聴してきました」より)
法治国家の裁判にあらず!
《傍聴者の報告から見えてこないもの》
傍聴者の報告から見えていないことがあります。
それは、なぜ裁判長が怒声をあげ、原告側の弁護士を退廷させたのか? というその理由と状況です。
もし、それなりの正当な理由があれば、裁判長の暴挙に少しは納得するかもしれませんが、それが示されていないので、分かりません。
そこを詳しく報告するべきでした。
ただし、原告側の弁護士を強制的に退廷させるなどは、よほどのことがない限りやってはいけないことです。
法治国家の在り様ではありません。
《新型コロナワクチン特例取消訴訟の重要な意義》
この裁判の重要な意義は、「国が長期安全性の確認もしないまま特例承認し、全国民に接種させようとしている安全管理上の是非、人道上の是非を問う」ということです。
特例承認という異例の扱いをしている理由、治験が終了していないこと、今までにない技術(mRNA)のワクチンの危険性、副作用により接種後に死亡または重篤な症状が発生している状況について、本来、政府はきちんと国民に科学的根拠を持って説明するべきです。
政府にはその責任があります。
その重要な意義を裁判長もメディアも羽毛のごとく軽く扱っています。
それは明らかに意図的な意味を持っています。
訴訟を起こされたからやってはいるが、そうした訴訟自体を反対、もしくは封じ込めたいという想念が裁判官及びメディアにあると感じざるを得ません。
《裁判中に暴行事件発生》
傍聴者の報告の通り、「木原弁護士が係官4人の腕力によって退廷させられ、廊下に投げ飛ばされた」のならば、これは立派な暴行事件となります。
メディアは、なぜこのことに焦点をあてて報じないのでしょうか?
これは大問題、大事件ですよ!
原告側の弁護士が係官の腕力によって連れだされ、投げ飛ばされたのなら、それを絶対に法治国家とは呼べません。
それは中国共産党政府のやり方です。
『暴力反対!』のシュプレヒコールが起こりましたが起こるような状況ならば、こぞってメディアはそうしたことを報じなければならないはず。
それがどうですか?
「マスク着用をしていない?」「混乱が起きた?」
これは偏向報道という言葉では生ぬるい!!
これは「弾圧」と呼ぶべきものです。
つまり、政府のやることに反抗する者は、「痛い目に合う」ということです。
断じて、裁判長の暴挙を許すわけにはいきません。
《裁判長の暴挙に強く抗議する》
裁判長の言動は明らかに法の番人としては不適切です。
感情をむき出しにして法廷内で怒声をあげるなど、法の番人のやることではありません。
その理由は、裁判長が「任意で、マスクの着用をお願いしたい」と言ったことに対して、原告側の木原弁護士が「マスク着用に法的根拠はあるのですか?」と裁判長に立てついた主張をしたことにあると思われます。
これは行き過ぎたプライドと権力志向の過ちです。
平易な言葉で表現すれば「俺の言うことを聞け!」ということなのです。
これは法の番人である前に、人として未熟です。
(裁判官という人間は、狭い限られた世界にいるため、社会人としてどこかが、なにかが欠けている人が多いのも事実です)
法の番人であるならば、法律に愚直に従うべきです。
それを法律にないことを同調圧力によって従わせるなど、裁判官がすることは、司法そのものを否定することになると気づき、反省するべきです!
《全体主義が蔓延し、全世界を覆おうとしている》
「国民の命と健康に関する安全管理上の是非、人道上の是非を問う裁判」において暴行事件が発生し、訴訟理由とは何の関係もない「マスク着用」が大きく焦点となって報じられる、ということは異常事態です。
いま、世界的に広がっている思想があります。
それは「全体主義」です。
政府という権力によって、国民が従わされる社会に変化させられようとしているのです。
その行きつく先は、AIなどによる超監視社会です。
個人情報は丸裸にされ、個人の自由は奪われ、民族的伝統や特徴は破壊され、国家の特色は塗りつぶされる、そんな世界を実現しようとする者が明らかに存在しています。
いまは、その道のりに入り込んだ段階です。
パンデミックは利用されています。
ワクチン接種は利用されています。
アチキは、人間の幸福を考えるときに「自由」「寛容」「価値観の多様性」「民主」、そして「信仰」が重要だと思っています。
ワクチン接種に関する政府のやり方は、それを破壊するものです。
ひとりでも多くの人が、真実を求めるべきです。
真相を探るべきです。
そうした意味でも、この裁判のゆくえを見守り、訴訟を起こした人たちにエールを送ります!
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最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!