『神戸市の小学3年生が「消しゴム」を忘れて3時間半立たされる! ~「虚言」を吐く教師には児童を教育する資格はない!~』

神戸市の小学校で消しゴム忘れて3時間30分立たされる!

《消しゴムを忘れて3時間半も児童を立たせた?》

神戸市の小学校で男性教諭が小学3年生に体罰をして、神戸市教育委員会に「戒告」の懲戒処分を受けた。

神戸市教育委員会によると、神戸市の小学校の男性教諭(25)が2020年12月、「忘れ物をした」などの理由で、担任をする小学3年生の児童3人を長時間にわたり教室内で「立たせる体罰」を行ったという。

この件で、弁護士ドットコムが神戸市教育委員会に取材をしている。
それによると、小学3年の児童を長時間立たせた理由は、「忘れ物または宿題を忘れたこと」
当日の様子は、「教室の前方にある教諭の机の脇に立ったままの状態だった」と説明している。
2人の児童を約1時間20分間、1人の児童を約3時間30分間立たせた。

児童を立たせた当日に、保護者の1人から連絡があり、この件が発覚した。
これを受けて神戸市教育委員会は、教師の行為を体罰と認め、戒告の懲戒処分を行った

《体罰などの問題行為の処分は妥当か?》

体罰などの問題行為のことを非違行為(非行・違法行為)といい、こうした非違行為に対する懲戒処分の基準は、あらかじめ各地方自治体で定められている。
神戸市の「教育委員会懲戒処分の指針」によれば、体罰を行った場合で、悪質危険な暴力行為でなく、ケガを負わせていないときは、「減給または戒告」とされているため、今回の教育委員会の処分は妥当とされている。
(冗談じゃね~ぜ)

《教師の言い分は?》

この件についてご意見番が記事に取り上げる理由が、教師の児童への対応(発言)である。

弁護士ドットコムの取材によると、忘れ物又は宿題を忘れた児童に対して教諭は「罰としてたっていなさい」と言ったわけではないという?
はっ?

「これから忘れ物をしません。貸してもらえますか」などの反省の弁や担任にどういったことを求めるのかといったことについて、自主的な発言が出てくるのを待っていた。そういった言葉が児童から出てこず、時間ばかりが経ち、結果として立ち尽くしている状態を放置している状況になってしまった」のだという。
はっ?

「罰として立っていなさい」と言ったわけではなく立つように命じたわけでもない、と説明している、という。
はっ?

(情報は、『弁護士ドットコム』)

子育てアドバイザー高祖常子氏の見解!

《子育てアドバイザー高祖常子氏による見解を紹介》

弁護士ドットコムの記事(正確にはYHAOO!!ニュース)に子育てアドバイザー高祖常子氏の見解が寄稿されている。
秀逸なので紹介する。

高祖常子氏は、こう指摘している。

「3時間半も立たされ続けること自体、体罰と考えられるだろう」
「そもそも消しゴムを忘れるなど、ミスは誰にでも起こること。忘れてしまったときに友だちに借りるなど対応できる力を育てたり、忘れないような工夫をしてみるなど問題解決能力を育む関わり方をすべき」
「子どもを育む立場の教師は、子どもへのかかわり方をもっと学んで欲しい」

(情報は、『YAHOO!ニュースコメント欄』)

教師による体罰は有りか?無しか?

《「体罰」は、学校教育法11条で禁止されている》

教師における児童(生徒)への体罰は、学校教育法11条で「体罰を加えることはできない」と明確に禁止されている。

ここで言う体罰とは、主に2つに分類される。
一つは、殴る蹴るといった「身体に対する侵害を内容とするもの」
もう一つは、長時間の正座をさせたり、立たせたり、トイレに行かせないといった「肉体的苦痛を与えるようなもの」

体罰に該当するかどうかの判断は、「当該生徒の年齢、健康、心身の発達状況、苦痛の状況、当該行為が行われた場所及び時間的環境、などを総合的に考慮し、個々の事案ごとに判断する必要がある」とされている。

神戸市の小学生のケースでは、「長時間立たされる」ということに加えて、「授業を受けることができない」「他の児童にさらしものとなって辱めを受けている」という苦痛を与えている。

ご意見番の見解!

《児童の状況は?》

まず、こうした問題に関してもニュースでは全貌がいつも見えない。
なにが見えないのかというと、「忘れ物をした児童」「宿題を忘れた児童」の様子である。
又は、児童の普段の態度や性格などである。

教師の体罰を批判(非難)する前に、「どうして教師はそのような体罰をその児童に与えたのか?」という観点が必要である。

はっきりいって、「クソガキ」と言いたくなるような「悪さをする子ども」はどこにでもいる。
今回、指導(体罰)された児童がもし、普段から教師に反抗し、教師の言うことを聞かない悪ガキだったとすれば、教師の対応にも少しだけ納得できる部分もある。
(それは感情論として)
要するに、体罰を与えられた児童が悪ガキだったのか、普段は真面目な生徒だったのか、ということは物事を判断するうえでは大事な点であるということだ。

教師の言うことをまったく聞かず、子どものうちから窃盗などもする子どももいる。
そういった子どもに手を焼く教師がいることは承知している。
ただ、そうであっても、現代の学校現場において長時間立たせるということは許されることではない。
しかも、相手は小学3年生ではないか。

今回、アチキがこの記事を書こうと思った理由は、教師が「長時間立たせるという体罰をした」からではなく、教師の一連の行為に対する発言(言い訳)に怒りを覚えたからだ!

その怒りとは?

《教師の虚言は絶対に見逃せない!》

問題の教師(担任)が教育委員会に弁明した内容に虚言があるとご意見番は判断した。
その虚言は“人として”許せないものだと思った。

児童を立たせた教師に聞く、教諭が「罰として立っていなさい」と言っても命じてもいないならば、児童はなぜ教室の前方にある教諭の机の脇に立ったままの状態だったのか?

この部分はこの問題の最大の重要論点です。
なぜなら、ここに教師の人柄と教師としての力量や見識があらわれているからです。

教師が命じていないならば、児童が自主的に立っていた、となってしまうが、それが真実なのか?
あり得ないだろう!
これは詐欺師の言葉でしかない!

また、仮に百歩譲って児童が自主的に立っていたとしても、教師がそうした罰を与える気が無いのなら、席に着くことを指示するだろう。
児童に立っていろと命じてもいないし、席に着くように指示もしていないでそのまま放置した?
この虚言は詐欺と呼ぶしかない。

この教師の「言い逃れ」「責任転嫁」「教師としての無責任」「人としての倫理観のなさ」にご意見番は怒っている!

「児童のほうから自発的に反省の弁が出るのを待つ」??
相手は小学3年生だぞ!

「結果的に立ち尽くしている状態を放置した」
という、苦しい言い訳をするということがこの教師の人間性を暴き出している。
こういった発言をする人間の特徴は「反省できない」「自己中心的な性格」「傲慢」である。
要するに「自分が悪かった」「自分に非がある」「自分の過ちだ」と認められない人間だということだ。
反省の出来ない教師が、児童にいったいなにを教えるというのか?

「自主的な反省の弁が出てくるのを待っていた」などというのは虚言でしかない。
自己弁護、責任逃れもたいがいにし~や!

教師ならば、「何が悪かったのか」「どうすべきだったのか」を指導するものだろう。
そこに教育があり、教師の存在意義があるはず。

それを「自主的な反省の弁を待っていたから放置する状況となってしまった」などと自己弁護をして、いっこうに教師としての過ちを認めず、言い訳に走るならば、この教師は即刻退職しなさい!
こんな無責任、無反省の教師に教えられる児童が可哀そうだ。

アチキがもし、この児童の保護者ならば、学校に乗り込んで、この担任に喧嘩を売る!
(本当は喧嘩ではなく、抗議でありんす)

《教師とは?》

教師とは、愛する我が子をあずける保護者の意志を汲んで児童を良き方向に導く者である。

教師とは、未熟な児童に対して、「善と悪」を教えることによって「人としての知恵や倫理」を教える存在である。

教師とは、保護者にかなわずとも、我が子のように児童を愛することを大前提として過ちをする児童を叱る立場の者である。

この教師は、保護者の気持ちを考えたことがあるのか?
クラスメートの前で辱めを受ける児童の気持ちを考えたことがあるのか?

忘れ物を意図的に、継続的に行っていたとしたら児童にも大いに問題があるが、だとすれば、保護者と相談して連携して問題改善にあたるとか、学校の管理職と指導方法を模索するとか、そういった努力がまず成されるべきである。
そうしたことをやり尽くしてもなお、児童が反抗し続ける、問題ばかり起こす、周りの児童に迷惑をかけ続ける、のならば、少しくらい立たせる罰を与えてもアチキは文句を言わない。
(アチキが保護者だったならの話)

ただし、その場合でも立たせる時間は短くし、場所は廊下などの人目につかない場所を選ぶべきだ。
なぜなら、こうした教師が公認を与えた辱め(体罰)は、イジメの発生原因となるからだ。
「先生がやっているのだから」「あの子は悪い子どもなんだ」と、子どもが勘違いして、悪意や嫌悪感情を持ってしまうからだ。
もし、そういう事態が発生しても、この教師のような人間は、そのイジメを「見て見ぬ振り」をするだろう。
イジメを解決するどころか、イジメを生み出す存在が教師となってしまうのだ。

教師のこうした行為(対処)は児童間の人間関係に重大な影を落とす、ということを認識するべきだ。

自らの対処(行為)の過ちを素直に認めず、「言い逃れ」をする教師など“教育の害”でしかない。
忘れ物、宿題忘れの児童に正しい指導も出来ず、体罰を与えた上で、自己弁護し虚言を吐く教師に怒り心頭である!

《神戸市の学校名の報道を求める》

この学校の学校名を公表せよ!
(個人名までは求めない)

こうしたことを実名報道しないことも、また過ちである。
なぜなら、その地域の保護者にはこうしたことを知る権利があるからだ。
保護者たちには法的に教育に関する義務(自分の子どもに対して)を負っている。

教師とは、児童を教育する義務を負っている保護者の代理として教育をしている職業人であることを深く自覚するべきだ!
保護者は、ときとして、我が子を守るために学校側(教師)と闘うべきだ!

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。


最新情報をチェックしよう!