『ダウンタウン松本氏(まっちゃん)の男気(人情)にあっぱれ! ~まっちゃんファイナンスにもの申す~』

【ダウンタウン松本人志さんが後輩芸人の救済に乗り出した】

ダウンタウンの松本人志さん(まっちゃん)が、新型コロナウイルスの影響で生活に困窮する後輩芸人に対し、1人上限100万円を無利子無担保で貸し付けるという報道がありんした!

ほ~!

なんでもまっちゃんは、後輩芸人にメールで呼びかけ、返済期間5年間でお金を貸すと伝えたようだ。貸し付けは1000人ほどまで広がる可能性があると伝えられている!

劇場(吉本新喜劇かな?)の閉鎖やテレビ番組ロケ等の激減によって、困窮している後輩芸人を救うために、まっちゃんが善意で金銭支援しようとしていることに、世間では「本当に素晴らしい」と称賛の声があがっているようでありんす。

アチキも新型コロナウイルスとの闘いにおいて、いくつも提言してきたでありんすが、まさに「それだよ!」という感じです。
アチキは、この人類未曾有の危機を乗り切るためには、政府や公的機関からの経済支援だけでは乗り切れないと思っていたでありんす。
だから、「寄付文化をつくれ」「人情と義理でサバイバルしろ」と主張してきた。

まっちゃんの“ファイナンス”は、まさに人情であり、騎士道精神の発揮(ちょっと変形してますが)でありんす!
(まっちゃんがアチキのブログを読んでいるとは思いませんが・・・)
後輩芸人を救うことイコール、芸人文化を救うことでありんすな!

実に、あっぱれ!
美談じゃね~か! 

って、なんか問題あんのか?

どうも問題はあるようです。

【まっちゃんファイナンスの問題点は?】

ところが、まっちゃんファイナンスに味噌をつけている弁護士がいるってぇ~じゃね~か!

弁護士ドットコムのなかで、高橋祐樹弁護士が解説してので、それをアチキなりに取りまとめて紹介する。

〈貸金業とは?〉

貸金業とは、金銭の貸付けを「業として」行うもの。
(要するにお金を貸しつけて利子をとる生業(商売)をすること)

また、貸金業は、ヤミ金(違法な利子を取る業者)排除、貸金総量規制(過剰貸付禁止)、金利の適正化といった借主保護等の観点から、貸金業法は「貸金業」を登録制としている。
(貸金業法3条)

つまり、無登録の業者や高い金利を取り付ける業者を規制し、借り主が将来的に払えないほどの金額を貸し付けたりすることを禁止するということだ。

まっちゃんファイナンスは、「無利子無担保」だからOKじゃね~の?

と思うだろう!
しかし・・・。
実は弁護士が鋭く指摘している。

〈法律違反となるのか?〉

高橋弁護士の言葉を引用

「『業として』というのは、反復継続の意思をもって貸金をすればよく、必ずしも貸付相手が不特定多数である必要はありませんし、必ずしも報酬または利益を得る意思もしくはこれを得た事実は必要ないと解されています。」


「つまり、反復継続の意思をもって、要は複数回・複数人に対してお金を貸す意思で貸付をすれば、善意で限られた範囲の人にお金を貸したのだとしても、「業として」お金を貸しつけたとされてしまう可能性があります。それぞれに対しては1回限りの貸付だとしても、複数の後輩芸人さんに貸付を行う以上、繰り返し貸付を行ったということにもなってしまうでしょう。」

「なお先ほどの最高裁の判決の中には、人助けのためにお金を貸しただけなのに有罪判決を受けてしまった件も含まれています。」

「ですので、今回松本さんが営利目的でなく、無利子無担保で後輩芸人1人につき1回きり貸付けるのだとしても無登録営業として貸金業法違反だと判断されてしまうリスクがあるのです。」

要するに、複数の人に対してお金を貸すこと、複数回お金を貸すことは、利子を取らなくても、たとえ善意(後輩芸人を救うため)であっても、貸金業と見なされ、貸金業法違反となる可能性がある、ということでありんす。

そこで高橋弁護士は、別の手を指南している。

「松本さん自身が後輩芸人のみなさんに直接貸付けるかたちは無登録営業と指摘されるリスクがあります」

「例えば、松本さんが吉本興業の関連会社である吉本ファイナンスや貸金業登録をしているお知り合いの方に出資をして、貸金業者から無利息で緊急融資を行う形は一つの手だと思います。」

「また、本当に困窮している後輩芸人の方にだけ、100万円を贈与する(110万円以下の贈与は贈与税非課税)などの方法をご検討いただけたらと思います。」

(情報源は、弁護士ドットコムより)

まっ~、弁護士の言いそうなことだな!


高橋弁護士は「まっちゃんが貸金業法違反で捕まる可能性があるから注意を与えている善意」と「まっちゃんファイナンスの件を弁護士として見解を述べることで宣伝となると考えたこと」だ。
あくまで“法律ありき”の論であるということだ。
(弁護士だから当たり前でありんす)

要はなにが言いたいのかというと、物事を見るときに、世間の出来事を見るときに、法律という知識だけの判断では、世知辛いのではないか? といいたいのだ。

まっちゃんの心意気、まっちゃんの男気、まっちゃんの隠された真意、などを汲み取った上でまっちゃんの行為を判断することが、法律以前の“人として”大切なのではないかと言いたいのだ。

アチキは、まっちゃんの後輩芸人を救うファイナンスに「男気」「人情」を見た!
そしてまっちゃんの「照れ」と「天邪鬼な性格」が見え隠れしていると感じた。

これは最終的には本人に確かめなければ分からないことだが、貸付けるとか無利子無担保でという言葉を使っているとしたら、それはまっちゃんの照れ隠しではないか、と思っている。
本当は、ど~んと支援したのだが、天邪鬼な性格がわざわい(?)して、そういう言葉をつかったのではないか? と見ている。
ただし、まっちゃんのように稼ぐ芸人ではないと、やりたくても出来ないことは確かだ。

もし本当に100万円を1000人に貸すと、その額は「10億円」となる。

おそらく1000人ということはないと思うが、なにが問題かというと、結局、貸金業法とは借り主を守る目的の他に貸金業者を保護する意味がぞんぶんにあることだ。

つまり、まっちゃんのように善意で他人にお金を貸してしまう人がいると、貸金業を営む業者から客を奪うことになるということだ。
法律はそこを規制している。
簡単にいってしまうと「商売の邪魔をするんじゃね~!」ってことなのだ。
世知辛いじゃね~か!

【まっちゃんファイナンスの対策法と是非】

高橋弁護士の論はあくまで“ほぼ法律のみの論調”である。
アチキは違う考えを持つでありんす。

ただ、高橋弁護士の言っていることで評価するべきは「贈与に関すること」だな。
100万円以下の金額だと、贈与しても税金がかからないから贈与にしろ、ということだ。

贈与、つまりお金を貸すのではなく、お金をあげる(一方的に)、ということで法律違反にならないということだ。

その通りでありんす!

ですが、高橋弁護士の主張は「本当に困窮している人に限って」という妙な条件がついている。
アチキは、まっちゃんから見て経済的に困窮していると思った後輩芸人には全員贈与していいと思うでありんす。

アチキも経験がありんすが、経済的に困窮しているときに手を差し伸べてくれた人は“命の恩人”なのです。
実にありがたい存在なのです。

〈ご意見番のアドバイス〉

そこでご意見番がアドバイス(勝手に)するでありんす。

まず、

「まっちゃんファイナンスという言葉をまっちゃんが使っていたとしたら、止めなさい」

「100万円を上限として、貸し付けるという言葉の使用をやめなさい。当然、利子や担保という言葉も一切口にしてはいけません」
(要するに貸金業を思わせる業界言葉を一切使用しないこと)

ではどうするのか?

「お前、仕事無くて困ってるんだろう! 100万あげるから、好きに使ってくれ!」
つまり贈与するということです。(あげるということ)
“貸付ける”と言ってはいけません。

これでいいんです!
えっ返さないの?
それは・・・。

一方、まっちゃんから“お金をもらった”後輩芸人は、

「ありがとうございます。仕事が増えたら今度は僕がまっちゃんにお小遣いをあげます(贈与する)。約束は出来ませんが、そういう固い気持ちでいます!」

お金を返済するとか、念書をだすとか、お金を返す約束をする、などと口にしてはいけません。
お金を頂いた者の勝手な気持ちとして、勝手に恩を感じて、勝手に恩返しをすると、勝手に決意している、ってことです。

これでいいです。

ただし、両者がこのような表現で話をする必要があります
この両者の言葉が合わさらないと意味はありません

このやり方で行えばまっちゃんの男気を活かし、生活に困窮している後輩芸人を救済できます。
ですから、もしこのブログをまっちゃんか後輩芸人のどちらかが読んだとしたら、もう片方に知らせてください。

その際に注意しなければいけないのは、自分の口で言わないことです。
ただ、このブログの上記の文を読んで理解してもらえばいいのです。
どこかのご意見番が言っていた言葉として両者が知ればいいのです。

アチキの示したアドバイスは完全なる白色ではないはずです。
白に少し近いグレーくらいでしょうか?

でも、ちゃんと両者が行えば貸金業違反にはならないはずです。

大事なことは、「貸金業に関する言葉を使用しないこと」「貸付ではなく贈与であり、返済ではなく自由意思による(経済事情好転の場合の)贈与である」ということを意識して行うことです。

日本社会は、残念ながら“嫉妬深い社会”なのです。
まっちゃんのように後輩芸人にポンとお金を貸せるお金持ちに嫉妬する人がいます。
さらに、こうした恵まれた後輩芸人に対して、同じように経済的に困窮している人が後輩芸人に対して嫉妬します。

ですが、他人をいくら嫉妬しても、何一つ良いことはありません。
むしろ嫉妬することで、自分の理想像を潜在意識で否定してしまうので、自分が同じような恵まれたことに巡り合えなくなります。

羨ましい~という気持ちを、グッと堪えて、「良かったね」「素晴らしい」と祝福することです。
また、世間の人もまっちゃんの善意に対して「温かく見守る」ことが大切です

なんでもかんでも他人のやることに揚げ足をとって、引きずり出して非難を浴びせ、糾弾することはこの世に地獄をつくり出すことにしかなりません。

日本人はいつから「義理と人情」を忘れてしまったのでしょうか?
(人情を忘れ去っている代表選手がマスコミである)
まっちゃんのような人情を大切にする人がまだまだ多くいることを称賛したいと思うでありんす。

ただし、無いとは思いますが、念のために重要な点に触れておきます。
後輩芸人に対する行動がまっちゃんの自身の名誉や社会的地位を上げることに利用する意図があるのなら悪となります。
また、後々、利子を求めたり、経済的困窮を救済したことを自慢したり、そのことで後輩芸人に対してパワハラ的な行為をするようであれば、それも悪となります。
万が一こうした事であった場合、世間はまっちゃんを糾弾せねばなりません。
(もしもの場合です)

そうしたことがなく、ただ単に後輩芸人を思ってのまっちゃんの人情であり、男気であるとアチキは信じたいと思うでありんす。

【法の意味とは?】

法律とはいったい何のためにあるのでしょうか?
法律とは誰のためにあるのでしょうか?

法律の真の意味を考えたいと思います。
(アチキが考える)

法とは本来、「悪なる者(存在)を規制(または禁止)するもの」であり、それによって「自由の範囲を示すもの」です。

つまり、法律の存在意味は、他人の生命や財産、名誉などを奪う、または脅かすことを制限し、禁止することにより、人権と幸福な生活を守ることを目的としています。
ですから、「人を殺してはいけない」「人の所有物を盗んではいけない」となるのです。

そして、同時に法律は人間が幸福を追求する上で「やっていい範囲」と「やってはいけない範囲」を明確にします。
いわゆるルールです。
格闘技やスポーツの試合と同じようにルールという意味なのです。

『隷従への道』で知られるオーストラリア出身の経済学者フリードリヒ・A・ハイエクが述べているように、「法律に反しなければ、何をしてもいい(自由)ということを示すために法律はある」のです。

こうしたアチキの考えは、もしかしたら司法界の考えとは違うかもしれません。
いや、違う人が大勢いるはずです。
(裁判などの司法に関する問題に関しては、今後本格的に取り上げる予定です)

これは、法律の原点である『モーゼの十戒』を考えればわかりやすいでしょう。
モーゼの立法、つまり“十戒”です。
神が示した十の戒めに反しない生き方をすることが人間の生き方だということです。
十の戒めは人間が守るべき法律であり、その法律に反しない生き方をしなさい、ということです。

結局、法律の本来の意味は、人間の行動を制限することで不自由を生み出すことを目的とすることではありません。
そうではなく、個性や思想の違う多くの人間が共生できるようにするためのルールであり、他人の幸福を奪わないためであり、自分を守るためであり、自由の範囲を提示することによって自由を得るためにあるのです。

よって、法律(人間の作る)とは完全無欠のものでもなく、普遍的なものでもないのです。
法律は、必ず時代の制約を受け(時代遅れなど)、不完全な部分を内包し、不足や行き過ぎの部分を持つものなのです。
ですから、この世の法律至上主義は間違いなのです。

これは法律を犯してもいいということではありません。
ソクラテスが言ったように「悪法もまた法なり」です。

例え、真の意味で人間を幸福にしない法律であってもその時代の法律に反することは、「その時代の悪」と、人間社会の中では認定されます。

ですが、現代法の施行以前から人類の歴史とともに存在するものがあります。
それが何かというと、「人道上の倫理」であり、「人が人を思うことの人情」です。

その根源は宗教です。
地球上の法律の根源は人類が神から与えられた宗教的真理にたどり着きます。
まず、人類として、人間として、根本的な生き方や在り方が大切なのです。

それは肌の色が違っても、言語が違っても、国籍が違っても、民族が違っても、その国の法律が違っていても、すべて人類に共通するものなのです。

たとえ法律に反していなくても人としての道からはみ出すことはあります。
(いまで言うと『自粛要警察』など)

法律だけを守っているだけでは、生身の人間が苦しむこともあります。
法律に反しないという現代社会のルールを守りながら、さらに人道上の倫理と人として大切な人情が必要だと思うでありんす。

倫理(良心)と人情なくしては、人の世はロボットが生きるギスギスとした世界となってしまいます。
法律を守ることはとても大切ですが、法律至上主義は、人間社会を不自由にします
義理と人情は人の世にとって必要不可欠なものと思うでありんす!

いまは新型コロナウイルス感染被害による、非情事態なのです。

【世間に必要なものとは?】

「人情と騎士道精神を発揮することを邪魔することは、法律以前にある人の道に踏み外す行為である!」

「後輩芸人の救済に立ち上がった、“まっちゃんという名の騎士”にあっぱれ!」

お読みいただき 、うれしうござんす!


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