『ネットの大原則・コメントの法則!』

今回は一見すると当たりまえのことですが、とても大事な話をするでありんす。

【ネットの大原則】

インターネットが当たり前となり、スマホが普及し、
「ググる(ネットで調べる)」
「ネットで繋がる」
「ネットで発言する」
ということが、“簡単に”そして“直ぐに”できる世の中となりました。

でも、そこには落とし穴があります。
そこには人を幸福にしないものがあります。
言い方を変えると人を不幸にするものがあります。

それは「嘘(フェイク情報)」「間違った情報」、「安易な他人への誹謗中傷」です。

そんなこと知っているよ、って言われるでしょうが、あえてアチキは言います。

『ネットの大原則』それは「ネットには嘘や間違った情報が含まれている。または簡単に嘘がつける」

ということです。

これを当たり前だよ、という人は倫理観が少し麻痺してきていると思われます。
ネット以外の日常生活で嘘をついたり、目の前の人に悪口を言ったり、間違った情報をもとに仕事をしたりすれば、大変なことになります。
当然謝罪や責任を求められます。

書籍化された情報や正式な論文、マスコミの報道などに嘘や間違った情報があれば、責任を問われ謝罪を求められます。
場合によっては、損害賠償を請求されます。

それが人間社会の常識であり、法治国家のあり方です。
ですが、ネットの世界はそうではありません。

ネット上では、平気で嘘をつく、正しい情報かどうか確認しないまま、その情報を拡散させてしまう。
という現象がおきています。

そして、ネットを利用する人たちは嘘かどうか、正しい情報かどうかをきちんと調べたりせずに言葉(情報)を発信しています。
ですが、これを放置していることは誰かを不幸にすることになります。
誰かを傷つけることになります。

ですから、ネット上の“嘘”、“騙し”、“いいかげんな情報”を放置してはいけないのです。

【コメントの法則】

インスタグラム、Twitter、FacebookなどのSNSが普及し多くの人が利用しています。
また、アチキと同じようにブログやYouTubeなどで多くの個人が情報を発信しています。
そして、それに対して“コメント”が発信されます。

(注:「コメント」という表現に、“投稿”や“ツイート”を含ませて論じます)

個人が発信する情報やニュースなどに対して個人がネットを通して簡単に自分の意見や感情を世間に知らせることができるようになりました。

ですが、現状のSNSなどを眺めていると共通する法則が見つかります。
それは、

「コメント、投稿、ツイートなどにおいては悪い情報が主流である」

という『コメントの法則』です。

つまり、「褒める」「評価する」「ハッピーな情報」などの“いい知らせ“は少なく、「貶す」「文句を言う」「悪口」「馬騰する」「追い詰める」などの負の感情からくる批判や他人を貶める言葉が氾濫しているのです。

もっと簡単に言ってしまうと、良いことよりも悪いことが圧倒的に多く発信されている
ということです。

なぜか?

悪口は簡単に言うことができるからです。

人間の性(さが)として他人の悪口をいうことが多い。
ネット上だと直接相手を目の前にしていないので、誰にも見られていないような誤った感覚で投稿(コメント)してしまう。
負の感情(怒り、恨み、妬みなど)は表に出しやすく、エネルギー的観点からいうと、負のエネルギーは吐き口を求めている。
さらに、日本人の民族的性質として、他人を褒めることが下手、ということもあります。

相手が目の前にいる日常生活では出来ないことがネット上ではいとも簡単に出来てしまうのです。
これはネットの性質に存在する悪い習性ともいえるでしょう。

要するに、良いことや他人をほめることよりも他人を貶す、悪口を言うことが多くなされているのがSNSなどで目立つということです。

個人の生活や個人の意見をSNSで発信することは言論の自由、表現の自由でしょう。
ですが、嘘をついて他人を陥れる、間違った情報に基づいて他人を貶めて悪く言う、ということはルール違反です。
人としてやってはいけないことです。

【東名高速あおり運転事故が生み出した二次被害】

この『ネットの大原則』と『コメントの法則』の両方に当てはまるの事例の代表的なのが、2017年に東名高速で起きたあおり運転事故(事件)で、ガラケー女に間違えられた女性と石橋被告の家族に間違えられた人です。

本当にいたましい事故でした。
多くの人が石橋被告を憎みました。
その感情は理解できます。
ですが、世間は石橋被告を憎むだけでは済みませんでした。

このあおり運転事故で、同乗していたガラケー携帯で石橋被告の暴挙を撮影していた通称ガラケー女は誰なのか? とネット上で身元捜しが起きました。
そして、石橋被告がフォローしていたSNSの発信者ということだけで、ある女性がガラケー女だとされ、嫌がらせ、誹謗中傷を受ける事態になってしまいました。
これはまったく関係ない人が間違えられて傷つけられた冤罪です。
このガラケー女に間違えられた女性は、身に覚えのないことで精神的に追い込まれます。
悲劇としか言いようがありません。

ですが、この女性は間違った情報をネットで拡散させた人、女性を誹謗中傷した人に対して損害賠償請求を行いました。
数名が起訴されました。

また、石橋被告と同じ苗字であること、石橋被告の隣町に住んでいたこと、石橋被告と同じ建設業を営んでいたことを理由にして、まったく関係ない人が石橋被告の家族と間違えられ、誹謗中傷や嫌がらせを受けるという被害を受けてしまいました。
この事例では、氏名、住所、電話番号がネット上で出回ってしまいました。

この二つの事例ではデマ(嘘)による間違った情報が勝手に出回り、罪のない人が誹謗中傷(悪い情報)されて被害にあうという事態になってしまったのです。
そこには『ネットの大原則』と『コメントの法則』がぴたりと当てはまります。

【ネットのルール及び正しい使いかたについて】

個人が直ぐに簡単に世間に対して情報(言葉)を発することができる。
こんなことは、人類の歴史上経験がないことです。

ですから、ネット上のルールや法律を含めた“やっていいこと”と“やってはいけないこと”がいまだ正しく定まっていないのです。

法律というのは、年寄りの政治家が作りますから、時代の流れの後から制定されるものなのです。
ネット関連の法律もいまだ不整備といっていいでしょう。
今後、ネットの使用ルールに関する法整備を急ぐ必要があります。

〈ネット上でやってはいけないこと〉

嘘をつく。
他人を騙す。
罪もない人を誹謗中傷したり悪口を言うこと。
ネット上の不確定な情報に基づき他人を攻撃する。
嘘の情報と知って拡散させること。
根拠のないことを本当にあったことのようにしてネット上に流すこと。
特に、個人情報(氏名、住所、電話番号、勤め先、家族に関することなど)を故意に許可なく流出させること。(芸能人などの個人情報を公開している人を除く)
など。

また、犯罪をした人の家族などを誹謗中傷したり、その人の個人情報を勝手に流出させることもいけません。
犯罪者の家族には何の罪もないのです。
罪のない人を誹謗中傷することは間違いであり、そっちのほうがよほど悪いことです。

【ご意見番からのお願い!】

ネット上であっても、根拠もなく他人を誹謗すれば名誉棄損罪恐喝罪が適用されます。
故意に許可なく個人情報を流せば、個人情報保護法違反に該当します。
つまり、安易に批判した、つい頭にきて悪口を言ったことが犯罪となりうるのです。

絶対に使ってはいけないワードは「死ね」という言葉です。
本当に相手が人生に悲観して自殺してしまえば、その人には自殺教唆罪が適用されます。

ネット上で安易に他人を誹謗中傷する人たちの言葉は感情論です。
理性に基づく論理や人としての道理をもとにした理論を持った発言ではありません。
ただ、負の感情をそのまま安易にネット上に流してしまうのです。

もっと考えなくてはいけません。
その情報が正しいのか?
その情報の発信者は誰なのか?
自分の発言はいったいなにを根拠に発言しているのか?
自分の発言で罪もない人を傷つけてしまうのではないか?
と。

〈ご意見番からの提言〉

ネットを利用する人に言いたい。

正式に公表された情報でないものを簡単に信用してはいけない。
正式に公表された情報でないものをもとにして他人を誹謗中傷することをしてはいけない。
感情だけに任せて気持ちを発信するのではなく、理性や知性で意見を言うべきです。

特に、氏名、住所、電話番号などの個人情報を流そうとする人のことを信用したりフォローしたりすることは絶対にやめてください。

個人情報を許可なくネット上に流出させるような人は悪意があります。
信用できる人間ではありません。
そうしたことをする人の発言を鵜呑みにしてさらに言葉を発信してはいけません。

犯罪者に共通することは、「平気で嘘をつく」「嘘をついても罪悪感がない」「他人を攻撃したり、他人からなにかを奪ったりすることを平気でする」ということです。
そう、嘘は犯罪の始まりなのです。

『ネットの大原則』=「嘘や間違った情報が含まれている。または簡単に嘘がつける」
『コメント、投稿、ツイートなどの法則』=「悪い情報が主流である」

この二つのことをよく頭に入れて、SNSなどのネットを利用することが大切であると思うでありんす。
正しく使えば、ネットは便利であり、SNSは人生を楽しくさせるものとなります。

【世直しご意見番がもの申す!】

「嘘は犯罪の始まりである」

「ネットで嘘を流すことは犯罪に匹敵する」

「安易に他人を誹謗中傷することは人としてやってはいけないこと」

おまけの諺

「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」

意味は、誰か一人が憶測でいい加減なことを言うと、人々がよく確かめもせずに、それを真実として言いふらすことのたとえ。(大きい活字の故事・ことわざ辞典より)

一匹の犬が吠え始めると、ほかの犬もつられてみな吠え出すことから。(潜夫論)

お読みくださって、うれしうござんす。


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