『体操着の下に肌着を着用することを禁止する指導はセクハラ教育! ~ブラック校則問題やセクハラ教育が平然と学校で起こる根本の理由とは~』

小学生に対し、教師が肌着着用を禁止することは「指導」と呼べるのか?

《川崎市の小学校で体操着の下に肌着を着けることを禁止する指導が行われている》

神奈川県川崎市の小学校(一部の)で信じられない「指導(教育)」が行われている。
それは、「体操着の下の肌着着用を禁止する」というもの。

この問題が世間に大きく取り上げられたきっかけは、川崎市議会議員の山田瑛理議員が小学生の子どもを持つ保護者から相談を受けたことが始まりだった。
その相談とは、「体操着の下の肌着着用を禁止している」「子どもたちが『嫌』と言っている」というもの。
(3月9日、川崎市議会、予算審査特別委員会の予算審議にて)

そりゃそうだ!

《肌着着用禁止(体操着の下に)、さらなる問題》

さらに問題なのが、こうした「児童への肌着着用禁止の指導を保護者に知らせていない」こと。
そしてなにより酷いものが、「担任の男性教師が個別に児童を確認し、“胸の成長”を確認できた場合のみ着用を認めている」ということだ。

この2つは、「教育上あってはならないもの」である!!

《肌着着用禁止の理由とは?》

聞いてあきれるが、体操着の下に肌着を着用することを禁止にする理由とは?

「運動後の汗などによって、体を冷やさない等の児童の健康面や衛生面の配慮から、主に低学年の児童に対して肌着を着用しないよう指導している」

「肌着の着用を禁止することによって『皮膚の鍛錬』になる」

(『皮膚の鍛錬』は、情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)で3月15日に取り上げたもの)

《川崎市教育委員会の反応は?》

川崎市の教育委員会はこの問題に対して以下のように返答(反応)している。

肌着着用を禁止する指導に対しては、「教育委員会としては指導は行っておりません」と肌着着用を禁止する指導を否定した。
一方で、「肌着着用禁止に関する指導が学校現場で成されていることを保護者への周知を行っていない」と認めた。

これらの問題に対して、「児童の気持ちに配慮した指導が必要と考えている」と回答。
また、「健康面や衛生管理面の配慮をするための指導は必要だが、児童の気持ちに配慮しながら適切に行うべきだ」と主張した。(小田嶋教育長)

今後については、「改めて各学校の状況を調査した上で、今後、見直しも含めて検討したい」と語った。

(情報は、『ハフポスト』)

肌着着用禁止の教育(セクハラ教育)にもの申す!

《肌着着用禁止の教育にもの申す!》

はじめに結論を言います!

これは大人から子どもへの「セクハラ」です。
教師から児童への「セクハラ」です。
学校教育という名目を遥かに超えた指導です。
児童の「自由」と「人権」を無視した教育です。
児童の気持ち(心)を踏みにじり、保護者の権利を無視する非道なものです。
一般社会では、「性犯罪」と呼んでいるものです。

小学生は当然未成年者であり、親権者であり保護者である親などに“知らせない”ということは「あってはならない教育」であることをはっきりと指摘しておく。
これが意味することは、「言ったら親たちから反対が出るから黙っていよう」という教師たちの卑怯な態度であり、「教育という名目なら何でも教師の思い通りにする」という傲慢な教育思想である。

《肌着着用禁止の理由を論破する!》

学校と教育委員会の言い訳(肌着着用の禁止理由)は聞いてあきれる!

〈反論1〉

「運動後の汗などによって、体を冷やさない等の児童の健康面や衛生面の配慮から、主に低学年の児童に対して肌着を着用しないよう指導している」

一見まともなように思えるが、運動後の汗などによって体を冷やさないためになぜ肌着を着用してはいけないのか、という明確で科学的な理由はない。
つまり、体を冷やさないことと肌着着用を禁止する理由は明確に結びつかない。
このような言い訳は官僚の言い逃れ答弁と同じである。

要は、着替えればいいだけのこと。(違う体操着などに)

そもそも体育や運動をすれば汗をかくのは当たり前、だからといって肌着を着用することを禁止する必要がどこにある?
教師たちよ、その胸の内にある「本当の理由」を吐露したらどうか?

本来、肌着とは汗を吸収し、表の服をぬらさないために着用するものであり、吸水性などを考慮してつくられているものである。
肌着とは、汗と直接触れることを想定して作られているものであり、そのためにあるものではないか!
なにを言っている!

〈反論2〉

「肌着の着用を禁止することによって『皮膚の鍛錬』になる」

なにをバカなことを言っているのか?
そんな明治時代のようなバカな発想を誰が「あ~そうですか」というか!

そもそも「皮膚の鍛錬」をなぜ小学生がしなければならないのか?
それを指導することが学校の職務なのか?
違うだろう!

もし、そんな責任が学校側にあると主張するならば、言おう!
では、児童が「丈夫な内臓になるような指導」をしているのか?
児童の内臓の鍛錬もしているのか?
していないだろう?
なのに、なぜ「皮膚」に関してだけ指導するのか?
それは「取ってつけた言い訳」でしかない。
それを詭弁という。

いずれにしても「もっともらしい理由」をつけた間違った指導(教育)でしかない。

《教育委員会の詭弁にもの申す!》

「肌着着用を禁止する指導を教育委員会としては指導していなかった」から、なんですか?
こんな言い回しで言い逃れするのは止めてもらいたい。
この発言は、教育委員会が「責任逃れ」のために主張したものだが、ご意見番からすると逆に墓穴を掘ったことを指摘しておく。

「男性教師が女子生徒の“胸の成長”を確認する」などの指導が行われていたことを知らなかったとしたら、教育委員会には管理指導の大きな怠慢となる。
また、「知らなかった」「教育委員会としては指導していない」ということは言い訳にもならない。
教育委員会のこの言葉に、「責任逃れ」が如実に表れていることに不快感を覚える!

ご意見番が考える教育委員会の発言から読み解く最大の問題がある。
それは、教育委員会の言葉をかみ砕いても「肌着の着用を禁止する指導」を「間違った教育である」だから、「今すぐ止めさせる」という表現が見当たらないことだ。
つまり、教育委員会の回答を見る限り「肌着着用を禁止する指導」を「本当は、どこかしらで認めている」ということが含まれていると見える。
それが一番の問題である。

その証拠が、教育委員会の今後の対応に関する回答のなかにある。

「改めて各学校の状況を調査した上で、今後、見直しも含めて検討したい」

というものだ。

調査は当然必要だが、「見直しも含めて」とはどういうことなのか?
「検討したい」とはどういうことなのか?
いいですか、やっていることは「人権無視(児童の)」「セクハラ」でしかありません。

どんな教育上の名目もそこには入りこめません。
一般社会では立派な「性犯罪」となります。

また、肌着を着用するかどうかを学校が決める権限はありません。
それは親権者の保護責任に対する越権行為です。

教育委員会の回答には、「責任逃れ」と「ことの重大さを認識していない」ということしか感じません。

即刻、学校側と指導した教師を処分し、今後は全面的に禁止すべきです。

《セクハラ教育(指導)する教師にもの申す!》

男性教師が、小学生の胸の成長を確かめるというのは、世間一般で起きたら立派な「性犯罪」ですよ。
教師なら許されると考えているなら、教育という名目で行うなら許されると思っているのなら、「腐っている」といっておく。
すでに教育者としての資格はない。
教師ならば、教育(指導)という名目ならば「なにをやってもいい」と思っている教師がいることは、子どもたちにとって「害」以外の何ものでもない!

小学生といっても低学年と高学年では体の成長も精神的な成長も随分と違う。
子どもでも「女性」の意識はきちんと持っている。
なのに、児童が「嫌がるかどうか」をまったく考慮しない指導は教育という名を借りた虐待でしかない
このことが児童の心にトラウマや嫌な思い出を与えた場合、教師と学校はどう責任を取るのか?
答えてもらいたい。
これはペットを飼育するような管理(指導)というしかない。

「胸の成長」を確かめるというのは、「セクハラ」以外の何ものでもなく。
世間一般では「性犯罪レベル」のものである。

恐らく似たような指導が全国の学校で起きていると思われる。
全国の保護者たちは、「怒るべき」です!!

セクハラ教育、ブラック校則が平然と学校現場で行われる誰も指摘しない根本の理由とは?

《学校現場を牛耳っているのは社会主義思想(左翼思想)である》

なぜ、「肌着着用禁止」などという呆れた指導(人権無視の指導)がなされるのでしょうか?
なぜ、「茶髪禁止」「白の下着以外禁止」などというブラック校則がはびこるのでしょうか?
世間のニュースや記事をみる限り、誰も指摘しない論点があります。

結論を述べます。

それは、「学校現場を牛耳っているのは社会主義思想(全体主義思想)」だからです。

学校という教育現場に最も大きく存在するのが社会主義思想(全体主義思想)であり、左翼思想を持った教師たちなのです。
何から何までとは言いませんが、学校の現場の中心にあるのが社会主義思想なのです。

基本的に日本という国家は「民主主義」「自由主義」をうたっていますが、本当は社会のいたるところで「社会主義(又は共産主義)」がはびこっています。
戦後、大きな波を起こし、社会の中枢に入りこんだのが左翼(共産主義者、社会主義者)たちです。
教育現場の学校には左翼(共産主義者、社会主義者)たちが多く存在し、また、左翼の影響が強くあらわれてきたのです。
数十年にわたって学校運営は社会主義に傾いてきたのです。
学校運営を左翼化した勢力の一つが「日教組」なのです。
(左翼化は日教組以外の左翼全体が起こしたもの。あくまでも中心が日教組という意味)

〈日教組とは?〉

正式名称は「日本教職員組合」。
設立は、1947年6月8日。
日教組は、日本の教員・学校職員による労働組合の連合体であり、日本最大の組織。
日教組の支持政党としては、立憲民主党社会民主党がある。
(共産党支持者は、1989年に労組再編で大多数が日教組を離脱した)

そして肝心なことは、学校現場が本当は「社会主義思想(全体主義思想)」を中心として運営されているということを、いまでは誰しも疑問に思わず、むしろ「当たり前」と思っていることです。

戦後、数十年の歴史の中で、ときに不良生徒たちを押さえるために全体主義的な教育がはびこってきたのが日本の学校現場なのです。
こうしたことに保護者も地域の人たちも疑問を持たずに時が過ぎていったのです。

《社会主義思想の特徴とは?》

社会主義思想の特徴は次のようなものです。

「管理者(指導者)が一方的に決めたルールで対象者を管理する」
「個々の自由は認めず、すべてを『平等』という一括管理の状態におく」
「管理者が決めたルールに反する者を許さない、認めない」
「管理者は自分たちの考えや行動について反省しない、または過ちを認めない」

そこにあるのは「みな平等の思想」であり、上位者が下位者へ強力な権力によって抑え込む統治システムなのです。
そこには「民主主義」も「自由主義」も隠し味程度しか存在できません。
それによって「異質なものを排除する風土」が生まれます

《日本の学校は社会主義システムによって運営されている》

これってどこかの国のようではないですか?
そう、中国や北朝鮮です。

要するに、日本の学校運営には、すべてとは言いませんが、社会主義思想の運営が色濃く反映されているのです。

だから、「自由を求める生徒が反乱する」のです。
だから、「個性を潰された生徒が不登校になる」のです。
だから、「異質な存在を認めない風潮が児童に入り込み、イジメが起きる」のです。

日本の学校運営とは、教師たちが一方的に決めた校則やルールを生徒に押し付けて管理するシステムなのです。

そこには生徒の意志や気持ちを反映させる民主主義は排除され、保護者の権利も無視された状態なのです。
口では「生徒のため」といいつつ、本当は「教師の勝手な都合」が優先されているのです。
そこにある問題とは、「学校とは誰のために存在するのか」という根本命題なのです。

しかし、自分は社会主義だと意識していない教師も多くいます。
知らず知らずのうちに社会主義的発想をし、そのような指導をしているのです。
それほど、学校運営における社会主義思想は深く根付いているのです。
それはあたかも自然で当たり前のようの存在しているのです。

子どもたちはそのことに気がつくはずがありません。
物心つくころから、そうした環境に居れば「それが当たり前」と思ってしまうからです。

そろそろ日本の学校運営にも大規模な改革の嵐が必要な時期になったのです。
この力は数十年の歴史があるため、岩盤のように強固です。
ですから、そう簡単には崩れません。

しかし、「自由」と「民主主義」を大切に考える保護者や地域の人、社会の人の手によって、岩盤のような社会主義的学校運営に風穴を開けねばなりません。

なぜなら、子どもたち(生徒)の「自由」と「個性の発揮」そして「個性の発揮か生まれる創造性」は社会主義的教育からは生まれてこないからです。

時代は「個性豊かな人材」を求めています。

ノーベル賞の全受賞者の22%を占めるユダヤ人は、子どもの頃から「タムルード」というユダヤ教の聖典を学びます。
学ぶだけではなく、そこに書かれていることを“どう考えるか”という教育を受けます。
つまり、子どもの頃から喧々諤々(けんけんがくがく)と議論するのです。
決して他人と同調することなく、異質な意見や発想をしようとするのです。
そこにユダヤ人の優秀さが生まれるのです。

要するに、ユダヤ人がノーベル賞を取る理由は、子どもの頃から「疑問を持つことを当然とする」「質問することが習慣化する」「革新することが当たり前」「議論をすることが日常茶飯事」という教育を受けているからなのです。
そこには個性の違いを明確に認めている教育があります。
決して「みな平等」「教師による一つの価値観の押し付け」はありません。
だからこそ「創造的な人間」になるのです。

日本の学校もそろそろ「創造的な人材を生み出す教育」に目覚めなければなりません。
いまのような社会主義的教育システムは、均一な勤務者(勤め人)を大量に生み出そうとする教育システムです。
そうした人材が求められたのは戦後であり、そんな時代はとっくの昔に終わりを告げています。

いい加減に教師たちは左翼思想から目覚めなければなりません。
左翼思想のご本尊である中国と北朝鮮で何が起きているのかを如実に知るべきです。

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。


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